ジョーカー ホアキン・フェニックス インタビュー。 「ジョーカー」続編製作の可能性も ホアキン・フェニックスが持論語る : 映画ニュース

『ジョーカー』ホアキン・フェニックスの演技に「イライラさせられた」と共演者が語る

ジョーカー ホアキン・フェニックス インタビュー

ホアキン・フェニックス 『僕がこの映画で好きなのはトッド(フィリップス監督)が「これぞジョーカーの映画だ」と言っていない点だよ。 この作品にはある程度観客が携わって、自分たちの感情をこのキャラクターに重ねていくことが必要とされる。 だから僕は何か一つのことに固定したくないんだ。 アーサー(主人公)が精神的な問題を抱えていたかもわからない。 僕はそう思わずにこの役を演じたから。 映画の中では精神的な病気を持っているといわれて、投薬されるんだからね。 アーサーは同情されるべきと思うし、一方で人を不快にさせるところもあるべきだ。 両方がそこにあるべきで、簡単な答えがあると思わない。 でも僕らは例えば通りの向こうで誰かが殴られているのを見た時、自分に経験がなくてもそれがどういうものか想像することはできる。 それは全員が共有できる普遍的な感情だ。 大ファンだったから、いろいろ質問したいことがあったんだけど、共演シーンは4日間もかかる大がかりなもので、僕は役に集中しなくちゃいけなかったから、話をする機会がなかったんだ。 その後、僕はもうアーサーに戻りたくなかったくらいだ。 長い間僕はこれが自分とトッドの間だけのパーソナルなものだと感じてきた。 『素晴らしいね!できれば宣伝で日本にも行きたいね。 みんなで嘆願署名をしてくれないかな(笑)』 こちらもあわせてどうぞ オスカーの呼び声も高い『ジョーカー』衝撃の予告編 & インパクト大のポスター解禁.

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「ジョーカー」続編製作の可能性も ホアキン・フェニックスが持論語る : 映画ニュース

ジョーカー ホアキン・フェニックス インタビュー

ロサンゼルスにある彼のお気に入りの寿司店へ行く少し前、俳優は自分がどうして厳格なベジタリアンになったのかを語りだす。 ホアキン3歳の誕生日である1977年10月28日のこと、彼は家族とともにベネズエラからマイアミへ向かう貨物船に乗っていた。 彼の両親は、自らをモーゼと呼ぶカリスマ的指導者デビッド・バーグが率いる悪名高き宗教団体「神の子供たち」の信者としての生活を捨てたばかりだった。 1960年代後半の大部分をマイクロバスでアメリカ西海岸を放浪していた両親は、宣教師となってアメリカ南部、ベネズエラ、プエルトリコを旅してまわり、その途中にレイン、ホアキン、そして妹のリバティが生まれた。 神について歌うため、子どもたちのなかで一番年長のリヴァー、そしてレインは町なかで芸をしてお金を稼いだ。 そして「神の子供たち」によって、ホアキンの両親はベネズエラとトリニダードの「大司教」に任命されていた。 そのころ「神の子供たち」はまだ、この宗教団体の悪評の原因たる、セックスを使って新たな信者を獲得したり、児童への性的虐待疑惑のような闇と堕落のなかに完全に沈んではいなかったし、一家はデビッド・バーグの活動領域とは遠く離れたところにいた。 そして、なにがあったかを知ったとき、一家は「神の子供たち」を去った。 夢を打ち砕かれ、一文無しで、5番目の子サマーの誕生を目前に控えた状態で。 その貨物船にはトンカ社のおもちゃが詰まったコンテナが積まれており、乗組員がホアキンにトラックのおもちゃをくれ、誕生日ケーキを作ってくれたという。 「このケーキのことははっきりと覚えている。 おそらく、あれはぼくが初めて食べた、ちゃんとしたケーキだったと思う」ホアキンはそう言う。 「おもちゃのこともよく覚えている。 それまで一度も新品のおもちゃが手に入ったことはなかったから。 だけど、一番衝撃的で強烈だった記憶こそ、ぼくらを厳格なベジタリアンにしたきっかけなんだ」 兄リヴァー、姉レインとともに水のなかからとびだすトビウオを眺めていたホアキンは、漁師たちが釣れた魚を釣り竿から外し、船の壁に打ちつけてある釘に思いっきり投げつけているのに気がついた。 そしてその瞬間わかったのだ。 ビーチハウスで暮らし、通りで賛美歌を歌っていたベネズエラで両親から食べさせられていたあの魚は、甲板でたたき殺されているこうした可哀想な生き物たちだったのだと。 「それはあまりに残酷で、あまりに衝撃的だった」彼はそう言う。 とにかくぼくたちに『なんで魚がああいうものだと教えてくれなかったの?』と大声で食ってかかられた母は絶句していた。 母は大粒の涙を流し...... なんと言ったらいいかわからなかったんだ」 それから2カ月後、フロリダのウィンターパークに越したあと、家族は全員がベジタリアンになった。 そして1979年、ボトムという姓からフェニックスに改名した彼らは1台のステーションワゴンに乗りこむとハリウッドへ向かい、自らを異色の子役タレント集団につくりかえた。 人気テレビドラマの「ファミリータイズ」や「ヒルストリート・ブルース」に出演し、菜食主義や動物の権利擁護を支持し、端正な長男にして流星のようなリヴァー・フェニックスを看板とする集団に。 ホアキンが演じたジョーカーから伝わる痛みと人間性。 ホアキン・フェニックスがスタジオ・シティにある日本食レストラン「アサネボウ」で海藻サラダを食べるために箸を包みから出したとき、さっきの話が頭をよぎり、彼がテーブルに出された生のサバが盛られた皿に気分を害するのではないかと不安になる。 「きみはきみの好きにしたらいい」彼はそう言って肩をすくめる。 黒のTシャツとロールアップしたパンツというカジュアルなスタイルに、白髪交じりのオールバックで。 「進化の度合いは人それぞれなんだから」とつけ加える。 彼は冗談を言っているのだ。 たぶん。 いたずらっぽい笑みを浮かべ、彼はしばらくそのまま黙っている。 「きみ次第さ」彼はそう言い、おもむろに狂ったように笑いだす。 「こりゃ意味不明だな!」 あとから、彼は私に「どうぞ、ごゆっくり召し上がれ」と告げ、煙草を吸いに出ていく。 最新作『ジョーカー』のアーサー・フレックとして、ホアキンは空想的なスタンダップコメディのキャリアを追求するなかで、極めて非人間的な暴力行為に駆り立てられる、傷つき心を病んだ孤独な男に変身する。 スクリーン上で、彼のけたたましい笑い声、恥ずかしそうな笑み、ゆっくりとしたまばたきからは、DCコミックス『バットマン』の悪役の思いがけない心の痛みと人間性が伝わってくる。 それどころか、コミックスの痕跡を完全に消し去り、心の病、孤独、自己愛、潜在的な怒りに苦しんでいる病的な男の人物研究の様相を呈しているのだ。 1970年代から1980年代にかけてのノワールの不朽の名作、なかでも、と(『ジョーカー』にも出演している)がタッグを組んだ一連の名作へのオマージュとしてトッド・フィリップスが手がけたこの映画は、疎んじられた白人男性の虚無的蛮行を巧みに描きだしており、ハリウッド映画のなかの暴力とテキサス州エルパソ、オハイオ州デイトンで実際に起きた銃乱射事件のような暴力との相関関係についての議論が再燃した。 