サンライズ ブルー バード。 「サンライズブルーバード池袋さんを気に入った理由は→」ウイリアムバロウズのブログ | ライ麦畑でつかまえて

ブルーバード 梅田阪急ビルオフィスタワー店 (BLUEBIRD)

サンライズ ブルー バード

概要 [ ] 前から続く、10-17型、戦後のDA型、DB型といったブランドにおけるの系譜を引き継いでいるが、メカニズム的に直系とされているのは、と提携以降の(210は直列4気筒OHV C型 988 cc搭載)である。 日本の代表的なミドルセダンとして、また用の車種としても親しまれた。 最大の競合車種は。 からにかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。 愛好者間での通称は 「ブル」。 がその名を受け継いでいたが、2012年(平成24年)12月のフルモデルチェンジで名称が「シルフィ」となり、ブルーバードの名が消滅、名実共に 53年の歴史に幕を下ろした。 0L OHV 駆動方式 FR 3速MT 前: 後: 全長 3,915mm 全幅 1,496mm 全高 1,470mm 車両重量 900kg ブレーキ 4輪ドラム データモデル 1200デラックス 3速MT(後期型) 先代 型系 発売当時の名称は「 ダットサン・ブルーバード」。 ダットサン系の本格的な量産型乗用車としては最初の前輪独立懸架採用車となり、在来ダットサンの固定軸に比べて格段に乗り心地や操縦性を改善した。 ボディタイプは4ドアのみ。 グレード構成は、1. 0LはSTD、1. 2LはSTDとDX。 スタイリングは当時日産の社内デザイナーのによるもので、世界的トレンドにはやや遅れたデザインではあったが、全体に中庸を得たスタイルで機能性が高く、市場の反応は良好だった。 セミボディと低床式とを組合せて軽量化と強度確保を図る。 主要部品の多くはとの共用で、十分な信頼性を備えていた。 乗車定員は当初4名であったが、1959年10月に後部座席寸法を3人がけ可能に変更して5名となった。 いずれも技術提携先のイギリス・社製オースチンB系エンジンをベースとしたストローク変更のバリエーションである。 2LクラスのE1型エンジン設定の理由は、輸出主戦場と目されたで当時成功を収めていた同クラスの に対抗した性能確保が目的であった。 当時の日産の主力車種としてモータリゼーションの潮流に与し、4年間に渡るモデルライフを通して良好な販売実績を示した。 においては、セナラ自動車(現・)によりされ、「セナラ」の車名で販売されていた。 8月 - 発売。 7月 - 日本初となる追加。 1960年10月 - マイナーチェンジで出力増強が図られ、1. 0L C1型43馬力、E1型1. 同時にが日本初のフルとなり、にはこれを示すエンブレムが与えられた。 2月 - 日本初のである、「デラックス」が追加。 作動時に鳴るオルゴール、カーテン、組み込みのバニティーミラー、傘立て、ハイヒール立てなど36点もの専用装備があった。 1961年8月 - マイナーチェンジで、、の意匠が変更され、 312型となった。 この型よりトランクリッドの開閉がキー操作で開き、閉じるとロックされる構造になる。 4月 - 「サキソマット」の付車を設定。 1962年9月 - マイナーチェンジでもフロントグリル、テールランプの意匠、フロントが変更。 1962年12月 - フロントシートにセパレートシートを設定。 - 「」に参戦するが、2台とも完走とはならなかった。 初代の生産台数は約21万台。 日産初のフル・構造の車体を採用、当初のボディタイプは、4ドアのセダンとエステートワゴンのみ。 先代に引き続き輸出が図られたほか、新たにへ輸出されている。 スタイリングはによるものであったが、欧州調の尻下がりラインが不評で、販売台数で初めてコロナにリードを許す。 エンジンは当初先代からのキャリーオーバーである1. 0L 45馬力と1. 2L 55馬力であったが、電源は310系までの直流発電機()から、交流発電機()に変更し、発電性能を向上させている。 は310型系以来のフルシンクロの3速で、1. 2Lには「サキソマット」のの設定もあった。 グレード構成は、1. 0LはSTD、1. 2LはSTDとDX、ファンシーDX、エステートワゴン。 9月 - 発売。 3月 - ブルーバード初のスポーツモデルとなる「1200 SS(スポーツセダン)」を追加。 E型1. 2Lにツイン65馬力のエンジン搭載。 1964年9月 - マイナーチェンジでの意匠を変更。 1,000ccモデルが廃止され、2ドアセダンが追加。 1月 - リクライニングシート車設定。 1965年2月 - 「2ドア1200SS」追加。 1965年5月 - マイナーチェンジで411型となった。 また、1,200ccモデルは1,300ccJ型62馬力に変更となり、電装系をマイナスアースに変更。 「1300SS」はJ型72馬力に向上し、同時に「1600SSS」を追加。 SUツインキャブ付き1. 6L R型90馬力のエンジン、の4段ミッションを装備。 - 日産のクエルナバカ工場にて生産を開始。 1966年4月 - マイナーチェンジで、評判の良くなかった尻下がりのボディ形状を改める大幅な変更を行った。 この変更でテールランプが独特の形状であった通称「鍵テール」から平凡な形状に変更された。 1300バンの追加。 「1300SS」と「1600SSS」は専用フロントグリルを採用。 「1600SSS」に前輪ディスクブレーキを装備。 1966年6月 - 製の3速付車設定。 主な変更点は、デラックス系のシート生地がチェック柄となり、ビニールトリムはメタリック調。 ステアリングパッドに「BLUEBIRD」の文字が入る。 アクセルペダルの形状変更(スプーンタイプからオルガンタイプへ)。 「1300SS」に前輪ディスクブレーキを装備。 モータースポーツ• 1965年3月 - 「第4回ナショナルストックカーレース」(於: 川口オートレース場ダートコース)スポーツマンクラスにて「1200SS」が優勝。 ドライバーは。 1964年 - 4台で参戦したが、リタイア。 1965年 - 3台で参戦したが、リタイア。 1966年4月 - 「第14回東アフリカサファリラリー」に4台の「1300SS」 ダットサンP411-TK (1,299cc)で参戦。 1965年 - 1台参戦、リタイア。 1966年 - 1台参戦、総合59位。 - 3台参戦、総合58位、2台リタイア。 2代目の生産台数は約52万台。 1966年にはのエントリーモデルとして、1. 0Lクラスの、が発売されていたことから、ブルーバードは1. 3L以上の中級モデルとして上位移行し、ボディは大型化された。 社内デザイナーによる「スーパーソニックライン」と称する、直線的で彫りの深いシャープなデザインとなった。 従来装備されていたフロントドアガラスのは、換気装置の強化により省略された。 メカニズムは、オースチンの影響が強かった410系までに比べて一新されている。 新開発の 『絶版日本車カタログ』・、41頁参照 エンジン 後に6気筒バージョンがスカイラインやフェアレディZに搭載される を搭載しており、量販モデルである1. 3LのL13型と、上級モデルとして1. 6LのL16型を積んだ「SSS(スーパー・スポーツ・セダン)」のラインアップだった。 サスペンションは日産初の四輪(フロント:、リア: )を採用。 セミトレーリングアームの伸縮には直前に日産と合併されていたが「」後輪のに使用していた「ボール・」の技術を利用している。 日本国内では他社に先駆けた先進的設計と斬新なスタイリングをアピールし、オーソドックスな後輪車軸懸架構造ながらデラックスな装備を売りにするとの「BC戦争」を競り合った。 日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との評を得、ラリーフィールドでのタフネスな活躍ぶりとも相まって人気を高め、史上初めて市場でヒットしたとなった。 当時の米国では高校生が初めて乗るクルマとして人気を博し、その世代の米国人にとっては思い出深いクルマだという。 続いて開発された初代と共に、北米輸出市場における日産(ダットサン)の躍進を実現した存在といえる。 - 発売。 10月 - マイナーチェンジでピボット位置、、、SSSの砲弾型フェンダーミラー形状を変更。 直列4気筒SOHC L16型(1595cc)搭載モデル「ダイナミックシリーズ」を追加。 DXに4速マニュアル車追加。 1968年11月 - コロナに対抗した2ドアを追加。 本車種のクーペとしては最初で最後の3連リレー式ウインカー(「流れる」テール)が採用される。 9月 - 一部改良。 北米の安全基準に合わせ、衝撃吸収を採用、インパネ形状も変更。 ラジオアンテナはへ移動。 9月 - 一部改良。 フロントグリル、リアコンビネーションランプ を再度変更。 直列4気筒SOHC L18型 1770cc を搭載した1800SSS発売。 4Lへ拡大。 4ドアセダンGLを追加。 9月 - ブルーバードU(610型系)の発表に伴い車種整理。 1800cc車とクーペを廃止、セダン1. 6Lの廉価グレードがメインとなり、「幸せの1400」のCMキャッチフレーズで610型系との併売へ。 グリル周りは樹脂パーツを多用して610型系と類似したいかついデザインに変更された。 テールランプとウインカーが独立したタイプを選ぶことができるようになった。 最終期にはスモールランプも独立した。 この時期に至っても市場からの人気は高かった。 12月 - 510型系生産終了。 1月 - 710型系初代の発売・販売開始に伴い、名実共に510型系販売終了。 生産・販売台数は155万2263台。 モータースポーツ• ゼッケン89の同車はラリー終盤で右前輪ストラットのショックアブソーバーがボンネット上へ突き抜けるアクシデントがあったが、上位完走してタフネスさを証明した。 1970年 - 「第18回東アフリカサファリラリー」にて総合・チーム優勝の2冠達成。 「ラリーの日産」のイメージを確立する。 により映画『』が制作される。 なお、この映画の撮影は1969年の17回サファリの際に行われ、ゼッケン90番のロケ車が実際のラリーに出走、総合5位に入賞した。 これは、このロケ車での活躍を日産ワークスが評価して起用したものである。 4Lと1. 6Lの廉価モデルのみが12月まで継続生産され 、併売されていた。 なお、このモデルでは仕様(営業車)は設定されなかった。 グレードは、STD、DX、GL、SSS、SSS-L、SSS-E が設定され、ボディタイプは、4ドアセダン、2ドア、ワゴン、バンの4種類。 