俺を超えられるのはただ一人。 人が限界を超えられる時【GORUCK参戦記】|WP|みどろく(緑六の人)|note

【鬼筆のスポ魂】阪神・矢野監督は「ノムラの考え」を超えられるか(1/2ページ)

俺を超えられるのはただ一人

俺ガイル こと「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」 これです。 これ一択です。 原作が「このラノ」に選ばれたことでも有名、愛称は「俺ガイル」。 渡航先生が描く根暗な主人公「比企谷八幡」の独特な語りが混じった地の文が人気を博し、2013年にアニメ化。 総武高校一年生の比企谷八幡という男子生徒が主人公で、彼はどこまでも卑屈で根暗、そして優しい男の子。 他人のことを考えて考えて考えて、周りの生徒たちには理解されないある種冷徹な優しさを持っています。 そんな彼が属する「奉仕部」は一風かわった部活動。 お悩み相談室のような立ち位置で、総武高校生はもちろんのこと、ときには学外の問題解決にも乗り出します。 部員はたった三人、主人公を除いて残り二人の女子生徒によって構成されています。 雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣の二人がメインヒロイン。 かわいいです。 ヒロインという概念を擬人化したような素敵な女の子が二人も出てきてくれること以外は何の変哲もない学園モノなんです、異能も異世界も出てきません。 なのに、面白い。 どこが魅力かといえば、やはり「共感」です。 現代の若者の心をがっちりつかんで離しません。 物語の構成的には確実に主人公が「ヒーロー」として機能しているんですが、問題を解決したあとにアンパンマンや戦隊モノのようなプラスな後味は味わえません。 むしろ後味悪いんですが、それはこの話がどこまでも人間を描いていて、完全な悪者が一人もでてこないからだと思うんです。 正常な周りの人たちはどこまでも人間的で、逆にこの主人公「ヒッキー」がどこまでも卑屈で根暗、内巻きな精神構造をしていて誰より純粋なんです。 続 たとえば主人公の人柄がわかるエピソードがあります。 文化祭を控えてばたばたしている総武高校の一室、実行委員に選ばれていた比企谷と雪ノ下のふたりは頭を抱えます。 理由は実行委員長に立候補した女子。 この女子、全く仕事ができません! それどころか雪ノ下の優秀さに嫉妬し仕事を丸投げして帰ってしまう始末。 それに対して腹を立てている役員たちですが、当然なにも言えないまま時間が過ぎていきます。 そのなかに比企谷も含まれているんですが、ついに彼が動きます。 比企谷は全員の前でわざと委員長に喧嘩を売ります。 正論は言わないのです。 あくまで「俺の愚痴だけど」というスタンスを貫き、実態のない「みんな」や最も迷惑を被っている「雪ノ下」の名前を一切出しません。 ただ「俺が仕事多くてやってらんねえ」というスタンス。 彼は正義を後ろ盾にせず立ち向かうのです。 委員長がサボっているせいで仕事が滞っている、俺なんてこんなに仕事させられてるんだ、どうにかしろよ、という主張を根暗に、卑屈にぶつけます。 あえて意地の悪い言葉で伝えているのではないかと私は思いました。 集団を団結させるためには共通の敵を作るのが一番であることを理解しているから、わざと悪役を買って出たのです。 続 きっとこの場にアンパンマンや戦隊ヒーローが居ればきっと正論を振りかざして鉄拳制裁で「悪を倒す」んですよね。 「やめろー、バイキンマン! カバオくんのご飯を返せ! 困ってるだろ!」とか言いながら、悪が悪である理由を明確に提示しながら殴るんですよね。 この例で言えば「雪ノ下が困ってるだろ! 自分の仕事は自分でこなせ!」という正論が当てはまります。 全く隙のないド正論です。 ぐうの音もでません。 