平野権太。 古川組

古川組

平野権太

緊急執行部会が開かれた神戸山口組事務所。 7月に入り、静寂に包まれてきたように見えていた3つの山口組。 その中で8月を目前にまず動きを見せたのは、井上邦雄組長を頭首とする神戸山口組であった。 26日、神戸市二宮にある神戸山口組事務所に同組織の最高幹部が続々と集まり、緊急執行部会が開催されたのだ。 ヤクザ事情に精通しているジャーナリストはこう話す。 「19日に開かれた執行部会同様、今回も執行部の一員である池田組の池田孝志組長の姿が確認されなかったが、その池田組長が舎弟頭から最高顧問に就任することが緊急執行部会で決定したようだ」 池田組長とは五代目山口組時代から、その資金力には定評があり、神戸山口組誕生の立役者の一人とわれているほどの人物。 その池田組長は、緊急執行部会の翌日に神戸山口組事務所に姿を見せたことが捜査関係者にも確認されている。 内情を知る関係者らの話によれば、池田組長が執行部を離れ、最高顧問に就任したことで、今後はさらに高所から、神戸山口組の最高顧問として、その重責を果たしていくこととなるようだ。 この緊急執行部会の前日の25日。 神戸山口組関係団体に、三代目古川組から、一枚の挨拶状が配られている。 そこに記されたトップの名前は、大阪では誰もが知っているほどの武闘派だった。 その名は、権太会という組織を率いる平野権太会長。 「ゴンタ会長のゴンタは、ごんたくれ(乱暴者)からつけられた通称。 少年時代から、さまざまな武勇伝を持ち、地元・生野(大阪市生野区)では誰しもがその名を耳にしていたほどだ」 権太会は、任俠団体山口組発足当初、同団体に参加した山崎博司組長が率いる古川組に所属していたといわれているが、今回流布した挨拶状によると、この古川組と袂を分かち、三代目体制が発足したばかりの仲村石松組長率いる、神戸山口組傘下の三代目古川組に移籍を果たしというのだ。 超がつくほどの武闘派組織の加入に、船出したばかりの三代目古川組の士気がますます高まったのは間違いないだろう。 一方で、任俠団体山口組の古川組にも、組織のためにジギリ 身体 を賭け、長期服役を務め終えたある大物幹部が一線へと復帰を果たしている。 「現在は、古川組で組長代行という要職を務めているが、ゆくゆくはプラチナ(直参)へと昇格を果たすのは間違いないだろう。 それほどの人物であり、功績を残している」 関係者はこのように口にしており、任俠団体山口組傘下の古川組の士気も決して衰えを見せていないといえそうだ。 神戸山口組の分裂に伴い、2つに割れた名門・古川組も、水面下で激しい攻防戦が繰り広げているのだ。 六代目山口組も総本部に集結 そうした中で、7月も28日を迎えた。 28日といえば、毎月、任俠団体山口組が定例会を開催してきた日だが、今回開催場所となったのは前回同様、兵庫県尼崎市に本拠を置く四代目真鍋組本部だった。 今回の定例会には、組織名称を新たにした傘下の有力組織から、複数の幹部らが訪れるのではないかと見られていたが、捜査関係者らによれば、実際にその幹部らの姿が確認されたといわれている。 それ以外には、新たな大きな動きといえるものはなかったようだ。 そして同日には、六代目山口組も長期休みに入るために、神戸市篠原にある総本部に直参組長が集結し、六代目山口組・司忍組長に大して、休み前の挨拶が行われたようだ。 さらに遡ること数時間前。 28日に日付が変わる27日深夜には、福岡県博多市で撃鉄が落とされている。 事件の詳しい情報は次回に譲るとするが、昔からヤクザの抗争は8月に起こりやすいと言われている。 これがその前触れになるのだろうか。 以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。 著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。 最新刊は、元山口組顧問弁護士・山之内幸夫氏との共著『山口組の「光と影」』(サイゾー)。

