新潟 津波。 津波災害警戒区域の指定について

新潟県中越地震

新潟 津波

概要 [ ] 新潟県(現・)の直下を震源として発生した型ので、震源直上の川口町では 最大震度7を観測した。 震度7を観測したのは、の阪神・淡路大震災以来9年ぶり、観測史上2回目。 なお、阪神・淡路大震災ではなどの調査によってが判定されたため、で震度7が観測されたのは初めてである。 また、M6を越える規模の大きなが複数回発生するなど、余震回数が多く的様相を呈したことも特徴のひとつである。 はこの地震を 平成16年(2004年)新潟県中越地震(: Mid Niigata Prefecture Earthquake in 2004)とした。 英語圏ではNiigata Prefecture Chuetsu Earthquakeなどの表記が多く用いられた。 また、一般的ではないものの、新潟県はこの地震によるを 新潟県中越大震災と命名し、この呼称を11月29日より使用している。 本震 [ ]• 発震:2004年(平成16年)10月23日 土曜日 17時56分0. 3秒()• 震央:新潟県中越地方、北緯37度17分30秒、東経138度52分0秒• 震源の深さ:13. 1キロ• 地震の規模:6. 最大加速度:川口町(現・長岡市):約2,515gal• 最大震度:川口町(現・長岡市): 震度7• 最大すべり量:1. 6メートル 各地の震度 [ ] 震度5弱以上の揺れを観測した観測点は以下の通り。 観測点名は地震発生当時のものを使用する。 震度5弱以上が観測された気象庁の発表地点 震度 都道 府県 観測点名 7 川口 6強 城内・竹沢・法坂 6弱 幸町・千歳町・大町・浦・上岩井・堀之内・今泉・須原・穴沢・水口沢・新潟田沢・割町新田 5強 安塚・松代・松之山・昭和町・中之島・与板・小島谷・米田・小出島・塩沢・伊勢町・新潟浦佐・下船渡 5弱 只見・野沢・柳津 東小川・高松町・真壁 下早見 新潟県 ・上越市木田・釜淵・柳島・柿崎・百間町新田・原之町・井ノ口・西裏館・中央町・幸町・出雲崎町川西・広神村米沢・新堀・大沢・岡野町・池浦・秋葉町・矢作・地蔵堂・日之出町・巻・月潟・中之口 芋川 北は青森県の(現・)、西は兵庫県の、南は和歌山県の・(どちらも現在の)で震度1を観測するなど、東北地方から近畿地方にかけて震度1以上の揺れを観測し、北海道のでもビルの高層階では揺れを感じた。 また、が運用しているによれば小千谷市で震度7相当(計測震度6. 7)の揺れを観測した。 余震 [ ] 余震の概要 [ ] マグニチュード6以上の3つの地震の震源図(気象庁の中越地震震源確定値資料に基づく) 本震の震源の深さが地下13キロで、も地下20キロ以下で発生し、大きな有感地震が続いた。 新潟県内では、本震発生後2時間の間に3回の震度6(弱が1回、強が2回)、地震発生日に計164回の有感地震、翌24日も計110回の有感地震を観測。 その後も余震が続き、10月31日までの間に計600回、11月30日までの間に計825回の有感地震を計測した。 10月25日以降は、大学の共同研究チーム、気象庁、防災科学技術研究所などにより、臨時の地震計(149台)、GPS変位計(17台)、電磁気(9台)の観測機器が設置され、余震活動を記録し 地下構造の解析を行った。 をきっかけに整備されたと臨時地震観測機器群の活躍により阪神・淡路大震災の際に記録した余震の2倍、に匹敵する回数の余震を観測している。 震度6強の強い揺れをともなった地震が短時間に連続して発生しており、余震の規模と時空間分布からみると群発地震的な特徴を持っている。 地震から7年以上経った2011年でも最大震度が2 - 3の余震が時折発生している。 によると、2006年(平成18年)5月2日に発生した小千谷市で最大震度2を観測した余震により、震度1以上の余震は1,000回を超えた。 気象庁の発表によると、最大震度5弱以上の余震は12月28日までに19回起きている(下記の時刻はすべて)。 最大震度5弱以上を観測した地震の一覧 発生年 発生日 発生時刻 最大震度 震央 震源の深さ 規模 備考 2004年 10月23日 17:56 震度7 新潟県中越地方 13km M6. 8 本震 17:59 震度5強 16km M5. 3 余震 18:03 震度5強 9km M6. 3 18:07 震度5強 15km M5. 7 18:11 震度6強 12km M6. 0 18:34 震度6強 14km M6. 5 最大余震 18:36 震度5弱 7km M5. 1 余震 18:41 震度5弱 9km M4. 2 18:57 震度5強 8km M5. 3 19:36 震度5弱 11km M5. 3 19:45 震度6弱 12km M5. 7 19:48 震度5弱 14km M4. 4 10月24日 14:21 震度5強 11km M5. 0 10月25日 0:28 震度5弱 10km M5. 3 6:04 震度5強 15km M5. 8 10月27日 10:40 震度6弱 12km M6. 1 11月4日 8:57 震度5強 18km M5. 2 11月8日 11:16 震度5強 0km M5. 9 11月10日 3:43 震度5弱 5km M5. 3 12月28日 18:30 震度5弱 8km M5. 0 最大余震 [ ] 新潟県中越地震(余震) 新潟県中越地震において最も規模が大きかった余震は、本震からおよそ40分後の、10月23日18時34分に発生した、M6. 5(最大震度6強)の余震であった。 最大余震のデータ 発生日 2004年10月23日 発生時刻 18時34分 震央 新潟県中越地方 震源の深さ 14 km 地震の規模 M6. 5 最大震度 震度6強 この地震における、震度5弱以上の地点は以下の通り(観測点名は当時のもの)。 震度 都道 府県 観測点名 6強 小国町法坂・十日町市千歳町・川口町川口 6弱 川西町水口沢・小千谷市城内・六日町伊勢町・広神村今泉・中里村田沢・安塚町安塚・入広瀬村穴沢・堀之内町堀之内・松代町松代・大和町浦佐 5強 三島町上岩井・越路町浦・塩沢町塩沢・湯之谷村大沢・高柳町岡野町・和島村小島谷・三和村井ノ口・小出町小出島・長岡市幸町・浦川原村釜淵・与板町与板・上越市大手町・守門村須原・出雲崎町米田・牧村柳島・西山町池浦 5弱 白沢村高平・片品村東小川・北橘村真壁・昭和村糸井 新潟県 大島村上達・栃尾市大町・清里村荒牧・出雲崎町川西・広神村米沢・松之山町松之山・吉川町原之町・上越市木田・津南町下船渡・板倉町針・栄町新堀・頸城村百間町新田・柏崎市中央町・中之島町中之島 このほか、からにかけての広い範囲で、震度4から震度1を観測した。 では、本震では体に感じる揺れ(震度1以上)は観測されなかったが、この余震では震度1の揺れが観測されている。 地震動の伝播 [ ] 防災科学技術研究所により整備・運用されている(Hi-net)のデータを利用した、地震動が伝播する様子を色の変化で表現した静止画と動画。 