だから僕ら受け手はバイキンマンや委員長の女の子に直接何かされたわけではないのに彼や彼女に対して悪いやつなんだな、と納得します。 そしてアンパンマンのパンチを待ってましたとばかりに迎え入れます。 でも、なぜバイキンマンは食べ物を奪うんでしょう。 例えばバイキンマンが餓死寸前にまで追い込まれていたとしたら、潤沢な食べ物を持て余しているカバオくんから食べ物を奪うバイキンマンを悪者だと言い切れるでしょうか。 正義の名のもとに弱者をボコボコに殴る輩を、本当に正義だと、ヒーローだと思えるでしょうか。 これはアンパンマンワールドでは絶対にありえないことですが、私達が生きているのは現実です、そして人間です。 往々にして真面目な人や弱者が悪者として糾弾される悲劇が起こりうる残酷な世界です。 比企谷八幡は立派な思想も正義を声高に叫ぶ勇気も持っていません。 それでも、人間として正義をまっとうするための論理を、彼なりに考え抜いた末に準備しています。 無力な彼は人を助けるたびに自分を賭け金として差し出し続けるのです。 それは他人から見れば根暗で卑屈だったとしても、彼の中には確かに彼なりの正義があるのです。 先程の例で言えば委員長という強い立場ではなく一役員である比企谷を悪者にすれば、集団の鬱憤も発散しやすいことを見越していたのではないでしょうか。 自分のことを攻撃してくる相手のことまで先回りして考え、ほんとうの意味での自己犠牲とともに問題の解決を図る主人公。 そこに、現代の空気感を反映したヒーロー像を見るのです。 続 原作に絵と声と歌がついただけがアニメじゃありません。 アニメには、アニメという媒体でなくては伝えられないものがあります。 俺ガイルの独特の空気は原作を読んだ方には分かっていただけると思います。 間違いなくエンターテインメントなんですけど、純文学としても通用する概念を扱っているんですよね。 これをどうアニメにするんだろう、って思っていました。 正直、あまり期待せずに観たんですよね。 観終わったとき、本当に震えました。 原作で読んでいるから結果の分かっている30分アニメって苦痛なんじゃないかって思っていたんですけど、全くそんなことはなくて。 この作品の特徴として、教室内の微妙な空気を描くのがとても上手いという点が挙げられるのですが、あの教室という特別な空間を文章だけで補完するのは本当に難しいです。 アニメは動画と音楽と声が雰囲気を媒介してくれます。 あの微妙な教室の空気を描くのにはアニメが最も適しているんだとこのアニメを観て痛感しました。 他にも俺ガイルには分かりづらい空気がふんだんに盛り込まれていて、そこが持ち味なんですが、キャストの江口さんの演技も相まって、原作の空気感が完全に再現を超えて表現されている印象でした。 とくに、一期の終盤である文化祭のシーンには雪ノ下、由比ヶ浜たちのライブシーンがあります。 あのシーンまで観た人は確実に主人公と同じ視点でステージを眺めていることでしょう。 完全な同化です。 あれはアニメにしかできないことだと、断言できます。 俺ガイル はいいぞ、としか言えません。 もう俺ガイルを語るだけ、みたいになってしまった気がしますが、結論俺ガイルはいいぞ、としか言えません。 ヒーロー像がどうとか、そんな小難しいこと考えずに読んでも純粋に楽しめるのが俺ガイル。 ヒッキーの心情に感情移入しても楽しめるのが俺ガイル。 雪ノ下のデレに萌え死ぬのも俺ガイル。 由比ヶ浜にただただ惚れ込むのも俺ガイルなんです。 もしまだ読んでいない、という方。 そんな方は現代日本にもう存在していないと分かってはいるんですが、一応、未読だよという方。 新刊が出ます。 新刊が、でます。 (数年出ていませんでした) これを機にアニメ、原作で俺ガイルの世界に触れてみてはいかがでしょうか。 そうだ、漫画もあります!.

