石川 ミリオン スターズ。 石川ミリオンスターズ | スケジュール(2020年6月)

9月

石川 ミリオン スターズ

「 ミリオンスターズ」はこの項目へされています。 で配信されているシリーズのソーシャルゲームについては「」をご覧ください。 石川ミリオンスターズ 会社名 株式会社石川ミリオンスターズ 創設 所属リーグ (西地区) 歴代チーム名• 石川ミリオンスターズ(2007年 - ) 本拠地 なし(主たるホーム試合開催野球場は) フランチャイズの遍歴 (2007年 - ) 永久欠番 10 獲得タイトル 独立リーググランドチャンピオン(2回) 2011、2013 リーグ優勝(4回) 2007、2010、2011、2013 タイトル 地区年間優勝(6回) 地区優勝(9回) 優勝年度 地区年間優勝:2009、2010、2011、2013、2014、2016 地区優勝:2009前後、2010前、2011前、2012前、2013前、2014後、2016前後 成績(タイトル以外) 球団組織 監督 目次• 概要 [ ] チーム名は石川県を象徴する「」(百万=ミリオン・million)にちなんでいる。 チームカラーは紺色(の色)。 リーグが6球団制だった2008年から2014年までは北陸地区、8球団制となった2015年からは西地区に属する。 ユニフォームの胸部は当初より自球団名であった(発足当時はロゴなどが入った球団が多かった)。 本拠地は定めていないが、発足から2014年までは内のが最多開催球場であった。 しかし、2015年に同じ金沢市のと開催試合数が逆転し、以降は金沢市民が主たる開催球場(2015年は36試合中21試合、2016年は37試合中24試合、2017年は36試合中25試合)となり(石川県立野球場はそれぞれ9試合、7試合、5試合)、2018年は発足以来初めて石川県立野球場での開催がなかった。 2019年も開催がなく、開幕時の「公式戦開催球場」の一覧にも掲載されなかった。 2019年も金沢市民球場が最多(30試合)である。 2020年の当初日程では、3年ぶりに石川県立野球場で1試合の開催が予定されていた が、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う日程変更後については未発表である。 を含むポストシーズンゲームは2012年まではすべて石川県立野球場だったが、2013年は地区チャンピオンシップが石川県立野球場、リーグチャンピオンシップがの(通称・弁慶スタジアム)、が金沢市民球場に分散され、2014年以降はすべてのポストシーズンゲームを金沢市民野球場で実施している。 弁慶スタジアムでの公式戦は2008年から開催されている。 過去にポストシーズンゲームに出場した8シーズンはすべて2試合以上を開催し、うち2013年を除く7シーズンは一つの年度の試合をすべて同じ球場で実施している。 リーグ全体では2019年まで、単一年度に2試合以上のポストシーズンゲームをホームで実施したのは28例(7球団)あるが、そのうちすべて同じ球場で実施したのは12例で、その大半を石川が占める(他には福井が2、群馬が2、栃木が1)。 2017年までは、地区チャンピオンシップからグランドチャンピオンシップまでをすべて同一の球場で実施したことがあるのは石川のみだった(2018年に群馬、2019年に栃木も実施)。 それ以外ではの中央公園野球場・の・の珠洲市営野球場でも主催試合が開催されている。 歴史 [ ] 2007年まで [ ]• - チームの名称が「石川ミリオンスターズ」に決定する。 - に参加。 2007年 - 全選手との契約を完了する。 2007年 - 戦に勝利し、リーグの初代優勝チームとなる。 2007年 - 2007年度シーズンの全日程を終了。 43勝22敗7引分、勝率. 662で1位。 2007年 - 四国アイランドリーグ・との間でを開催。 まで行われ、1勝3敗で敗退。 詳細はを参照。 2007年 - でがにとして指名され、リーグ初のNPB指名選手となる。 2008年 [ ]• - 2008年前期終了。 15勝14敗7分で勝率. 517、北陸地区2位。 2008年 - 2008年後期終了 16勝16敗4分で勝率. 500 北陸地区2位。 年間勝率2位となり、地区チャンピオンシップに進む。 2008年 - 北陸地区前後期優勝の富山との間で行われた地区チャンピオンシップに1勝1敗で敗退(1敗した時点で敗退)。 2009年 [ ]• - 前期最終となる戦に勝利し、北陸地区前期優勝。 