揺れが広がっていった様子がわかる。 前兆現象 [ ] 1983年から1986年および1994年から本震の直前まで震源域を中心に、地震の静穏化現象が生じていた。 地震像 [ ] この地域は、ユーラシアプレートとが衝突するの陸域のの中でも、強いを受け複雑な応力場を生じている地域である。 北北東 - 南南西方向の軸を持つ複構造があり、震源域となった新潟堆積盆地の東縁(信濃川の東岸)の東山丘陵と魚沼丘陵は、以降に堆積した5,000メートル以上の堆積物が堆積している。 地震発生直後の調査では、地表地震が出現した小平尾断層と六日町盆地西縁断層の北部が活動したと考えられた が、その後の調査で前述断層帯が原因となった可能性を否定する 結果が得られている。 阪神・淡路大震災のように明瞭な断層線が地表に出現しないことから、従来知られていた活断層(小平尾断層、六日町盆地西縁断層、信濃川低地西縁断層、信濃川低地東縁断層など)の活動ではなく、厚い堆積層下の未知の断層の活動による地震と考えられている。 メカニズムとしては、北西 - 南東圧縮の逆断層型の地震である。 本震および余震の振動波形や余震分布の解析結果によると、本震を発生させた滑り面とは別に並行する別な滑り面と本震と直交する合わせて3つの滑り面が存在した。 被害 [ ] 被害の概要 [ ] 被害の概要 消防庁 確定報より引用 死者・負傷者数 住宅被害棟数 その他 地域 死亡 重傷 軽傷 全壊 半壊 一部損壊 火災 非住家損壊 道路損壊 崖崩れ ブロック塀損壊 新潟県 68 632 4,172 3,174 13,810 104,619 9 41,738 6,064 442 15 福島県 1 群馬県 6 1,055 埼玉県 1 長野県 1 2 7 合計 68 633 4,172 4,172 13,810 105,682 9 41,738 6,064 442 15 強い揺れに見舞われた小千谷市、、長岡市、を中心に、全体で68名が死亡した。 家屋の全半壊はおよそ1万7,000棟に上ったものの、建物の発生は9件に留まった。 豪雪地帯のためにより雪に押し潰されない頑丈な構造が要求され作られていたこと、また小千谷市などでは阪神・淡路大震災以来災害に備えた街づくりを進めていたことなどが、被害を抑えた要因だといわれている。 [ ] 一方で、山崩れや土砂崩れなどで鉄道・道路が約6,000か所で分断された。 2004年(平成16年)は7月13日に新潟県地方で大規模な水害が起こり()、また夏から秋にかけてが過去最多の10個上陸するという、例年にない多雨に見舞われた年であった。 このため、もともと地滑りの発生しやすい地形であったところに降雨によって地盤が緩み、地震が発生した際に多くの土砂崩れを引き起こしたものと思われる。 河川 [ ] 流域では842か所で崩落が起き、52か所で(河道閉塞)を生じ、一部では湛水による被害を生じた。 こうした河道閉塞により、村内の複数の集落で大規模な浸水の被害が出ており、下流域ではが発生する危険性があるため、ポンプによる排水や、河道付近の民家を撤去するなどの措置が取られた。 また地震発生当時、幸いにも水位が低かったため、被害は発生しなかったが、の堤防の一部にも亀裂が生じた。 ライフライン [ ] ・・・・・などのが破壊されたほか、新潟県への電話が集中したため、がし、発信規制がかけられた。 また、山間部へ続く通信ケーブルや、その迂回路も破壊され、外部からの情報にも孤立する自治体が出た。 特に以降、災害に強いと思われてきたについては、震源地周辺では中継局の設備損壊やなどがあり、中継局の機能維持のために非常用として蓄電されていた予備のバッテリーも、通話の集中によって1日あまりで使い果たされてしまうなどしたために、中継局そのものの機能が停止し通話不能となるなど広範囲で使用不能となった。 ・・()と()を含めたへの被害はなかった。 交通機関 [ ] 鉄道はで「325号」が(を参照)したほか、線路や橋脚が破壊され、それに加えてトンネルの路盤が盛り上がるなどの被害が発生した。 国内のの営業運転中の脱線事故は開業以来初めて(詳細はの項を参照のこと)。 また在来線も・・・・も路盤の崩壊など甚大な被害を受けた。 また27日午前に発生した余震の際には、JR大手口の外壁が崩壊する可能性があるとして一時閉鎖された(その後安全が確認され、同日夕刻から営業を再開した) [ ]。 道路はやなどの、やなどの多くの、多くのやも亀裂や陥没、土砂崩れ・崖崩れによって寸断された。 このため山間部の集落の一部はすべての通信・輸送手段を失って孤立した。 とりわけ(現・長岡市)は村域に通じるすべての道路が寸断されたため、ほぼ全村民が村内に取り残され、のにより長岡市・小千谷市などへ避難させる作業が行われた。 主要地方道の小千谷川口大和線の木沢トンネルも損傷した が、崩落箇所を修復し復旧した。 産業 [ ] 農業は大きな被害を受けた。 や小千谷市では、地震の影響でがしたり、が崩壊するなどの被害も見られた。 これにより、翌年のの耕作作業と収穫量に大きく影響した。 闘牛()の盛んな山古志村には多数の牛がいたが、地震発生時に牛舎が倒壊して約半数が死んだ。 生き残った牛も全村民の避難時に村に置き去りとなったが、まもなく住民が余震の続く中を村に戻り、山道を移動したりヘリコプターで空輸したりするなどして数日内に全頭を救出した。 山古志村ではも養殖されていたが、地震により棚池の底にひび割れができて水が失われたり、棚堤防が決壊して流失したり、土砂崩れに埋まったりするなどして約80パーセントの錦鯉が死んだ。 生産者らは生き残った錦鯉を救出し、ヘリコプターにて村外へ搬出した。 広範囲への影響 [ ] 影響は震源地周辺だけではなく、やのやも運転を見合わせたり、遅れが発生したりした。 また、首都圏のJR各路線で使用する電力の半分は被災地周辺の水力発電所で賄われており、小千谷市や川西町にまたがる保有の(44万9,000キロワット)に大きな被害が発生したため、発電不能となった。 このため、ほかの発電所の発電量を増やしたり、から電気を購入したりするなどして対応で凌いだ(2006年3月14日に復旧工事が終了し、通常の発電出力に戻る)。 この地震ではによる被害も発生した。 震源から200キロ離れたでは有感震度は3であったが、にあるの6基が緊急停止、うち2基で乗客各1名が一時閉じこめられた。 原因は地震動によるワイヤのと見られ、うち1基では8本あるワイヤの1本がエレベータ坑側壁の金具に接触し切れていた。 この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2016年7月) 車の中で長期間寝泊りすることで、下記のような症状を起こし、今回の地震で52名がと認定された。 車中泊中の(いわゆる)• 精神的あるいは身体的による・• 中の吸入による またやが流行したほか、生活およびその後のにおける生活で仕事を失い、あるいは畑仕事などの作業ができなくなり、運動不足と孤立により高齢者の心身が急速に衰えるが広がっている。 