セダン、ハードトップはサイドウインドウ下の「Jライン」と称するガーニッシュが特徴であり、その色は標準のダークグレーのほか、外板色が白の場合Jラインは黒となり、紺メタリックではオレンジ色も選べた。 2000GTシリーズ 直列6気筒2. 0LのL20型を搭載、を150mm延長し、フロントを55mm延長したロングノーズの2000GTシリーズ のGT、GT-E、GT-X、GT-XE が追加設定される。 はを思わせる処理がなされ、スカットル部のエアアウトレット風の処理がのを連想させるデザインであったためサメブルと呼称された。 マイナーチェンジ車は、・排出ガス規制で売れ行きが伸びなかった。 『 誕生の背景には、ほぼ同クラスのスカイラインが2000GTの人気に引っ張られて4気筒モデルも販売好調だったことを横目に見た、ブルーバード販売会社からの要望があった。 ただしスカイラインとは違って、ブルーバードUでは顔つきも大胆に変えていた。 当時のポンティアックGTOにも似た2分割グリルのフロントまわりや、エラのように見えるフェンダーの意匠がどう猛な鮫(サメ)を思わせることから、いつしか「鮫ブル」のニックネームで呼ばれるようになった。 8月 - 発売。 8月 - 一部改良で、を1. 6Lにも設定。 8月 - マイナーチェンジでフロントグリル周辺、の意匠を変更し2000GTシリーズを追加。 9月 - 2. 0L EGI車が、10月に1. 6L、1. 8L、2. 0Lの仕様車が50年に適合。 2月 - 2. 0L EGI車が、3月に1. 6L、1. 8L EGI車が51年排出ガス規制に適合。 モータースポーツ サファリラリー• 1972年 - 1台が参戦し、総合12位。 1973年 - 2台が参戦し、総合2位・4位、チーム優勝。 0L 直6 1. CMや広告出演はで、キャッチフレーズは「ヘビーデューティ」であったが、引き続きのサイズ肥大化の一方で排気ガス対策とこれに伴う性能低下対処が最優先されたモデルであった。 ボディタイプはセダン、2ドアハードトップ、バンで、輸出用にワゴンが存在。 ロングノーズの6気筒2. 0LモデルはG6シリーズとして続投。 また、610型系では設定されなかったタクシー仕様車(L18P型搭載)が復活。 これにはがごく少数生産された。 エンジンはに適合したの、のL20型をラインナップ。 7月9日 - 発売。 10月 - マイナーチェンジ。 セダン・ハードトップのバンパーをオーバーライダー付きの大型バンパーに変更。 トランクリッドのエンブレムをNISSAN BLUEBIRDからNISSAN NAPSに変更。 バンにAT車を追加し、併せてブルーバード国内登録200万台記念特別仕様車 セダン1800SSS-E、5速MT車ベース を650台限定で発売。 1月 - 1800DX・1800GL(キャブレター仕様)・1800SSS(4速MT・AT車)が昭和53年排出ガス規制適合。 1978年8月 - マイナーチェンジで811型となり、営業車を除く全車適合となる。 このマイナーチェンジを機にダットサン・ブルーバードからニッサン・ブルーバードへの名称変更が行われた。 (日産の公式発表より。 但し、正式名称はダットサン・ブルーバードのままであった)。 3月 - ブルーバード20周年記念車の「スピリット20」を発売。 1800SSS-Eの5速MT車ベースで、セダンとハードトップ各650台限定で発売。 ブルーバード史上初の設定車となる。 また、タクシーには日本国内初3速オートマチック車が設定され、角型4灯ヘッドランプのGLを追加。 同時にエンジンも昭和53年排出ガス規制適合のZ18P型となる。 なお、限定車「スピリット20」シリーズの発売を機に乗用モデルはトランクリッドのNAPS-Z及びNAPSエンブレムは廃止された(但し、タクシー車両はトランクリッドのエンブレムをNISSAN NAPSからNISSAN NAPS-Zに変更)。 1970年代、開発・販売面での迷走を続けたブルーバードであったが、このモデルは派生型のロング型やモデルを廃止するという思い切った見直しが図られ 、バランスの取れた4気筒中型セダンとして設計された。 510型を髣髴とさせる直線基調の機能的且つ、クリーンでボクシーなスタイルなども手伝って、小型車(1. 6L - 2. 0Lクラス)で27か月連続新車登録台数第1位を記録するなど、910型は510型以来の大ヒットとなった。 発売の4ヶ月後には、ターボエンジン搭載モデルを追加。 広告のイメージキャラクターにはを起用し 「ザ・スーパースター」「ブルーバード、お前の時代だ」のキャッチコピーが使われた 、このCMで910型大ヒットの立役者となった沢田は引き続き次作U11前期型(ブルーバード・マキシマも含む)生産終了までイメージキャラクターを務める事となる(後述)、本人が歌うCMソングやナレーションも話題となった。 また、サービス周報では、正式名称である「ダットサン・ブルーバード」表記であるものも、広告上とカタログ、CMの読み上げでは、「ザ・スーパースター NISSANブルーバード」の表記になっており、ダットサンの名称は意識的に伏せられた。 輸出仕様も国内仕様に準じたかたちで4気筒エンジンが用意されたものの、6気筒エンジンが必須の向けのみは、を100mm延長し、2. 国内向けは全車直列4気筒のに統一され、また、この910型から()が登場し、後にディーゼル(LD20T型)エンジンも追加される。 には、のZ18P型が搭載された。 SSSシリーズには開発当初、用ののエンジンの搭載も企画されたが、当時日産はターボブームまっただなかということもあり、販売サイドの意向で見送られたという逸話もある。 足回りは、フロントが日本製車初のゼロと、ハイにセッティングされた、コイル、リアは、SSS系にはコイル、エレガント系、、後期型は、、前期型ワゴン、1987年10月以降のLPGエンジンのタクシーは(ディーゼルエンジンのタクシーは1987年10月以降も4リンク式)となった。 また、ではまで生産を行っていた。 バンの最廉価グレード、および営業車を除く全車にフロントベンチレーテッドを標準装備。 仕様を除くSSS系、後期型 2. 0L のエレガント系には製衝撃吸収大型が装備された。 これらの機構的特長を前面に押し出した「走る。 曲がる。 止まる」のキャッチコピーは、「技術の日産」ファンのユーザーの購買心理に好意的に迎えられた。 SSS-XGシリーズにはも標準装備する。 当モデルの2ドアハードトップをオープンカーに改造したものが、発売当時開場したばかりのでとして使用されていた。 11月 - 発売。 サンルーフ、オートエアコン装着車を設定。 これを機に2000SSS-ESは廃止。 2月 - 特別仕様車セダン1600スポーティーGL発売。 5月 - セダンターボSSSベースの特別仕様車発売。 8月 - 特別仕様車1600スポーティーGL-II・V20ターボスペシャル発売。 9月 - 特別仕様車スポーツスター1600スペシャル発売。 10月 - 特別仕様車1600スポーティーGL発売。 1月 - マイナーチェンジ。 内外装変更。 同クラス初のピラーレスの4ドアモデルを追加。 5月 - 特別仕様車1600スポーティーGL発売。 6月 - 特別仕様車発売。 10月 - 一部改良。 8Lガソリンエンジンをに変更。 ターボ車は4速AT化。 2月 - 特別仕様車50シリーズ発売。 3月 - スーパーエクストラシリーズ発売。 5月 - 特別仕様車50スペシャルII発売。 7月 - ドアミラー採用。 10月 - (、)を除き販売終了。 モータースポーツ• 1981年10月 - で開催された耐久レース「1000」に参戦。 結果はによりリタイア。 1982年5月 - 当時のグループ5規定に合わせたレーシングカー「ブルーバード・ターボ」が登場。 2ドアハードトップ(KY910型)をベースに車体の一部をとする製のシャシに、大型の、およびを備える製のを装着。 ドライバーは、。 この車両は当初の兄弟車のカウルを装着していた。 この個体は近年を受け、現在は内にあるに保管されている。 が全日本ダートトライアルにを搭載した車両で参戦していた。 主な戦歴• 1982年5月 - 「第2戦 富士グラン250キロレース」3位入賞• 1982年5月 - 「RRC筑波チャンピオンレース」SSクラス 2位入賞• 1982年10月 - 「バサースト1000」クラス優勝(総合8位)• 1982年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 2位入賞• 1983年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 優勝• 1983年 - 「富士スーパーシルエットチャンピオンシリーズ」 チャンピオン獲得 営業車モデル STD(1987年マイナーチェンジ後) 営業車モデル(タクシー用)は、FF()のU11型にフルモデルチェンジされた後も、FR()の910型が継続生産されていた。 その理由に、• FFでは、FRより最小回転半径が大きく、(業界で重視される)小回り性能で不利である。 技術的にはFFで問題なかったが、車の板交換の際に「エンジンを下ろさなければできない」と・タクシー業界で難色を示された。 熟成されつくしたFRは、車両やの耐久性の面で当時は発展途上にあったFFよりも信頼性が高かった。 FFはFRに比べへの反力や操舵力自体がやや大きいこと、登り勾配やフル積載では発進時のクラッチ操作がシビアとなることなどから、乗務員の負担が若干大きい。 以上の理由で、FF(前輪駆動)のU11型の営業車モデル(タクシー用)の設定を断念せざるを得なかった事情があった。 1月 - 一部改良。 デラックス仕様を廃止、LPG車に5速フロアMT追加。 1983年の日産創立50周年を機に一新された「NISSAN」ロゴと、U11型系と同じ「BLUEBIRD」ロゴに変更、エンブレムの位置も左側から右側に移動されている。 3月 - 一部改良。 LPGエンジン車はリアサスペンションの耐久性向上とLPGボンベ容量が71Lから99Lに増大のために(E-PC910型)へ変更• 1月 - 一部改良。 3速コラムMTを廃止し、4速コラムMT新設。 8月 - 一部改良。 駐車灯廃止およびリヤ中央席にシートベルト追加。 12月 - 一部改良。 左右非対称のアンシンメトリーミラーと積雪地対策のショートエプロンをオプション設定。 10月 - マイナーチェンジ。 生産工場がから平塚工場へ移管され、の形状変更 、メーターパネルを取り付け対応に、SSS系と同一デザインの(通称・グリル)と後期型SSS系と同一のに変更。 