地区・2シーズン制導入後初の半期優勝。 2009年 - 福井との後期11回戦に勝利し、後期優勝を達成、前後期を連覇。 2009年 - 地区勝率2位の富山との間で行われた地区チャンピオンシップに1勝2敗で勝ち、初の北陸地区優勝達成。 2009年 - 監督の今シーズン限りでの退任を発表。 2009年 - との間で行われたリーグチャンピオンシップに1勝3敗で敗退。 2010年 [ ]• - との前期11回戦が引き分けとなり、北陸地区前期優勝。 2010年 - 後期優勝の福井との間でおこなわれた地区チャンピオンシップに2勝1敗で勝ち、リーグチャンピオンシップ進出を決める。 2010年 - 上信越地区優勝の群馬との間でおこなわれたリーグチャンピオンシップに3勝1敗で勝ち、3年ぶりの年間総合優勝。 2010年 - 四国・九州アイランドリーグ・香川オリーブガイナーズとの間でグランドチャンピオンシップを開催。 まで行われ、1勝3敗で敗退。 詳細はを参照。 2011年 [ ]• - 2年連続となる北陸地区前期優勝を達成。 2011年 - 後期優勝の福井との地区チャンピオンシップに2勝0敗で勝利し、2年連続の北陸地区優勝を達成。 2011年 - 上信越地区優勝のとの間でおこなわれたリーグチャンピオンシップに3勝1敗で勝利し、2年連続の年間総合優勝を達成。 2011年 - 四国アイランドリーグplus・とのに3勝0敗で勝利し、初優勝。 BCリーグ勢としても初制覇となる。 2012年 [ ]• - 元のが球団取締役に就任。 2012年 - 3年連続となる北陸地区前期優勝を達成。 2012年 - 後期優勝の福井との間でおこなわれた地区チャンピオンシップに1分2敗で敗退。 2013年 [ ]• - 4年連続となる北陸地区前期優勝を達成。 2013年 - 後期優勝の福井と対戦した地区チャンピオンシップに2勝1敗1分で勝利し、北陸地区優勝。 2013年 - 上信越地区優勝の新潟とのリーグチャンピオンシップに3勝0敗で勝利し、2年ぶりとなる年間総合優勝を達成。 2013年 - 四国アイランドリーグplus・徳島とのに3勝1敗で勝利し、2年ぶり2度目の優勝を達成。 2014年 [ ]• - 北陸地区後期優勝を達成。 半期優勝は3期ぶりとなる。 2014年 - 石川県立野球場で開催された福井戦に、タレントのが「1日コーチ」として参加、1万5877人の観客が集まり、国内独立リーグ観客動員数の最多記録を更新した。 2014年 - 前期優勝の富山との間でおこなわれた地区チャンピオンシップに引き分け、対戦成績が2勝2敗1分のタイとなったがリーグ規定(シーズンの直接対戦成績優位)により北陸地区優勝が決定。 2014年 - 上信越地区優勝の群馬とのリーグチャンピオンシップに2勝3敗で敗退。 2014年 - 監督の退任を発表。 2015年 [ ]• - 監督ににも在籍経験のある、ヘッドコーチに信濃コーチの経歴もあるの就任を発表。 2015年9月16日 - リーグの公式戦全日程終了。 失策がリーグワーストになるなど低迷、前後期とも3位に終わり、2シーズン制導入以来の地区チャンピオンシップ連続出場が7年で途絶える。 2015年 - フランコ監督の退任と、渡辺ヘッドコーチの監督就任を発表。 2016年 [ ]• - 西地区の前期優勝を達成。 半期優勝は2014年後期以来。 2016年 - 西地区で後期優勝し、2009年以来となる前後期連覇を達成。 2016年 - 西地区の地区チャンピオンシップに優勝し、2年ぶりとなる地区優勝を達成。 年間勝率2位の福井との地区チャンピオンシップは福井の2勝0敗で第3戦を残していたが、この日の第3戦が雨天中止となり、予備日を使い尽くしていたことから「年間勝率2位チームの優勝は3勝0敗の場合」というリーグ規定に基づき、石川の優勝となった。 2016年 - 群馬ダイヤモンドペガサスとの間で行われたリーグチャンピオンシップに1勝3敗で敗退。 2016年 - この年まで投手として現役生活を送っていた職員のが、翌付で同球団から派遣されることを発表。 派遣期間は1年間で、「総合コーチ」として選手の指導に当たるかたわら、「Vice President()」という肩書きで経営・編成・営業などのフロント業務にも携わる。 2017年 [ ]• - 元監督兼選手で6月に急逝した森慎二の追悼試合が開催され、全選手が森が使用していた背番号34を着用した。 試合終了後、石川球団は森の付けていた背番号34を永久欠番とした。 2017年11月9日 - 渡辺正人監督の退任が発表される。 