11月以降、小千谷市など被災地では病死が例年の2倍程度になっており、震災の影響が指摘されている。 被災者に対する経済的・心理的被害 [ ] 詐欺などの悪質犯罪 [ ] この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2016年7月) 電話で警察、消防、自衛隊などを騙るなどして「救出活動の経費負担を」などと持ちかける振り込め詐欺、やなど実在の団体名を騙り全く無関係の振込先口座番号に振り込ませようとする義援金詐欺、「ボランティアで来ている。 家の補修工事を手伝わせてほしい」などと称してごく簡単な応急的な作業を行った後に多額の代金を請求する詐欺が発生している。 [ ]また、 退避勧告中の家の中から貴重品が盗まれたり、被災地の銀行・郵便局のに荒らされた形跡があったりした。 [ ] 避難所でのトラブル [ ] この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2016年7月)• 避難者は最大10万人以上に達した。 各地に設置された避難所では、1か所でも数千人以上の人数が避難してきたところが多かった。 災害時には学校の体育館等を避難所にすることが多いが、これだけの人数を一度に収容できる体育館や施設は少なく、その結果避難者全員が横になって眠るスペースや毛布まで不足する事態が起きた。 同様に地震発生後の支援活動が通信・交通網の途絶などのために遅れた地区では、水や食料品の調達・支援も1 - 2日止まったため、その間食事の配給ができない地区もあった [ ]。 各地の避難所に駆け込んだ人たちの中には、自宅は損壊もしていない無傷の状態の人達も多かったが、自宅が壊れる前に頑丈な造りの避難所に行ったほうが安全と考え、続々と集まってくる避難者で各地の避難所はパンク状態に陥った。 避難所が足の踏み場もないほどすし詰めになり、先にも書いたようなスペースと物資の不足もあって、いくつかの場所では精神的ストレスから避難者同士の衝突まで起きてしまった [ ]。 これらの理由から、すでにパンク状態の避難所には入らず、屋外に停車させた車の中で寝泊りする避難者もいた。 地震発生後の死者・行方不明者は約30人であったが、その後、車内での寝泊まりなどにともなうエコノミークラス症候群や心身上の過労から倒れ、避難先や病院で死亡する「震災関連死」が続出した。 被災地の二次自然災害 [ ] 「」も参照 積雪による家屋倒壊 [ ] 新潟県は世界有数のであるため、冬の積雪は毎年、多い場所で3メートルに達する。 そもそも地震による屋根融雪設備の破損は多く、被災地一帯で人力での雪下ろしの必要性が高い状況にあった。 2005年(平成17年)の1月下旬から2月上旬にかけて記録的な大雪(19年ぶりの豪雪)となり、場所によっては4メートルを越える積雪量となり、地震で傾いたり被害を受けた建物が積雪の重みで倒壊したりする例が出た。 山古志村で6棟など、最終的に77棟が雪の重みで倒壊し、うち長岡市など6棟で地震との因果関係が認められた。 2005年(平成17年)1月26日、小千谷市の旅館の屋根が雪の重みで崩れ落ち、宿泊客2名が死亡した。 なお、死亡した宿泊客は災害復旧作業に来ていた土木建築会社の作業員であった。 融雪による雪崩 [ ] 気候が温暖になるにつれ、融雪が始まった。 特に2005年(平成17年)は地震により地盤が緩んだところに例年にない大雪が降ったため、による地震の二次災害が発生する事例があった。 2005年(平成17年)2月18日、田代(現・高柳町田代)で雪崩が発生。 近くの県道を走行していた軽貨物車が巻き込まれ、運転していた(現・)の男性が死亡。 また同日、同町山中の線付近の災害復旧現場でも雪崩が発生し、重機で作業中だった作業員の男性が死亡した。 2005年(平成17年)3月19日、小千谷市西吉谷で雪崩が発生し、土砂の混じった雪が近くを流れる茶郷川をせき止めた。 溢れた水で近くの民家2棟が床上・床下浸水する被害が発生した。 柏崎市を中心とする地震と水害 [ ]• 2005年(平成17年)6月20日、13時すぎに中越地方を震源とする最大震度5弱(柏崎市高柳・長岡市小国)と4(柏崎市高柳)を観測する地震(中越地震の余震ではない別の地震)が相次いで発生し、中越地震の際に損傷を受けていた建物や緩んでいた地盤が被害を受けた。 2005年(平成17年)6月28日、内では、前日より降り続いていた雨が28日夕方まで降り続き、市内を流れる鯖石川や鵜川、谷根川などの水が溢れ出し、住宅の床上浸水169件、床下浸水312件(2005年6月29日17時現在)などの被害が出た(発表)。 中越地震や8日前の6月20日に発生した地震により、地盤が緩んでいる地域であったため、多くの箇所で土砂崩れや道路決壊などが発生した。 政府・各機関・施設の対応 [ ] 被災者への炊き出し。 2004年10月撮影。 (当時)は第17回のオープニングセレモニーに出席中であり、第一報を受けてから約1時間後に公邸に戻った。 には地震発生から約4分後の23日18時に対策室が設置され、に以来初となる緊急対策室が設置された。 翌日に(当時)が被災地を訪問した。 一般向けの提供がまだ行われていなかったは、実際に稼動した。 まだ実験段階ではあったが、茨城県にある守谷工場内で速報の受信が行われ、実際にカウントダウンまでされた()。 なお、脱線した上越新幹線でも、と呼ばれる緊急地震速報が受信され、緊急停止が行われた(結果的に、揺れる前に停止はできなかった)。 また、17時56分13. 6秒(本震)の第4報では、新潟県中越地方の震度予測が「6強から7程度」となっており、実際に震度7が観測されることも予測していた。 新潟県知事、被災地各市町村首長らの要請により、が災害派遣され、新潟市の内の臨時駐車場との建設予定地を災害支援用の拠点として使用。 その後交通網の復旧が進んだことから10日より順次、被災地周辺に駐屯する体制に切り替えられ、周辺など数箇所に拠点を置いた。 なお、当時の知事の任期が地震発生翌日の10月24日までだったため、地震発生当時は知事ではなかった次期知事も知事就任前から新潟県庁で状況把握を行っていた。 では、新潟県内のによる消防応援が実施されたのとあわせて、総務省などの調整のもと、宮城県・山形県・福島県・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・長野県・山梨県・富山県・石川県・愛知県の消防本部からが出動し被災地での災害活動が行われた。 東京都隊として派遣されたの(ハイパーレスキュー)が中心になり、長野県隊・栃木県隊などや新潟県内の消防本部とともに、崖崩れの現場で救助活動を行い、地震発生から92時間後に崖崩れで埋没していた乗用車から2歳の男児を救助した。 