『ジョーカー』がプレミア上映されたヴェネツィア国際映画祭のあと、最近の銃乱射事件の背景にある、いわゆる「インセル」こと「不本意の禁欲主義者」と似ていないこともない登場人物のニュアンスのある描かれかたが物議を醸した。 『ジョーカー』と『タクシードライバー』との類似が、スコセッシのこの1976年の作品に影響を受けたジョン・ヒンクリー・ジュニアが、1981年にロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件を起こしたことを、物覚えのいい人々にふと思いださせたのである。 雑誌『バラエティ』は『ジョーカー』を「現実世界で起きていることを表現している稀有なコミックス映画」と呼んだが『ヴァニティ・フェア』に寄稿するリチャード・ローソンは、これは「この映画が病的な存在と見なす、まさにその当事者たちに対する無責任なプロパガンダ」ではないかという世間的感情を表明した。 「作品の旅路が順風満帆なものになるとはそもそも思っていなかったからね」ホアキンはメディアの反応についてそう語る。 「これは難しい作品だ。 ある意味、人々がそれに対して強い反応を示しているのはよいことだとも言える」 大部分において、ホアキンは出演作についてあれこれ説明するのを好まない。 「あれについてはほんとうにさまざまな見かたがある」ホアキンが言っているのはジョーカー/アーサー・フレックというキャラクターのことだ。 「たとえば、彼はみなと同じように尊重され理解されるべき人間だということもできるし、いびつなまでに大勢の人々から注目されることを欲していて、狂気のなかに立ち尽くして初めて充足を得るのだということもできる」 ホアキンは昔から人間の心の闇に対する直感を持ち合わせていた。 2017年のリン・ラムジー監督作品『ビューティフル・デイ』のなかで、彼は未成年の少女たちを犯した金持ちの男たちを片手ハンマーで殺す壊れたヒットマンを演じたし、その前にはスパイク・ジョーンズ監督の『her/世界でひとつの彼女』(この作品で彼は婚約者と出会った)で、コンピューターのオペレーティングシステムのなかに愛を見つける暗く孤独な男を演じた。 また、2010年にはフェイク・ドキュメンタリー映画『容疑者、ホアキン・フェニックス』でヒップホップアーティストに転向しようとした破滅型俳優として本人役を演じ、人々を混乱させた。 ちなみにこの映画は、監督ケイシー・アフレックがふたりの女性スタッフから不適切行為で訴えられ、さらに現実と虚構の線引きが難しくなったといういきさつがある。 そして、その後『ザ・マスター』(12)で見事に復活し、L・ロン・ハバード(サイエントロジーの創設者)のような宗教家風の人物の信奉者を熱演した。 それが、一連のインディペンデント映画における精緻に作りこまれた演技の皮きりだった。 「幼いころから、ぼくは、なんと言ったらいいかな、深みも意味もない子どもだましが大の苦手だったんだ」そう彼は言う。 「ほんとうに幼いころからね。 理由はわからない。 きみはもちろん、なんらかのフロイト的解釈が聞きたいだろうし、おそらく実際にそういう理由があるんだろうな」 彼の演技の闇を見るにつけ、その理由を彼の個人的歴史に求めたくなる気持ちに抗うのは難しい。 彼があいも変わらず「2番目に有名なフェニックス」と呼ばれていたのはそれほど昔のことではない。 ホアキンの名前は、伝説的存在である兄リヴァーの1993年の死に分かちがたく結びつけられていたのだ。 なお、ホアキンはサンセット大通りにある当時が共同経営していたザ・ヴァイパー・ルームの前でリヴァーが亡くなるのを、姉レインとともに目撃したのである。 今ではホアキンが「もっとも有名なフェニックス」となるくらい、世間の人々の兄リヴァーに関する記憶は薄れているものの、その悲劇はつねにホアキンにつきまとっている。 そしてそれは、記者たちがその件について彼に質問するのをけっしてやめようとしないせいもある。 しかしそれはまた、ホアキンが兄やその死によって大きな影響を受けているからでもある。 たとえ、彼が自らの特殊な生い立ちや個人的な悲劇と、気難しく、傷ついていて、暴力的でありながらつねに不安に苛まれている役、彼のためにあるかのようなそうした役になりきる才能との直接の関連をいまだに認めようとしないとしても。 「とにかくそのことについては極力、考えないようにしているんだ」どこかコミカルな曖昧さを漂わせ、彼はそう言う。 「なぜぼくはこんなどうでもいいようなインタビューを受けているんだろう。 きみはぼくの演技を台無しにするつもりだな」 ホアキンはルーニー・マーラと暮らしている。 彼女は『her/世界でひとつの彼女』(13)で彼の元妻を演じただけでなく、ホアキンがイエス・キリストを演じたガース・デイヴィス監督『マグダラのマリア』(18)ではマグダラのマリア役だった(「ぼくがあの役を演じるために生まれてきたのはまちがいない」ホアキンはそううそぶく)。 彼は『her/世界でひとつの彼女』の撮影中、ルーニーから嫌われていると思いこんでいたそうだ。 しかしあとになって、彼女はたんに人見知りをしていただけで、実際は彼のことが好きだったことを知ったという。 「彼女はぼくがネット上で検索をした唯一の女の子なんだ」そう彼は言う。 「ぼくはそれまで一度もそんなことをしたことはなかった。 つまり、それまで一度もネットで女の子を検索したことはなかったんだ」 ホアキンは最近、禁煙するための催眠療法を受けている。 喫煙は彼がティーンエイジャーからの習慣であり、禁煙への道は険しそうだ。 彼は小さな塊になるまで爪を噛んでしまっているし、いつも手の届くところにアメリカンスピリット2箱とライター数個を置いている。 「ぼくの食生活はほんとうに健康的なんだ」そう彼は語る。 「ジャンクフードはそんなに好きじゃないし、加工食品も好きじゃない。 撮影終了後、体重は25ポンド(約11キロ)分もとに戻ったものの、先の春に『ジョーカー』の予告編に登場したホアキンの亡霊のような肉体の薄幸そうなイメージは衝撃的で、彼が今回もまた役に全身全霊を注いでいることを示している。 アーサー・フレックとして、ホアキンは自らの身体的特徴、たとえば上唇のところにある傷(外科的な治療痕ではなく、生まれつきの傷だという)、ライオンを思わせる眼差し、不器用な笑み、そしてこれも生まれつきだという大きな肩を頼りにしている。 監督のフィリップスはホアキンに、「きみはまるで『人々が重油を洗い流そうとしていたメキシコ湾のタールまみれの鳥』のようだ」と言った。 「彼はとても印象的な体つきをしている」フィリップスはそう言う。 フィリップスは差別や不正に敏感な新たなハリウッドにおいて、コメディ映画を作るのはどんどん難しくなっているし、自らのトレードマークとなっている無責任な男同士のユーモアが不人気であることに気づいたのだそうだ。 「この差別や不正に敏感な最近のカルチャーのなかでお笑いをやろうとしてみるといい」フィリップスはそう言う。 それは、面白いやつらがひとり残らず『やってられるか。 だれかの気分を害するのがオチだからな』という調子だからさ。 ツイッターにいる3000万人を相手に議論するのは大変だもの。 だからコメディは無理なんだ。 というわけで、ぼくはコメディはやめた。 それでどうしたと思う?そこでぼくは考えた。 『コメディ以外で、どうやったら不遜なものを作れるだろう?そうだ。 