みんな 私 を 好き に なる。 私昔から踊ったり歌ったりすることが大好きで みんなからアイドルなれ

第8話 Side北風真美

みんな 私 を 好き に なる

提供 写真はイメージです(写真/Getty Images) 緊急事態宣言が解除された。 長い外出自粛生活で、家族の親密性を高めた家庭もあれば、ストレスを上げた家庭もあったことだろう。 カップルカウンセラーの西澤寿樹さんが夫婦間で起きがちな問題を紐解く本連載。 今回は妻に「強制」された状況に適応した夫の心理について解説する。 * * * 首都圏も緊急事態宣言が解除されました。 コロナ後は世界が変わるという論調はよく聞かれますし、事実、50日の間に世の中の一部は新しい秩序に変わり始めたようにも見えます。 出社するのがあたりまえだった日本のそうそうたる会社が、テレワークを導入するようになり、あれほどもめたコンビニの時短営業もいとも簡単に実現し、私たちの業界でも、かつてはZoomでカウンセリングなんてとんでもないと言っていたのに今や推進派のような人すらいます。 以前も書いたとおり、人は違う環境におとなしく我慢できるのは1週間で、逆に3カ月もやっていれば新しい環境に適応してしまいます。 1カ月半というのはちょうどその分水嶺のようなところかもしれません。 今年、入学した学生さんたちは、入学式すらできなかったり、入学式しかできなかったりで、気の毒なことこの上ないですが、上級生ともなればリモート代返の技を編み出すなど、高い適応能力を発揮している「輩」もいるようです。 また、テレワークではろくに成果を出せていないように見えながらも、テレワークしている部下に「テレハラ」するおじさんは、ある意味この環境にさっさと適応した人とも言えます。 こうした動きは大半の人が予想だにしなかった適応の仕方だと思います。 何かの制度変更や環境の変化があったとき、必ずしも、社会的に見て「正し」かったり、組織や家族が望む方向に適応したりするわけではないというのは、人間の多様性やクリエイティビティを垣間見る感じがします。 もちろん「テレハラ」を擁護する趣旨ではありません。 家族に目を向けると、大なり小なり家族が一緒に過ごす時間が増えた家庭がほとんどだと思います。 そのことが、家族の親密性を高めた家庭もあれば、ストレスを上げた家庭もあったと思います。 私の耳に入るのはどうしてもうまくいっていないケースが多いのですが、浮気症の夫が外出しないので、安心だという声を聞いた一方、ずっと家にいないといけないので、一挙手一投足まで監視されていてトイレしか気が休まる場所がないのに、長居するとそれも責められ、こんな生活は耐えられないという類の話は夫婦どちらからも聞きました。 一方、夫婦を含む人間関係は心理的問題ですので、心理的距離感や自由な心の動きの抑制と置き換えることができます。 心理的距離についてはよく言われることなので、今回は自由な心の動きの抑制について考えてみたいと思います。 自由というのは、福沢諭吉が「自らに由る」という意味のこの言葉を英語のfreedomの訳語にあてたのだという話を聞いたことがあります。 自らに由る、大げさに言えば他の誰でもない自分自身のすべてを背負った自分の生きざまということになると思いますが、その結果として双方ともがパートナーを愛し、大切にする、という状態であることが多くの人が望み思い描いたゴールだと思います。 しかし、それが危うく感じた時、その「ありたい姿」をゴールにするのではなく、そのありたい姿の時にこういう「見た目」になるはずだという「見た目」、つまり物理的結果をゴールにしようとする人も少なくありません。 