2018年 [ ]• 、前年よりヴァイスプレジデント兼総合コーチを務める武田勝が監督に就任することを発表。 日本ハム球団からの派遣という身分は監督就任後も継続する。 このシーズンは前期は3位、後期は4位の結果に終わり、2年続けて地区チャンピオンシップに出場できなかった(チーム発足以来初)。 シーズン終了後の10月23日、武田が来季も監督契約を結んだことが、派遣元の日本ハム球団から発表された。 2019年 [ ]• 前期は5月に7連勝を記録し、富山・信濃と首位を争ったが 、最終的に3位に終わる。 後期は開幕から1引き分けを挟む8連勝(球団タイ記録)と好調にスタートするも 、追い上げた信濃に首位を明け渡す。 半期優勝はならなかったものの、信濃が前後期を連覇した中で西地区の年間勝率2位を確保し、地区チャンピオンシップへの出場権を得た。 地区チャンピオンシップへの出場は、2016年以来3年ぶりとなる。 地区チャンピオンシップは初戦で敗退し、3年ぶりのリーグチャンピオンシップへの出場はならなかった。 シーズン終了後の10月21日、監督の武田が日本ハム投手コーチ就任に伴って退団することが発表された。 2020年 [ ]• 3月5日、新監督として元のが就任することを発表した。 成績 [ ] シーズン [ ] 年度 期 監督 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 打率 防御率 本塁打 全 1 72 43 22 7. 266 4位 3. 02 1位 12 4位 前 2 36 15 14 7. 517 1. 250 4位 2. 34 1位 12 5位 後 2 36 16 16 4. 500 2. 0 前 1 36 21 13 2. 259 5位 2. 62 2位 28 4位 後 1 36 21 15 0. 0 前 1 36 20 13 3. 256 4位 2. 88 1位 18 4位 後 2 36 18 16 2. 529 0. 5 前 1 36 14 16 6. 246 6位 3. 79 5位 25 4位 後 2 36 15 17 4. 469 2. 0 前 1 36 21 12 3. 0 -- -- -- 後 3 36 13 22 1. 371 4. 0 前 1 36 19 14 3. 0 -- -- -- 後 3 36 15 21 0. 417 3. 5 前 3 36 14 22 0. 389 2. 0 -- -- -- 後 1 36 17 16 3. 5 前 3 37 16 19 2. 457 5. 241(8位) 4. 15(6位) 22(6位) 後 3 35 15 19 1. 441 5. 0 前 1 36 20 12 4. 279 2位 3. 87 5位 40 3位 後 1 36 21 14 1. 0 前 5 35 10 22 3. 313 10. 259 8位 5. 61 9位 46 4位 後 4 36 12 22 4. 353 13. 0 前 3 34 16 16 2. 500 5. 273(7位) 4. 75(6位) 23(10位) 後 4 34 13 19 2. 406 9. 0 前 3 36 20 14 2. 588 1. 287 7位 3. 87 6位 28 8位 後 2 34 20 13 1. 606 3. 2008年以降の順位は地区(2014年までは北陸地区、2015年以降は西地区)での順位、打率・防御率・本塁打はリーグ総合での順位。 優勝したシーズンのゲーム差は2位チームとのゲーム差を表記。 金地はリーグ優勝、銀地は地区優勝。 2008年 - 1勝1敗(対戦は富山。 富山は前後期制覇のため、1勝で地区年間優勝)• 2009年 - 地区年間優勝(1勝2敗:対戦は富山。 前後期制覇のため、1勝で地区年間優勝)• 2010年 - 地区年間優勝(2勝1敗:対戦は福井)• 2011年 - 地区年間優勝(2勝0敗:対戦は福井)• 2012年 - 1分2敗(対戦は福井)• 2013年 - 地区年間優勝(2勝1敗1分:対戦は福井)• 2014年 - 地区年間優勝(2勝2敗2分:対戦は富山。 規定により、シーズン対戦成績の優劣で決定)• 2016年 - 地区年間優勝(0勝2敗:対戦は福井。 第3戦が中止となったため、規定により優勝決定)• 2019年 - 0勝1敗(対戦は信濃。 