緊急消防援助隊の10月23日から11月1日の10日間の活動で453人(うちによる救出が282人)を救出。 この震災で消防が得たものが、のちの・高度救助隊の発足と整備につながる。 「」を参照• では、が各県警のを出動させ災害現場の警備や救助活動、交通整理などを行った。 は、各民間(ボランティア)協会より被災地に派遣され活躍したほか、崖崩れで数日間埋没していた乗用車から救出された現場には所有のレスター号(のオス、 - 2015年12月4日 )が投入された。 救助活動が行われている崖崩れ現場に、地盤や地震に詳しいと、のも加わった。 東京都の医師、、などによる災害医療チームが被災地に入り医療活動を行った。 新潟県公安委員会は10月24日、関越自動車道・ - 間と、北陸自動車道・ - 間を緊急交通路に指定した(それぞれ復旧と同時に解除)。 通常は有料の県内の公営入浴施設を、避難者のために急遽無料で開放。 各避難所単位で利用できる日時を指定したうえで、利用希望者を送迎バスで入浴施設に運んでいた。 しかし、震度3以上の余震が発生するたびに危険な損壊が起きていないかを調べるため、頻繁に施設の開放を一時中断せざるをえなかった。 居住施設提供::高齢者、障害者、未就学児、妊婦、その他• 11月26日に、とともにに指定することが決定され、12月1日より施行された。 2006年(平成18年)7月4日、旧山古志村(現・長岡市)にある虫亀診療所が診療再開。 2006年(平成18年)7月6日、旧山古志村(現・長岡市)にある種苧原診療所が診療再開。 2007年(平成19年)12月2日付の毎日新聞の報道によると、長岡市内の仮設住宅に同市の54歳の復興管理監が自分は入居資格がないにもかかわらず、2007年(平成19年)11月初めまで入居していたことが発覚した。 2007年(平成19年)12月31日、すべての仮設住宅から住民が退去し閉鎖。 救出実績 [ ]• :1,800名• :453名• :137名 通信・報道・広報 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2019年6月)• 地震の発生直後から、とはおよびの提供を開始した。 災害用伝言ダイヤルは発生から数時間は回線が非常に混み合い、局番入力の段階で新潟県内市外局番の上3桁である「025」を入力すると「電話が混みあっている」旨のアナウンスが流れ、被災地域からの伝言の録音すらできない状態が続いた。 では、教育テレビ(デジタル教育テレビ)、FM放送、デジタル教育テレビのデータ放送、FM文字多重放送で23日19時20分ごろから26日まで(25日未明1時までの連続29時間40分を含む。 教育テレビは25日20時45分、FMラジオは26日2時30分まで)断続的に個人のを放送した。 デジタル教育テレビとデジタル衛星ハイビジョン(BShi)のデータ放送で24日午後、寄せられた情報が大量のため処理が追いつかず、最新情報の更新がしばらくできなくなった。 では30日14時より、新潟県内の放送のうちラジオ第1放送とFM放送の放送内容を同一にする措置が取られた。 これはFM放送のほうが(AM)より受信状況がいい地域があるため、被災地周辺に災害関連情報を確実に提供することを目的としたものである。 この措置は11月6日5時まで続けられた(その他の震災関連報道体制についてはの項を参照)。 各局は夕方の枠より通常放送を中止し(一部地域は19時から)、を深夜まで全国放送した。 では、10月23日放映のの『今夜公開!! 誰も知らないドラえもんの秘密スペシャル』では、地震発生後にテロップでの第一報を伝えた。 その後、18時13分に番組が中断され、新潟県中越地震関連の『ANN報道特別番組』に差し替えられた後に中止となった。 も全てのCMが自粛され、のCMに差し替えられた。 小千谷市塩谷地区の住民一時帰宅に際し、行政から取材自粛を求められていたにもかかわらずのスタッフ(記者やカメラマンら3人)がボランティアを装って立ち入り、取材活動をしていたことが判明。 小千谷市側が関西テレビに抗議する事態に発展した [ ]。 土砂災害により、孤立地区となった同県長岡市蓬平地区において26日、のスタッフ6名が航空自衛隊のヘリコプターで救助されていたことが判明した。 県災害対策本部は「孤立地区に入り込んだ経緯は分からないが、自ら入り込み、帰りは救助ヘリというのであれば、救助活動の著しい妨げとなる」として、報道各社に抗議した [ ]。 家屋破損被害と周辺道路寸断による孤立が特に目立ったとされる小千谷市・山古志村とその避難所では、交通復旧直後から報道機関が集中的に報道することが多くなり、TV中継を見た全国の視聴者からこの地区への支援も集まったが、同規模かそれ以上の被害を受けながら報道される機会が少なかったほかの地区では「山古志や小千谷ばかりじゃない。 自分の地区の被害も伝えてほしい」と報道の不公平を訴える声も起きた [ ]。 一時孤立した地区を含む県内全域で救援活動が開始された直後から、県や市町村による広報活動も本格的に再開。 県市町村ウェブサイト上に掲載したり、今後の復旧計画や被災した住民への支援内容の説明会を各地で順次行ったりしたが、自宅やインターネット回線の被害もあってインターネットから自力で情報収集できた人間は少なく、各地区住民への事前連絡も十分には行き渡らなかった。 これに気付いた県外のボランティアらが、インターネットで新潟県公式サイトにアクセスして得た県内情報や、県外および中央官庁の情報を、電話復旧直後から被災地の知人に電話で伝えることで補った [ ]。 および信越は、長岡市から出されていた同市の・の電波を利用して被災地の被害・復旧状況を詳細に報道するに対して免許を10月27日に交付し、当日7時の放送より通常の20 - 50Wに臨時増強して放送を開始した。 また、同じく十日町市から出されていた同市の地震災害関係の()に対してを10月28日に交付し、同日より周波数76. 6MHz、出力10Wで放送を開始した。 ライフライン [ ] この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2016年7月) 地震発生後、新潟県内で営業していたコンビニの一部店舗で弁当やおにぎり、サンドイッチやパン類のうち販売期限が過ぎて通常は廃棄する商品も引き続き販売していた店舗もあった。 これは店舗が被災せず通常営業可能であった状態ながら、周辺道路が寸断されて商品入荷が止まったため、各店舗に残っていた在庫すべてが売り切れたあとも商品補充のめどが立たず、地域住民に少しでも役立てばとの理由で店舗オーナーの判断で期限がおにぎりや弁当なら24時間、パン類は2日間までは期限切れ商品も販売しようと店舗に陳列した。 店舗・施設に影響が出ていない店舗は地震発生後も営業を継続していたが、給油中に余震発生した場合の被害を少しでも減らす目的で、給油中は運転者と同乗者全員を屋根のない店の敷地外に出てもらい、従業員だけが店内で車やバイクに給油をするという形をとった。 