ディーゼルエンジンはLD20・II型に換装。 3月 - 一部改良。 AT車にシフトロック追加。 7月 - 一部改良。 LPG車にLPガス緊急遮断装置採用。 4月 - 一部改良。 コラムMT車にパワーステアリング及び全車にサンクスパワーウィンドウ(運転席及びリヤ左側がパワーウィンドウ)をそれぞれオプション設定。 10月 - ディーゼル車生産終了。 7月 - の販売開始に伴い、営業車モデル(タクシー用)の販売を終了。 8L 直4 CA16型 直4 1. 先代の910型の流れを汲んだデザイン で、ボディタイプは、910型に設定されていた2ドアハードトップは廃止され、4ドア、4ドア、、の4種類が設定され、前モデルの910型系と比較してトレッド幅を拡大し、コーナリングにおけるなどのFFの弱点を消すことに重点がおかれる。 は、すべてに統一され、は、ノンターボの 65馬力の1種類のみの設定。 広告には、が先代の910型に引続き起用 されCMソングとナレーションも担当した。 キャッチコピーは前期型は 「ブルーバード、お前はスーパージェネレーション」「走りが、だん然、素晴らしい」「ブルーバードにならないか」、後期型は 「人の中へ。 」であった。 1983年の日産創立50周年を機に一新された米国のペンタグラム社が製作したロゴフォント を採用。 先代の910型系までの正式車名であった「ダットサン・ブルーバード」から、U11型へのモデルチェンジを機に、正式車名が「日産・ブルーバード」へと改められ、車検証の車名欄も、先代の910型までの「ダットサン」からU11型から「ニッサン」へと改められている。 ADワゴン()はターボSSSとLXの2グレードがあり、ターボSSSは当時珍しいガソリンターボのワゴン車であった。 一方オーストラリアでは、日本より遅れること2年後に生産が開始されたモデルである。 前輪駆動生産のライン関係などに大幅な遅れをとった関係から910型が長らく生産された要因とされた。 10月 - 発売。 (SSSはスーパー・スポーツ・セダンからスーパー・スポーツ・サルーンに)• 12月 - 日産創立50周年記念車を発売。 1月 - クルージング シリーズ追加。 3月 - 一部改良及びLD20型エンジン搭載のLXエクストラを追加。 4月 - ブルーバード25周年記念特別仕様車発売。 5月 - スポーツパック仕様車を追加。 9月 - 「2000ディーゼルSLX-G」を追加。 10月 - 810型系以来の上級車種としてエンジン搭載の「 」が登場。 8L車は全車5速MT化。 2000SLX-Gに大型バンパーを標準装備。 11月 - 国内生産累計600万台達成。 この年、国内販売は、、に次いで4位(1983年は5位)。 1月 - エクストラシリーズ追加。 3月 - 一部改良。 CA18ET型エンジンのの冷却方式を式に変更。 8月 - マイナーチェンジ。 エクステリアの大幅な意匠変更が行われ、バンを除く全車にコーナリングランプを標準装備。 バンパー、トランクリッドの形状変更、内装の一部変更のほか、 SSSシリーズに直列4気筒 1809ccターボを採用し、145馬力 を発生する型エンジン搭載モデルが登場。 バンのガソリン車を除く車は全車5速化され、CA18E型とCA18S型のが4速化される。 フロント合わせガラスと電動格納式を新たに設定。 - 1800にを追加(当初は5速MTのみ、後に4速ATも追加)。 1986年• 1月 - ブルーバードマキシマをマイナーチェンジ。 搭載モデルを追加。 セダンLXセレクト追加。 6月 - 型エンジン搭載モデルにAT車追加。 5月 - ブルーバードマキシマが「 マキシマ」として独立車種となる。 トランクのエンブレムはNISSAN MAXIMAに変更(ただし正式名はブルーバードマキシマのままであり、型式はPU11)。 同時に一部改良。 9月 - 4気筒モデル販売終了。 但し、バンとワゴンについては一部改良を施した上で継続販売。 10月 - マキシマ販売終了。 にモデルチェンジ。 5月 - バン「L エクストラ」追加。 以後、流通在庫分のみの販売となる。 8L 直4 CA16S型 直4 1. ボディタイプは、4ドアセダンと4ドアハードトップ。 価格帯は1600LE 5MT車119. 8万円~1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITED 4AT車299. エンジンは先代U11型と同じ系を改良し、DOHC・135馬力の、SOHC・88馬力の、SOHC・79馬力の1. 6Lの、ディーゼル・67馬力のLD20-IIが用意された。 また、1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDに搭載されたのは、の装着や仕様化が行われたことで最高出力が175psにまで高められた。 「アーバンATTESA」シリーズは「SSS ATTESA」に標準のリヤビスカスLSDがオプションであった。 前期ではCA18i 88ps 、後期ではSR18Di 115ps に設定。 北米市場ではセダンが1990年-1992年と短命ながらもとして販売されていた。 なお、1993年より同市場で発売されているは後継車種である。 このため海外輸出では、セダンの他ハードトップも加わり香港・シンガポールなどといった東南アジア地域に絞られた。 なお、後期型におけるCMのナレーションは が担当し、バック音楽には「」を採用、キャッチフレーズは 「グッド・カー」だった(前期型のキャッチフレーズは 「ブルーバードが、好きだ」「走る、曲がる、止まる、そのどんな瞬間にも最高の車であってほしい」)。 スーパー・トー・コントロール・サスペンション(STC-Sus)と呼ばれるリヤサスペンションをATTESA車に初採用。 サスペンションの型式としては2WD車と同じパラレルリンク式ストラットであるが、ブッシュのたわみを利用して2本の不等長のパラレルリンクとラジアスロッドとが後輪の受ける横力に応じてトーをコントロールすることでコーナーリング性能向上を目指す機構であった。 を積極的・能動的な四輪操舵とするならば、いわば受動的な四輪操舵機構であり、開発テーマの一つ「アコースティックな走り」実現に寄与していた。 U13型では2WD車にも拡大採用されたものの、同時期のプリメーラでは採用しておらず、その後採用した車種はない。 SSS-R 競技参加を主眼として、ラリーバージョンの「 SSS-R」を設定。 が開発し、で製造、で販売された。 「ATTESA」を搭載したフルタイム4WD セダン1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDを基本としており、が設けられた専用エンジンフードが外観上の特徴。 国内JAF競技用ベース車という性格からロールバーが標準装備であり、トランスミッションもクロスギヤレシオ化されている他、様々なラリー用オプションがNISMOから用意された。 エンジンは、ベースとなったCA18DETにチューニングを施したを搭載。 64から0. 89の高速高出力型としたギャレット製T25型タービンを採用、圧縮比を標準8. 5から8. また、のオーバーラップ増やエキゾーストマニホールド、社製の専用アルミの採用など、特筆すべき点が多い。 ボディタイプは4ドアセダンのみ。 定員2名(後に定員4名仕様追加)。 価格は東京地区標準275万円。 競技車両としての使用を前提としていたため、保証が標準車と一部異なる他、装備内容も最廉価グレード1600LEとほぼ同等まで省略されている。 外観では、コーナーリングランプがないため1600LEと共通(ブラックアウト処理)となっている一方で、1600LEでさえも標準のフェンダーマーカーの点灯機能が省略されていた他、定員4名仕様車の後席座面等、標準車と異なった部品が用いられていた。 受注生産車として月産10台程度販売された。 9月 - 発売。 - 全日本ラリー選手権Cクラスに参戦し、ドライバーズチャンピオンを獲得。 ドライバーは綾部美津夫。 10月 - マイナーチェンジ。 リアコンビネーションランプ等内外装変更。 6L車は従来どおりCA16S型エンジン)。 5月 - 4ドアセダンをベースにした独特のスタイルを持つ工場製の5ドアハッチバックセダンモデルの「ブルーバード・オーズィー(HAU12型)」を同年8月まで限定発売(なおU12型はオーストラリアではR31型が初代となるの2代目でもあった)。 エンジンは国内仕様のU12型には存在しないSOHC・110馬力のが搭載。 販売台数は1,300台弱と希少である。 海外工場生産車()であるとはいえ、日本で販売するための最適化が為されておらず、中でもがオーストラリア現地仕様のままであったために国内仕様の部品では修理不可という致命的な欠点がある。 8月 - 生産終了。 在庫対応分のみの販売となる。 9月 - 9代目と入れ替わる形で販売終了。 販売期間 1991年9月 - 1996年1月 設計統括 5人 4ドアセダン 4ドアハードトップ 型 2. 8L 直4 型 1. ハードトップは側面衝突における安全性を考慮してセンターピラーが付けられ、エレガントなデザインの「 ARX」( アークス)となる。 セダンはスポーティな「 SSS」( スリーエス)、ビジネス向けエコノミーグレードの「 EEX」( イーエックス)と後に追加された「 ビジネス」が設定された。 セダンのデザインは、日本の日産案と(NDI)案が比較され、独特なフォルム(のような「尻下がり」型)を持つ北米案が採用された。 セダンは全高を高めに取り、室内の広さも当時のクラス最大級を誇るなど居住性が飛躍的に改善されたが、日本国内では全高がやや低く後部座席のヘッドクリアランスに若干難はあるものの、無難なデザインを採用したARXが販売の大半を担う結果となった。 なお、セダン・ARX合わせても初代P10型系(先代モデル末期の1990年登場)に販売台数で及ばなかった。 駆動方式はFFとビスカスカップリングLSD式4WDのATTESAが設定された。 ガソリン2. 装備はハイマウントストップランプが全車標準装備となったほか、上級グレードの「ARX-Z」には運転席SRSを採用(後に全車標準装備)。 ANC:アクティブノイズコントロール、先行してS13型に採用されていた(フロントウィンドウに速度・ブレーキ警告・ドア警告を表示させる)などがあった。 4ドアセダンは「」(初期はアルティマ)の名称で北米でも販売され、国内モデルよりも車幅が広く、細部が異なっていた。 中国の東風汽車有限公司でも中国国内にが投入されるまで生産された。 また、ARXは香港に2. 0Lモデルのみ輸出。 