小倉 一郎。 小倉一郎と森進一のつながりが衝撃すぎて心から震えた件

小倉清一郎

小倉 一郎

デビューはなんと9歳のとき。 現在まで50年以上のキャリアを誇る俳優の小倉一郎ですが、東京の劇団員だったのに鹿児島出身ということで有名ですね。 (薩摩川内市の観光大使になったため) 1951年10月29日生まれ。 家族は次々に不幸が訪れ、悲しい過去を持っています。 生まれてすぐに(1週間で)母親を亡くしてしまいます。 兄が二人(双子)いたのですが、小倉一郎が2歳の時に船着き場で溺れて他界。 さらに、小倉一郎が16歳の時に姉が若くして脳腫瘍になり他界。 肺結核を患っていた父は、入退院を繰り返していながらも交通事故で他界。 ここまで家族が次々に亡くなるなんて、小倉一郎は悲しみで明け暮れた少年時代を送ったようです。 ちなみに、小学生になると東京に父親の仕事の関係で引っ越しました。 鹿児島出身ですが、育ちはほとんど東京。 父親も肺結核を患っていたため、父親の姉である叔母が小倉一郎を育てました。 青年期になるとテレビや映画で活躍するようになりました。 そうして、叔母に育てられながらも、始めのうちはエキストラで役者としての実力を積み、現在まで50年以上のキャリアを積み上げることになります。 小倉一郎の映画やドラマでの活躍 50年のキャリアは伊達じゃありません。 これまでなんと100本近くの映画に出演!!! しかも、脇役やエキストラでなく、ちゃんとセリフも用意された役ばかり。 有名な作品と作品公開日をまとめてみました。 敗れざる者(1964年) 青春の海(1967年) 性犯罪法入門(1969年) 高校生番長(1970年) 股旅(1973年) 仁義なき戦い 頂上作戦(1974年) 吾輩は猫である(1975年)声役 トラック野郎・望郷一番星(1976年) 総長の首(1979年) ヒポクラテスたち(1980年) 炎のごとく(1981年) 大日本帝国(1982年) 天城越え(1983年) メイン・テーマ(1984年) 瀬降り物語(1985年) 愛の陽炎(1986年) 化身(1986年) 風のあるぺじお(1987年) 死線を越えて 賀川豊彦物語(1988年) もうひとつの原宿物語(1990年) 寝盗られ宗介(1992年) 紅蓮華(1993年) 写楽(1995年) ソクラテス(1996年) バブルと寝た女たち(1998年) 原野の子ら(1999年) ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY(2000年) 十七歳(2002年) いつかA列車に乗って(2003年) デビルマン(2004年) 四日間の奇蹟(2005年) 筆子・その愛 -天使のピアノ-(2006年) 五重塔(2007年) URAHARA(2008年) 斜陽(2009年) キャタピラー(2010年) 大鹿村騒動記(2011年) 11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち(2012年) そして父になる(2013年) ヨシナカ伝説 義仲穴(2014年) 海街diary(2015年) 現在はほとんど映画などには出なくなりましたが、1964年の映画デビューから毎年のように映画に出演していた小倉一郎。 ここまでの俳優さんって他に誰かいるでしょうか・・・・ 主役級は少ないですが、主人公の父親など、重要な役を最近でもこなしているのはやはり実力と知名度があるからかと思います。 ドラマやCMでも活躍していた 映画も100本近く出ていますが、ドラマもものすごい数に出演しています。 「家なき子」や「暴れん坊将軍」、「火垂るの墓」などに小倉一郎が出演していたのは現在でも記憶に新しいですね。 CMも以前はいくつか出演していました。 たとえば、こういうの。 現在まで3度の離婚と4度の結婚を繰り返す 1973年、22歳の時に女優の 海野まさみさんと結婚 1973年、海野まさみさんと離婚(結婚生活は約2か月半) 1977年、のちの東村山市議会議員・ 小倉昌子さんと結婚(4人の子宝に恵まれる) 1999年、小倉昌子さんと離婚(結婚生活は約22年) 2006年、元アイドルの 谷ちえ子さんと結婚 2015年、谷ちえ子さんと離婚(3年の別居生活を含めて結婚生活は約9年) 2017年、 初恋の女性(一般人)と結婚 現在はこの女性と仲良く暮らしているそうです。 この初恋の一般人女性の情報は一切出ていませんが、小倉一郎も今の奥さんも60歳を超えてからの結婚となりました。 現在は俳優・小倉一郎から俳人・小倉一郎 幼少期に養母(叔母)になけなしのお金で買ってもらったギターを大切にしていたこともあり、ギターや作曲などを得意とする小倉一郎ですが、現在は俳人としても活躍しています。 2002年には「 俳だらけ 小倉一郎句集」という書籍を出版していて、俳優としてバリバリ活躍していたころから俳人としての評価は高かったそうです。