逆転の発想でコミックス映画でそれをやればいいじゃないか』と。 実際それが、すべてのはじまりだったのさ」 その結果生まれたのがハリウッド批判としての意味合いを持つドラマである。 孤立した白人男性が、陽気で快活であることに挫折して復讐と怒りに駆り立てられるのだ。 スコット・シルヴァーとの共同脚本で、フィリップスが思いついたのが『タクシードライバー』(76)『キング・オブ・コメディ』(82)『カッコーの巣の上で』(75)といった名作映画たちをモチーフに、1970年代後半から1980年代前半のゴッサム・シティで有料でパーティーに出張する道化であり、心を病んだ孤独な男としてのジョーカー誕生の物語である。 フィリップスはホアキンを念頭に置いてジョーカーというキャラクターをつくりあげ、2017年後半に彼に脚本を渡したという。 その後、ホアキンのハリウッドヒルズの家で4カ月間にわたって話し合いが行われた。 ホアキンにプレゼンするなかで、この作品のことは強盗映画と考える必要があるとフィリップスは告げた。 「なにを言っているんだい?」ホアキンは困惑してそうたずねた。 「この話のなかにそれらしき場面は見あたらないじゃないか」 フィリップスは秘密を明かした。 「我々はワーナー・ブラザースから5500万ドルふんだくり、そのうえで好き放題やらせてもらうつもりなんだ」しかしホアキンにとって、映画出演の決め手はもっと個人的な理由によるものだった。 「ぼくには、1970年代の偉大な映画たちのことを考えるとき心に浮かぶ一時期がある。 それはなんらかのジャンルではない。 これはドラマだ、みたいなのじゃなくて、それが単なる映画だった時代だ。 『狼たちの午後』みたいな、濃密で、痛々しくて、たまらなく面白い映画。 そういうのがぼくの愛する映画だし、ぼくが出演したい映画なんだ」ホアキンはそう言う。 アーサー・フレックの役づくりのために、ホアキンは自己愛/ナルシシズムや犯罪学についてリサーチし、バスター・キートンや俳優レイ・ボルジャー、すなわち『オズの魔法使』(39)のカカシ男の動きを研究して、それらがフレックの狂気をはっきりと示している異様なダンスのヒントとなった。 あるシーンで、脚本上はフレックがいくつかの殺人を犯したあとバスルームに閉じこもって、銃を隠す場所を探すことになっていたのだが、ホアキンとフィリップスはそれがちょっと違う気がするということで意見が一致した。 そして、ふたりでそのシーンについて話し合っているときに、フィリップスが映画のために新たに作曲された音楽をホアキンに聞かせ、ホアキンは踊りはじめた。 優雅なタンゴのような身のこなしで。 フィリップスはカメラマンにハンドカメラで撮影を開始するよう指示する。 室内には3人だけ、外には250人のスタッフが待っているという状態で。 そしてそのシーンは、ジミー・デュランテの曲「スマイル」が流れる目を見張るような予告編の一部となった。 ロバート・デ・ニーロとの共演にまつわるドラマもあった。 さまざまな点で、この映画の詩神は共演者のひとりであろう。 彼は深夜のトークショーのホスト役を演じている。 「ぼくの大好きなアメリカ人俳優は彼なんだ」ホアキンはデ・ニーロのことをそう言う。 「ぼくにとって彼は、あるシーンにおいて、ある種の行動、ある種の仕草や動きを、カメラが自分を撮影しているかいないかにかかわらずにやる人であるという印象なんだ」「個人的に、昔からずっと演技はドキュメンタリーのようであるべきだと思っている」ホアキンはそう続ける。 「俳優はそれがなんにせよ自分が感じていること、そのキャラクターがその瞬間に感じていると思うことをただ感じるべきだとね」 皮肉なことに、このふたりは現場でほとんどことばを交わさなかった。 その理由の一部が、彼らのよく似た演技論や職業的恐怖心である。 「ぼくは現場で彼と話をしたくなかったんだ」ホアキンはそう言う。 「初日に朝の挨拶を交わしたけれど、それ以外はほとんど話していない気がする」「彼の演じる役と私の演じる役からして、我々にはなにかを話し合う必要がなかった」そう言うのはデ・ニーロだ。 「我々はただこう考える。 『仕事をしろ。 それぞれの役が相手に感じるであろうことを感じろ』と。 そのほうが物事はシンプルなんだ。 我々は話をしない。 話をする理由がないんだ」 とはいえ、演技上の方法論に関する多少の不一致はあった。 自らの出演シーンを撮影する前に、デ・ニーロは出演者たちによる脚本の読み合わせを望んだ。 デ・ニーロはそれを当然の手順だと見なしていたのだが、ホアキンは読み合わせを毛嫌いすることが多かった。 ホアキンの芝居が「その場の流れに任せる」スタイルなのも、理由のひとつである。 フィリップスはこう回想する。 「ボブ(デ・ニーロ)に呼ばれて、こう言われた。 『彼に、きみは俳優なんだからその場にいなくちゃだめだと言うんだ。 私はこの映画のセリフをちゃんと耳で確認したいし、我々はみんな部屋に集まって、読み合わせするんだ』ってね。 ぼくは板挟みだった。 なにしろホアキンは『おれは読み合わせなんかやらないよ』と言うし、ボブは『私は撮影の前に読み合わせをする。 それが手順だ』と譲らなくて」 マンハッタンにあるデ・ニーロの会社のオフィスで、ホアキンはぶつぶつと自分のセリフを読みとおし、その後、タバコを吸いに隅に行った。 デ・ニーロは別のフロアにある自分のオフィスにホアキンを招いた。 話をするために。 しかし、ホアキンは遠慮した。 「彼はボブの前でこう言った。 『せっかくですが家に帰らないと』」フィリップスはそう回想する。 そしていくつかちょっとした問題について話したあと、デ・ニーロはホアキンのほうを向き、両手で彼の顔を挟むと頬に口づけしたという。 「きっとうまくいくよ、ビューブリ(注:イディッシュ語で「坊や」の意)」デ・ニーロはそう言ったそうだ。 完成した『ジョーカー』を見終わってからの展開。 2019年7月に、ワーナー・ブラザースはウエスト・ハリウッドにあるホテルの試写室で、選抜したジャーナリストたちを対象に『ジョーカー』の試写会を実施した。 時刻は夜の8時半、ホアキン・フェニックスからの約束の電話にちょうど間に合うタイミングだった。 「どこにいるんだい?」助けに行くよと申し出てくれた彼がそうたずねた。 自分の居場所を伝えながら、私はつかのま気まずさを感じていた。 不気味かつ不幸な偶然によって、そこがザ・ヴァイパー・ルームの真裏だったからである。 ホアキンは一瞬ことばに詰まり、それから言った。 「そこがサンセット大通りなのは知ってるんだけど、交差する通りの名はなんだっけ?」 痛ましい役を演じたホアキンを見たばかりだった私にとって、1993年10月31日のそのつらい晩のことを考えずにいるのは難しかった。 それはホアキン・フェニックスの19回目の誕生日の3日後だった。 彼は兄リヴァー、姉レインとともにザ・ヴァイパー・ルームへ行っていた。 ここはやクリスティナ・アップルゲイトなど、当時のハリウッドの若手俳優たちが頻繁に通うクラブだったのだ。 リヴァーの死の真相に関しては諸説あるが、そのひとつがこれだ。 ある有名なギタリストがリヴァーに紙コップを手渡した。 リヴァーがクラブ前の歩道で身もだえしていたとき、レインはそれを見つめ、ホアキンは必死に救急車を呼んでいた。 それから26年後の今、ホアキンがおんぼろの黒のレクサスでやって来る。 