アフタヌーン ショー。 川崎敬三さん死去、「アフタヌーンショー」司会 「ザ・ぼんち」が哀悼の意

俳優の川崎敬三さん死去 「アフタヌーンショー」で司会:朝日新聞デジタル

アフタヌーン ショー

捏造問題と言うか、私が微かに覚えているのは1985年の「やらせリンチ事件」ですね。 1985年8月上旬、東京都福生市内の多摩川河川敷で不良中学生の少年・少女数十人がバーベキューパーティをしていたところ、暴走族の男が少女5人にリンチを加えて怪我をさせるという一部始終を同年8月20日に「激写! 中学女番長!! セックスリンチ全告白」というサブタイトルで放送、同年10月8日、逮捕された女子生徒の供述から、このリンチは番組ディレクターが暴走族への指示で行った演出(やらせ)だったことが判明、更に、10月15日には被害者の少女の母親が自殺したことが発覚、10月16日にはやらせを指示したディレクターが暴行教唆で逮捕され、懲戒解雇される事態にまで発展すると言う放送界史上前代未聞の不祥事となってしまった。 1982年10月にスタートしたフジテレビ『笑っていいとも! 』に視聴率を奪われ、しかも、夏休み中であるため『いいとも』の他にも、日本テレビ『お昼のワイドショー』の人気コーナーである「あなたの知らない世界」の夏休み特別放送やNHKの『高校野球中継』が裏番組に控えており、さらなる視聴率の低下を危惧してこの「やらせ」を企画していた。 特に火曜日分(事件レポート)はこの頃になり視聴率の低さがいささか目立ち、「やらせ」の業界用語が皮肉にも一般に浸透した出来事であった模様。 放送界前代未聞の事件となった「やらせリンチ事件」は日本の放送メディアに大きな波紋を呼び、各メディアからテレビ朝日に対する非難の声が高まり、放送されていた各ネット局にも大きな打撃を与えました。 番組スポンサーは全社ともに降板し、司会者も涙を流しながら責任を取って引責降板を表明し、当時のテレ朝の社長が番組に生出演して謝罪した。 やらせリンチ事件発覚前日である、1985年10月7日にスタートしたばかりの『ニュースステーション』でもトップニュースで久米宏が事件を報道して謝罪した。 その後、番組の視聴率は急激に低下、同年10月18日に番組は打ち切りとなった。 打ち切りは前日に緊急協議を開き、即決定したという。 前日の各新聞の夕刊のトップの記事に掲載され、なおかつ、各テレビ・ラジオのニュースでも大きく報道された。 最終回は20年間を振り返るスペシャルであり、司会者の2人が感謝の言葉をのべ、最後には出演者全員が涙しました。 以上、番組ウィキより抜粋。 この番組は「アフタヌーン・ショー」と言って、川崎敬三さんが司会をしていた番組です・・。 この事件は新聞でも取り上げられていたので、高校生だった私は(アフタヌーンショーを)見なくても、新聞の記事で見ていたので、微かに覚えています・・。 補足を拝見しました・・ここまでやるとは凄いという印象を受けます。 サンゴ礁捏造事件の教訓が生かされていないのでは・・といった感じでした。 サンゴ礁捏造事件ってのは、ここの放送局の系列の新聞社が起こした事件です。 ウィキを貼っておきます。

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俳優の川崎敬三さん死去 「アフタヌーンショー」で司会:朝日新聞デジタル