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超えられない壁

俺を超えられるのはただ一人

「若松孝二とその時代」第18回は、若松プロの新作映画「止められるか、俺たちを(止め俺)」で再結集したスタッフ座談会の後半をお届けする。 顔をそろえたのは、監督の白石和彌さん、プロデューサーの大日方教史さん、脚本の井上淳一さん、撮影の辻智彦さん、照明の大久保礼司さん、助監督の井上亮太さんの6人。 スタッフは通常、作品ごとに集まり、作品作りが終われば、次の別々の現場へと移っていく。 監督の死後数年たって、常連のスタッフが再結集する現場はほとんどない。 慣例を破ったのが「止め俺」だ。 1960年代末から70年代初めの若松プロを描いた作品だが、半世紀前と現在の若松プロのスタッフの思いや生きざまが重なり合う。 映画作りに情熱を傾け、もがき苦しむ姿は、時代を超えてオーバーラップする。 若松孝二という大黒柱に思いを刻み込んで結集した6人の話は尽きなかった。 井上淳一 「戦争と一人の女」(2013年)を監督した時などに痛感したんだけど、自分たちで金を出して、映画を作って、配給して、宣伝して、公開して、その金のリターンで次回作を製作するのがいかに大変かを自分で経験して骨身にしみた。 若松さんと一緒にいて、雑な部分や金に関して批判的に見たけれど、そうならざるを得ないのが分かった。 その結果で次の仕事ができる。 あと1年長く生きていてくれたら、少しだけどその苦労を話すことができた。 僕は今まで何も分かっていなかった、ごめんなさい、と言いたかった。 「キャタピラー」の撮影の合間に構想を練る若松孝二監督(中央が大日方教史プロデューサー、左から2人目が助監督の福士織絵さん)=若松プロ提供 大日方 「止め俺」を作って、昔からこういうリズムでやっていて、変わっていないんだと感じた。 若松さんって、一般映画を撮りだしてから、松竹とか大きな規模の映画でもちゃんとシステムの中で撮っている。 あまり知られていないけれど、(製作費が)3億とか4億円の映画でも普通に撮れる。 それがある日突然、そんなことがなかったかのような映画の撮り方を始めた。 一体何だろうと思った。 「17歳の風景」(05年)で「昔は(スタッフが)少なかった」と、いきなり13人で撮った。 また、こういうふうに作り始めるのかなと考えたね。 若松さんは、自信にあふれているように見せる人だけど、結構不安を抱えていた。 「17歳の風景」みたいな作品を撮りきる意欲というか、神経のずぶとさはまねできるものではない。 お勉強してとか、こうすればこうできるとか考える人じゃない。 ズバズバと一気に撮った。 大日方 直感があることで楽をしている人ではない。 ものすごく悩むし、撮影に入ると眠れなくなる人。 酒を飲まないと眠れないタイプ。 寝ることに対しては神経質だった。 井上淳一 弁当を余分に買ってどれだけ怒られたか。 「本編」という言葉も嫌い。 「使うな」とよく言われた。 大日方 「俳優部」と言うと、そうした枠組みが嫌いなのか、いつも怒っていた。 辻 「知ったかぶりするな」も口癖だった。 井上亮太 「余分なものを買うな」とよく言われました。 「完全なる飼育 赤い殺意」(04年)の時に、「南京錠を用意しろ」と大日方さんに言われて、若松さんに100円ショップで買って持って行ったら、めちゃくちゃ怒られた。 どうして100円のことでこんなに怒られるのかと。 助監督に親身になって、こんなことを言ってくれる監督はいないと思って、ひきつけられましたね。 「17歳の風景」の撮影は、真冬に新潟から北上するロケを続けた。 スタッフはわずか13人で撮りあげた(中央左は若松孝二監督、後方左に大日方教史プロデューサー、その右は主演の柄本佑さん)=若松プロ提供 辻 「17歳」から若松組に参加したが、劇映画は初めてだったし、若松さん以外の作り方を知らないまま、今に至っている。 大久保 学生のころから映画オタクで、原田芳雄さんが好きで、「シンガポールスリング」(93年)の舞台あいさつを見に行って、そこから若松さんが憧れの監督になった。 「17歳」の撮影では、トラックにカメラを乗せて新潟から北上したでしょ。 民宿に泊まる合宿スタイルで飲んだり話したりするのが楽しかった。 井上亮太 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(08年)の時に、大久保さんが小屋の中での明かりを、ろうそくを使ってライティングしているのを見て、若松さんが「井上よく見ろ、あれが『仕事』だ」って評価していた。 辻 そうそう、「うちの照明は普通じゃないんだ」って自慢していた。 白石 怒られていると、俺は普通にムカついていたけどね。 ただ、翌日はコロッと忘れているからね、若松さん。 井上亮太 手のひらで転がされている感じはあった。 ここぞという時、胸に刺さる優しい言葉を言われて、俺、単純だから、涙、流しちゃった。 白石 亮太君は涙を流す率が高いよね。 「連赤」で何度号泣したことか。 その時、若松さん、満足そうな顔をしてた。 辻 「連赤」の現場では、亮太君と俳優の大西信満さんに非常に厳しかった。 井上亮太 映画を一緒にやる前は漠然と大きな存在でしかなかったけど、仕事をしてからは、うーん、かっこいいってことですかね、男にホレるっていうか。 