やさしげな笑みを浮かべ、白のカラテパンツ、履き古した、口もとには煙草、髪はオールバックにしてあるものの、あまりきちんと整えられてはいない姿で。 空手の練習から戻ったばかりの彼はただちに近くのホテルのロビーに入ってゆき、支配人に私のレンタカーのレッカー先はどこなのかを調べる手伝いを頼んでくれる。 その数分後、私たちはがらんとした通りにある蛍光灯照明のガレージであるハリウッド・トー・サービスへ向かいながら、レイ・ボルジャーのことや、ホアキンが最近やったという寒冷療法について話していた。 ちなみに寒冷療法では、体を零下の気温にさらすのである(「あれはすごいよ、きみもぜひやってみるといい」)。 1991年にリヴァーが雑誌『ディテール』に、自分は4歳で性体験をしたと語ったことはよく知られている。 そして、それは当時、カルト宗教団体のなかで起こったことについての物語を確立させたようだった。 「あれをほんとうに信じているのかい?」ホアキンは言う。 「あんなの100パーセント冗談だよ。 マスコミをコケにしただけさ。 文字通りのジョークだ。 兄はマスコミからくだらない質問をされることに辟易していたんだから」 「両親は絶対に不注意な人たちではなかった」ホアキンは言う。 ホアキンやきょうだいたちがまだ子どもだったころ、一家はベネズエラで暮らしていた。 アメリカの「神の子供たち」のコミュニティから遠く離れて。 1977年に彼らは、セックスを使って入信者を獲得する「浮気釣り」という新たな活動について説明する、教団指導者からの手紙を受け取った。 「両親はそういった手紙を受け取った。 というか、いずれにせよそういう提案があったけど、両親の反応はこうだった。 『ありえない、こんなところは抜けよう』」ホアキンはそう語る。 「両親は理想主義者だったんだと思う。 そして同じ信念、同じ価値観を持つ組織に属していると信じていたんだろう。 ふたりはおそらく安全とファミリーを求めていたんだと思っている。 ぼくには理解の及ばないことだけど、わずか数年間のうちに大統領や大勢の公民権運動家たちが暗殺された、そんな国をあとにしてね」 ファーストネームをハートに変えた母親は、のちにこう語っている。 教団を去って「私たちが心の痛みや孤独を乗り越えるのには年数がかかりました」 一家そろってフロリダに到着後も、リヴァーとレインは兄妹ユニットを組んで歌ったり踊ったりを続け、コンテストで賞をとったり、地元のマスコミの注目を集めたりした。 そして父親が昔の背中のけがのせいで仕事をやめると、母ハートがリーダーシップを発揮するようになった。 彼女は子どもたちについての記事を、ブロンクス時代の古い知り合いで、当時ABCのホームコメディ「ラバーン&シャーリー」に出演していたペニー・マーシャルに送った。 するとマーシャルの事務所から、ロサンゼルスに来ることがあれば、ぜひご家族みなさんでお立ち寄りください、ただし、すでに来ている場合はさておき、くれぐれもわざわざ越してくることのないようにと返事があった。 すると、姓をフェニックスに変えた一家は荷物をステーションワゴンにまとめ、ロサンゼルスに引っ越した。 「私たちはこう言ったの。 『なかなか見込みがありそうじゃない』とね」ハート・フェニックスはそう言う。 「結局、私たちが彼らと会うことはついぞなかったけれど」 ハートはNBCの重役秘書として働くようになり、子どもたちをコマーシャルに出演させたり、テレビに端役で出演させたりしていた著名な子役エージェントのアイリス・バートンと会った。 一家の収入を補うため、おそろいの黄色のシャツと短パン姿の子どもたちはリヴァーが作った「ゴナ・メイク・イット」といったオリジナルの歌を歌い、見物人たちからお金を集めた。 彼らはダンスを研究し、ホアキンはブレイクダンスに熱中した。 ホアキンが自分の名前を変えてもいいかとたずねると、母親はいいわよと言った。 それからホアキンは庭で落ち葉の掃除をしていた父のところに行った。 次の瞬間、彼の新しい名前はリーフになったのだった。 ある意味で、リーフ・フェニックスとして演じた初期の役が、彼の俳優としての方向性を定めたといえるかもしれない。 たとえば「ヒッチコック劇場」のなかのあるエピソードで、彼は殺人を目撃し、殺人犯を脅迫する計画を練る耳の不自由な金持ちの少年を演じた。 ホアキンはまた「ABC アフタースクール・スペシャル」の「Backwards: The Riddle of Dyslexia(原題)」で兄リヴァーと共演した。 ホアキンが初めて演じることの力を理解したのは、1984年に「ヒルストリート・ブルース」というテレビドラマに出ていたときだったという。 警察署で精神的に不安定な父親について説明されているとき、ホアキンは被害者の代弁者の顔をぶん殴り、それから取り押さえられながら蹴ったり、叫んだりする。 「『カット!』の声がかかったあと、ほかの人たちやほかの役者たちが『うわぁ』となっていたのを感じたんだ」彼はそう言う。 「その瞬間、ぼくも同じことを感じていたし、自分の体がビリビリと震えているみたいだった。 あのときの感覚は絶対に忘れられない。 生まれて初めて酒を飲んだとか、マリファナを吸ったときみたいな感じだった。 なんだこりゃ、これまで一度も感じたことのないような感覚を全身が味わっている、というような。 あれは驚異的だった。 驚異的な感覚だったんだ。 体の細胞全部が『おい、おれたちなにかの境地に達しているぞ』という感じだった気がする」 ホアキンは自分の話を熟考するためにひと呼吸おく。 「ほんとうの話に聞こえるかな?そう思う?だって、もしも自分がこの話をされたら、きっとこんなふうに感じると思うんだ。 『あんたは7歳(実際は10歳)だったってのに、それがどういう状況かほんとうにわかってたのか?』とね」 ロサンゼルスの生活に満たされず、フェニックス家はまたフロリダに引っ越し、ゲインズビルに落ち着いた。 また、リヴァーは家族のためにコスタリカの農場を購入した。 兄リヴァーの名声が、1960年代の逃走中の過激派一家について描いた『旅立ちの時』(88)や『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)の少年時代のインディ役で高まっていったとき、魅力的なオファーが皆無だったホアキンは、メキシコのビーチで父親とのんびりするために休暇を取り、スペイン語を学んだり、オートバイを乗りまわしたりしていた。 ホアキンがアメリカに戻ってきたあと、兄リヴァーはガス・ヴァン・サント監督のインディペンデント映画の名作『マイ・プライベート・アイダホ』の撮影中だった。 リヴァーは弟に映画について教えはじめる。 「兄は家に帰ってくると、こんなふうに言うんだ。 『おれらは『レイジング・ブル』という映画を見なくちゃいけない』。 するとぼくは『なんだって?』みたいな感じで。 その前には『ボールズ・ボールズ』『スペースボール』、それからのコメディ作品も見たんだよ」 それから少しして、兄が奇妙な予言を口にしたことがあったという。 「兄はぼくに名前をまたホアキンに戻してはどうかとすすめ、それから、ええと、半年ぐらい経って、ぼくらがフロリダにいるとき、キッチンで兄が言ったんだ。 『おまえは俳優になる。 おまえはおれ以上に有名な俳優になる』とね。 ぼくは母と顔を見合わせて『リヴァーはいったいなにを言ってるんだ?』