コロナウイルスに精神論が役立たないのと同じように、心理的問題に物理的な方略はあまり役に立ちません。 菜美恵さん(仮名・30代前半、派遣社員)は、何度も自分を裏切った夫の幹人さん(仮名・30代後半、自営業)に誓約書を書かせ、スマホのGPSでいつどこにいたかわかるアプリで、監視しています(菜美恵さんによれば実際には監視しているわけではなく、自分の行動をみられているかもしれないという危機感を持ってもらうための方便だそうです)。 夫がいかにひどいかを声高に訴えていた菜美恵さんと、「自分が悪いのだから仕方ない」と言っていた幹人さんですが、菜美恵さんに「私のこと好き?」と聞いてください、と促すと、しばらく黙ったのち、泣きそうな声で、 「言えません」 と言いました。 「言いにくいのは、何が邪魔してますか?」 とお聞きすると、 「嫌いだと言われるのはわかっているんです。 でもそう言われたら、もう立ち直れないので」 とおっしゃいます。 本当に大事なのは、嫌いと言うか言わないかという「行動」ではなくて、好きかどうかという「気持ち」のはずです。 菜美恵さんに限りませんが、気持ちは見えにくいので、不安が高まると人は目に見える行動にすがってしまいやすいのです。 GPSや誓約書で夫の行動をけん制しようとするのも同じ流れで理解することができます。 泣き声でおっしゃるぐらいですから、菜美恵さんにとっては追い詰められた、やむにやまれない対応なのですが、第三者として冷静に考えると、これは混乱した状況です。 けん制や強制で自由を奪って浮気をさせないようにしても、家事を手伝わせても、「好き」の証拠にならないことはやっている本人が一番わかっていることです。 それでも、強制しなければ立ち直れないことが起こってしまうのではないかと恐れているので、その構図から抜け出せないわけです。 残念ながら、3カ月強制すれば、強制された状態に適応して、強制しなくても菜美恵さんに愛情のある対応をするようになるということは考えにくいのです。 ましてや、好きになるはずもありません。 こういうとき、テレワークがテレハラを生み出したように、話が当事者の予想外のほうに転がってしまうことが少なくありません。 「強制された状況」に適応した幹人さんは、菜美恵さんと本音で話すことはなくなり、その場しのぎの言葉で言い逃れをするようになりました。 それがまた菜美恵さんの怒りに油をそそぐという構図です。 実は、菜美恵さんご夫婦がおいでになった理由は、幹人さんが離婚したい、と言い出したことです。 菜美恵さんは当然、幹人さんの「決意」を非難します。 幹人さんが悪いのに離婚だなんて身勝手すぎるとか、私にも落ち度があるなら直すとか、親に言えないとか、結婚で名前を変えたのが私なのになぜまた離婚で私だけがさらし者にならないといけないのかとか、次々主張が出てきます。 改めて菜美恵さんに、「私のこと好き?」と聞いてください、と促すと、覚悟を決めて、 「私のこと嫌いですか?」 とお聞きになりましたので、私は、「私のこと好きな気持ちある?」と聞いてくださいと、言いました。 2つの質問は論理的には意味は同じように見えますが、違います。 大好きで、同時に大嫌い、という関係もあれば、好きでも嫌いでもないという関係(例えば無関心)というのもあります。 だから、好きと嫌いは同じ定規の両端ではなくて、別の概念です。 菜美恵さんは言い直してくれました。 「わたしのこと好きな気持ちありますか?」 幹人さんが答えそうなことは、「情はあるけど、女性としての愛情はなくなった」というようなことです。 ほかにも、「人間としては尊敬しているけど、夫婦としてはやっていけない」とか「好きか嫌いかと言われれば、嫌いのほうが大きくなった」などという方もいらっしゃいます。 