僕が最初にホレたのは白石さんでしたけど、次に若松さん。 辻 活字になったら、それ、かっこ悪くなーい? ここカットじゃない(笑い)。 驚いたのは、昔の脚本を見ると、丁寧にカット割りしてあったこと。 井上亮太 脚本はすごく直していましたね。 「日本暴行暗黒史」の良いところは全部、若松さんが直したところだった。 脚本は書かないみたいだったけど、書けたんじゃないかな。 大久保 大人になってからこんなに怒られたことはない、っていうくらい怒られた。 それが結構、うれしかったですね。 印象深いのは、やっぱり「かっこつけるな」です。 照明を担当していて、かっこつけている自分がいたんです。 それを全部取っ払って、本質に向き合わせてくれた。 これほど人生に影響を与えてくれた人はいません。 辻 「止め俺」ができて、目の前にもう一度現れてくれて改めて大好きだったと実感した。 人間の幅を拡張させて生きている人。 僕も30歳を過ぎてから最も影響を受けた人です。 白石 エネルギーの塊でしたよね。 これからの映画作りで頑張らないといけない中で、大島(渚)さんや新藤(兼人)さんも含めインディーズ(独立系)の巨匠がいなくなって、自主上映をやっている人はみんな「インディーズ」って言っているけど、本当にインディーズの闘いができる人は多分いないと思う。 「止め俺」がみんなの力でできたのは一つの勲章で、今後もっと大きい予算の映画があっても、一方でこういう勝負ができるということを……いわば、ナイフを隠し持っているようなスタンスを持つことができたのは若松さんがいたからです。 60、70歳代になっても、ああいうエネルギーを持っていられるか、死の直前まで打ち込むエネルギーを持てたら最高です。 白石 そうなるといいです。 「止められるか、俺たちを」の製作現場。 中央奥が若松孝二監督役の井浦新さん。 若松組のスタッフが再結集した撮影は和やかな中で進んだ=鈴木隆撮影 大日方 僕にとってはオヤジみたいな感覚で、少し長すぎたかなと思うくらい(若松プロに)いましたから。 若松プロに入った時は誰も(助監督らが)いなくて、3年間ぐらい同じ状況だった。 社会人になってから入ってきたので手取り足取り教わって、親子に近いニュアンス。 みんなと違って褒められたことは全然なかった。 白石 そういえば、大日方さんを褒めていたのは見たことがない。 辻 「連赤」の最後の頃、大日方さんが応援にきてくれて、それまでは亮太君や福士さん(助監督)が怒鳴られまくっていて、大日方さんが仕切ってみたら、若松さん、「大日方を見ろ。 これが仕事だ」って言ってましたよ。 白石 大日方さんだけは、どんなことをやっても絶対裏切らないって感じは持っていたように思う。 大日方 随分前だけど、あまりに忙しくて「1本抜けさせてください」って言ったことがあったんだけど、若松さんはどうも(若松プロを)辞めたいと思っちゃったみたいで、電話をくれたことがあった。 「このまま別れたら、街であってもイヤな感じだろう」って。 結局、元のさやに戻ったんですけどね。 井上淳一 「連赤」の時、若松さんが(大日方さんと白石さんがスタッフのメンバーに入っていなかったので)「両翼をもがれたようなものだ」と言っていて、2人が本当に大切(な存在)だったんだと思った。 井上亮太 それが逆にエネルギーになったかもしれない。 井上淳一 そうそう、2人なしでやってやるって。 井上亮太 その、とばっちりがこっちに来た。 怒られっぱなしだった。 「俺は一人で映画を作ることができる」ということばかり言ってましたよ。 白石 そういうのをエネルギーにできる人です。 俺が「『連赤』をできない(手伝えない)」と言った時に、少し気落ちしていたみたいだけど、代わりに「井上亮太が(チーフ助監督を)できます」って推薦したんだ。 「普通」の現場がなかった 「止められるか、俺たちを」の撮影現場。 中央奥に白石和彌監督、辻智彦カメラマンが立ち、吉積めぐみ役の門脇麦さん、若松孝二役の井浦新さん(左)に演技をつける=鈴木隆撮影 井上淳一 若松さんとの関係性を、僕は「師弟以上親子未満」と言ってきたけど、親子関係(のような感覚)はみんなが思っていた。 10代後半から20代前半の若者にそんなことを思わせてくれる大人に出会えて良かった。 人が死んで、(葬儀で)あんなに泣いたのは若松さんだけ。 若松さんの遺体に対面に行った時に、白石から「井上さん、触ってあげてくださいよ」って言われて、死に顔に触ったら、涙が止まらなくなった。 脚本や監督、どんな映画をやるにも、若松さんならどう見るだろうって、いつも考える。 常に僕の中の基軸です。 もどかしいんだけど、最後までそういう感じだった。 大日方 クランクアップ(撮影終了)の日が、これほど楽しかった監督はいない。 やっと終わったかというより、話すネタがたくさんあって、一本終わるごとにいろんなエピソードが生まれていたから。 井上亮太 同じ話を何回聞いても笑えますよね。 白石 全員がオリジナルの(若松さんの)エピソードを持っている(笑い)。 大日方 普通の現場っていうのがないってことです。 白石 「止め俺」という作品は、若松さんなら絶対やらない企画じゃないですか。 それでいいと思ったんです。 (次回は3月3日掲載).