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【野内組】弘道会/山口組

平野権太

- 「『三』代目古川組」。 三代目組長は仲村石松(神戸山口組若中。 で長らく最高幹部を務めた経歴を持ち、三代目琉真会会長も兼任)。 三代目古川組の総裁に転じた人物は二代目古川組組長古川恵一と同一人物だが、2019年11月27日射殺される。 - 「古川組」。 山崎博司組長(本部長)。 2017年5月、古川恵一親分を追い出す形で山崎博司が三代目組長を名乗る。 しかし2017年6月、同組は、自らは三代目古川組ではなく「古川組」であり、古川組二代目組長が山崎博司であるという声明を出した。 つまり同組では古川恵一を二代目と認めていない。 特異な治安環境を持つ兵庫県尼崎市には旧来より、分裂前の山口組に、有力な二次団体が、3社あった。 - 大平一雄初代は山口組の歴史上初めての「本部長」職を務めた。 古川組 - 本項• 四代目真鍋組 - 任侠山口組若頭。 通称「マナイケ」。 大平一雄も相当の大物であったが、初代大平組ナンバーツーであった古川雅章(古川真澄)は古川組として独立以降、その権勢をもしのいだ。 古川組独立後も大平組と古川組は友好関係にあった。 古川組は過去、東京と沖縄に事務所を展開していた。 沖縄県で古川組の活動を行うために設立されたは、勃発のきっかけとなった。 第4次沖縄抗争はヤクザ俳優主演の実録「」で描かれている。 略歴 初代 古川雅章(六代目山口組舎弟/五代目山口組若頭補佐/四代目山口組若中/大平組舎弟頭)• 2005年10月、古川組組長古川雅章(古川真澄)は、引退した。 2005年11月、古川組若頭古川恵一は、二代目古川組組長に襲名し、六代目に参画した。 2015年12月8日、六代目山口組を離脱した。 2015年12月9日、に参画した• 2019年11月27日、午後5時過ぎで自動小銃(系である?)と見られるもので10発程撃たれ死亡。 享年59。 犯人は二代目を2018年12月5日に破門された元竹中組直参であり、京都市内で京都府警に逮捕された。 各勢力の現在• 古川雅章(古川真澄) - 2005年引退、2006年死去。 古川恵一 - 古川雅章の息子。 カタギとして半生を過ごし、中年になってから業界入り。 実父の古川組を継承し六代目山口組直参に。 2015年11月20日、直接、食べ物を持って尼崎の組事務所を訪問した 若頭補佐から、六代目山口組若中として神戸山口組に対抗するよう、激励を受ける。 竹内照明の意に反し、2015年12月9日、六代目山口組から脱退し、神戸山口組に移籍する。 神戸山口組で直参から幹部に昇格。 2017年04月30日、子分全員がに参画。 このときに古川組事務所の土地建物も取られる。 2019年5月以降、尼崎で焼処ダイニング店を運営。 2019年11月27日射殺。 古川恵一の息子 - 表の本業として尼崎で焼処ダイニング店を経営していたが、2019年5月以降社会不在。 山崎博司 - 二代目古川組若頭であったが、2017年4月30日、に参画。 古川組から古川恵一親分を追い出し古川組事務所の土地建物を手に入れる。 この際、親分追放の経緯を知らせた簡潔な文書を業界内関係先に送っている。 古川組事務所 - 2017年、に移った山崎博司の実効支配のもとに移り、2017年10月以降は任侠山口組そのものの本部機能を持つこととなる。 2018年9月4日組事務所としての使用禁止の仮処分。 以降は組事務所として使用できなくなった。 大興會 - 任侠山口組で「三代目」となる。 大平組・中村彰宏三代目(任侠山口組若中)は中村天地朗二代目(引退、存命)の実子。 平野権太会長は野内組相談役。 坂田会 - 東京都新宿区。 旧・坂勝会。 坂田勝良会長は三代目直参、野内組舎弟頭補佐を兼任。 二代目石元会 - 古川組東京事務所。 浅草石元会。 石元正広初代は・の実父であるが、太一がこの組織に関わったことはない。 - 側と側に分裂している。 仲本政弘グループ(六代目山口組三代目司興業 琉真会) - 仲本政弘は琉真会初代会長。 六代目山口組参加。 三代目司興業に参加。 仲本政弘会長は司興業特別相談役。 仲村石松グループ(神戸山口組三代目古川組三代目琉真会) - 仲村石松は琉真会で仲本政弘らに仕え、長く幹部を務めた。 仲村石松は琉真会三代目会長、古川組組長代行に。 2017年7月6日、仲村石松が古川組三代目を継承し、古川恵一は総裁職に就く。