いずれも、質問にまっすぐ答えていません。 そういうことが予想されるので、先制して、「質問には厳密に答えてください」とお願いしました。 厳密に答えれば「好きな気持ちがあるか?」が質問ですから、1%でもあれば「Yes」になるはずです。 ダメ押しでもう一つ、その人を好きかどうかと、自分の気持ちを押さえなければならないことは別のことだと説明しました。 相手のことが好きだから、ここは(自発的に)我慢しよう、ということは普通のことですが、「好きなら相手のために我慢しなければならない」とか、「我慢を強制されるのが当然だ」ということはない、とお伝えしました。 そしてなによりも「好きなら一緒にやっていけるはずだ」というようなこともないのです。 とにかく、質問は、好きな気持ちがあるかどうかだけですから、厳密に答えてほしいとお願いしました。 幹人さんは、「ある」とお答えになりました。 菜美恵さんは、また涙ぐむのと同時に、混乱した表情をされています。 それも当然です。 菜美恵さんの視点からしたら、幹人さんに自分を好きな気持ちがあることと、自分を裏切ることが、どうしても両立しないのです。 実家にもそう言われているそうです。 菜美恵さんも別れたいなら、当然カウンセリングにおいでにならないはずなので、別れたくない気持ちが相当程度あるはずです。 菜美恵さんが別れたくないのだとしたら、相談した誰もが別れたほうがいいというのですから、菜美恵さんも四面楚歌な状態に追い込まれています。 幹人さんの気持ちの話に戻ります。 幹人さんのお話を丁寧にお聞きすると、菜美恵さんを好きな気持ちは実は昔と変わらずある。 同時に結婚前の交際時から菜美恵さんが幹人さんに菜美恵さんのやり方や理想を押し付けてくるのが嫌だったそうです。 でも、好きだから乗り越えられると思って結婚されたそうです。 しかしやはりどうしても耐えられないのだそうです。 別居という手も考えたそうですが、別居中はいいかもしれないけど、同居したらまた同じ問題が生じるわけだから、結局、一生同居できないというのが論理的な結論で、それでは結婚している実質的な意味がないと考えたそうです。 だったら籍を抜けば「他人」なのだから、「夫だから」「結婚しているのだから」という束縛から逃れられて、仲良く暮らせるのではないか、というのが幹人さんの考えだということがわかりました。 浮気についても、あの時その彼女が助けてくれなければ自分はあの時死んでしまったかもしれないと今でも思っていて、妻が傷ついたのはわかるし、わかってもらうのは無理だと思うけど、自分としてもどうしようもないことだったから究極のところ悪いことだとは思っていないといいます。 そして離婚して誰と付き合うのも自由という状態になれば、妻のことが一番好きなので、逆に浮気なんかしないと思う、ともおっしゃいました。 部外者から見れば錯綜した考えのようにも見えますが、ご本人としては(妻は変わらないという)与えられた環境の中で精一杯考え抜いて、(菜美恵さんと一緒に生きていたいという)自分の望みを叶える一縷の適応の道として藁をもつかむ思いなのだろうと思います。 巣ごもり生活で、外出できる自由がどれほど大きく貴重なものか、実感した方も多いと思いますが、心の自由というのもこれほどまでに大きいのだ、ということを痛感したお話でした。 幹人さんの話を信じるのも、信じないのも、いい話と聞くのも、嫌な話と聞くのも菜美恵さんの自由です。 ただ、カウンセラーとして言えることは、幹人さんの話は信じるに値しないけど、幹人さんの自由意思で菜美恵さんを愛して、というのは、残念ながら無理な注文だということです。 (文・西澤寿樹).