9月24日 - U13型系を発表。 8月24日 - マイナーチェンジで後期型に移行。 セダン、ハードトップ共にフロントグリルやバンパー等のデザインを変更。 ARXにスポーティグレードのスーパーツーリング系を追加設定。 SSS系はリアスポイラーの形状変更。 装備では車速検知式集中ドアロックや足踏み式パーキングブレーキ等を新たに採用。 また、輸出用の2. 4L KA24DE型エンジンを搭載したSSS-ZとARXスーパーツーリングZを新設定。 ブルーバードの史上初にして唯一の3ナンバー車。 1月 - 一部改良。 運転席SRSエアバッグとグリーンガラスを全車標準装備化。 また、ABSをオプション扱いで設定。 外装色追加、内装のシートとトリムクロスを変更。 ARX 1. 8LシリーズにSVを設定。 SSS-Zを廃止。 1995年12月 - 生産終了。 在庫対応分のみの販売となる。 1月 - U14型へのモデルチェンジにより販売終了。 6月 - 第7回にて、U13型系4ドアセダンをベースとする「ブルーバード フラッグシップモデル」を発表。 中国風神汽車がし、同年7月発売。 中国市場での名称は「藍鳥」。 2月 - 中国市場においては生産・販売が終了しているが、事実上の後継車となる「ブルーバードシルフィ」G11型の登場により終了。 8SSSの2WD車) ディスク(4WD車、2. 0SSS) 後継 主に日本国内ユーザーの要望で、箱型のオーソドックスなスタイルとなった。 ボディタイプはセダンのみで、長年ラインナップされていた4ドアハードトップは消滅した。 テレビCMには、初期はをメインに本職が役者ではない4人の男性 そのうち一人は日産の社員 、中期は常盤と、が起用された。 P11型系とプラットフォーム を共用したため、先代モデルに対し全長、およびホイールベースはそれぞれ20mm短縮され若干ダウンサイジングされた。 後に2. 0Lディーゼル車と1. 8Lガソリン車に「 エプリース」を追加。 教習車も先代に引き続き設定される。 トランスミッションは当初5速フロアMTとOD付き4速ロックアップATを設定。 後にを組み合わせたマニュアルモード付きのハイパー-M6、ハイパー、電子制御AT「E-ATx」を追加した。 装備面では、運転席と助手席のデュアルSRSエアバッグを(教習車を除く)全車に標準装備。 警察の捜査用覆面パトカーとして大量に導入された。 1月8日 - U14型系を発表。 1996年8月 - オプション設定だったを全車標準化。 9月1日 - 一部改良および小変更。 で採用されたエンジンの2. 0L版、190馬力のを搭載したホットモデル「2. 0 SSS-Z」が設定された。 トランスミッションはマニュアルモード付きのハイパー-M6のみ。 0LガソリンFF車のOD付き4速ロックアップATが、ハイパーCVTに変更される。 シリーズ全体で外観の小変更(フロントグリル形状など)を行い、内装の「インナーグリーン」化などを行った。 一部グレードを除き、リアブレーキをドラムに変更。 9月1日 - マイナーチェンジ。 内外装の小変更が行われた。 全車にマルチリフレクタータイプのヘッドランプが採用され、ブルーバードのエンブレムを、ボンネット前端部からフロントグリル中心部に変更。 8L 2WD車のエンジンを、からリーンバーンエンジンへと変更、新開発フルレンジ電子制御AT「E-ATx」と組み合わせた。 又、新開発のNEO Di、にハイパーを組み合わせたモデルも1. 直噴式とすることで、標準モデルよりもとに優れる。 8L 4WD車(1. 0Lの SSS系グレードにマニュアルモード付きのハイパー-M6が搭載された。 10月4日 - ブルーバード生誕40周年記念車「1. 8L 40th ANNIVERSARY」、「2. 0L 40th ANNIVERSARY」を発売。 それぞれ2. 0 SSS、1. 8月30日 - B15型と車台()を共用するが登場したが、約1年間はU14型ブルーバードと並売する形をとった。 8月末 - 生産終了。 以後、流通在庫分のみの販売となる。 9月末 - 流通在庫分の登録を全て完了し、販売終了。 無印ブルーバードとしては42年間の歴史に幕を閉じた。 は異なるものの、ブルーバードの商標は2012年11月まで販売された2代目モデル(G11型)までのブルーバードシルフィに継承された。 ルグラン(後期型) 車名の由来 [ ] の童話『』にちなむ。 古来より欧米では青い鳥は「幸せの青い鳥」として幸福の象徴とされてきた。 当時の社長によって命名された。 当初は「スノーバード()」と命名されるはずだったが、これがアメリカの俗語で「常習者」を意味していたため、改名せざるを得なかったと言う逸話がある。 もっともアメリカ市場では単に「ダッツン」の名で販売された。 また、2代目以降のスポーツグレードに与えられる「SSS」とは「Super Sports Sedan」の頭文字を取ったものである。 自動車運搬船 [ ] 日産自動車の対米輸出が増加しつつあった1960年代、日産が発注したにもBluebirdの名が冠せられた。 Bluebirdは1968年-1981年の間、主に北米航路を中心に日産が製造した普通自動車の輸送に当たった。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 310型系セダンはの形状から、「柿の種」の愛称があった。 当時のメインユーザーであった業界からの定員増加の要請による。 タクシー需要への考慮は、トランクスペースを極力広く取った設計にも現れていた。 には34HPに強化される。 このときの記録がダットサンチームマネージャーの笠原剛造により「栄光の5000km」(後に「栄光への5000km」に改題)として出版されベストセラーとなり、後に主演で映画化もされた(但し映画に登場するのは510型)。 セミトレーリングアーム後輪懸架は、世界的にも当時、、などの限られたモデルで先例があったのみで、この時代の独立懸架のなかでは特に限界時の挙動に優れたものであった。 同クラスの日本製乗用車ではが先行して四輪独立懸架を採用しており(後輪は限界時の挙動変化が急激なで、普遍的成功とはならなかった)、これを知った日産社長の川又克二が「うちではできないのか? 」と技術陣にプレッシャーをかけたことが一因であった。 もっともの出身で技術屋ではない川又の場合、その要求も高性能の追求というよりは、カタログスペックでの商品性向上の方を目論んでいた節がある。 このグループのみバックランプは中央部に設置(それ以外は内側(ナンバープレート脇))。 1973年1月にに引き継がれた。 の場合は使用実績あり。 鮫に似ていることから「 サメブル」と呼ばれた。 また、グレードから「 ブルG」とも。 当時ブルーバードを販売するからは2000ccクラスの車種設定の要請が出ていたが、日産手持ちの主流エンジンにはこのクラスで適当な乗用車用直列4気筒エンジンがなく、本来なら適切なクラスであった系も、当時は元来の日産派が合併以前の旧プリンス派を冷遇していた社内事情から選択できなかった。 やむなく、6気筒で重く嵩張るが一応2000cc級のL20を搭載したものである。 直列6気筒エンジン搭載車は1980年9月に登場したが引き継いだ。 この広告に対しライバル車の7代目コロナではを起用し「スーパーヒーローより愛をこめて」「舞台は主役を待っていた」のキャッチコピーで対抗した。 更に初期のTVCMでは、ブルーバードのCM中の沢田を連想させる白スーツの男が噴水に落下するシーンを入れており、BC戦争の激化が表面化していた。 カーマニア向け雑誌の企画で実際にFJ20Eに換装されたものもあったが、エンジン重量の違いで極端なフロントヘビーとなり、走行性能はかなり不安定になったという。 しかし、日産では、さらに格下のやと同じシャシのにFJ20Eエンジンを搭載している。 1997年頃まで、ニスモのパーツカタログにダートトライアル用FJ20搭載エンジンマウントが記載され販売されていた。 後にの乗用車仕様の名称に採用された。 810型、910型、U11型開発主管の石川康雄の談 [ ]。 までの走行距離が数十万kmに達するタクシーでは、クラッチ板交換の回数も自家用車に比して格段に多くなる。 ディーゼルエンジン車は従来通り4リンク式。 U11前期型(ブルーバード・マキシマも含む)生産終了まで。 1983年、日産創立50周年を機に米国のペンタグラム社が製作したロゴに一新された。 7月、当時の社長の方針で、それまで展開していた「」ブランドを廃止して、「」ブランドに順次変更する事が発表された。 ネット値。 グロス値で換算するとおよそ160馬力になる。 長塚は後に8代目後期型(セダン)のCMに(顔出しで)出演した。 B14型系がベースとなっている。 U11型(ブルーバードマキシマ)とグレード呼称は同じだが、ブルーバードは「Le Grand」でマキシマは「LEGRAN」とスペルが異なる。 2001年以降、日本市場では呼称が消滅したが、に市場で発表されたで復活している。 出典 [ ]• - 日産自動車プレスリリース 2012年12月5日• デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第9号9ページより。 デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第57号3ページより。 『新聞広告でたどる60〜70年代の日本車』、2007年、7頁。 デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第3号13ページより。 トヨタ自動車株式会社 2020年1月19日. 2020年1月19日閲覧。 リクルート株式会社 2020年1月19日. 2020年1月19日閲覧。 デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第43号11ページより。 リクルート株式会社 2020年1月19日. 2020年1月19日閲覧。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 (ブルーバード販売会社)• 競合車種• (日産自動車社歌、410型系のイメージソング)• (後継車)• (U11型系ブルーバードマキシマの後継車、後にの)• (510型系の後継車)• (欧州向けブルーバード)• (U12型系・豪州工場生産車)• (初代はU12型系、二代目はU14型系とコンポーネンツを共有する)• (U11型系ワゴン・バンの後継車)• (ブルーバードの精神を引き継ぐ中国市場専売車でブルーバードの型式Uを引き継いでいる) 外部リンク [ ]•