って感じだった」「ぼくはなぜ兄がそんなことを言ったのかも、当時、兄がぼくのなにを知っていたのかもわからない。 そのころはまるで演技をしていなかったからね。 だけど、兄はかなりの確信をこめて言っていたんだ。 そのときのぼくには、まるで馬鹿げた話に思える確信をこめて。 でももちろん、いま考えると『兄はいったいなんで知ってたんだろう?』と思うよね」 16歳のとき、生物の教材として解剖に使う死んだカエルが郵便で送られてきて、それが勉強をやめるきっかけとなったとホアキンは言う。 両親がそれを叱ると、彼は生意気にも両親に「だったらぼくを逮捕させれば」と言い返したそうだ(母ハートはその件を覚えていないという)。 それと同じころ、ホアキンはロン・ハワード監督の『バックマン家の人々』に、自らの性の芽生えに向き合う陰気で口の重い少年役で出演した。 ハートは息子のホアキンがこの役、なかでも父親の歯科医院を破壊し、泣き崩れるシーンに感情的にのめりこんでいたことを覚えているという。 あとで「私は現場であの子を抱き締めてやらなければなりませんでした。 あの年ごろの子が感じるはずだと想像する感情で、あの子の胸がいっぱいになっていたからです」そうハートは言う。 ホアキンによれば、彼ときょうだいたちはザ・ヴァイパー・ルームのようなクラブの常連ではなかった。 1993年リヴァーはその店に行き、音楽を演奏したいと思って店にとどまっていたと伝えられている。 「ぼくはそんなの兄らしくないと思ってる。 兄なら、店で演奏しようとするとする前に、新しく作った曲をぼくに演奏して聞かせてくれただろう」 リヴァーの死後、一家はコスタリカに引っこんだ。 その悲劇が若きハリウッド俳優の教訓物語にされ、尽きることのない神話と陰謀説が渦巻くなか、マスコミの容赦ない詮索から逃れるために。 「私たちはすべてから立ち去りました」ハートはそう言う。 「あれはひどすぎました。 新聞各紙ときたら。 私たちはその一切を見ることなく、ただその場から立ち去ったのです」 一家は何カ月ものあいだひっそりと喪に服した。 そしてフェニックス家のメンバーが初めてコスタリカの農場から出たのは、ホアキンがガス・ヴァン・サント監督の最新作で主演の『誘う女』(95)のオーディションを受けるために母親とともにニューヨークに飛んだときだったという(この映画のキャスティングアシスタントだったメレディス・タッカーは、彼のオーディションはいまだに、これまで自分が見たなかでもっともすばらしいものだったと言っている)ニューヨークに到着したとき、ホアキンはもう3年から4年くらい演技をしていなかった。 「彼の姿を見たとたん、私は号泣していた」ヴァン・サント監督は言う。 「あんな状態になってしまうとは自分でも思っていなかったけれど、とにかくやりきれなくて」 大人の俳優としての初めてのシーンで、ホアキンは囚人服に剃った頭で現れる。 漆黒の眼差しと唇の上に思わせぶりな傷跡のある、つぶやくように話す犯罪者として。 彼には傷つきやすさと一種の悲劇の存在を強くにおわせる非凡な力があるのだ。 それとも、彼がリヴァーの弟だから我々はそういう見かたをしていたのだろうか。 数年後、ホアキンがみごとにジョニー・キャッシュになりきって俳優としての名声を確立したとき、そのキャッシュが12歳のときに兄を亡くしていたことから、おそらくもっとも頻繁にたずねられたのが、お兄さんの死があなたの演技にどんな影響を与えましたかという質問だった。 その当時、彼はこの質問を毛嫌いし、「兄の死を悼む弟」と見なされることに怒りを表明した。 自宅裏の日除けのあるパティオで煙草を吸い、犬用出入り口から愛犬たちが出たり入ったりするのを見つめながら、彼は長年のこうした問いに対する自分の反応を振り返る。 「当時のぼくは俳優として世に出てたから、すでに知らない人がいないような事柄について、にわかに公共の場で語らなければならないという立場に立たされたんだ」ホアキンは言う。 「5分間のインタビューでも、そして映画のプロモーションイベントでも絶え間なく」「ぼくはそういうときこんなふうに思っていた。 『いや、ここはそれにふさわしい場じゃないし、その話をするのはそらぞらしい気がするし、あんたの声を聞いていると、心から気にかけ、興味を持っているよう聞こえるようがんばっているのがわかるけど、実際、腹の底ではなにを考えてるんだよ』と。 だけど、そう言うより『くたばりやがれ!』と言うほうがずっと簡単だった。 理由はどうあれ、あれこれ説明するよりそのほうがずっと簡単だったんだ」 リヴァーについては今もあまり触れられたくない。 いずれにしても、キャッシュとしての演技はホアキンを役になりきるたぐいまれな才能を持った俳優として決定づけた。 「俳優として得た経験はぼくを深め、ぼくの心の奥底に刻まれていると気づいたんだ」ホアキンはキャッシュ役についてそう語る。 「天啓のような感覚があり、まるで踊りながら一歩ずつ物事の核心に近づいているような」 ホアキンはこんなふうに考えている。 アーサー・フレックやジョニー・キャッシュのような役柄と相性がいいのは、なにかもっと神聖なもの、いわゆる「宇宙規模の不安」、おそらく「出生前からの」なにかに起因しているのではないかと。 「生まれと育ちのコンビネーションに関係しているんだろう」そう彼は言う。 たとえ『ジョーカー』の製作過程でよい友人になったフィリップス監督であっても。 ザ・ヴァイパー・ルームでの出来事について質問した私に、ホアキンはこう言う。 「きみはなんて偉大で慎み深い人間なんだ。 皮肉っぽく聞こえると思うが、これは皮肉だよ」 2019年のリヴァーの命日に、レイン(この姉のことをホアキンは愛情をこめて「ヒッピー女」と呼ぶ)は兄の思い出と兄が残したものをテーマにした『リヴァー』というアルバムを発売する。 マイケル・スタイプとのデュエットも入ったこのアルバムをレコーディングする前に、レインは家族の悲劇を公に扱うことに対して、母が「家長」と呼ぶホアキンを含む家族の承認を求めた。 姉が自らの体験を発信する必要があることに、ホアキンは理解を示した。 「姉だってそこにいた。 ということは、やはりぼくばかりが多くを担わされていたと思う」ホアキンはそう言う。 「だからこう思っていた。 そんなことおれに聞くなよ。 最近、お父さんはどこで暮らしているんですか? 「天国で暮らしている」ホアキンはそっけなく言う。 ちょっと待って、それはどこ? コスタリカのこと? 「これまでそこに行って帰ってきた者はいない」ホアキンは言う。 お父さんはご存命なんですよね? 「そうなのかい? そりゃよかった、最高だ」彼はそう皮肉る。 「父と話さなくちゃ」 ホアキンはこう続ける。 じつは父親は4年前に癌で亡くなったのだが、その出来事はニュースにはなっていないと。 「突如、きみの事前準備が足りなかったことが判明したな」彼はそう言う。 彼はこのからかいを続行することの娯楽的価値を吟味する。 「わけがわからないだろ」彼は笑い声をあげる。 「さっきのはちょっとした冗談さ。 父は今も生きているよ」 私はちょっとたじろぐ。 「ほんとうに?」 「いや、父は死んだ。 ごめん」 実際、父親は亡くなっていた。 ホアキンはこんなふうに、現実と虚構の境目を曖昧にすることを好む。 2010年の『容疑者、ホアキン・フェニックス』からもうかがい知れるように。 