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小倉一郎(俳優)の若い頃は?現在の嫁は4度目の再婚!家族が相次ぎ死去?

小倉 一郎

Sponsored Link 年齢は?出身は?身長は?本名は? 小倉さんは、1951年10月29日生まれ、 鹿児島県薩摩郡下甑(しもこしき)村(現・薩摩川内市)のご出身、 身長168センチ、 体重45キロ、 胸囲82センチ、 胴回68センチ、 靴のサイズは24. 5センチ、 血液型はB型、 学歴は、 日本大学豊山高等学校中退、 趣味は、 俳句(俳号は蒼蛙)、エレキギター、作詞作曲、 篆刻(てんこく=書画などに使う印章を作ること)、墨絵、 特技は、 大阪弁、京都弁、ギター演奏、 ちなみに、本名も 「小倉一郎」ですが、 作詞作曲は 「秋山啓之介」名義でされているようです。 幼少期に相次いで家族が死去 小倉さんは、生後1週間の時にお母さんが亡くなり、 お父さんはというと、 「結核」で入院されていたため、 伯母さん(お父さんの姉)に引き取られるのですが、 (引き取ってくれた伯母さんは、その当時すでに51歳で、 小倉さんから見れば、ほとんど、おばあちゃんだったそうですが、 生活保護を受けつつも、月賦でギターを買ってくれたりと、 子供心にも、一生懸命育ててくれていると感じたそうです。 ) 小倉さんが2歳の時には、双子のお兄さんが、 船着き場で遊んでいて 「溺死」。 また、小倉さんが16才の時には、 2つ上のお姉さんも 「脳腫瘍」で死去。 そして、小倉さんが33歳の時には、 入退院を繰り返していたお父さんまでもが、 「交通事故」で死去されています。 若い頃は「俺たちの朝」等で人気 そんな小倉さんは、どのような経緯かは不明ですが、 1958年、小学校1年生の時に上京すると、 翌年の1959年には、エキストラとして、 「東映大泉撮影所」に通うようになり、 (エキストラの仕事をするようになると、学校は休みがちになり、 たまに授業に出ても、数学はちんぷんかんぷん、体育の授業も、 貧血で倒れることもあって参加せず、教室から一人ぽつんと、 眺めているだけだったため、学校はさほどおもしろくなく、 撮影所に通うことが楽しかったそうです。 ) 1963年には、撮影所でかわいがられたのか、 さんの口添えで 「東映児童演劇研修所」に第5期生として入所すると、 翌年の1964年、13歳の時には、 さん主演の 「敗れざるもの」で映画デビュー。 「敗れざるもの」より。 小倉さん(左)と石原裕次郎さん。 その後、特に、1960年代後半~1970年代には、 テレビドラマ 「俺たちの朝」や、映画 「股旅」などの青春ドラマで、 細身で気弱な青年役を多く演じ、同年代の女性を中心に人気を博しました。 「俺たちの朝」より。 (左から)小倉さん、 さん、さん。 「股旅」より。 (左から)小倉さん、 さん、さん。 出演作品(テレビドラマ、映画) それでは、ここで、 小倉さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。 映画では、 1964年 「敗れざる者」 1967年 「青春の海」 1969年 「性犯罪法入門」 1970年 「高校生番長」 1973年 「股旅」 1974年 「仁義なき戦い 頂上作戦」 「性犯罪法入門」より。 (左から)笠原玲子さん、 渚まゆみさん、小倉さん、さん。 1975年 「吾輩は猫である」(声の出演) 1976年 「お祭り野郎 魚河岸の兄弟分」 1978年 「熱中時代」 1979年 「真田幸村の謀略」 1980年 「ヒポクラテスたち」 1981年 「炎のごとく」 「熱中時代」より。 (左から)さん、小倉さん、さん。 1982年 「大日本帝国」 1983年 「天城越え」 1984年 「メイン・テーマ」 1985年 「瀬降り物語」 1986年 「愛の陽炎」 1987年 「瀬戸内少年野球団・青春篇 最後の楽園」 「天城越え」より。 さんと小倉さん。 1988年 「死線を越えて 賀川豊彦物語」 1990年 「もうひとつの原宿物語」 1991年 「息子」 1992年 「寝盗られ宗介」 1993年 「紅蓮華」 1994年 「先生あした晴れるかな」 1995年 「写楽」 1996年 「ソクラテス」 1998年 「新生 トイレの花子さん」 1999年 「原野の子ら」 2000年 「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」 2002年 「十七歳」 2003年 「いつかA列車に乗って」 2004年 「デビルマン」 2005年 「四日間の奇蹟」 2006年 「筆子・その愛 -天使のピアノ-」 2007年 「吉祥天女」 2008年 「全然大丈夫」 2009年 「斜陽」 2010年 「キャタピラー」ナレーション 2011年 「大鹿村騒動記」 2012年 「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」 2013年 「そして父になる」 2014年 「ヨシナカ伝説 義仲穴」 2015年 「海街diary」 「ヨシナカ伝説 義仲穴」より。 