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サンライズブルバード スペシャルセール

サンライズ ブルー バード

概要 [ ] 前から続く、10-17型、戦後のDA型、DB型といったブランドにおけるの系譜を引き継いでいるが、メカニズム的に直系とされているのは、と提携以降の(210は直列4気筒OHV C型 988 cc搭載)である。 日本の代表的なミドルセダンとして、また用の車種としても親しまれた。 最大の競合車種は。 からにかけ、コロナとブルーバードが繰り広げた熾烈な販売競争は「BC戦争」といわれた。 愛好者間での通称は 「ブル」。 がその名を受け継いでいたが、2012年(平成24年)12月のフルモデルチェンジで名称が「シルフィ」となり、ブルーバードの名が消滅、名実共に 53年の歴史に幕を下ろした。 0L OHV 駆動方式 FR 3速MT 前: 後: 全長 3,915mm 全幅 1,496mm 全高 1,470mm 車両重量 900kg ブレーキ 4輪ドラム データモデル 1200デラックス 3速MT(後期型) 先代 型系 発売当時の名称は「 ダットサン・ブルーバード」。 ダットサン系の本格的な量産型乗用車としては最初の前輪独立懸架採用車となり、在来ダットサンの固定軸に比べて格段に乗り心地や操縦性を改善した。 ボディタイプは4ドアのみ。 グレード構成は、1. 0LはSTD、1. 2LはSTDとDX。 スタイリングは当時日産の社内デザイナーのによるもので、世界的トレンドにはやや遅れたデザインではあったが、全体に中庸を得たスタイルで機能性が高く、市場の反応は良好だった。 セミボディと低床式とを組合せて軽量化と強度確保を図る。 主要部品の多くはとの共用で、十分な信頼性を備えていた。 乗車定員は当初4名であったが、1959年10月に後部座席寸法を3人がけ可能に変更して5名となった。 いずれも技術提携先のイギリス・社製オースチンB系エンジンをベースとしたストローク変更のバリエーションである。 2LクラスのE1型エンジン設定の理由は、輸出主戦場と目されたで当時成功を収めていた同クラスの に対抗した性能確保が目的であった。 当時の日産の主力車種としてモータリゼーションの潮流に与し、4年間に渡るモデルライフを通して良好な販売実績を示した。 においては、セナラ自動車(現・)によりされ、「セナラ」の車名で販売されていた。 8月 - 発売。 7月 - 日本初となる追加。 1960年10月 - マイナーチェンジで出力増強が図られ、1. 0L C1型43馬力、E1型1. 同時にが日本初のフルとなり、にはこれを示すエンブレムが与えられた。 2月 - 日本初のである、「デラックス」が追加。 作動時に鳴るオルゴール、カーテン、組み込みのバニティーミラー、傘立て、ハイヒール立てなど36点もの専用装備があった。 1961年8月 - マイナーチェンジで、、の意匠が変更され、 312型となった。 この型よりトランクリッドの開閉がキー操作で開き、閉じるとロックされる構造になる。 4月 - 「サキソマット」の付車を設定。 1962年9月 - マイナーチェンジでもフロントグリル、テールランプの意匠、フロントが変更。 1962年12月 - フロントシートにセパレートシートを設定。 - 「」に参戦するが、2台とも完走とはならなかった。 初代の生産台数は約21万台。 日産初のフル・構造の車体を採用、当初のボディタイプは、4ドアのセダンとエステートワゴンのみ。 先代に引き続き輸出が図られたほか、新たにへ輸出されている。 スタイリングはによるものであったが、欧州調の尻下がりラインが不評で、販売台数で初めてコロナにリードを許す。 エンジンは当初先代からのキャリーオーバーである1. 0L 45馬力と1. 2L 55馬力であったが、電源は310系までの直流発電機()から、交流発電機()に変更し、発電性能を向上させている。 は310型系以来のフルシンクロの3速で、1. 2Lには「サキソマット」のの設定もあった。 グレード構成は、1. 0LはSTD、1. 2LはSTDとDX、ファンシーDX、エステートワゴン。 9月 - 発売。 3月 - ブルーバード初のスポーツモデルとなる「1200 SS(スポーツセダン)」を追加。 E型1. 2Lにツイン65馬力のエンジン搭載。 1964年9月 - マイナーチェンジでの意匠を変更。 1,000ccモデルが廃止され、2ドアセダンが追加。 1月 - リクライニングシート車設定。 1965年2月 - 「2ドア1200SS」追加。 1965年5月 - マイナーチェンジで411型となった。 また、1,200ccモデルは1,300ccJ型62馬力に変更となり、電装系をマイナスアースに変更。 「1300SS」はJ型72馬力に向上し、同時に「1600SSS」を追加。 SUツインキャブ付き1. 6L R型90馬力のエンジン、の4段ミッションを装備。 - 日産のクエルナバカ工場にて生産を開始。 1966年4月 - マイナーチェンジで、評判の良くなかった尻下がりのボディ形状を改める大幅な変更を行った。 この変更でテールランプが独特の形状であった通称「鍵テール」から平凡な形状に変更された。 1300バンの追加。 「1300SS」と「1600SSS」は専用フロントグリルを採用。 「1600SSS」に前輪ディスクブレーキを装備。 1966年6月 - 製の3速付車設定。 主な変更点は、デラックス系のシート生地がチェック柄となり、ビニールトリムはメタリック調。 ステアリングパッドに「BLUEBIRD」の文字が入る。 アクセルペダルの形状変更(スプーンタイプからオルガンタイプへ)。 「1300SS」に前輪ディスクブレーキを装備。 モータースポーツ• 1965年3月 - 「第4回ナショナルストックカーレース」(於: 川口オートレース場ダートコース)スポーツマンクラスにて「1200SS」が優勝。 ドライバーは。 1964年 - 4台で参戦したが、リタイア。 1965年 - 3台で参戦したが、リタイア。 1966年4月 - 「第14回東アフリカサファリラリー」に4台の「1300SS」 ダットサンP411-TK (1,299cc)で参戦。 1965年 - 1台参戦、リタイア。 1966年 - 1台参戦、総合59位。 - 3台参戦、総合58位、2台リタイア。 2代目の生産台数は約52万台。 1966年にはのエントリーモデルとして、1. 0Lクラスの、が発売されていたことから、ブルーバードは1. 3L以上の中級モデルとして上位移行し、ボディは大型化された。 社内デザイナーによる「スーパーソニックライン」と称する、直線的で彫りの深いシャープなデザインとなった。 従来装備されていたフロントドアガラスのは、換気装置の強化により省略された。 メカニズムは、オースチンの影響が強かった410系までに比べて一新されている。 新開発の 『絶版日本車カタログ』・、41頁参照 エンジン 後に6気筒バージョンがスカイラインやフェアレディZに搭載される を搭載しており、量販モデルである1. 3LのL13型と、上級モデルとして1. 6LのL16型を積んだ「SSS(スーパー・スポーツ・セダン)」のラインアップだった。 サスペンションは日産初の四輪(フロント:、リア: )を採用。 セミトレーリングアームの伸縮には直前に日産と合併されていたが「」後輪のに使用していた「ボール・」の技術を利用している。 日本国内では他社に先駆けた先進的設計と斬新なスタイリングをアピールし、オーソドックスな後輪車軸懸架構造ながらデラックスな装備を売りにするとの「BC戦争」を競り合った。 日本国外では、廉価でありながら欧州車並みに高度なスペックを備えた魅力的なセダンとして「プアマンズ・BMW」との評を得、ラリーフィールドでのタフネスな活躍ぶりとも相まって人気を高め、史上初めて市場でヒットしたとなった。 当時の米国では高校生が初めて乗るクルマとして人気を博し、その世代の米国人にとっては思い出深いクルマだという。 続いて開発された初代と共に、北米輸出市場における日産(ダットサン)の躍進を実現した存在といえる。 - 発売。 10月 - マイナーチェンジでピボット位置、、、SSSの砲弾型フェンダーミラー形状を変更。 直列4気筒SOHC L16型(1595cc)搭載モデル「ダイナミックシリーズ」を追加。 DXに4速マニュアル車追加。 1968年11月 - コロナに対抗した2ドアを追加。 本車種のクーペとしては最初で最後の3連リレー式ウインカー(「流れる」テール)が採用される。 9月 - 一部改良。 北米の安全基準に合わせ、衝撃吸収を採用、インパネ形状も変更。 ラジオアンテナはへ移動。 9月 - 一部改良。 フロントグリル、リアコンビネーションランプ を再度変更。 直列4気筒SOHC L18型 1770cc を搭載した1800SSS発売。 4Lへ拡大。 4ドアセダンGLを追加。 9月 - ブルーバードU(610型系)の発表に伴い車種整理。 1800cc車とクーペを廃止、セダン1. 6Lの廉価グレードがメインとなり、「幸せの1400」のCMキャッチフレーズで610型系との併売へ。 グリル周りは樹脂パーツを多用して610型系と類似したいかついデザインに変更された。 テールランプとウインカーが独立したタイプを選ぶことができるようになった。 最終期にはスモールランプも独立した。 この時期に至っても市場からの人気は高かった。 12月 - 510型系生産終了。 1月 - 710型系初代の発売・販売開始に伴い、名実共に510型系販売終了。 生産・販売台数は155万2263台。 モータースポーツ• ゼッケン89の同車はラリー終盤で右前輪ストラットのショックアブソーバーがボンネット上へ突き抜けるアクシデントがあったが、上位完走してタフネスさを証明した。 1970年 - 「第18回東アフリカサファリラリー」にて総合・チーム優勝の2冠達成。 「ラリーの日産」のイメージを確立する。 により映画『』が制作される。 なお、この映画の撮影は1969年の17回サファリの際に行われ、ゼッケン90番のロケ車が実際のラリーに出走、総合5位に入賞した。 これは、このロケ車での活躍を日産ワークスが評価して起用したものである。 4Lと1. 6Lの廉価モデルのみが12月まで継続生産され 、併売されていた。 なお、このモデルでは仕様(営業車)は設定されなかった。 グレードは、STD、DX、GL、SSS、SSS-L、SSS-E が設定され、ボディタイプは、4ドアセダン、2ドア、ワゴン、バンの4種類。 