同作品では、俳優としての実際の人格と、ディレッタントのヒップホップアーティストという架空の設定をミックスした、ハリウッドセレブのパロディともいえる「ホアキン・フェニックス」役を演じ、裸の売春婦を手荒に扱ったり、ドラッグを鼻から吸引したりすることまでしていたのである。 いまだに、数年前の彼が個人的な危機を体験していたのだと信じている人さえいるほどだ。 「昨日、パーティーをやったらあるブラジル人に言われたよ。 『きみは今も素敵な音楽をやってるの?つまり、今もラップしているのかい?』とね」ホアキンはそう言う。 「ぼくはこう返した。 『それ、本気で言ってるのかい?』って」 とはいうものの、2010年にふたりの女性、つまり『容疑者、ホアキン・フェニックス』の製作者と撮影監督がセクシャルハラスメントおよび精神的苦痛などでケイシー・アフレック監督を訴えると、この現実と虚構の境目はいっそう曖昧なものになった。 なお彼女たちは、ホアキンとケイシーがふたりの女性との「性行為」に及ぶため、コスタリカでの撮影中に自分たちの寝室を使用したと主張している。 また、訴えではラスベガスのパラゾホテルでのシーンで、ある晩の撮影では「女装趣味の男たちを含む複数の売春婦たち」がいて、原告たちは「一般公開される映画の完成版のなかに、このホテルのスイートルーム内で起きた一切の行為は含まれない」と告げられたとしており、その行為は純粋にケイシーの「欲求充足」のためのものだったと主張する。 当時、ホアキンとケイシーは義理の兄弟の間柄で(ケイシーはホアキンの妹サマーと結婚していた)、その裁判沙汰は『容疑者、ホアキン・フェニックス』の作品としての着想にひじょうに具合の悪い穴をうがち、ホアキンは世間が思っている以上に、映画に出てくるような自己陶酔型の大馬鹿者なのではないかという疑問を生じさせたようだった。 このふたりは1995年の『誘う女』の現場で出会っており、2006年にケイシーがサマーと結婚する前、ふたりはニューヨークの同じ建物に住んでいて、ともにマンハッタンのナイトライフを楽しみ、イタリアで右腕の下に黒の円のおそろいのタトゥーを入れたこともあった。 弁護士から、ケイシーへの訴訟事件について話さないよう言われているのだとホアキンは語る。 なお、訴訟そのものは2010年に和解が成立した。 2018年、ホアキンは「ガーディアン」紙のザン・ブルックスに、自分は力の不均衡によって苦しむ人々に心を寄せるとともに、過去にそのような場面を目撃した際にもっとはっきり自分の意見を表明しなかったことを悔いていると語った。 ブルックスに対し細かい説明をしようとはしなかったものの、ホアキンはあれはケイシー・アフレック事件について言っていたわけではないし、自分は不適切な性行為を目撃していないと断言する。 はっきりしているのは、その後のケイシーと妹サマーとの離婚が、ホアキンにとってあの出来事の結果だということだ。

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『ジョーカー』主演、ホアキン・フェニックスの奇妙な素顔「役作り?そんな話、バカらしい」

ジョーカー ホアキン・フェニックス インタビュー

コメディアンを夢見る心優しい男アーサー・フレックが、悪のカリスマへと変貌していくさまを描いた映画『』。 日本でも大ヒット中の本作で、アーサー=ジョーカーを熱演し、アカデミー賞ノミネートも確実視されているが、日本向けの合同インタビューで本作について語った。 ( この記事は映画『ジョーカー』の内容に触れています)(構成/編集部・入倉功一) Q:『ジョーカー』は、アメコミ映画としてはじめて、ベネチア映画祭金獅子賞(最高賞)を受賞しました。 あの瞬間をどのように受け止められましたか? ああいった形でこの映画が受け入れられるとは思っていなかったから、その期待を超える出来事だったね。 僕とトッド(・フィリップス監督)はただ、キャリアを台無しにするような映画は作りたくなかった。 だから、ああいったことは映画にとってとても重要だと思うし、ただただ驚き、興奮していたね。 Q:本作は社会的な問題を多く扱っているように思えます。 はじめて脚本を読んだ時、ストーリーのどんな点に惹かれました? 脚本を読んだ時は、多くの感情が入り混じっていたんだ。 アーサーや彼の過去にとても同情する瞬間もあれば、正反対の反応をしたりもした。 その良い例は、地下鉄の場面だ。 アーサーは女性が3人の酔っ払いに嫌がらせを受けているのを目撃するが、助けようとはしない。 彼は実際、その男たちに魅了されている。 男性がどうやって女性と話すのか理解していないんだ。 「ああやって女性をひっかけるんだ。 これがその方法なんだ」と考え、彼らを研究している。 (何も知らない)子供のような心理で眺めているんだ。 そのことにとても心を痛めたし、悲しかった。 他人から与えられる苦しみを知っているのにもかかわらず、他人のためにそこに介入するという概念がないことに、がっかりしたんだ。 それは、彼を心理的に掘り下げる上でとても興味深いことだった。 そして彼は攻撃される。 そこには同情した。 彼の精神は子供と変わらないんだから。 そして彼は自己防衛し、プレデター(捕食者、略奪者)になるんだ。 もし自分が攻撃されたら、僕も身を守るため同じことをしたかもしれないと想像した。 あのシーンにはとても影響を受けたし、驚かされた。 アーサーの心理と共に、彼が普段どんな経験をしているのかをとてもよく描写していると思う。 それからのプレデターとしての彼のシーンには、いくつか共感することは出来たけど、いくつかには嫌悪感を覚えた。 Q:今作のアーサーは大道芸人としてメイクをしたり、ピエロになったりしますが、これは俳優業と共通したところがあるように思います。 アーサーに共感する部分があるとしたら、どの部分ですか? わからないな。 間違いなく多くのことがあると思うけど、僕は「どうすればこの役に共感できる?」とは考えないんだ。 (役づくりにおいて)僕はただ、情報を消費する。 もしリサーチ用の資料を2人の役者に渡したとして、それぞれ違うものを資料から見出すことになるだろう。 そこには何か、僕自身のものがあると思うんだ。 消費している情報や、興味を持ったことは、僕がどういう人間かということに関係があるに違いないとね。 そうだろう? でも、それを明確にしようとはしないし、気にもしてもいない。 そういうふうに役にアプローチしないんだ。 [PR] Q:さまざまな俳優がアイコニックなジョーカーを演じてきました。 過去のジョーカーのことをどう思いますか? お気に入りのジョーカーは? 『』(1989)でジャック(・ニコルソン)が演じたジョーカーは、子供の時に観た。 でもそれ以来、一度も観ていないから正直に言って、ジャックのジョーカーはあまりよく覚えていない。 それからヒース(・レジャー)のジョーカーも公開時に観た。 あのキャラクターはすごくパワフルで、ジョーカーの解釈も素晴らしい。 この映画を終えた後で『』を観てみたら、映画全体についてほとんど覚えていないことに気づいた。 ヒースは助演で数シーンしか出てこない。 彼はそれでもすごく多くのことを伝えていると思う。 彼がどれほど素晴らしかったかということを見せてくれたよ。 