なぜ俺ガイルなのか。 『俺ガイル』14巻 感想・考察 だから青春は「本物」を求め続ける

俺ガイル 雪ノ下陽乃の全ちょっかいを考察【やはり俺の青春ラブコメは間違っている】【やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。】

なぜ俺ガイルなのか

【1期】• 01巻 合計 13,567枚• 02巻 合計 9,559枚• 03巻 合計 10,748枚• 04巻 合計 7,924枚• 05巻 合計 10,468枚• 06巻 合計 7,807枚• 07巻 合計 7,913枚 【2期】• 01巻 合計 13,495枚• 02巻 合計 12,503枚• 03巻 合計 11,330枚• 04巻 合計 9,796枚• 05巻 合計 9,657枚• 06巻 合計 9,799枚• 07巻 合計 10,025枚 これはかなり立派な数字です。 アニメ作品は、1巻ごとの平均売上が5000枚を超えれば成功。 さらに 10000枚を超えれば大成功と言われています。 俺ガイルはこの10000枚の壁を越えていますね。 これは大ヒット作品と言えます。 さらに1期よりも2期の方が売上が上がっていることからも、どんどん人気が上がっていることが見てとれます。 「」では作品部門と男性キャラクター部門の両方で3年連続1位を達成。 初の殿堂入りを果たしています。 俺ガイルが人気な理由は大きく3つ では、なぜ俺ガイルはこんなにも人気なのでしょうか。 私は理由は大きく3つだと思っています。 原作読破した筆者の意見を交えて解説していってみようと思います。 理由を3つ上げはしましたが、ここが一番大きなポイントと言っても良い。 キャラクターが魅力的なんです。 というか、キャラクターが魅力的でなければ「ラブコメ作品」の魅力は半減と言ってもいいですよね。 を見ても分かる通り、複雑な関係な入り乱れています。 話の内容自体がすごく変わっているとかそういうわけでもありません。 特に不思議な出来事が起こるとかでもなく、ごく普通の学園生活における主人公とヒロインの葛藤が描かれます。 でも主人公の比企谷が、ヒロイン2人のどちらとの恋を選ぶことになるのか、視聴者がみんな引き込まれてしまうんです。 雪ノ下 雪乃(CV. 早見沙織) 出典 主人公・比企谷八幡と同じ総武高校の2年生で、奉仕部の部長をつとめる美少女。 タイプ的にはいわゆるクーデレの部類に入ると思います。 落ち着いた性格でいて なんでも卒なくこなす才女でもあり、論理的に物事を考えるタイプ。 学内でも儚げで凄絶な美貌を持つ少女として一目置かれていますが、他人と馴れ合わない性格から友達がいませんでした。 そこに比企谷と由比ヶ浜(後述)が入部してきて少しずつ変わっていって、弱いところを見せてくれるようになります。 他人から一目置かれている彼女ではありますが、ある家庭環境から本当は自分に自信が持てないでいます。 最初はそんなことはおくびにも出さず比企谷と衝突していましたが、だんだんと彼に惹かれていきます。 由比ヶ浜 結衣(CV東山奈央) 出典 主人公・比企谷八幡と同じ総武高校の2年生で、奉仕部の部員。 比企谷とはクラスメイトでもあります。 タイプ的には元気っ子になりますが、 とても優しく、ピュアでストレートな感情表現をします。 雪ノ下を月に例えると、由比ヶ浜はその正反対の太陽のような存在の女の子です。 中々素直に気持ちを口にできない雪ノ下にとって、正反対の由比ヶ浜の存在は眩しいものとして映ることも。 彼女は元の性格に反して、クラスメイトから弾かれないように空気を読みすぎるようになってしまっており、それを本人も気にしていました。 