セダン、ハードトップはサイドウインドウ下の「Jライン」と称するガーニッシュが特徴であり、その色は標準のダークグレーのほか、外板色が白の場合Jラインは黒となり、紺メタリックではオレンジ色も選べた。 2000GTシリーズ 直列6気筒2. 0LのL20型を搭載、を150mm延長し、フロントを55mm延長したロングノーズの2000GTシリーズ のGT、GT-E、GT-X、GT-XE が追加設定される。 はを思わせる処理がなされ、スカットル部のエアアウトレット風の処理がのを連想させるデザインであったためサメブルと呼称された。 マイナーチェンジ車は、・排出ガス規制で売れ行きが伸びなかった。 『 誕生の背景には、ほぼ同クラスのスカイラインが2000GTの人気に引っ張られて4気筒モデルも販売好調だったことを横目に見た、ブルーバード販売会社からの要望があった。 ただしスカイラインとは違って、ブルーバードUでは顔つきも大胆に変えていた。 当時のポンティアックGTOにも似た2分割グリルのフロントまわりや、エラのように見えるフェンダーの意匠がどう猛な鮫(サメ)を思わせることから、いつしか「鮫ブル」のニックネームで呼ばれるようになった。 8月 - 発売。 8月 - 一部改良で、を1. 6Lにも設定。 8月 - マイナーチェンジでフロントグリル周辺、の意匠を変更し2000GTシリーズを追加。 9月 - 2. 0L EGI車が、10月に1. 6L、1. 8L、2. 0Lの仕様車が50年に適合。 2月 - 2. 0L EGI車が、3月に1. 6L、1. 8L EGI車が51年排出ガス規制に適合。 モータースポーツ サファリラリー• 1972年 - 1台が参戦し、総合12位。 1973年 - 2台が参戦し、総合2位・4位、チーム優勝。 0L 直6 1. CMや広告出演はで、キャッチフレーズは「ヘビーデューティ」であったが、引き続きのサイズ肥大化の一方で排気ガス対策とこれに伴う性能低下対処が最優先されたモデルであった。 ボディタイプはセダン、2ドアハードトップ、バンで、輸出用にワゴンが存在。 ロングノーズの6気筒2. 0LモデルはG6シリーズとして続投。 また、610型系では設定されなかったタクシー仕様車(L18P型搭載)が復活。 これにはがごく少数生産された。 エンジンはに適合したの、のL20型をラインナップ。 7月9日 - 発売。 10月 - マイナーチェンジ。 セダン・ハードトップのバンパーをオーバーライダー付きの大型バンパーに変更。 トランクリッドのエンブレムをNISSAN BLUEBIRDからNISSAN NAPSに変更。 バンにAT車を追加し、併せてブルーバード国内登録200万台記念特別仕様車 セダン1800SSS-E、5速MT車ベース を650台限定で発売。 1月 - 1800DX・1800GL(キャブレター仕様)・1800SSS(4速MT・AT車)が昭和53年排出ガス規制適合。 1978年8月 - マイナーチェンジで811型となり、営業車を除く全車適合となる。 このマイナーチェンジを機にダットサン・ブルーバードからニッサン・ブルーバードへの名称変更が行われた。 (日産の公式発表より。 但し、正式名称はダットサン・ブルーバードのままであった)。 3月 - ブルーバード20周年記念車の「スピリット20」を発売。 1800SSS-Eの5速MT車ベースで、セダンとハードトップ各650台限定で発売。 ブルーバード史上初の設定車となる。 また、タクシーには日本国内初3速オートマチック車が設定され、角型4灯ヘッドランプのGLを追加。 同時にエンジンも昭和53年排出ガス規制適合のZ18P型となる。 なお、限定車「スピリット20」シリーズの発売を機に乗用モデルはトランクリッドのNAPS-Z及びNAPSエンブレムは廃止された(但し、タクシー車両はトランクリッドのエンブレムをNISSAN NAPSからNISSAN NAPS-Zに変更)。 1970年代、開発・販売面での迷走を続けたブルーバードであったが、このモデルは派生型のロング型やモデルを廃止するという思い切った見直しが図られ 、バランスの取れた4気筒中型セダンとして設計された。 510型を髣髴とさせる直線基調の機能的且つ、クリーンでボクシーなスタイルなども手伝って、小型車(1. 6L - 2. 0Lクラス)で27か月連続新車登録台数第1位を記録するなど、910型は510型以来の大ヒットとなった。 発売の4ヶ月後には、ターボエンジン搭載モデルを追加。 広告のイメージキャラクターにはを起用し 「ザ・スーパースター」「ブルーバード、お前の時代だ」のキャッチコピーが使われた 、このCMで910型大ヒットの立役者となった沢田は引き続き次作U11前期型(ブルーバード・マキシマも含む)生産終了までイメージキャラクターを務める事となる(後述)、本人が歌うCMソングやナレーションも話題となった。 また、サービス周報では、正式名称である「ダットサン・ブルーバード」表記であるものも、広告上とカタログ、CMの読み上げでは、「ザ・スーパースター NISSANブルーバード」の表記になっており、ダットサンの名称は意識的に伏せられた。 輸出仕様も国内仕様に準じたかたちで4気筒エンジンが用意されたものの、6気筒エンジンが必須の向けのみは、を100mm延長し、2. 国内向けは全車直列4気筒のに統一され、また、この910型から()が登場し、後にディーゼル(LD20T型)エンジンも追加される。 には、のZ18P型が搭載された。 SSSシリーズには開発当初、用ののエンジンの搭載も企画されたが、当時日産はターボブームまっただなかということもあり、販売サイドの意向で見送られたという逸話もある。 足回りは、フロントが日本製車初のゼロと、ハイにセッティングされた、コイル、リアは、SSS系にはコイル、エレガント系、、後期型は、、前期型ワゴン、1987年10月以降のLPGエンジンのタクシーは(ディーゼルエンジンのタクシーは1987年10月以降も4リンク式)となった。 また、ではまで生産を行っていた。 バンの最廉価グレード、および営業車を除く全車にフロントベンチレーテッドを標準装備。 仕様を除くSSS系、後期型 2. 0L のエレガント系には製衝撃吸収大型が装備された。 これらの機構的特長を前面に押し出した「走る。 曲がる。 止まる」のキャッチコピーは、「技術の日産」ファンのユーザーの購買心理に好意的に迎えられた。 SSS-XGシリーズにはも標準装備する。 当モデルの2ドアハードトップをオープンカーに改造したものが、発売当時開場したばかりのでとして使用されていた。 11月 - 発売。 サンルーフ、オートエアコン装着車を設定。 これを機に2000SSS-ESは廃止。 2月 - 特別仕様車セダン1600スポーティーGL発売。 5月 - セダンターボSSSベースの特別仕様車発売。 8月 - 特別仕様車1600スポーティーGL-II・V20ターボスペシャル発売。 9月 - 特別仕様車スポーツスター1600スペシャル発売。 10月 - 特別仕様車1600スポーティーGL発売。 1月 - マイナーチェンジ。 内外装変更。 同クラス初のピラーレスの4ドアモデルを追加。 5月 - 特別仕様車1600スポーティーGL発売。 6月 - 特別仕様車発売。 10月 - 一部改良。 8Lガソリンエンジンをに変更。 ターボ車は4速AT化。 2月 - 特別仕様車50シリーズ発売。 3月 - スーパーエクストラシリーズ発売。 5月 - 特別仕様車50スペシャルII発売。 7月 - ドアミラー採用。 10月 - (、)を除き販売終了。 モータースポーツ• 1981年10月 - で開催された耐久レース「1000」に参戦。 結果はによりリタイア。 1982年5月 - 当時のグループ5規定に合わせたレーシングカー「ブルーバード・ターボ」が登場。 2ドアハードトップ(KY910型)をベースに車体の一部をとする製のシャシに、大型の、およびを備える製のを装着。 ドライバーは、。 この車両は当初の兄弟車のカウルを装着していた。 この個体は近年を受け、現在は内にあるに保管されている。 が全日本ダートトライアルにを搭載した車両で参戦していた。 主な戦歴• 1982年5月 - 「第2戦 富士グラン250キロレース」3位入賞• 1982年5月 - 「RRC筑波チャンピオンレース」SSクラス 2位入賞• 1982年10月 - 「バサースト1000」クラス優勝(総合8位)• 1982年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 2位入賞• 1983年12月 - 「RRC筑波チャンピオンレース最終戦」SSクラス 優勝• 1983年 - 「富士スーパーシルエットチャンピオンシリーズ」 チャンピオン獲得 営業車モデル STD(1987年マイナーチェンジ後) 営業車モデル(タクシー用)は、FF()のU11型にフルモデルチェンジされた後も、FR()の910型が継続生産されていた。 その理由に、• FFでは、FRより最小回転半径が大きく、(業界で重視される)小回り性能で不利である。 技術的にはFFで問題なかったが、車の板交換の際に「エンジンを下ろさなければできない」と・タクシー業界で難色を示された。 熟成されつくしたFRは、車両やの耐久性の面で当時は発展途上にあったFFよりも信頼性が高かった。 FFはFRに比べへの反力や操舵力自体がやや大きいこと、登り勾配やフル積載では発進時のクラッチ操作がシビアとなることなどから、乗務員の負担が若干大きい。 以上の理由で、FF(前輪駆動)のU11型の営業車モデル(タクシー用)の設定を断念せざるを得なかった事情があった。 1月 - 一部改良。 デラックス仕様を廃止、LPG車に5速フロアMT追加。 1983年の日産創立50周年を機に一新された「NISSAN」ロゴと、U11型系と同じ「BLUEBIRD」ロゴに変更、エンブレムの位置も左側から右側に移動されている。 3月 - 一部改良。 LPGエンジン車はリアサスペンションの耐久性向上とLPGボンベ容量が71Lから99Lに増大のために(E-PC910型)へ変更• 1月 - 一部改良。 3速コラムMTを廃止し、4速コラムMT新設。 8月 - 一部改良。 駐車灯廃止およびリヤ中央席にシートベルト追加。 12月 - 一部改良。 左右非対称のアンシンメトリーミラーと積雪地対策のショートエプロンをオプション設定。 10月 - マイナーチェンジ。 生産工場がから平塚工場へ移管され、の形状変更 、メーターパネルを取り付け対応に、SSS系と同一デザインの(通称・グリル)と後期型SSS系と同一のに変更。 ディーゼルエンジンはLD20・II型に換装。 3月 - 一部改良。 AT車にシフトロック追加。 