被害を免れ営業していた新潟県内の店舗には、被災地内外から多くのボランティア有志が来店し、情報収集やメールで仲間との連絡をとるための拠点となったところもあった。 交通への影響 [ ] 航空 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2016年7月)• 10月24日 - 2005年(平成17年)1月4日:中越 - 関東間の地上交通機関(新幹線・上越線・関越道・国道17号など)による途絶などの回避のため、とにて、(羽田) - 間の臨時便を多数(2社の合計で、8往復 - 10往復/日)運行。 10月27日 - :支援物資の運搬など、支援活動を行う自衛隊、警察、自治体、電力会社など、航空機運行の急増への対応のため、当分の間、新潟空港を24時間運用とする。 2005年(平成17年)1月5日:地上交通機関の復旧にともない、臨時便の運行を終了。 鉄道 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2016年7月) 2004年(平成16年)12月27日に全在来線、12月28日から上越新幹線を含む全鉄道路線が運転を再開した。 (JR東日本)• 震源地付近の魚沼トンネル・滝谷トンネルなど4つの内では路盤隆起・コンクリート塊の崩落、高架橋部分では強烈な振動により瞬間的に破壊された箇所()が確認され、早期の運行再開は困難な状態にあった。 10月23日:全線運転見合わせ。 10月30日:燕三条 - 新潟間で運転再開。 10月31日:不通区間の代行バス運行開始。 2005年(平成17年)• 1月22日:臨時ダイヤ変更。 徐行区間を浦佐 - 長岡間へ縮小。 3月1日:ダイヤ改正。 ほぼ通常通りに復旧。 旅客(ローカル・夜行)・(首都圏 - 新潟・秋田・北陸方面の幹線)の重要路線であるが、上越新幹線と並列する震源地付近で路盤の崩落や土砂崩れなどにより寸断された。 寸断中は、信越本線・越後線などを利用した迂回列車が運転された。 10月23日:水上 - 長岡間で運転見合わせ。 12月27日:全線運転再開(ただし越後川口 - 越後滝谷間で単線運転。 越後湯沢 - 長岡間に遅延と運休あり、貨物列車の一部は迂回運転継続)。 2005年(平成17年)3月25日:越後川口 - 越後滝谷間で複線運転を再開。 ただし速度制限あり。 貨物列車の迂回運転はすべて終了。 一部旅客列車は引き続き運休。 2005年(平成17年)6月16日:越後川口 - 越後滝谷間の徐行が一部を除き解除され、ようやくほぼ震災前の運転に戻る。 10月23日:只見 - 小出間で運転見合わせ。 11月20日:全線運転再開。 10月23日:柏崎 - 東三条間で運転見合わせ。 11月29日:全線運転再開(ただし柏崎 - 宮内間で時速45キロの徐行運転。 一部列車は引き続き運休。 代行バスも一往復継続)。 12月13日:柏崎 - 宮内間の速度制限を時速65キロに緩和。 上越線直通列車以外は全列車運転再開。 代行バスも運行終了。 10月23日:森宮野原 - 越後川口間で運転見合わせ。 12月27日:全線運転再開(十日町 - 越後川口間では速度制限のため、遅延・一部運休あり)。 10月23日:吉田 - 柏崎間運転見合わせ。 10月26日:全線運転再開。 10月27日:長野駅 - 新潟駅間の臨時快速列車 が運行開始。 11月26日まで• ・・・・の全線、(新津 - 酒田間)• 一時運転を見合わせた。 長距離列車• 23日から運転見合わせが出た。 11月29日、下記の列車が運転を再開。 寝台特急「」「」• 特急「」「」• 夜行急行「」• 2005年(平成17年)3月25日、以下の列車も運転を再開した。 寝台特急「」「」• 夜行急行「」• 夜行快速「」• 10月23日:六日町 - まつだい間、越後湯沢への直通列車と特急「」で運転見合わせ。 11月2日:全線運転再開(臨時ダイヤ)。 特急「はくたか」も運転再開。 11月15日:全線で通常ダイヤに復帰。 - WayBack Machineによるアーカイブ 高速道路 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2016年7月)• 10月24日、発災から19時間後に応急復旧による緊急車両通行開始。 上述のとおり、に指定されていたため、一般車両の通行止めは継続。 10月26日、の通行止めが解除される。 10月27日、は緊急車両が通行できる2車線を確保、一般車両は引き続き通行止め。 11月5日、関越道の - 間が開通、一般車両の通行止め解除。 首都圏との大動脈が復旧した。 六日町IC - 長岡ICは2車線で仮復旧のため、速度も厳しく規制された。 この時点では、はのみの営業だった。 11月26日、4車線で復旧。 長岡IC - 小出IC間は橋梁の損傷が著しいため、車両総重量25トンを超える車両は通行できず、などを迂回していた。 2005年(平成17年)12月26日、完全復旧、上記の25トン規制も解除となった。 一般道路 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2016年7月) を中心に県内外各方面へ路線網を有する新潟県内のは、地震発生直後から10月26日にかけて、一部を除くほぼ全路線で運休した。 また、、は施設損壊により供用を休止した。 その後の復旧により新潟県内線・県外線とも段階的に通常運行を再開し、損壊した前述の3か所の高速バス停留所も復旧後に順次供用を再開した。 10月27日より、県内線と新潟市 - 県外線は通常通り運行。 東京方面は磐越道を経由した。 10月29日より、新潟駅 - 十日町線が、関越道経由で運行再開(11月2日から増便)。 10月30日より、・・・が共同運行する、関越道経由で首都圏と新潟県内を結ぶ長距離(、)が通常運行。 このとき関越道は緊急交通路として指定され一般車両は通行止めだったが、特例として運行が認められた。 10月31日より、上越新幹線の不通区間である、燕三条駅 - 越後湯沢駅間(11月3日まで)、長岡駅 - 越後湯沢駅間の代行バスも、関越道経由で運行開始。 11月5日午後に、浦佐駅に最も近い内に臨時バス停が設置され、高速バスの新潟駅 - 六日町 - 十日町線の全便と、上越新幹線の代行バスが停車していた。 1月10日まで、新潟交通・が運行するは、での接続で新潟市から首都圏への最速陸路となったため、「新幹線リレー号」として、往復8便(全16便)に臨時増便した。 