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男性にとって一人の女性と添い遂げるメリットは本当にないのだろうか

俺を超えられるのはただ一人

美紀の手を握ると、美紀は俺から目をそらした。 テーブルの一点を見ていた。 俺はどうしても抑えきれない欲求に襲われ、美紀の手を握り続ける。 やってはいけないと頭ではわかっている、だが本能が美紀を欲しがっている。 理性がそれを止めようとする一方、本能のままに美紀を見つめる自分がいる。 不思議と美紀に嫌がられるという不安はなかった。 美紀に迫る勇気、ただそれさえあれば美紀を抱き寄せられる。 美紀の手がら手を放す。 俺は立ち上がり、美紀の方へ近づく。 テーブルの角がこんなに邪魔だと思ったことはない。 それくらい美紀しか見えていなかった。 客観的に見ると普段は絶対にやらない俺の行動。 ただそのときは自分の意思だけで、その他すべてを捨ててもいいと覚悟できていた。 美紀は下を向いて俯いていた。 長い髪が魅力的な美紀、そんな美紀の手を握り、自分の方へと引き寄せる。 テーブルの上にあった手がだんだんと自分の方へ近づくにつれ、美紀の体が俺の方へと向く。 自分のところまで手を引いたところで美紀の体がほぼ俺の方を向いていた。 俯いている美紀・・・。 俺はここでもう一度考えた。 俺は美紀が好きだ、だが美紀には幸せな家庭があり、その邪魔などしたくない。 やってはいけないことと自分のどうしようもない欲求。 一人の大人としてどっちを選ぶべきかはわかっていた、ただ、美紀へのどうしようもない欲求に身を任せたい。 この願望を、欲求を満たしたい。 その気持ちを押さえつける理性を見てみぬふりしている自分を感じた。 どんどん小さくなる理性、それと反比例するかのようにどんどん大きくなる美紀への想い。 鼓動が激しくなる。 脈が激しくなり、美紀の手を握る自分の手に激しい鼓動が響くのがわかる。 美紀にも伝わっているだろうか。 だとしたらたまらなく恥ずかしい。 しかし、その恥ずかしい鼓動を美紀に伝えていることが自分にたまらなく高揚感を感じさせる。 美紀の手の温もりがだんだんと湿気じみてくる。 お互いの手の熱がお互いを温めあい、汗という形で現れる。 美紀への想いが、俺の美紀への欲望が我慢の限界を超えたとき、俺はもう一度美紀の手をぎゅっと握った。 俯いている美紀。 そして次の瞬間ぐっと自分の方へ引き寄せる。 美紀の腕が引っ張られ、俺の方を向いている美紀の体が椅子から持ち上がる。 そのまま俺の方へ・・・。 美紀と俺との間隔が短くなる。 このまま抱き寄せられる。 たった1,2秒・・・その時間が早く過ぎ去って欲しいという思い、その時間を消し去って欲しい、 そう思えるほど美紀を抱き寄せる欲求が激しかった。 ・・・美紀はそのまま腕を引かれる力に任せるように俺の胸に飛び込んできた。 美紀の肩、背中に腕を回し、力一杯抱きしめる。 このときは好きだとか愛してるだとかそんな感情ではなかった。 この一人の女を自分の傍に置いておきたかった。 美紀の身体から心まですべてを自分と共有したい。 自分の周りの環境、美紀の周りの環境、そのすべてが別世界へと消えて行き、 今この世界には俺と美紀の2人しかない、すべての空間はそのために存在する、 今までに経験したことのないような真っ白な感情が襲ってきた。 それからどれくらい経っただろう。 美紀を抱きしめることで記憶が飛んでいるような感覚、そして言葉にできない快感に浸っていた。 美紀を抱きしめる腕を緩め、美紀の肩を掴み、俺の胸から少しだけ離す。 美紀は下を向いている。 そういえば俺が美紀を抱きしめたとき、彼女は同じように俺に抱きついてくれただろうか。 真っ白な頭の中、記憶にならない記憶を探る。 いや、どうでもいい・・・そんなことはどうでもいい・・・。 下を向いている美紀のあごに手を添え、俺の顔を向けさせる。 それと同時に美紀の目が俺の目を見る。 目が合った。 そう思った瞬間に美紀は目線を下げる。 再び湧き上がる美紀への欲求に体を任せ、俺は美紀へと顔を近づける。 そこにある艶やかな唇しか目に入らない。 そして俺と美紀は唇を重ねた。

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