7月 - 一部改良。 LPG車にLPガス緊急遮断装置採用。 4月 - 一部改良。 コラムMT車にパワーステアリング及び全車にサンクスパワーウィンドウ(運転席及びリヤ左側がパワーウィンドウ)をそれぞれオプション設定。 10月 - ディーゼル車生産終了。 7月 - の販売開始に伴い、営業車モデル(タクシー用)の販売を終了。 8L 直4 CA16型 直4 1. 先代の910型の流れを汲んだデザイン で、ボディタイプは、910型に設定されていた2ドアハードトップは廃止され、4ドア、4ドア、、の4種類が設定され、前モデルの910型系と比較してトレッド幅を拡大し、コーナリングにおけるなどのFFの弱点を消すことに重点がおかれる。 は、すべてに統一され、は、ノンターボの 65馬力の1種類のみの設定。 広告には、が先代の910型に引続き起用 されCMソングとナレーションも担当した。 キャッチコピーは前期型は 「ブルーバード、お前はスーパージェネレーション」「走りが、だん然、素晴らしい」「ブルーバードにならないか」、後期型は 「人の中へ。 」であった。 1983年の日産創立50周年を機に一新された米国のペンタグラム社が製作したロゴフォント を採用。 先代の910型系までの正式車名であった「ダットサン・ブルーバード」から、U11型へのモデルチェンジを機に、正式車名が「日産・ブルーバード」へと改められ、車検証の車名欄も、先代の910型までの「ダットサン」からU11型から「ニッサン」へと改められている。 ADワゴン()はターボSSSとLXの2グレードがあり、ターボSSSは当時珍しいガソリンターボのワゴン車であった。 一方オーストラリアでは、日本より遅れること2年後に生産が開始されたモデルである。 前輪駆動生産のライン関係などに大幅な遅れをとった関係から910型が長らく生産された要因とされた。 10月 - 発売。 (SSSはスーパー・スポーツ・セダンからスーパー・スポーツ・サルーンに)• 12月 - 日産創立50周年記念車を発売。 1月 - クルージング シリーズ追加。 3月 - 一部改良及びLD20型エンジン搭載のLXエクストラを追加。 4月 - ブルーバード25周年記念特別仕様車発売。 5月 - スポーツパック仕様車を追加。 9月 - 「2000ディーゼルSLX-G」を追加。 10月 - 810型系以来の上級車種としてエンジン搭載の「 」が登場。 8L車は全車5速MT化。 2000SLX-Gに大型バンパーを標準装備。 11月 - 国内生産累計600万台達成。 この年、国内販売は、、に次いで4位(1983年は5位)。 1月 - エクストラシリーズ追加。 3月 - 一部改良。 CA18ET型エンジンのの冷却方式を式に変更。 8月 - マイナーチェンジ。 エクステリアの大幅な意匠変更が行われ、バンを除く全車にコーナリングランプを標準装備。 バンパー、トランクリッドの形状変更、内装の一部変更のほか、 SSSシリーズに直列4気筒 1809ccターボを採用し、145馬力 を発生する型エンジン搭載モデルが登場。 バンのガソリン車を除く車は全車5速化され、CA18E型とCA18S型のが4速化される。 フロント合わせガラスと電動格納式を新たに設定。 - 1800にを追加(当初は5速MTのみ、後に4速ATも追加)。 1986年• 1月 - ブルーバードマキシマをマイナーチェンジ。 搭載モデルを追加。 セダンLXセレクト追加。 6月 - 型エンジン搭載モデルにAT車追加。 5月 - ブルーバードマキシマが「 マキシマ」として独立車種となる。 トランクのエンブレムはNISSAN MAXIMAに変更(ただし正式名はブルーバードマキシマのままであり、型式はPU11)。 同時に一部改良。 9月 - 4気筒モデル販売終了。 但し、バンとワゴンについては一部改良を施した上で継続販売。 10月 - マキシマ販売終了。 にモデルチェンジ。 5月 - バン「L エクストラ」追加。 以後、流通在庫分のみの販売となる。 8L 直4 CA16S型 直4 1. ボディタイプは、4ドアセダンと4ドアハードトップ。 価格帯は1600LE 5MT車119. 8万円~1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITED 4AT車299. エンジンは先代U11型と同じ系を改良し、DOHC・135馬力の、SOHC・88馬力の、SOHC・79馬力の1. 6Lの、ディーゼル・67馬力のLD20-IIが用意された。 また、1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDに搭載されたのは、の装着や仕様化が行われたことで最高出力が175psにまで高められた。 「アーバンATTESA」シリーズは「SSS ATTESA」に標準のリヤビスカスLSDがオプションであった。 前期ではCA18i 88ps 、後期ではSR18Di 115ps に設定。 北米市場ではセダンが1990年-1992年と短命ながらもとして販売されていた。 なお、1993年より同市場で発売されているは後継車種である。 このため海外輸出では、セダンの他ハードトップも加わり香港・シンガポールなどといった東南アジア地域に絞られた。 なお、後期型におけるCMのナレーションは が担当し、バック音楽には「」を採用、キャッチフレーズは 「グッド・カー」だった(前期型のキャッチフレーズは 「ブルーバードが、好きだ」「走る、曲がる、止まる、そのどんな瞬間にも最高の車であってほしい」)。 スーパー・トー・コントロール・サスペンション(STC-Sus)と呼ばれるリヤサスペンションをATTESA車に初採用。 サスペンションの型式としては2WD車と同じパラレルリンク式ストラットであるが、ブッシュのたわみを利用して2本の不等長のパラレルリンクとラジアスロッドとが後輪の受ける横力に応じてトーをコントロールすることでコーナーリング性能向上を目指す機構であった。 を積極的・能動的な四輪操舵とするならば、いわば受動的な四輪操舵機構であり、開発テーマの一つ「アコースティックな走り」実現に寄与していた。 U13型では2WD車にも拡大採用されたものの、同時期のプリメーラでは採用しておらず、その後採用した車種はない。 SSS-R 競技参加を主眼として、ラリーバージョンの「 SSS-R」を設定。 が開発し、で製造、で販売された。 「ATTESA」を搭載したフルタイム4WD セダン1800ツインカムターボSSS ATTESA LIMITEDを基本としており、が設けられた専用エンジンフードが外観上の特徴。 国内JAF競技用ベース車という性格からロールバーが標準装備であり、トランスミッションもクロスギヤレシオ化されている他、様々なラリー用オプションがNISMOから用意された。 エンジンは、ベースとなったCA18DETにチューニングを施したを搭載。 64から0. 89の高速高出力型としたギャレット製T25型タービンを採用、圧縮比を標準8. 5から8. また、のオーバーラップ増やエキゾーストマニホールド、社製の専用アルミの採用など、特筆すべき点が多い。 ボディタイプは4ドアセダンのみ。 定員2名(後に定員4名仕様追加)。 価格は東京地区標準275万円。 競技車両としての使用を前提としていたため、保証が標準車と一部異なる他、装備内容も最廉価グレード1600LEとほぼ同等まで省略されている。 外観では、コーナーリングランプがないため1600LEと共通(ブラックアウト処理)となっている一方で、1600LEでさえも標準のフェンダーマーカーの点灯機能が省略されていた他、定員4名仕様車の後席座面等、標準車と異なった部品が用いられていた。 受注生産車として月産10台程度販売された。 9月 - 発売。 - 全日本ラリー選手権Cクラスに参戦し、ドライバーズチャンピオンを獲得。 ドライバーは綾部美津夫。 10月 - マイナーチェンジ。 リアコンビネーションランプ等内外装変更。 6L車は従来どおりCA16S型エンジン)。 5月 - 4ドアセダンをベースにした独特のスタイルを持つ工場製の5ドアハッチバックセダンモデルの「ブルーバード・オーズィー(HAU12型)」を同年8月まで限定発売(なおU12型はオーストラリアではR31型が初代となるの2代目でもあった)。 エンジンは国内仕様のU12型には存在しないSOHC・110馬力のが搭載。 販売台数は1,300台弱と希少である。 海外工場生産車()であるとはいえ、日本で販売するための最適化が為されておらず、中でもがオーストラリア現地仕様のままであったために国内仕様の部品では修理不可という致命的な欠点がある。 8月 - 生産終了。 在庫対応分のみの販売となる。 9月 - 9代目と入れ替わる形で販売終了。 販売期間 1991年9月 - 1996年1月 設計統括 5人 4ドアセダン 4ドアハードトップ 型 2. 8L 直4 型 1. ハードトップは側面衝突における安全性を考慮してセンターピラーが付けられ、エレガントなデザインの「 ARX」( アークス)となる。 セダンはスポーティな「 SSS」( スリーエス)、ビジネス向けエコノミーグレードの「 EEX」( イーエックス)と後に追加された「 ビジネス」が設定された。 セダンのデザインは、日本の日産案と(NDI)案が比較され、独特なフォルム(のような「尻下がり」型)を持つ北米案が採用された。 セダンは全高を高めに取り、室内の広さも当時のクラス最大級を誇るなど居住性が飛躍的に改善されたが、日本国内では全高がやや低く後部座席のヘッドクリアランスに若干難はあるものの、無難なデザインを採用したARXが販売の大半を担う結果となった。 なお、セダン・ARX合わせても初代P10型系(先代モデル末期の1990年登場)に販売台数で及ばなかった。 駆動方式はFFとビスカスカップリングLSD式4WDのATTESAが設定された。 ガソリン2. 装備はハイマウントストップランプが全車標準装備となったほか、上級グレードの「ARX-Z」には運転席SRSを採用(後に全車標準装備)。 ANC:アクティブノイズコントロール、先行してS13型に採用されていた(フロントウィンドウに速度・ブレーキ警告・ドア警告を表示させる)などがあった。 4ドアセダンは「」(初期はアルティマ)の名称で北米でも販売され、国内モデルよりも車幅が広く、細部が異なっていた。 中国の東風汽車有限公司でも中国国内にが投入されるまで生産された。 また、ARXは香港に2. 0Lモデルのみ輸出。 9月24日 - U13型系を発表。 8月24日 - マイナーチェンジで後期型に移行。 セダン、ハードトップ共にフロントグリルやバンパー等のデザインを変更。 