アフタヌーン ショー

これは8月20日に放映された「激写、中学女番長、セックス・リンチ全告白」というコーナーで、福生の多摩川河川敷で不良60人がバーベキューを しているところで女子中学生5人が不良女2人にリンチされるというもので、テレビ朝日はドキュメンタリーとして流していた。 撮影は8月3日午後7時から2 時間30分にわたり行われ、山崎のほかには中川プロデューサーに山崎と一緒に6回食事をおごられていた前田も協力、福生市北田園2丁目の多摩川河川敷で 60人を集めてのバーベキューの最中に懇意だった16歳と17歳の不良女に酔っている女子中学生を絞めてこいとハッパをかけたもの。 不良少女2人は女子中 学生5人を殴る蹴るの暴行を加え、それをテレビ朝日のカメラが手を出さずに撮影していた。 山崎には14万円、前田には1万円の謝礼が払われた。 10月14日正午、テレビ朝日の田代喜久雄社長は「アフタヌーンショー」に生出演し陳謝、テレビ局トップが自局の生番組で頭を下げるのは初めて だった。 この日の「アフタヌーンショー」はスポンサーが付かず、生放送で田原総一郎、藤原弘達、俵萠子、筑紫哲也が出演してテレビ朝日批判を行った。 これ でテレビ朝日としてはけじめをつけ、後は中川プロデューサーの逮捕が既定事実として控えるばかりと思っていたところ、10月15日、リンチを受けていた女 子中学生の母が9月23日夜に自殺を遂げていた事が発覚した。 福生二中3年の女子生徒(15)はこの日、リンチ事件被害者として福生署で事情聴取を受けて おり、母(37)も付き添っていた。 終了後の午後8時15分、女子生徒の母は福生-羽村間の青梅線の本町踏切で飛び込み自殺を遂げたもので、9月22日に 初めて事件を知ってショックを受けていたという。 10月16日正午、スポンサーの付かない番組と化していた「アフタヌーンショー」で司会の川崎敬三が突然、降板を表明、コメンテーターのばばこう いちもつられて降板を表明した。 午後5時10分、中川プロデューサー(34)は逮捕された。 中川は解雇となったが、都内の私立高を卒業して昭和45年4月 にテレビ朝日にVTR編集の技術マンとして入社、昭和49年10月にADとなった叩き上げの異色プロデューサーだったという。 「アフタヌーンショー」は昭 和60年10月17日もスポンサーが付かず、10月18日で打ち切りとなった。 タモリは「正義づらしてあーいう番組を作っちゃダメ」と語り、「ディレク ターがやった方に焼肉をごちそうしたらしいけど、あれはやられた方にもおごらなきゃ。 やられた方が大変なんだから。 こっちは上ロース、向こうは並でいい」 と事件を批判している。