信濃は前後期制覇のため、1勝で地区年間優勝) リーグチャンピオンシップ [ ]• 2009年 - 1勝3敗(対戦は群馬)• 2010年 - 総合優勝(3勝1敗:対戦は群馬)• 2011年 - 総合優勝(3勝1敗:対戦は新潟)• 2013年 - 総合優勝(3勝0敗:対戦は新潟)• 2014年 - 2勝3敗(対戦は群馬)• 2016年 - 1勝3敗(対戦は群馬) グランドチャンピオンシップ [ ]• 2007年 - 1勝3敗(対戦は香川)• 2010年 - 1勝3敗(対戦は香川)• 2011年 - 優勝(3勝0敗:対戦は徳島)• 2013年 - 優勝(3勝1敗:対戦は徳島) チームの特徴 [ ] 2009年に投手コーチ兼任で入団したは、2010年の監督就任に伴いいったん引退したが、2013年のシーズン途中に現役に復帰した。 同じ年に、が入団していたため、元所属選手が3人選手登録されていた。 出場者では、代表の(2009年所属)、代表の(2012年所属)、代表の(2012年所属)の3選手に当チームへの在籍経験があった。 チームスタッフ [ ] 選手・スタッフについてはを参照。 12 - (投手・)選手として独立リーグ最多登板、独立リーグ日本一に貢献。 34 - (投手・コーチ・監督) 監督として初のグランドチャンピオンシップ制覇を達成。 2017年の没後に決定された。 マスコットキャラクター [ ] 「スタ坊」と木田優夫デザインの「タン坊」である。 応援スタイル [ ] この節のが望まれています。 ( 2019年12月) 公式私設応援団「全国石川ミリオンスターズ応援団」が存在する [ ]。 応援歌・テーマソング [ ]• 一番星(堀夏奈子withジェネレーション) - 公式 スポンサー [ ] ユニフォームスポンサー [ ]• - ユニフォーム右袖• - ユニフォーム左袖• - ユニフォーム右胸上部• - ユニフォーム左胸下部 また、スポンサーではないが、リーグ戦開幕直前()に地元で発生した復興を応援して、胸上部に「 がんばろう能登」のが付く。 関連番組 [ ] 現在放送中の番組 [ ]• 石川ミリオンスターズ きらっと通信 - 火曜17時台(『Sunset Express MOVE』内2013年〜)• がんばれ! ミリオンスターズ - 毎月第一11:10(『モリラジ! 』内2012年〜)• ミリツエMONDAY - 18:10(『かがのとイブニング』内2013年〜)• レオスタSports - 月曜18:15(『』内2013年〜)• 武田勝のボールパークにようこそ - MROラジオ 土曜12:40、 月曜18:45 過去に放送された番組 [ ]• 石川ミリオンスターズ きらっと通信 - 13:40(『FROM K! 』内2007年〜2012年)• 石川ミリオンスターズ きらっと通信 - エフエム石川 15:20(『Afternoon cruise』内2012年) 脚注 [ ]• リーグによる「MIKITO AED PROJECT」の一環として全球団共通に指定。 - ベースボール・チャレンジ・リーグ• - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2018年9月29日閲覧)• - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2018年9月29日閲覧)• - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2019年3月20日)• - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2020年3月12日。 9月13日の箇所を参照)• (PDFファイル)• - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2016年7月2日)• - ベースボール・チャレンジ・リーグ(2017年8月5日)• スポーツニッポン2011年6月26日配信• スポーツニッポン2011年10月2日配信• スポーツニッポン2011年10月16日配信• スポーツニッポン2011年10月29日配信• - 2012年3月14日• - BCリーグ戦記第123回(SPORTS COMMUNICATIONS 2012年6月27日)• スポーツニッポン. 2013年7月1日. 2013年10月1日. 2016年9月10日閲覧。 スポーツニッポン2014年9月11日配信• - 2014年9月13日• - スポニチアネックス2014年9月24日• - Yahoo! ニュース2014年10月1日• 石川球団公式サイト2014年10月11日配信• 石川ミリオンスターズ 公式ページ 2015年2月8日. 2015年2月8日閲覧。 