ARXにスポーティグレードのスーパーツーリング系を追加設定。 SSS系はリアスポイラーの形状変更。 装備では車速検知式集中ドアロックや足踏み式パーキングブレーキ等を新たに採用。 また、輸出用の2. 4L KA24DE型エンジンを搭載したSSS-ZとARXスーパーツーリングZを新設定。 ブルーバードの史上初にして唯一の3ナンバー車。 1月 - 一部改良。 運転席SRSエアバッグとグリーンガラスを全車標準装備化。 また、ABSをオプション扱いで設定。 外装色追加、内装のシートとトリムクロスを変更。 ARX 1. 8LシリーズにSVを設定。 SSS-Zを廃止。 1995年12月 - 生産終了。 在庫対応分のみの販売となる。 1月 - U14型へのモデルチェンジにより販売終了。 6月 - 第7回にて、U13型系4ドアセダンをベースとする「ブルーバード フラッグシップモデル」を発表。 中国風神汽車がし、同年7月発売。 中国市場での名称は「藍鳥」。 2月 - 中国市場においては生産・販売が終了しているが、事実上の後継車となる「ブルーバードシルフィ」G11型の登場により終了。 8SSSの2WD車) ディスク(4WD車、2. 0SSS) 後継 主に日本国内ユーザーの要望で、箱型のオーソドックスなスタイルとなった。 ボディタイプはセダンのみで、長年ラインナップされていた4ドアハードトップは消滅した。 テレビCMには、初期はをメインに本職が役者ではない4人の男性 そのうち一人は日産の社員 、中期は常盤と、が起用された。 P11型系とプラットフォーム を共用したため、先代モデルに対し全長、およびホイールベースはそれぞれ20mm短縮され若干ダウンサイジングされた。 後に2. 0Lディーゼル車と1. 8Lガソリン車に「 エプリース」を追加。 教習車も先代に引き続き設定される。 トランスミッションは当初5速フロアMTとOD付き4速ロックアップATを設定。 後にを組み合わせたマニュアルモード付きのハイパー-M6、ハイパー、電子制御AT「E-ATx」を追加した。 装備面では、運転席と助手席のデュアルSRSエアバッグを(教習車を除く)全車に標準装備。 警察の捜査用覆面パトカーとして大量に導入された。 1月8日 - U14型系を発表。 1996年8月 - オプション設定だったを全車標準化。 9月1日 - 一部改良および小変更。 で採用されたエンジンの2. 0L版、190馬力のを搭載したホットモデル「2. 0 SSS-Z」が設定された。 トランスミッションはマニュアルモード付きのハイパー-M6のみ。 0LガソリンFF車のOD付き4速ロックアップATが、ハイパーCVTに変更される。 シリーズ全体で外観の小変更(フロントグリル形状など)を行い、内装の「インナーグリーン」化などを行った。 一部グレードを除き、リアブレーキをドラムに変更。 9月1日 - マイナーチェンジ。 内外装の小変更が行われた。 全車にマルチリフレクタータイプのヘッドランプが採用され、ブルーバードのエンブレムを、ボンネット前端部からフロントグリル中心部に変更。 8L 2WD車のエンジンを、からリーンバーンエンジンへと変更、新開発フルレンジ電子制御AT「E-ATx」と組み合わせた。 又、新開発のNEO Di、にハイパーを組み合わせたモデルも1. 直噴式とすることで、標準モデルよりもとに優れる。 8L 4WD車(1. 0Lの SSS系グレードにマニュアルモード付きのハイパー-M6が搭載された。 10月4日 - ブルーバード生誕40周年記念車「1. 8L 40th ANNIVERSARY」、「2. 0L 40th ANNIVERSARY」を発売。 それぞれ2. 0 SSS、1. 8月30日 - B15型と車台()を共用するが登場したが、約1年間はU14型ブルーバードと並売する形をとった。 8月末 - 生産終了。 以後、流通在庫分のみの販売となる。 9月末 - 流通在庫分の登録を全て完了し、販売終了。 無印ブルーバードとしては42年間の歴史に幕を閉じた。 は異なるものの、ブルーバードの商標は2012年11月まで販売された2代目モデル(G11型)までのブルーバードシルフィに継承された。 ルグラン(後期型) 車名の由来 [ ] の童話『』にちなむ。 古来より欧米では青い鳥は「幸せの青い鳥」として幸福の象徴とされてきた。 当時の社長によって命名された。 当初は「スノーバード()」と命名されるはずだったが、これがアメリカの俗語で「常習者」を意味していたため、改名せざるを得なかったと言う逸話がある。 もっともアメリカ市場では単に「ダッツン」の名で販売された。 また、2代目以降のスポーツグレードに与えられる「SSS」とは「Super Sports Sedan」の頭文字を取ったものである。 自動車運搬船 [ ] 日産自動車の対米輸出が増加しつつあった1960年代、日産が発注したにもBluebirdの名が冠せられた。 Bluebirdは1968年-1981年の間、主に北米航路を中心に日産が製造した普通自動車の輸送に当たった。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 310型系セダンはの形状から、「柿の種」の愛称があった。 当時のメインユーザーであった業界からの定員増加の要請による。 タクシー需要への考慮は、トランクスペースを極力広く取った設計にも現れていた。 には34HPに強化される。 このときの記録がダットサンチームマネージャーの笠原剛造により「栄光の5000km」(後に「栄光への5000km」に改題)として出版されベストセラーとなり、後に主演で映画化もされた(但し映画に登場するのは510型)。 セミトレーリングアーム後輪懸架は、世界的にも当時、、などの限られたモデルで先例があったのみで、この時代の独立懸架のなかでは特に限界時の挙動に優れたものであった。 同クラスの日本製乗用車ではが先行して四輪独立懸架を採用しており(後輪は限界時の挙動変化が急激なで、普遍的成功とはならなかった)、これを知った日産社長の川又克二が「うちではできないのか? 」と技術陣にプレッシャーをかけたことが一因であった。 もっともの出身で技術屋ではない川又の場合、その要求も高性能の追求というよりは、カタログスペックでの商品性向上の方を目論んでいた節がある。 このグループのみバックランプは中央部に設置(それ以外は内側(ナンバープレート脇))。 1973年1月にに引き継がれた。 の場合は使用実績あり。 鮫に似ていることから「 サメブル」と呼ばれた。 また、グレードから「 ブルG」とも。 当時ブルーバードを販売するからは2000ccクラスの車種設定の要請が出ていたが、日産手持ちの主流エンジンにはこのクラスで適当な乗用車用直列4気筒エンジンがなく、本来なら適切なクラスであった系も、当時は元来の日産派が合併以前の旧プリンス派を冷遇していた社内事情から選択できなかった。 やむなく、6気筒で重く嵩張るが一応2000cc級のL20を搭載したものである。 直列6気筒エンジン搭載車は1980年9月に登場したが引き継いだ。 この広告に対しライバル車の7代目コロナではを起用し「スーパーヒーローより愛をこめて」「舞台は主役を待っていた」のキャッチコピーで対抗した。 更に初期のTVCMでは、ブルーバードのCM中の沢田を連想させる白スーツの男が噴水に落下するシーンを入れており、BC戦争の激化が表面化していた。 カーマニア向け雑誌の企画で実際にFJ20Eに換装されたものもあったが、エンジン重量の違いで極端なフロントヘビーとなり、走行性能はかなり不安定になったという。 しかし、日産では、さらに格下のやと同じシャシのにFJ20Eエンジンを搭載している。 1997年頃まで、ニスモのパーツカタログにダートトライアル用FJ20搭載エンジンマウントが記載され販売されていた。 後にの乗用車仕様の名称に採用された。 810型、910型、U11型開発主管の石川康雄の談 [ ]。 までの走行距離が数十万kmに達するタクシーでは、クラッチ板交換の回数も自家用車に比して格段に多くなる。 ディーゼルエンジン車は従来通り4リンク式。 U11前期型(ブルーバード・マキシマも含む)生産終了まで。 1983年、日産創立50周年を機に米国のペンタグラム社が製作したロゴに一新された。 7月、当時の社長の方針で、それまで展開していた「」ブランドを廃止して、「」ブランドに順次変更する事が発表された。 ネット値。 グロス値で換算するとおよそ160馬力になる。 長塚は後に8代目後期型(セダン)のCMに(顔出しで)出演した。 B14型系がベースとなっている。 U11型(ブルーバードマキシマ)とグレード呼称は同じだが、ブルーバードは「Le Grand」でマキシマは「LEGRAN」とスペルが異なる。 2001年以降、日本市場では呼称が消滅したが、に市場で発表されたで復活している。 出典 [ ]• - 日産自動車プレスリリース 2012年12月5日• デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第9号9ページより。 デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第57号3ページより。 『新聞広告でたどる60〜70年代の日本車』、2007年、7頁。 デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第3号13ページより。 トヨタ自動車株式会社 2020年1月19日. 2020年1月19日閲覧。 リクルート株式会社 2020年1月19日. 2020年1月19日閲覧。 デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第43号11ページより。 リクルート株式会社 2020年1月19日. 2020年1月19日閲覧。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 (ブルーバード販売会社)• 競合車種• (日産自動車社歌、410型系のイメージソング)• (後継車)• (U11型系ブルーバードマキシマの後継車、後にの)• (510型系の後継車)• (欧州向けブルーバード)• (U12型系・豪州工場生産車)• (初代はU12型系、二代目はU14型系とコンポーネンツを共有する)• (U11型系ワゴン・バンの後継車)• (ブルーバードの精神を引き継ぐ中国市場専売車でブルーバードの型式Uを引き継いでいる) 外部リンク [ ]•

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