しかし比企谷と雪ノ下を見て本来の自分を取り戻すようになり、比企谷には恋心を、雪ノ下には固い友情を感じ、それぞれの気持ちの間で揺れ動きます。 一色 いろは(CV. 佐倉綾音) 出典 小悪魔的な魅力を持つ総武高校の1年生で、サッカー部のマネージャー。 比企谷からは後輩にあたります。 上2人のヒロインに割って入ってきたのが一色いろはです。 いろはは正直今まで登場したどのアニメキャラクターの枠にもハマっていない気がします。 基本的に甘え上手な小悪魔的後輩です。 皆の前では計算高くかわいこぶるんですが、 主人公にだけには素の性格を垣間見せます。 物語の登場当初はサッカー部エースの葉山というキャラクターに惹かれていた彼女。 比企谷など眼中にないという言動をするんですが、段々と比企谷に惹かれていってしまい、本人に気づかれないようにアタックするなど一途な一面を見せるようになります。 私が全巻読んだ内容から、ヒロインの特徴や魅力を紹介してみました。 正直全てはとても伝えきれません。 こればっかりは見てもらって伝わるものもあると思います。 少しでも気になるヒロインがいたらぜひ実際に1話視聴してみて欲しいです。 比企谷 八幡(CV. 江口拓也)• 比企谷 小町(CV. 悠木碧)• 雪ノ下 雪乃(CV. 早見沙織)• 雪ノ下 陽乃(CV. 中原麻衣)• 由比ヶ浜 結衣(CV東山奈央)• 一色 いろは(CV. 佐倉綾音)• 平塚 静(CV. 柚木涼香)• 川崎 沙希(CV. 小清水亜美)• 材木座 義輝(CV. 檜山修之)• 葉山 隼人(CV. 近藤隆)• 三浦 優美子(CV. 井上麻里奈) ヒロインだけでなく、サブキャラクター達まで実力のある声優さんが担当されていて、どのキャラクターも魅力的です。 あとは個人的には主人公の江口拓也さんの演技がとても好きですね。 この手の作品って主人公を好きになれるかもけっこう重要なポイントだと思うんですが、江口拓也さんの演技は絶妙でした。 実際に、宝島社が発行するライトノベルのガイドブック『』にて、好きな男性キャラクター部門では比企谷八幡が1位を獲得しています。 (ちなみに2015でも引き続き1位) 原作小説も元々面白いんですが、この声優さん達のおかげでアニメが大成功したという理由も1つあると思います。 この作品はラブコメ作品であることは間違いないんですが、 取り扱っているテーマが深いんです。 なので作中ではけっこうシリアスなシーンも多かったりして、その結末が気になって物語にのめり込んでしまったりもします。 (からするとギャグっぽいラブコメかと思ってしまうんですが、けっこう真面目なテーマなんです) 俺ガイルのタイトルに関してはで詳しく解説してるので合わせて読んでみて下さい。 少しだけテーマについて解説すると、 主人公・比企谷はボッチです。 クラスでも浮いているし、友達もいない。 そして上辺だけのやり取りを繰り返すクラスメイト達を友達ごっこだと批判的な視点で見ています。 だから自分はボッチでいいと肯定してもいる。 (これは作中でも解説される中学時代からのトラウマが起因していたりもします) でも、クラスメイト達の上辺だけの関係も正しいとは思えないが、だからボッチでいいと思っている自分も間違っていることに気付いているんですね。 そして奉仕部に入って雪ノ下や由比ヶ浜と出会うことで、やっぱり「本物」の関係が欲しいと思うようになっていきます。 人間関係のおける「本物」とは何なのか?• そんなもの手に入れることはできるのか? それを恋愛・ラブコメという要素から語っているのが本作でもあります。 このはネタバレになるのであえて語りませんが、一応別のでまとめてあります。 (を含むので、視聴後に見ることをオススメします).