2016年6月19日. 2016年9月10日閲覧。 2015年10月26日. 2015年10月26日閲覧。 朝日新聞. 2016年6月20日. 2016年7月2日閲覧。 北國新聞. 2016年9月5日. 2016年9月10日閲覧。 2016年9月20日. 2016年9月22日閲覧。 石川ミリオンスターズ. 2016年12月14日. 2016年12月15日閲覧。 北國新聞. 2017年9月2日. 2017年9月3日閲覧。 - 石川ミリオンスターズ公式twitter• 石川ミリオンスターズ 公式ページ 2017年11月9日. 2018年1月9日閲覧。 - 石川ミリオンスターズ(2018年1月9日)• Full-Count. 2018年1月9日. 2018年1月9日閲覧。 スポーツニッポン. 2018年10月23日. 2018年10月23日閲覧。 北國新聞. 2019年5月30日. 2019年9月3日閲覧。 北國新聞. 2019年6月16日. 2019年9月3日閲覧。 北國新聞. 2019年6月23日. 2019年9月3日閲覧。 北國新聞. 2019年7月14日. 2019年9月3日閲覧。 北國新聞. 2019年8月19日. 2019年9月3日閲覧。 北國新聞. 2019年9月3日. 2019年9月3日閲覧。 信濃毎日新聞. 2019年9月15日. 2019年9月15日閲覧。 - 石川ミリオンスターズ(2019年10月21日• - 石川ミリオンスターズ(2020年3月5日)• - 独立リーグドットコム(2013年6月8日) 関連項目 [ ]• - 球団公式応援グループ「M'sガール」(2019年4月 - ) 外部リンク [ ]• - 公式サイト• - チャンネル.

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9月1日現在、36試合に登板し、2勝0敗19セーブという好成績を挙げているのが、石川ミリオンスターズの守護神・寺田光輝(てらだ・こうき)、24歳だ。 前期は投手部門のMVPに輝き、チーム優勝の立役者となった。 今やリーグを代表する投手となった寺田だが、実は大学まで目立った成績を挙げてはいなかった。 そのため、大学3年の時にはNPBへの目標を諦め、大学卒業後は就職するつもりだったという。 そんな彼が、なぜ独立リーグへの道を選択したのか。 寺田の野球人生に迫る。 プロを目指すきっかけとなった高3の敗戦 寺田が野球を始めたのは、小学3年の時。 当時、興味があったのはサッカーで、周囲には地元のチームに入ることを宣言していたという。 ところが、偶然自宅で見つけたグローブを手にしたことが、寺田の人生を変えた。 「ちょっと投げてみようかな、と思って、グローブを持って壁当てをやってみたんです。 そしたら、投げるのがすごく面白くて。 それでサッカーではなく、野球チームに入ることに決めました」 「投げることが楽しかった」と寺田。 小学3年の時、壁当てから野球人生が始まった。 その後、中学、高校と野球部に所属し、夢中になって白球を追い続けたが、意外にも「プロ野球選手になりたい」と考えたことはなかったという。 プロは、自分とはあまりにもかけ離れた存在として位置づけられていたからだった。 そんな寺田がプロを目指し始めたのは、高校3年の夏のことだった。 寺田はその年、エースナンバーを背負っていた。 彼いわく「本当のエースがケガをしたから」という理由だったというが、それでも春の大会では県でベスト4進出と、エースとしての役割を果たした。 だが、夏は3回戦で敗退を喫した。 しかも、最後の試合はコールド負け。 「責任はすべて自分にあった」と寺田は言う。 「当時、僕はコントロールが悪くて、その試合は特にストライクが全然入らなかったんです。 まさに一人相撲での敗戦。 僕一人のせいで負けたと言ってもいいくらいでした。 そうした気持ちが、寺田にある決意を促した。 「よし、自分がプロで有名な選手になって、広い球場を借り切ろう。 そして、もう一度、みんなを集めて試合をして、この恩を返そう」 18歳の寺田に、一切の迷いはなかった。 高校3年の夏の敗戦が、寺田をプロの夢へと駆り立てた。 転機となった恩師からの言葉 しかし、筑波大学での4年間、寺田はプロのスカウトが注目するほどの成績を挙げることはできなかった。 「やっぱり、プロになるなんて自分には無理だな」 いつの間にかプロへの道を諦め、普通に就職しようと考えていた。 