さんと小倉さん。 テレビドラマでは、 1965年 NHK大河ドラマ 「太閤記」 1967年 「キャプテンウルトラ」第14話 1969年 「青空にとび出せ! 」第18話 1971年 「木下恵介・人間の歌シリーズ 第4作冬の雲」 1972年 「木下恵介アワー おやじ山脈」 1973年 「日曜劇場 聖夜」 「聖夜」より。 小倉さんと仁科明子さん。 1974年 「太陽にほえろ! 」第125話 1975年 「木下恵介・人間の歌シリーズ第18作 もうひとつの春」 1976年 「俺たちの朝」 1977年 「すぐやる一家青春記」 1978年 NHK朝の連続テレビ小説 「おていちゃん」 1979年 「鉄道公安官」第2話 1980年 「元気です! 」 1982年 「陽あたり良好」 1983年 「殺しの連鎖反応『努力しないで出世した男・社内結婚上司の嫁いい女』」 1984年 「大家族」 1985年 火曜サスペンス劇場 「たったひとりのあなたのために」 1986年 銀河テレビ小説 「まんが道」 1987年 「水戸黄門」第17話 1988年 「花へんろ」 1989年 「月影兵庫あばれ旅」第1シリーズ 第5話 1990年 火曜ミステリー劇場 「なんでも屋探偵帳 はりつけ島連続殺人」 1991年 「はぐれ刑事純情派」 1992年 「伊豆の踊り子」 1994年 「家なき子」 1996年 「ウルトラマンティガ」 1997年 「新・花へんろ」 2000年 「おばさんデカ 桜乙女の事件帖8」 2003年 「僕だけのマドンナ」 2005年 「テレビドラマ火垂るの墓」 「家なき子」より。 田中好子さんと小倉さん。 2006年 「神様からひと言」 2007年 「熱血ニセ家族」 2008年 「東京少女」 2009年 「ママさんバレーでつかまえて」 2010年 「相棒 Season 8」第17話 2011年 「外科医 鳩村周五郎8」 2013年 「町医者ジャンボ!! 」第13話 2014年 「三匹のおっさん~正義の味方、見参!! ~」最終話 2015年 「天使のナイフ」 2016年 「まかない荘」 2017年 「ツバキ文具店」 2018年 「警視庁・捜査一課長season3」第2話 「三匹のおっさん~正義の味方、見参!! ~」より。 さん(左)と小倉さん。 ほか、数多くの作品に出演されているのですが(その数500本以上!)、 特に近年は、小心者の役を多く演じられ、 小倉にしか演じられない深みがある と、小心者をやらせたら右に出る者はないと賞されています。 元妻は?子どもは? ところで、小倉さんの、 気になるプライベートですが、 小倉さんは、1972年、22歳の時に、 元タレントで女優の海野まさみさんと結婚されるも、 2ヶ月半でスピード離婚。 海野まさみさん その後、1977年には、当時、広告会社社員であった、 昌子さんと再婚されると、息子さん1人と娘さん3人をもうけられるのですが、 1999年に、昌子さんが東村山市議会議員選挙立候補し、 当選されたことで、すれ違いが生じ、2000年1月に離婚。 (ただし、離婚後も昌子さんの政治活動を支援されています) さらに、2006年には、8歳年下の元アイドル、 谷ちえ子さんと3度目の結婚をされるのですが、 2015年には、またもや離婚されています。 小倉さんと谷ちえ子さん。 Sponsored Link 現在の嫁は? そして、2017年2月には、23歳の時に交際されていた、 元彼女(当時18歳)のまきさんと再々々婚。 実は、小倉さんは、当時、まきさんとは、 結婚の約束をされるも、小倉さんの浮気が原因で破局しており、 その後は、小倉さんだけでなく、 まきさんも別の人と結婚されていたのですが、 小倉さんが3度目の離婚をされた1年後の2016年、 (小倉さん62歳、まきさん57歳)突然、まきさんから、 覚えていますか? と、メールが届いたことから再会すると、 まきさんも、30年近く連れ添ったご主人と離婚していたそうで、 その後、まきさんが電話で、 41年前の責任とってさ、一郎ちゃん、私のこと引き取ってよ。 と、冗談で言われると、 小倉さんも、 わかった。 俺そっちに引っ越すわ。 と、すんなり同意。 いきなりここに、去年の8月に引っ越してきちゃった。 罪滅ぼしみたいなことですね。 と、数日後には自宅を引き払い、まきさんがお母さんと住む、 横浜市内の3LDKのマンションに引っ越されたのだそうです。 さて、いかがでしたでしょうか。 幼い頃、ご家族を次々と亡くされたことから、 家族愛を求めていた小倉さんは、 離婚した妻たちも、僕にとっては家族同然。 家族ワイワイという家庭が欲しくて。 おかげさまで、孫は5人います。 じいちゃんとしてランドセル買ってあげたり。 入学式にも出席して。 とおっしゃっており、別れた奥さんや子どもたちとも、 頻繁に連絡を取り合っているそうで、現在は、 念願の大家族に囲まれて、とても幸せなご様子。