被災者・ボランティア支援(割引運賃)の交通機関 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2016年7月) フェリー(50パーセント割引) 対象:被災者・その家族・その親族、ボランティア 路線: - - (博多 - 直江津は九越フェリー、直江津 - 室蘭はの運航) 船舶:「ニューれいんぼうべる」「ニューれいんぼうらぶ」 期間:12月30日まで 高速道路 通行前に各県から災害派遣等従事車両証明書の発行を受けた緊急救援物資運搬車両に限り無料 期間:12月31日まで 社会的な影響 [ ] スポーツ [ ] では、地震発生当時はとのの真っ最中であったが、地震発生翌日の10月24日の第6戦では試合前の黙祷などは行われず、試合前にのに(NPB)・中日ドラゴンズ・西武ライオンズ名義での「新潟県中越地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます」という掲示に留められた。 また、日本シリーズ勝者の西武はを自粛せず予定通り実施した。 なお、中日の選手会は24日、被災地に寄付金100万円を贈ると発表した。 中日の選手会長(当時)は「できる限りのことはしたかった。 新潟にも中日ファンはいると思いますので、あとはいいゲームを見せたい」と話した。 は、10月30日に新潟スタジアム(ビッグスワン)で開催する予定だった対の試合について、余震活動への警戒と復旧作業との同時進行での混乱(スタジアムの駐車場を自衛隊が災害支援拠点として使用していたため)を考慮して延期、代替試合を11月10日にで開催した。 また、同じく新潟開催で予定されていた天皇杯4回戦戦をでの開催に振り替えた。 なお、同月20日の戦、28日の戦の第2ステージのホーム2試合は新潟スタジアムで開催された。 また、で10月31日に開催予定だったアルビレックス対戦()の開催中止と、の出場辞退を発表した。 なおJユースカップについては、すでに開催している試合の記録は有効とし、残り試合は0-3でアルビレックスの敗戦扱いとみなした [ ]。 対象となった試合• 10月24日 (ホーム戦)• 11月3日 ジュビロ磐田(アウェー戦)• 11月7日 (アウェー戦)• 11月14日 (アウェー戦) テレビ [ ] 地震のシーンが多いテレビ番組は放送を中止または延期するなどした。 たとえば、地震の2日後の10月25日に放送予定だった制作の『』の第3話「Karte03:ひったくり犬」は本編に地震のシーンが多かったことから放送延期とされ、冒頭で事情を説明したうえで『Karte00:オペの順番』の再放送を行った。 なお、「ひったくり犬」は2006年に放送された [ ]。 また、11月4日放送予定だった制作の『』でも地震のシーンがあったことから、新潟県の一部でテレビ東京が視聴できる地域があることも配慮して翌週(11月11日)放送予定だった回を繰り上げて放送した。 なお、現在でもこの話は放送されていない [ ]。 (いわゆる。 また、から封印されている [ ]。 ) その他 [ ] このころにと東京都職員との婚約内定発表が予定されていたが、被災者に配慮して発表を延期した。 復旧支援・見舞金・復旧費用など [ ]• 新潟県に寄せられた義援金は373億6,577万3,401円におよんだ。 ボランティア、のべ9万4,976人(2007年10月31日時点) 応急対策に一定のめどがついた平成20年4月4日、「新潟県中越大震災災害対策本部」は解散した。 復旧費用 [ ] 地震から6年後の2010年10月までの復旧費用の総額は2,000億円以上で、内訳は道路や河川や土砂災害復旧などの公共土木施設に約1,293億円、農地や農業用施設に約341億円などである [ — ]。 諸国からの見舞金など [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2016年7月)• ( 1,000万円)• (1,000万円)• (1,000万円)「」の漫画化・映画化による使用料。 (推定500万円以上)の受章に基づく。 自身の出身地でもあることから2005年(平成17年)8月には新潟スタジアムにて小林幸子チャリティーマッチも開催するなど精力的な支援活動を行い、翌年8月に国土交通大臣表彰を受けた。 、(500万円)• ファンクラブ(137万6,548円)• (100万円)• (100万円)• (100万円)• (100万円)• (1万米ドル。 個人が携行出来るの上限)• (3000万円) このほか(、、)が自立支援目的で山古志村内のにを植え、その田畑でした米を特別に販売し売上の一部を復興基金にあてるなどの援助もあった。 諸国からの見舞状 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2016年7月) 復旧費用にあてるため新潟県中越大震災復興宝くじが発売された(2005年4月11日 - 4月26日)。 震災後の様々な動き [ ] ペットを題材とする作品 [ ] この新潟県中越地震で被災・避難した2頭の犬が、書籍が刊行されるなどして広く知られている。 1頭は山古志村にいた「マリ」で、全村民が村外避難を余儀なくされたことで、マリをはじめとする犬などのペットは置き去りとなった。 地震後4日目からは獣医師などがヘリで村に入り、犬や猫への給餌を開始した。 マリは地震当日の朝に出産していた3匹の子犬を守りつつ16日後に救助された。 しかし避難所にはペットは入れず、マリと子犬たちは一時飼い主と離れることとなった。 マリの話は絵本で紹介され、2007年には『』として映画化された。 もう1頭は小国町にいた盲導犬の「クララ」で、視覚障害者の女性とともに避難所に入った。 避難所での動物の受け入れについて定めたマニュアルはなかったが担当職員が許可し、避難所にいた住民も犬を受け入れた。 クララは避難所に盲導犬が入った日本初の事例であり 、2005年に出版された『震災にあった盲導犬クララ』で紹介された。 新潟県中越地震で被災した犬は約2,000頭、猫は約3,000匹と推定されている。 歌と復興祈願花火 [ ] 復興祈願花火フェニックス(2011年8月撮影) 地震発生後から、のデビュー曲「」が新潟県内のラジオ局でたびたびリクエストされた。 被災地の復興を応援する歌となっていることを知った平原は、その後たびたび被災地を慰問に訪れた。 こうした縁から、2007年公開の新潟県中越地震を題材とする映画『マリと子犬の物語』の主題歌の作詞と歌唱を平原が手がけることとなった。 被災翌年の2005年(平成17年)以降の大花火大会で打ち上げられている復興祈願花火「フェニックス」では、「Jupiter」がBGMとして使われている。 「Jupiter」は約6分の歌だが、「フェニックス」の打ち上げ時間に合わせて約3分に短縮されている(地震から10年目の2014年はフルバージョンで演奏し、打ち上げ時間が5分強となった )。 2005年(平成17年)8月の花火大会には平原が来場し、この曲をライブで歌った。 メモリアル施設 [ ]• 地震発生直後には停電による衛星通信端末の停止で情報が入らず、後日記録から確認された。 当初はなどで観測された震度6強が最大震度だと思われた。 