そんな寺田の考えを変えたのが、ある人物からの言葉だった。 「ここで終わるのはもったいないじゃないか。 野球を続ける道を探したらどうだ?」 寺田が1年の時から指導を受けていた奈良隆章(なら・たかあき)助監督からだった。 「4年の秋のシーズン途中だったと思います。 奈良先生から『もったいない』って言われたんです。 そんなふうに言ってもらえて、すごくうれしかったですし、ありがたいと思いました。 でも、既に僕は就職が内定していましたし、たいした成績も挙げていない自分には無理だと思っていたので、『せっかくのお言葉ですが』とお断りしました」 だが、やはり心のどこかで「野球を続けたい」という気持ちがあったのだろう。 寺田の気持ちに迷いが生じ始めた。 そして1カ月間、悩みに悩んだ末に出した結論は「独立リーグに行って、もう一度NPBを目指す」というものだった。 「人生で初めて、あんなに長い期間、悩みました。 最後は『このまま終わったら、きっと一生後悔する』と思ったのが決め手になりました。 後悔するくらいなら、挑戦してみようと思ったんです」 それにしても、4年間で目立った成績を挙げることができなかった寺田に、なぜ奈良助監督は声をかけたのだろうか。 「寺田の学年には、優秀なピッチャーが結構たくさんいて、入学当初の寺田は正直言って、あまり目立つ方ではありませんでした。 でも、いいボールを投げていましたし、もしかしたらという可能性は感じていました。 でも、何より印象的だったのが彼の真っすぐな目でした。 初めて会った時に、彼ははっきりと『プロになりたい』と、目をキラキラと輝かせながら言ったんです。 実際、彼は目標に向けてストイックに頑張っていました。 ケガもあって、レギュラーにはなれませんでしたが、どんな時も前向きに努力していた。 力も着々とつけていたんです。 そんな中、彼が『諦めます』と言った時、なんだか納得していないような気がしたんです。 あんなに純粋にプロを目指していた彼には、やり切ったというところまでやってほしい。 そう思ったんです」 寺田は言う。 「あの時、奈良先生が言ってくださらなければ、今の僕はありません。 だから、本当に感謝しているんです」 見事トライアウトに合格し、寺田は独立リーガーとして野球人生を、再び歩み始めた。 トライアウトを経て、石川ミリオンスターズに入団。 1年目から不動の守護神として活躍している。 傲慢な自分に気づいた一戦 寺田は前期、36試合中20試合に投げて1勝0敗11セーブをマーク。 防御率はなんと0. つまり、一度も自責点を取られなかったのだ。 しかし、寺田は謙虚な姿勢を崩さない。 「結果を考えずに、自分がやるべきことをやる。 それだけだと思っています」 そんな彼にも、無意識に欲が出てしまった時期があった。 それがピッチングに出たのが、8月18日の富山サンダーバーズ戦だった。 8-4と石川が4点リードで迎えた9回裏、寺田はマウンドに上がった。 ところが、いきなり先頭打者をストレートの四球で歩かせてしまったのだ。 なんとか2死まで取ったものの、そこから二者連続のタイムリーを浴びて3失点を喫し、1点差にまで詰め寄られた。 なんとかその後を凌いで逃げ切ったものの、寺田にとっては最悪の内容だった。 4点という点差を考えれば、寺田にとってそう難しい試合ではなかったはずだ。 要因は気持ちにあったと、寺田は語る。 「後期のはじめくらいまでは防御率とか何も考えず、とにかく必死で投げていただけでした。 なのに、いつの間にか数字を気にしている自分がいたんです。 このまま防御率が0でいけるんじゃないかっていう欲が出てきて、傲慢になっていた。 それが富山戦でのピッチングに表れてしまったのだと思います」 その後、寺田は一度も自責点を取られてはいない。 「自分がやるべきことをやるだけ」。 再びそう思えるようになり、気持ちが軽くなったことが、好投につながっている。 抑えとしての「責任感と使命感」が、彼にやりがいを与えているからだ。 とはいえ、チームの勝敗がかかっている試合の最後を締める抑えという仕事は、精神的には過酷なはずだ。 だが、寺田のピッチングには決して力みがない。 それは「自信」と「信頼」があるからだ。 「楽しくて仕方がない」という寺田の表情は、自信に満ちている。 「自信」とは、普段の練習からのものだという。 実際、彼の練習を見てみて、特に印象的だったのがキャッチボールだった。 寺田は他の誰よりも実戦に近いフォームで、1球1球丁寧に投げているように見えた。 そして、ほとんどのボールが相手の胸元にコントロールよく収まっていたのである。 