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小倉一郎 (ディレクター)

小倉 一郎

俳優・小倉一郎(66)が20日、TBSで放送された「爆報!THEフライデー」に、昨年、4度目の結婚をした妻・まきさん(61)と出演。 結婚、離婚を繰り返した人生を振り返るとともに、33歳までに家族全員を亡くした壮絶な生い立ちが明かされた。 小倉は1973年、作品で共演した4歳下の元タレントと最初の結婚。 一目ぼれで、「ビビッときた。 直感型ですね」と振り返ったが、わずか3カ月で離婚。 77年には、先輩俳優だった奥田瑛二のマネジャーと結婚。 4人の子供に恵まれたが、結婚23年目、99年に離婚した。 3度目の結婚は2006年。 ライブを見に行った歌手・谷ちえ子に一目ぼれ。 2回目のデートでプロポーズし、出会って3カ月でスピード婚。 披露宴には中村雅俊らが出席するなど盛大だったが、この結婚生活も9年で破綻した。 その約1年後。 40年前に1年ほど交際していた元恋人、まきさんとフェイスブックがきっかけで再会し、交際がスタート。 まきさんが母親と住む自宅マンションに小倉が転がり込み、結婚した。 なぜ小倉はこれほど結婚と離婚を繰り返すのか。 番組では、4人きょうだいの末っ子として生まれた小倉が生後1週間の時、母親が亡くなったこと、幼い頃、4歳上の双子の兄2人が水の事故で死亡したこと、2歳上の姉が脳腫瘍のため18歳の若さで亡くなったことなどが明かされた。 6人家族は父と小倉と2人だけに。 しかし、84年、小倉が33歳の時、父親は車にはねられて死亡。 家族を全員失った。 小倉は、結婚を繰り返す理由を聞かれ、「家族ワイワイというか、家庭が欲しかった」と語り、「孫が5人もいます。 ランドセル贈ったり、入学式にも出席して…」と今の生活に満足していることを伝えていた。

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