気象庁の推計震度分布図 では、川口町での震度7の情報が入る以前に震源地付近で震度7相当の揺れがあったことが推定されていた。 GPS観測によって、小千谷市で本震後に西南西方向に8. 1cmの水平移動と26. 5cmの隆起、守門村で西北西方向に21cmの水平移動と6. 3cmの沈降が発生したのが確認された。 23日放送予定の「」は11月27日に延期された [ ]。 なお、当時、デジタル教育テレビは、放送センター・大阪放送局・名古屋放送局・水戸放送局・富山放送局の放送エリアのみ、新潟放送局はデジタル放送が開始されていなかったため放送できなかった [ ]。 ただし、系では20時前後に番組を一時中断する程度で、8時30分以降は通常編成だった [ ]。 は地震当日の18時より制作の「」・『PHASE-03 予兆の砲火』を18時より放映していたが、18時13分に放映中断し「JNN報道特別番組」に変更となった [ ]。 このため、毎日放送では次週に第3話の再放送を行った(当日は「放送日に配信」を謳い文句にしていた『』等でのネット配信も休止。 遅れネット局ではその回を2週連続で放送し、同時ネットの局とペースを合わせている) [ ]。 10月26日放送予定だったの特別番組『の』が延期となり、翌年9月に改めて放送された [ ]。 代替措置を行った後の2004年12月18日に放映された。 19時~20時54分放映。 不通となった上越新幹線の迂回経路として長野駅で北陸新幹線 当時は長野駅までのみ開業 に接続。 信越本線 柏崎 - 長岡間不通の為に越後線経由。 出典(新聞・ニュース) [ ]• 2005年8月31日、• 2004年10月23日. 2016年7月9日閲覧。 2015年12月4日. 2015年12月5日閲覧。 2015年12月5日. 2015年12月5日閲覧。 毎日新聞 2007年12月2日. 2007年5月14日時点の [ ]よりアーカイブ。 2007年12月2日閲覧。 2004年10月25日朝刊 [ ]• - (2004年10月24日 17時30分 更新) [ ]• asahi. com ビデオニュース 朝日新聞社. 2004年12月30日. 2016年7月9日閲覧。 [ — ]• 読売新聞 岩手版. 2015年2月28日. 2016年6月25日閲覧。 DON!. 日本テレビ 2010年12月8日. 2016年6月26日閲覧。 蒔田備憲 2008年1月16日. 毎日新聞 滋賀版: p. " 04年の新潟県中越地震で、「クララ」... と暮らす(引用略)さん... の自宅が半壊した。 避難所には、... 一時は約200人が集まっていたが、当時の担当職員はクララと一緒に避難所に入ることを認めた。... 住民は拍手で歓迎した。 クララは全国で初めて避難所に入った盲導犬になった。 " 出典(国の機関及び自治体) [ ]• 気象庁• 2014年3月16日閲覧。 国土交通省 北陸地方整備局• 地震予知連絡会 会報第57巻• 地震予知連絡会 会報第66巻• 地震予知連絡会 会報第73巻• - 消防庁. 2009年10月日付 - WARPによるアーカイブ• : 国総研• 、栽培養殖課 2004年11月16日. 平成16年度第8回農林水産技術会議(懇談会). 2016年7月9日閲覧。 - WARPによるアーカイブ• - WARPによるアーカイブ• - 内閣府• 新潟県県民生活・環境部 震災復興支援課. 2019年9月14日閲覧。 - 新潟県防災局. 2019年9月14日閲覧。 - 新潟県防災局危機対策課. 2019年9月14日閲覧。 新潟県. 2 2015年4月23日. 2019年9月14日閲覧。 平成21年度 広報ぼうさい. 2009年9月. 2016年7月9日閲覧。 出典(その他) [ ]• 100. 2019年8月1日閲覧。 気象庁• , pp. 100-101. 飯尾能久、松本聡、松島健 ほか「」『地震 第2輯』第58巻第4号、2006年、 463-475頁、 :。 細野耕、司西政樹、吉田明夫「」『地震 第2輯』第59巻第1号、2006年、 29-37頁、 :。 2019年8月1日閲覧。 2019年8月1日閲覧。 岡村行信「」『地質学雑誌』第116巻第11号、2010年、 582-591頁、 :。 鈴木康弘、渡辺満久「」『日本地理学会 E-journal GEO』第1巻第1号、2006年、 30-41頁、 :。 2004年新潟県中越地震新潟大学調査団• 東京大学地震研究所 地震火山災害部門・地球計測部門• , p. 101. 中央大学理工学部土木工学科土質研究室 地震調査報告• 森伸一郎、土谷基大、澤田純男「」『地震工学論文集』第28巻、2005年、 182頁、 :。 建設マネジメント技術 2007年2月号• 山古志のカルチャー. 山古志住民会議. 2013年7月18日時点のよりアーカイブ。 2016年6月25日閲覧。 吉田芳春「 」 『パテント』第61巻第9号、、2008年9月、 pp. 66-72、 2016年7月9日閲覧。 (参照ページ:p. 国際錦鯉普及センター 2004年11月19日. 2016年7月9日閲覧。 古村孝志, 武村俊介, 早川俊彦、「」 『地学雑誌』 2007年 116巻 3-4号 p. 576-587, :• 101. 新着情報. 北陸ガス 2004年10月26日. 2004年10月27日時点の [ ]よりアーカイブ。 2004年10月30日閲覧。 石黒謙吾・構成『震災にあった盲導犬クララ』、2005年10月。 -MOVIE Topics. 2007年8月3日. 2016年7月9日閲覧。 「長岡花火」公式ウェブサイト. 長岡まつり協議会事務局. 2019年6月30日閲覧。 長岡市商工部まつり振興課ほか 2014年7月28日. 記者会見資料 No. 長岡市. 2016年7月9日閲覧。 - 中越メモリアル回廊. 2019年6月29日閲覧。 参考文献 [ ]• 岡田義光『日本の地震地図 南海トラフ・首都直下地震対応版』、2014年8月。 関連資料 [ ]• 豊島剛志, 小林健太, 岩下享平 ほか、「」 『新潟県連続災害の検証と復興への視点』 2005年、災害復興科学センター• 宮下純夫, 豊島剛志, 小林健太、「」 『新潟県連続災害の検証と復興への視点』 2005年、災害復興科学センター• 鈴木康弘, 渡辺満久, 廣内大助、「」 『地学雑誌』 2004年 113巻 6号 p. 861-870, :、東京地学協会• 溝上恵 - WayBack Machineによるアーカイブ• 八木浩司、山崎孝成、渥美賢拓「」『日本地すべり学会誌 : 地すべり』第43巻第5号、社団法人 日本地すべり学会、2007年1月25日、 294-306頁、 :、。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 ウィキニュースに関連記事があります。 (1964年6月発生)• (2007年7月発生)• - 瓦礫の下の要救助者探索に使用された。 - のデビュー曲。 地震後に被災地からラジオ局へこの曲のリクエストが殺到し、復興の応援歌となった。 - この地震の3日前に日本に上陸し、大きな被害をもたらした台風。 外部リンク [ ] 国の機関及び自治体• - WARPによるアーカイブ• (防災ポータル)• (防災局)• (土木部監理課)• (土木部砂防課)• (土木部都市局下水道課)• (農地部農地管理課)• (長岡地域振興局地域整備部)• (長岡地域振興局企画振興部)• (ながおか防災ホームページ)• 研究機関• (中越地震新潟大学調査団) - WARPによるアーカイブ• ((独)産業技術総合研究所 地質調査総合センター) - WARPによるアーカイブ• () - WARPによるアーカイブ• () - WARPによるアーカイブ• , 567KB ()• (京都大学防災研究所地震予知研究センター)• (東京大学地震研究所) - WARPによるアーカイブ• (地震調査研究推進本部) マスメディア• - ()• - - ANN NEWS• - - TBS NEWS その他• (中越防災安全推進機構)•

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津波浸水想定図

新潟 津波

新潟県の地震 津波 災害 新潟県における戦後の地震災害として、1964年(昭和39年)の「新潟地震」、2004年(平成16年)の「新潟県中越地震」、2007年(平成19年)の「新潟県中越沖地震」があり、大きな被害が発生しています。 ここではこれら3つの地震の状況について述べます。 なお、このほかにも1961年(昭和36年)2月2日の長岡の地震、1995年(平成7年)4月1日の新潟県北部の地震、2011年(平成23年)3月12日の長野県北部の地震などがあり、被害が出ています。 (被害数は理科年表、総務省消防庁の資料)。 新潟地震 1964年(昭和39年)6月16日13時01分40. 7秒、震央:38゜22. 2'N、139゜12. 7'E(新潟県下越沖)、震源の深さ:34km、地震の規模(M):7. 5 被害:死者26、住家全壊1,960、半壊6,640、浸水15,297 最大震度:5 被害状況 被害は新潟・山形県を中心として9県に及びました。 特に住家全壊は新潟市、村上市、山形県の酒田市、鶴岡市等で多数ありました。 地震の約15分後位から津波が日本海沿岸各地を襲い、新潟市でも信濃川沿いなどの低地帯で浸水したほか、島根県隠岐島でも水田が冠水しました。 震源に近い粟島は約1m隆起しました。 新潟市では火災により昭和石油の石油タンクに引火し、約2週間後に鎮火しました。 この地震の特徴として、新潟市や酒田市等の低湿地帯から砂と水を噴き出す「液状化現象」があり、新潟市川岸町の鉄筋コンクリート4階建のアパートがそのまま傾いて倒れました。 また、新潟市内では鉄筋コンクリートの建物の多くが傾いたり沈んだりしました。 さらに、竣工間もない昭和大橋の橋桁が落ちた他、道路の沈下や亀裂等の破損が多数ありました。 その他港や飛行場、河川の堤防等も被害がありました。 倒れたアパートから荷物を出す人々 平成16年(2004年)新潟県中越地震 2004年(平成16年)10月23日17時56分0. 3秒、震央:37゜17. 5'N、138゜52. 0'E(新潟県中越地方)、震源の深さ:13km、地震の規模(M):6. 8 被害:死者68、負傷者4,805、住家全壊3,175、半壊13,810 最大震度:7 被害状況 この地震により、新潟県の川口町で震度7を観測するなど、新潟県中越地方を中心に強い揺れに見舞われ、大きな被害をもたらしました。 また、走行中の上越新幹線が脱線するなど、交通網をはじめライフラインにも多くの被害が生じました。 さらに、強震動や降雨・融雪などの二次的要因により、崖崩れや小河川のせき止め等の被害も多数発生しました。

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津波災害警戒区域の指定について

新潟 津波

18日夜に県内で最大震度6強を観測した地震で、津波注意報を受けて新潟市が避難指示を出したにもかかわらず、市指定の避難所や津波避難ビルのうち約4分の1しか開設されなかった。 佐渡市では避難指示の発令が津波注意報の発表から約45分後に遅れる不手際があり、災害時における情報発信の課題があらわになった。 気象庁は予想される津波の高さが1メートル以下だったことから、3段階ある中で一番低い「津波注意報」を、約2分後に新潟県沿岸や佐渡島などに出した。 これを受け、県内では、新潟市、柏崎市、佐渡市が住民に避難指示を出した。 震度4の揺れを観測し、新潟港に10センチの津波が到達した新潟市は、沿岸部の区に避難指示を発令。 「海岸付近にいる方は、ただちにそこから離れ、高い場所に緊急に避難してください」と記した緊急速報メールを配信し、市内で計4656人が避難した。 しかし市危機対策課によると、市指定の避難所の鍵が閉まっており中に入れず、別の避難所への移動を余儀なくされるケースがあった。 市は学校や公民館、高いビルなど約400カ所を避難所や津波避難ビルに指定しており、東日本大震災の津波被害を知る住民が自主的に避難しようとしたとみられるが、18日の開設は110カ所にとどまった。 同課はこれについて、新潟市では避難所や津波避難ビルを開く条件として、震度6弱以上の地震が発生したり、大津波警報(津波高さの予測3メートル超)、津波警報(同1メートル超3メートル以下)が出たりした場合に限ると説明。 今回の地震ではこの基準に当てはまらなかったため、市としては避難所を開かなかった。 この結果、施設の管理者や近くに住んでいて緊急用の合鍵を持つ市職員が、自主的に鍵を開けた避難所だけが開設されたという。 同課の大橋敦史課長は「想定以上の人が避難に来たため混乱が生じた。 避難方法を市民に正しく伝えられるよう、改善策を検討したい」と話した。 気象庁によると、津波の最大波が佐渡市に到達したのは発令から約40分後の午後11時49分。 市防災管財課によると、津波注意報が出た後、市役所に職員が集まるのに時間を要し、避難指示を出すか否かの判断が遅れたという。 市は事務作業のミスを認め、「注意報発表の直後に避難情報を出せるシステムに改修したい」とした。 更に、佐渡市では「津波の危険がある際は避難所にかかわらず高台に避難する」(同課)という方針をとっていたため、新潟市と同様、避難所の開設は自主的に行われた。 市によると、住民らの要望を受け施設管理者が応急的に開放した所もあったといい、市には翌19日「避難所に行っても開いておらず入れなかった」という市民の意見が複数寄せられたという。 同課は「津波の時の避難方法を改めて市民に説明したい」とした。

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