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アフタヌーンショーとは

アフタヌーン ショー

アフタヌーンショーとは、 系列 でからまでからのに放送されていたである。 概要 (現:)では、番組開始前年のに初のとなる「」を始め、この成功によりの界にというを定着させた。 これを受けて、当時不毛の時間帯であったのにもを投入したのがこの「アフタヌーンショー」である。 数年遅れて始まった「おの」()や「のあなた」()と共に、から午後の時間帯にもを定着させた記念碑的番組である。 歴史 番組のは大きく区分けすると前期の小治会時代と中期以降の敬三会時代の2つに分けられる。 番組開始当初 当初は会をと8人の応募で採用した素人ので番組進行をしていたが、視聴率は苦戦をしていた。 このため、のを会に据えたテコ入れを行うなど徐々に軌修正が行われる。 番組開始から10か後の、番組会者に・小治を起用。 番組ではである「怒りの」でにに対して、小治がの示で本気で怒り出すというのがとなる。 これにより小治は 『怒りの小治』という異名を得た。 また、圧療法創始者・浪越徳治郎を起用した「圧の」、研究・菜を起用した「」の三本立てで番組となった。 番組中期 この「怒りの」は小治と番組自体の代名詞となっていたが、頻繁に糾弾の玉に上がっていたの間で当時強い支持を獲得したの放送からのが上がり、後になでもある層にも飛び火する大論争となる。 この世論に押される形で、、小治はを流して番組会を降した。 その後すぐに・一が会を担当したが、に巻き込まれてわずか3かで降。 のが半年間つないだ後、より・敬三に会を交代をして以後はまで担当するようになる。 番組後期 会が敬三になった頃になると、に芸と事件を追及をする形となった。 同時に芸レポーター・元勝と・耕一もとして加わった。 特に元は誌のから転身し、芸レポーターとしてをした番組でもあり、決まり文句の 「恐縮です!」は流行となった。 または事件をでをし、ととのやり取りで 「こうなんですよさん!」「そうなんですかさん!」はに強な印を残した。 のザ・ぼんちがこのやりとりをにしたを披露したことで更に広まり、当時の流行となった。 にザ・ぼんちがこれを取り入れた『のぼんち』という曲もし、これも大している。 やらせリンチ事件発覚、打ち切り 長きに渡り君臨してきた「アフタヌーンショー」であったが、に「」()がして以降徐々に視聴率が低迷し始める。 この視聴率低迷に焦った番組が、番組どころかまでも揺るがす大事件を起こしてしまう。 、「写、女、・全」というを放送。 のので人がを しているところで5人が2人にされるをで捉えたというもので、番組ではこの模様をとして放送したが、同年にこのを行ったやの元がされた際に 「番組が関係者に取材協費を払って暴行を行うよう示した」と供述し、であったことが判明。 実は、番組とを行ったの元にあたる人物が知り合いであり、彼らを介して番組が実行犯となったのたちにを依頼したという、的 な 事件だったのである。 この事件の発覚により、を受けたのがに飛び込み。 番組も暴行教唆でされた(同時に懲)。 一大となったこの事件により、当時のが「アフタヌーンショー」で謝罪。 番組も全社撤退し、会の敬三や番組も降を表明する状況となる。 上層部は当初「番組内容の大幅刷新を行った上での番組」もしくは「後継番組の立ち上げまで1ヶほど『アフタヌーンショー』をさせた上での番組終了」を模索したものの、一大を起こした番組をさせようとする側に番組、局、が。 局の中には「このまま番組をするのなら『アフタヌーンショー』のを打ち切る」と通告する局が現れ、また番組が全社降した状態でが局に支払わければならない営業保を含む経費負担が大な額になる見込みとなり、さらに「のに出演すると自分もが悪くなる」と出演をが現れるなど他部門の現場にまでが出始めた。 そして、ついに上層部はに「翌 の放送をもって番組を打ち切る」と決断した。 官庁である郵政省(現:)が厳重注意を行い、一時は放送拒否のとなったものの、条件付きでのが認められ、最悪の事態は避けられた。 急遽を決定した「アフタヌーンショー」のは、歴代出演者・ターをに招き20年間に渡った放送を懐かしので振り返るという内容となった。 番組視聴率は低迷していたとはいえ安定したのあった「アフタヌーンショー」を失ったのはその後迷走期に入り、 以降の約11年間は何をやっても長続きしない「死に」と言われるようになる。 この視聴率低迷が自体の大迷走時代のを引くこととなり、長きに渡って「振り返れば」と呼ばれる存在となった。 に「!ブル」が始まり、ようやくこのから脱している。 ネット局 番組当初は、局が・・で同時、で時差を行っていた。 その後番組がを獲得すると、当時が多くの系列局を持たない弱小局であったことから系列外でも時差で放送する局が全に増えていく。 特に代後半から前半にUHF波で開局をした新設局が大量にを開始している。 このには、「アフタヌーンショー」についていた全を獲得したい局も思惑もあった。 こういった形で局を拡大していったがあり、の同時局は少なく、時差をする局が多数を占めていた。 「うちのでは午後かに放送をしていたのを見ていた」と記憶している人が少なくない。 「事件」による番組以降もこの時差はしばらく維持され、までしていた。 また、も後半より自社系の新規開局を進め、徐々にの同時へと移行する局も増えていった。 ただし、で当時していたでは、の開局から局にもかかわらずに同時をしていたがに番組を打ち切っている。 これは庁職員が番組にを告発をして大騒動になったため、がを受けて番組の終了&脱退をしたという説と、が建設されていた時代に「駄な共事業」と番組でしたことが庁の怒りを買ったという説がある。 と他系列との局の中にはに「アフタヌーンショー」の同時を選択した局も少なくない。 ()と()ではにこちらのを選択したため、系列で放送されていた「」や「おの」がしばらく放送されていなかった。 関連動画 関連商品 関連項目• (より台で放送されている).

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