「僕はもともとコントロールに自信がなかったんです。 それで大学2年の時に、どうしたらいいかと悩んでいて、ふと周りを見たら、試合で活躍しているピッチャーはみんなキャッチボールから丁寧に投げていました。 それから僕も常に試合で投げているようなイメージでキャッチボールをするようになったんです」 それがマウンド上での自信になっているのだという。 緊張する場面でも、ピンチになった場面でも、「いつも練習でストライクを投げられているのだから大丈夫」と思うと、自然と気持ちが落ち着くのだ。 それが力みのないピッチングにつながっている。 そして「信頼」とは、バックの守備に対してだ。 「野球は僕一人でやっているわけではない。 打たれても、バックのみんながいるから大丈夫という気持ちで投げているんです」 信頼するチームメイトと共に、勝利を目指す。 実際、バックに助けられたことは少なくない。 例えば、6月12日の信濃グランセローズ戦。 1点リードで迎えた9回裏、寺田は二連打を浴び、無死一、三塁というピンチを招いた。 しかも、いずれも初球を打たれ、わずか2球でのこと。 そのまま崩れてもおかしくはない状況にあった。 しかし、寺田は弱気にはならなかった。 「一瞬、どうしようと思ったんですけど、すぐに気持ちを切り替えました。 『いや、バックがいるんだから、大丈夫。 ここで自分が崩れてはだめだ』と」 まずは次打者を一ゴロに打ち取り、1死を取った。 そして次の打者を一塁へのファウルフライに仕留めると、タッチアップした三塁ランナーをホームで刺し、なんとか1点を死守した。 「どちらもファーストのファインプレーで、本当に助けられました。 改めて、一人でやっているんじゃないんだなと思いました」 そんな寺田のグラブには「感謝」という文字が刺繍されてある。 「この年になっても野球が続けられているのは、たくさんの人たちの支えがあるからこそ。 BCリーグに来てから、そのことを強く感じるようになったんです。 「The BORDERLESS(ザ・ボーダレス)」は、スポーツにまつわる様々なトピックスやストーリーを伝えるコラムサイトです。 すべての境界を無くし、スポーツが本来持つ魅力に迫ります。 All rights reserved. The BORDERLESS CATEGORY LIST• ABOUT• CONTACT.

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当球団から直接入団した選手に限る。 (2007年)• - 育成ドラフト1位(2008年 - 2016年、2012年途中から) (2012年)• (55) - (2013年) (2015年)• (24) - (2015年途中 - 2016年)• (20) - 読売ジャイアンツ育成ドラフト8位(2016年 - ) (2016年)• (33) - 横浜DeNAベイスターズ(2017年• (5) - オリックス・バファローズ育成ドラフト4位(2017年 - )• (22) - 育成ドラフト1位(2017年 - )• (18) - 育成ドラフト1位(2017年 - ) (2017年)• 20 - 東北楽天ゴールデンイーグルスドラフト7位(2018年 - )• 14 - 横浜DeNAベイスターズドラフト6位(2018年 - )• 17 - 東京ヤクルトスワローズドラフト8位(2018年 - ) その他 [ ]• - 2009年三塁手ベストナイン、2011年二塁手ベストナイン• - 元・• - 2010年最優秀防御率• - 2011年一塁手ベストナイン、2012年三塁手ベストナイン• - 投手コーチ兼任、元・• - 2010年最多盗塁(リーグのシーズン最多盗塁記録)• - 2013年外野手ベストナイン• - 2008年捕手ベストナイン、現・• - 2007年最多勝利、最多奪三振、シーズンMVP• - 元・• - 退団後、(予選)• - 元・• - 元・• - 元・読売ジャイアンツ、2008、2009、2011年最多勝、最多奪三振、2009年前期MVP、2011年シーズンおよび後期MVP• - 元・横浜ベイスターズ• - リーグ初の女性選手• 歴代監督 [ ]• (2) (2007年 - 2009年)• (34) (2010年 - 2014年)• (14) (2015年、選手兼任監督)• 2 (2016年 - 2017年)• 38 (2018年 - 2019年) 関連項目 [ ]•

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