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平野権太

権太会の幹部たちが会したしたときの様子 既報の通り【】、山口組分裂騒動のなかで、その去就に注目が集まる権太会。 その権太会を率いる平野権太会長の渡世入りは、兵庫県伊丹市に本拠地を置いていた松野組となる。 今ではどの組織でも若頭の次の組織の要として、本部長という役職を設けられているのだが、初めて山口組に本部長が新設されたのは、三代目山口組時代ということになる。 そして、新設された本部長に初めて就任したのが初代大平組・大平一雄組長で、松野組は大平組の傘下組織から、山口組の直系組織(直参)へと昇格しているのだ。 その際、同じく大平組から直参へと昇格を果たしたのが、兵庫県尼崎市に本拠地を置く初代古川組で、さらに数年後には、初代大平組から、長野県に本部を構えていた近松組が直参へと昇格を果たしている。 その松野組内にあって、武闘派として異彩を放つ組織があった。 それが大阪市大正区にあった尾上組で、同組で最高幹部を務めていたのが平野会長であった。 前述の通り、松野組の直参へと昇格を果たすと平野会長は、松野組で最高幹部職を歴任。 だが平野会長の服役中に、松野組は二代目体制へ。 その後、本家である六代目山口組から二代目松野組組長が除籍。 残った組員らは、松野組の出身母体である二代目大平組に戻ることになった。 そのなかには、当時まだ名もなき筆者も含まれていた。 平野会長は上部団体である二代目大平組の最高幹部も歴任していくことになるのだが、その当時の秘話は事欠かない。 松野組時代には同組織で若頭を務めていた某組長のあまりの横暴さに腹を立て追いかけ回したこともあれば、大平組への加入後には、同組の定例会に拳銃を持参して大ゲンカしたこともあった。 群雄割拠といわれる西成の博打場でも、「ゴン太じゃー!」で押し通してきたのである。 普通の不良ではまかり通らないことを、平野会長は平然とやり遂げてきたのだ。 そんな平野会長の姿を、当時の筆者は間近で見ていた。 豪快であった。 そして抜群の人気があった。 しかし、そんな豪快さが災いしてしまい、平野会長は再び刑務所へと収監されることになってしまうのだ。 その受刑生活中に、二代目大平組は、親分の中村天地朗組長の引退に伴い、組織名称を一旦、封印させることになる。 そして平野会長は、出所後に二代目古川組へと移籍。 最高幹部の一端を担うのであった。 この時、組織名を「平野組」から現在の「権太会」へと変更させたのである。 神戸離脱は若い衆の将来を見据えてのものか そして今回、神戸山口組三代目古川組から離脱が決定した。 そして、古川組からは破門状が出ることになったのだ。 だが、関係者らの話を総合すると、それは平野会長の意向によるものであったという。 「権太会長は、超がつくほどのイケイケだが、その半面、とにかく義理堅い親分としても知られている。 そしてヤクザとしての筋については、ものすごくキチッと考えている親分だ。 今回の離脱も、若い衆の将来を見据えてのものではないかといわれている。 それでも、神戸(山口組)には世話になった義理があるとして、平野会長のほうから古川組、ひいては神戸を離脱するにあたって、破門を申し出たのではないかと言われている」(某組織幹部) この話にもあるように、平野会長は義理堅い。 それはこれまでの平野会長の姿勢にも現れていた。 例えば、平野会長は、今でも人知れず、引退した二代目大平組組長、中村天地朗親分のことを現役時代と変わらぬまま大事にされている。 そして筆者自身に対しても、「同じ一門として、本を出し、世に出たので応援してやらなければならない」と影で応援してくれていたのだ。 同じ大平一門で、筆者が書き手の世界に飛び込んだことを一番に喜んでくれていたのが、引退された中村の親分と平野会長であった。 神戸山口組に義理を感じながらも、大所帯となった権太会の将来を考えた際、ヤクザとしての筋を平野会長は優先し、離脱を決断したのかもしれない。 離脱後の権太会が、仮に六代目山口組系列に加わることになれば、今年最大の大型移籍となるのではないだろうか。 次回はその可能性について検証していきたい。 以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。 著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。 最新刊は、元山口組顧問弁護士・山之内幸夫氏との共著『山口組の「光と影」』(サイゾー)。

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