たった1つのシーンで、キャラクターの心理や、幅広い感情を全て伝えることができていたということだからね。 キャラクターを高く評価するうえで、そのキャラの全てを見て、覚えている必要はないということさ。 本当に素晴らしい演技だ。 でも、彼らのジョーカーは僕とは全く違うところからやって来たと思う。 僕らにとって独自のユニークなキャラクターを創造したと感じることが重要だったんだ。 僕にはジョーカーだけでなく、アーサーを掘り下げられるという利点もあった。 Q:ジョーカーに限らず、このキャラクターに影響を与えたものがあれば教えてくださいますか? 間違いなくたくさんあると思う。 でも、意識していたものはないかな。 正直に言って、僕はジョーカーのことをどう演じればいいかはっきりわからなかったんだ。 何ができるのか、アイデアはたくさん持っていた。 でも、それ(ジョーカー)が何かはっきりわからなかった。 そして、(劇中のトークショー)「マレー・フランクリン・ショー」を撮影している間に、ジョーカーの本来の姿、ある部分が出てきたんだ。 後から考えてみると、それは『』のフランクン・フルター博士だと気づいた。 『ロッキー・ホラー・ショー』は知ってる? Q:もちろんです。 あの映画のフルター博士だ。 ある時、突然「なんてことだ、完全に影響を受けていた」と気づいた。 子供の頃『ロッキー・ホラー・ショー』が大好きで、常に演じることができたらいいなと願っていた、最も素晴らしいキャラクターの一人だ。 ある時点で、僕は突然「ああ、僕はフルターを演じているんだ」と気づいたんだ。 それと、これも後で気づいたんだけど、あるセリフを、まるでなまりのように特定のリズムでしゃべっていたんだ。 「なぜ僕はあんな言い方をしているんだ?」と思っていた。 そして、キャサリン・ヘップバーンだって気づいた。 「オーマイゴッド。 僕はキャサリン・ヘップバーンを演じているんだ」って思ったんだ。 僕らがいつも想像していたのは、アーサーは世界から孤立しているということ。 彼はテレビと映画を観て育った。 それがリアルだと思っていたんだ。 Q:アーサーのダンスシーンは少し奇妙で物悲しくて、ともて素晴らしく印象的でした。 あのシーンにはどのように取り組んだのですか? それぞれのダンスシーンは、アーサーの感情的な真実からやってこないといけない。 彼が感じたことに対する反応なんだ。 何らかのアクションがあると予想して準備をしたのは、2つのシーンだけだった。 他(のダンスシーン)は、そのシーンで何を言おうとしているのかを探りながら生まれたものだ。 だから、それらのシーンは全てを予期していなかったものなんだ。 特に際立ってトッドと話したのはトイレのシーンだよ。 もともとあれは、アーサーが銃を隠すだけのシーンだった。 だけど僕らは、アーサーの内面で起きていることを掘り下げる機会のように思えたんだ。 アーサーがずっと戦い続けて抑えてきた、彼の中にあるジョーカーの部分が、ついに解き放たれた場面だ。 でも、彼はトイレの中で1人だから、言葉を使わずにこの変化を描かないといけない。 それが何かはっきりわからなかったけど(フィリップス監督に)「これは奇妙に思えることはわかっているよ、トッド。 でも、それはダンスのように感じられるんだ。 ハッピーなダンスじゃない。 怒りに満ち溢れたダンスじゃない。 ほとんど誰かが取り憑かれるみたいじゃないといけないんだ。 それが何かはわからない。 どの歌をかけるべきかわからない」と言ったんだ。 そしてトッドは「ちょうどこの音楽を受け取ったところなんだ」と言って、(『ジョーカー』の)スコアの一部を流してくれた。 嘆きのチェロ曲みたいで、それだ! と言ったよ。 そこでトッドは、「オッケー。 カメラは君の足下から撮りはじめて上がっていく。 手持ちで撮影するから、この空間を自由に動き回っていい」と言ってくれた。 僕らが話し合ったのはそれだけ。 それから僕は衣装を着て撮影を始めた。 あと、地下鉄の駅でのダンス。 あれは、アーサーを取り抑えようとする警官たちを嘲るという意味のダンスだ。 そして最後のダンス。 階段のダンスでは、アーサーが完全にジョーカーとなっていて、彼の高揚感を表している。 自分がクールで優雅だと感じているんだ。 でも観客は2つの違う視点からそれを見る。 一つは1秒間24フレームの映像。 それは現実だ。 それほどクールなダンスじゃなくて、ぎこちなく、ある意味で居心地が悪く見える。 それから1秒間48フレームにスイッチする。 すると突然スローモーションになり、優雅でクールに見える。 彼はタバコを吸って、すっかりうぬぼれている。 本来の自分であるかのような気分なんだ。 あのシーンで、トッドがこの2つの違う視点を見せたのはとても興味深い。 ジョーカーが何者かという現実と、彼がこうだと思っている自分。 それをテクニックを使って見せているんだ。 Q:今作で、かなり体重を減らしたそうですね。 そのプロセスについて教えていただけますか? また、それはどのように演技に影響を与えましたか? もちろん。 (減量を)始める前は、太っていたんだ。 でも幸運なことに時間はあった。 最初の2か月は自分で減量に挑んだ。 カロリーを落とし、ワークアウトをしてね。 撮影の2か月前には栄養士と一緒に取り組んだ。 かなり特殊なカロリー制限のダイエットをやったんだ。 ビタミン剤やミネラルは摂取していたけど、カロリーは取らなかった。 かなりタフだったよ。 彼は、愛と尊敬と憧れに満たされたいんだ。 そういうフィーリングを減量が僕に与えてくれた。 それはまた、自分の体へのフィーリングや、動きにも影響を与えた。 本来あるべき動きを見出させてくれたんだ。 それと、目標体重まで落とせた時は、ある意味でとても力づけられた。 (生きるため)自分に何かを食べさせるという、人間が必要とする欲望に打ち勝ったわけだからね。 自分の体を極端な状態に持って行く時、そこには、力がみなぎる感覚があるんだ。 そして突然、自分の筋肉の動き方にまで気がつくことができたんだよ。 そうしたことの全てが、アーサーのキャラクターを作り出す上で大きな役割を果たした Q:コミックブックのキャラクターを演じるのは初めてですが、この役をやろうと思った決め手は何だったのでしょうか? できるかどうか自信がなかった。 自信がなかったのが一番の迷いの原因なんだ。 どんな役でも簡単には受けない。 この役も決断までに時間がかかった。 できないかもしれないという、恐怖心に駆られたんだ。 こなせるかどうかわからなかった。 この役を演じるには、この映画が言わんとしてることを深く掘り下げ無ければならないわけだけど、それだけでもかなりの挑戦だと感じた。 同時に役者としての僕、人間としての僕への大きな挑戦だとも理解した。 そしてさらに、観る人にとってもチャレンジングなものとなる。 スーパーヒーローが登場する映画は勿論見たことがあるし、どれもよくできていたと思う。 キャラクターがどんなスーパーヒーローで彼らのモチベーションは映画の始めからはっきりしていて、複雑な要素はない。 すべて見え見えという感じに思えて、今までコミックのキャラクターを演じる事にひかれなかったんだと思う。 深みをもって描かれていないと感じたんだ。 楽しそうだけど中身が詰まっていない。 楽しみながらやれる役は勿論好きだけど、さらに欲張れば、演じる役から、これでもか! と挑まれたい願望もある。 