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結局みんな、浦野秀太が好きになる。|つん|note

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自分を好きになることは、自分の人生には縁のないことのようにも感じていました。 だって、その頃は、まさか自分が自分のことを好きになれるなんて思ってもいませんでしたから。 なにかと理由をつけて、自分を好きになれない人は多い まず「自分が好き」と思うこと自体、ハードルが高いと感じていました。 好きと言えるほどの価値を自分が生み出せないと、自分を好きになってはいけないと思い込んでいたのでした。 今の私があの頃の自分にアドバイスをあげるなら、 ・「私は生まれた時点で奇跡のような存在で、それだけで価値がある」ということ。 ・「他人が私につける価値なんて、自分の人生においては重要ではない」ということ。 ・「自分が自分をどう思えるかが私の本当の価値である」ということ。 だから自分を無条件に好きになっていいと言ってあげたい。 自分でも気に入っている自分の特徴も、「もっとすごい人がいるから」「綺麗な人がいるから」となにかと理由をつけて好きになれないでいる、そんな人も多いと思います。 でも自分の評価に条件なんていらない。 自分が好きなものこそが正義であるべきだとおもいませんか? 私は、自分の好きじゃなかったころを思い出すと、今はずいぶんと生きるのが楽になったように感じます。 自分を好きになる前は、自分に一人も味方がいないように感じていました。 もちろん友達はいたけれど、自分で自分のことを好きになれなければ、人が自分を好きでいてくれても、その愛をちゃんと活かしきれなかったんだと思います。 周りの人の愛情や優しさをちゃんと吸収できずに、無駄にしてしまっていたような気がします。 どんなに褒められてもそれを信じられずに、表面上では喜びながら、心の中では「どうせ、本当はそんな風に思っていないんでしょう」という気持ちになることすらありました。 でも今はそんなことを考えることなく、体全身に褒め言葉を感じることができるようになりました。 「自分を好きじゃない」と言うと、心配される その大きなきっかけは、やはりアメリカにきたことでした。 ロサンゼルスに移住して、「自分が好きである」ことがデフォルトというか、標準装備であると考える人が多いことに気づきました。 「自分を好きじゃない」と言うと、物凄く心配されるんです。 日本では「自分のことを好きじゃない」と誰かに話したら、「みんな、そうじゃない?」と返ってくることも多くありましたが、ロサンゼルスでは「美穂は素晴らしい人間だからそんなこと言わないで。 美穂は自分を好きになれるだけの価値のある人間だよ」と言ってくれる人が多かったのです。 特にロサンゼルスは違う文化背景を持つ人たちが交わる街で、自分らしさこそが自分の魅力だと思うことが、自然なこと。 そんな場所にいたら、自分を好きになることへのハードルがさらに低くなるのかもしれないとも思いました。 そして、実際に私は自分らしさを自分の魅力として受け入れて、それが自分の「好き」に変わっていったようにも思います。 ただ、こんな気軽に「自分のことを好きになろう!」と書いているけれど、自分を好きになるのは、そんなに簡単なことじゃありません。 どうしても自分を好きになれない、と言う人だって、自分を好きになりたくなくて、そうなってるわけではないはずです。 私自身もアメリカでさまざまなことを経験し、紆余曲折もあって、気づけばようやくここにたどり着いていたのです。 自分を好きになるのはながーいプロセスが必要です。 とくに、体型などの見た目が変わりやすい思春期に自信を無くしてしまい、そのまま自分を好きになる方法を知らずに大人になる、という人は多いと思います。 そして、大人になると、他人はなかなか自分を褒めてくれないし、日々に忙殺され、なかなか自分を好きになる大きなきっかけがないので、なんとなく自分を好きになれないまま時が過ぎてしまいます。 「自分を好きになれない自分」を変えたくて歯痒いけれど、変え方がわからない。 そんな人が多いはず。 でも大丈夫です! ここで私のこのコラムを読んだあなたはラッキーです。 私の過去のコラムに自分を好きになるヒントがたくさん隠されています。 また、私のように自分のことが好きで、前向きな人のSNSをフォローして毎日良いバイブスを浴びたら、まず考え方や意識が変わっていきます。 考え方の癖で、自分を好きになれない人が多いので、ほんの少し考え方を変えるだけで、自分を好きになれたりするのです。 自分を嫌いで生まれてくる赤ちゃんはいない 今「でも、そんな簡単なことで本当に自分のことを好きになれるの?」と思った、そこのあなた。 その「でも」という言葉を使う数が減らすことも、自分を好きになるための第一歩です。 自分のことを嫌いと思いながら生まれてくる赤ちゃんはいませんから、私たちはもともと生まれながらにして自分を好きなことがデフォルトのはずなんです。 初期設定なんです。 だから、ゆっくりと生まれたばかりの状態に戻していく作業こそが自分を好きになることなのです。 そう考えたら、自分を好きになるって、そんな大袈裟なことではないように思えてきませんか? ゆっくりでも進めば、必ず辿り着けます。 私たちはみんなその道順を知っているはずですから。 私は女優としてなにかの作品に関わるときに、自分がその作品のファンになれるときが一番幸せに感じます。 その作品を何度も見て、スタッフの方々や共演者に感謝の気持ちでいっぱいになるし、自分にも作品にも誇りを感じずにいられない。 もしも自分が自分の一番のファンでいられたら、嬉しいときは心から喜べるし、悲しいときは「でも私はこんなに素敵なところがたくさんある」と考えを切り替えて、「自分がまた嬉しくなれるように頑張ろう」と思える。 なにをやってもプラスになるんです。 自分が自分のファンだから、自分自身を裏切りたくない。 他人と自分を比べて落胆するのではなく、過去の自分に負けないように、理想の自分を諦めないために、自分と向き合って戦う。 だから自分を好きなこと自体がモチベーションになります。 自分を好きになることは「自分応援団を持つこと」なのです。 (編集:).

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SNSに酔いしれる女たち(みんな私を好きいなる) ネタバレと結末・感想【#(ハッシュタグ)から男を追跡?美人だけどヤバイ女 】

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