新しい何かを学べればもっと良い。 知らなかった僕の内面や世界の発見。 そんな贅沢がどれほどあるのかはわからないけど、そんなことが起これば良いなぁという願望はある。 キャラクターを選び、演じる事で、1人の人間として知らなかった事や知らなかった社会の一部などが僕の目の前で広がっていくこと。 『ジョーカー』は今言った諸々の事を満たしてくれたような気がしたんだ。 皮相な答えは出していない。 映画って往々にして、答えを簡単に出しすぎる時がある。 でも生きるってことはそんなに浅くて簡単な事じゃないし、人間の心理ってもっともっと複雑だ。 何でそんなことをするのか? 人の言動の裏側は理解できないことの方が多いし、無意識に行動に駆られる事だってある。 わかってると思っても、ほとんどの場合はわかってないんだよ。 この映画は、表面的な答えは出していない。 簡単な答えが出るものなんて、この世の中にないんだからね Q:暗く重いキャラクターですが、1日の撮影が終わった後でも、ジョーカーから抜け出す事はできましたか? 演じているキャラクターと自分は違うとはっきり意識してる状態だったら、それは僕のやってる事が上手く行ってないと言う事。 理想は自分とキャラクターの距離が無くなる事だからね。 撮影が進むにつれて、僕がやることすべてがキャラクターのやる事……と言う状態に入れたら最高だ。 僕の生活のすべてが映画に、そして役に焦点が合っている。 だからこそ、家に帰った時に役から抜け出すとか、撮影現場に役を置いてくるってことを意識する事はない。 でもだからといって、ずっと役のままでいるってワケじゃない。 メソッドアクティングとかってよく言うけどそれが何なのかもわからないし、わかろうとした事もないんだ。 つまり、僕が意識的にやることは頭のなかにある僕のキャラクター(アーサー)を演じる一連の流れを維持するための努力をするってこと。 家に帰って前の週に撮影したものを見て、次の撮影ではどうするのかプランを立てる。 間違った演じ方をしてしまったと落ち込んだ時はトッドに電話をして、彼を殺してから自分も自殺すると脅迫する(笑)。 そこから上手くできた部分の話をしこれから撮影するシーンをいかにものにするかを話し合う。 僕が意識的にこの映画の事を考えなかった時間は寝てる時だけって事になる。 関わってる映画の世界が僕のすべてになる。 いつもそうなんだ。 Q:ロバート・デニーロとの共演はどんなものだったのでしょうか? 正直に言って、撮影中に「今、ロバート・デニーロと共演してる!」っていう意識は全く持たなかった。 トークショーのシーンはいろいろな要素が含まれていて、非常に難しい撮影だったからね。 アーサー、そしてジョーカーをいかに表現するのか、複雑で深いものを理解するために探求するべき事が山ほどあった。 それまでアーサーが見せた事のない部分を暴露しなければならなかったし、彼がそこで何を感じていたのかをいかに上手く表現するか、それだけしかなかった。 Q:この映画が脚本に添って撮影されたのかどうかわからないのですが、アーサーが少しづつジョーカーに変化して行く状況、アーサーへの理不尽な仕打ちや環境によってダークサイドがむくむくと顔を出していくさまがうまく表現されてます。 段階を踏んだ彼の変化にすいて、そういった形で準備したのでしょうか。 脚本に書かれているように順撮りされたわけではなかった。 初めは嫌でしょうがなかったんだ。 特に、ジョーカーとしてのシーンを最後まで待たずに撮影しなければならないと知った時は、非常にがっかりした。 トッドには最後まで待ちたいと言ったんだ。 怒りをぶちまけていたからね。 今の段階でジョーカーを演じるのは無理だ、そんなことはできない、ここですでにジョーカーをやるなんて意味がない! って騒ぎ立てたよ。 撮影が始まって6週間目の終わりか7週目に入る時で、それまでジョーカーになった事はなかった。 でも初めてジョーカーを演じた時、閃きがあった。 今まで演じてきたアーサーは間違いだったってね。 キャラクターへの理解度がまったく違う段階に達し、アーサーへのアプローチを変えたんだ。 あの時の僕はすごく怒ってたけど、今はとても感謝している。 あれがなかったらアーサーへの理解は、中途半端なもので終わったからね。 ジョーカーを演じてキャラクターへの考えが変わってしまったから、アーサーとしてやって来た事を振り返って、いろいろなことを調整しなければならなかった。 いくつかの細かい部分が意味をなさなくなってしまったんだ。 アーサーのヘアスタイルを変えたし、衣装も少し調整した。 もちろん、アーサーの行動にも変化をつけた。 そう言う事だったのかと言うひらめきを感じた瞬間から今までのやり方が間違ってたと気がついた訳だからそのまま進む事はできない。 今までのやり方が間違ってたと気がついた訳だから、そのまま進む事はできない。 Q:その結果、再撮影もあったんですか? 少しはあった。 僕にとってこの方法でしか映画は作れない。 アジャスト(調整)するのは他の創作においては当たり前の事だ。 例えば、レコードを作る時、歌をレコーディングし直すとか音を調整するのが当たり前のようにね。 創造には流動性がなければならない。 ただ数をこなすためだけのものじゃないんだ。 創作するということは、呼吸をしているということだから。 脚本に従って撮影するだけじゃ呼吸をしている、生きたものはできない。 再撮影の大切さは、監督と仕事をして学んだ事なんだ。 僕はそれまで、再撮影を嫌ってた。 恐れていたと言ってもいい。 1回目は失敗だったって事なのか? とね。 恥とさえ思っていた。 そのシーンのために徹底的に掘り下げたものを繰り返すなんてできないとね。 そしてそれは、演じるキャラクターの軸となる部分だったんだ。 ポールと僕は「調整」せざるをえなくなった。 それで再撮影への見方が変わったんだ。 創作をしている側にとって、さらなる追求をする素晴らしいチャンスが与えられるものだってことに気がついた。 今となっては、それ以外に創作をする方法はないとまで思うようになったよ。 Q:アーサーというキャラクターの言動は何が真実で何がイマジネーションで何が作り上げたものなのかハッキリしません。 彼を演じたあなたにとってアーサーの真実とは何なのでしょうか。 僕が確信を持てるアーサーの真実は、子供の頃に酷い目にあって、かなり深いトラウマを抱えていると言う事だ。 それがアーサーを創りあげるスタートだった。 ワルガキどもに襲われる場面で彼は、凍りついて自己防衛もなにもできなくなっている。 フリーズ状態に入ってしまうよね。 その行動から、彼がかなりのトラウマがあったと信じるに至った。 このストーリーの他の部分では、彼の言ってる事の多くが複雑なジョークを複雑にしただけという感じだ。 彼が語るユーモアなんかからそう思った。 最後に笑いながら「ジョークを考えたんだけど、どうせ君たちは何も理解できないさ」と言うひとりよがりな部分も含めて、その言動をどこまで信じていいのか僕にもわからなかった。 でも、その反応から見て、彼が幼少期のトラウマを抱えてる人間だと判断したんだ。 映画『ジョーカー』は全国公開中 C 2019 Warner Bros. Ent.

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