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俺ガイルの由来と人気の理由 │ どくだみ

なぜ俺ガイルなのか

俺ガイル こと「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」 これです。 これ一択です。 原作が「このラノ」に選ばれたことでも有名、愛称は「俺ガイル」。 渡航先生が描く根暗な主人公「比企谷八幡」の独特な語りが混じった地の文が人気を博し、2013年にアニメ化。 総武高校一年生の比企谷八幡という男子生徒が主人公で、彼はどこまでも卑屈で根暗、そして優しい男の子。 他人のことを考えて考えて考えて、周りの生徒たちには理解されないある種冷徹な優しさを持っています。 そんな彼が属する「奉仕部」は一風かわった部活動。 お悩み相談室のような立ち位置で、総武高校生はもちろんのこと、ときには学外の問題解決にも乗り出します。 部員はたった三人、主人公を除いて残り二人の女子生徒によって構成されています。 雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣の二人がメインヒロイン。 かわいいです。 ヒロインという概念を擬人化したような素敵な女の子が二人も出てきてくれること以外は何の変哲もない学園モノなんです、異能も異世界も出てきません。 なのに、面白い。 どこが魅力かといえば、やはり「共感」です。 現代の若者の心をがっちりつかんで離しません。 物語の構成的には確実に主人公が「ヒーロー」として機能しているんですが、問題を解決したあとにアンパンマンや戦隊モノのようなプラスな後味は味わえません。 むしろ後味悪いんですが、それはこの話がどこまでも人間を描いていて、完全な悪者が一人もでてこないからだと思うんです。 正常な周りの人たちはどこまでも人間的で、逆にこの主人公「ヒッキー」がどこまでも卑屈で根暗、内巻きな精神構造をしていて誰より純粋なんです。 続 たとえば主人公の人柄がわかるエピソードがあります。 文化祭を控えてばたばたしている総武高校の一室、実行委員に選ばれていた比企谷と雪ノ下のふたりは頭を抱えます。 理由は実行委員長に立候補した女子。 この女子、全く仕事ができません! それどころか雪ノ下の優秀さに嫉妬し仕事を丸投げして帰ってしまう始末。 それに対して腹を立てている役員たちですが、当然なにも言えないまま時間が過ぎていきます。 そのなかに比企谷も含まれているんですが、ついに彼が動きます。 比企谷は全員の前でわざと委員長に喧嘩を売ります。 正論は言わないのです。 あくまで「俺の愚痴だけど」というスタンスを貫き、実態のない「みんな」や最も迷惑を被っている「雪ノ下」の名前を一切出しません。 ただ「俺が仕事多くてやってらんねえ」というスタンス。 彼は正義を後ろ盾にせず立ち向かうのです。 委員長がサボっているせいで仕事が滞っている、俺なんてこんなに仕事させられてるんだ、どうにかしろよ、という主張を根暗に、卑屈にぶつけます。 あえて意地の悪い言葉で伝えているのではないかと私は思いました。 集団を団結させるためには共通の敵を作るのが一番であることを理解しているから、わざと悪役を買って出たのです。 続 きっとこの場にアンパンマンや戦隊ヒーローが居ればきっと正論を振りかざして鉄拳制裁で「悪を倒す」んですよね。 「やめろー、バイキンマン! カバオくんのご飯を返せ! 困ってるだろ!」とか言いながら、悪が悪である理由を明確に提示しながら殴るんですよね。 この例で言えば「雪ノ下が困ってるだろ! 自分の仕事は自分でこなせ!」という正論が当てはまります。 全く隙のないド正論です。 ぐうの音もでません。 だから僕ら受け手はバイキンマンや委員長の女の子に直接何かされたわけではないのに彼や彼女に対して悪いやつなんだな、と納得します。 そしてアンパンマンのパンチを待ってましたとばかりに迎え入れます。 でも、なぜバイキンマンは食べ物を奪うんでしょう。 例えばバイキンマンが餓死寸前にまで追い込まれていたとしたら、潤沢な食べ物を持て余しているカバオくんから食べ物を奪うバイキンマンを悪者だと言い切れるでしょうか。 正義の名のもとに弱者をボコボコに殴る輩を、本当に正義だと、ヒーローだと思えるでしょうか。 これはアンパンマンワールドでは絶対にありえないことですが、私達が生きているのは現実です、そして人間です。 往々にして真面目な人や弱者が悪者として糾弾される悲劇が起こりうる残酷な世界です。 比企谷八幡は立派な思想も正義を声高に叫ぶ勇気も持っていません。 それでも、人間として正義をまっとうするための論理を、彼なりに考え抜いた末に準備しています。 無力な彼は人を助けるたびに自分を賭け金として差し出し続けるのです。 それは他人から見れば根暗で卑屈だったとしても、彼の中には確かに彼なりの正義があるのです。 先程の例で言えば委員長という強い立場ではなく一役員である比企谷を悪者にすれば、集団の鬱憤も発散しやすいことを見越していたのではないでしょうか。 自分のことを攻撃してくる相手のことまで先回りして考え、ほんとうの意味での自己犠牲とともに問題の解決を図る主人公。 そこに、現代の空気感を反映したヒーロー像を見るのです。 続 原作に絵と声と歌がついただけがアニメじゃありません。 アニメには、アニメという媒体でなくては伝えられないものがあります。 俺ガイルの独特の空気は原作を読んだ方には分かっていただけると思います。 間違いなくエンターテインメントなんですけど、純文学としても通用する概念を扱っているんですよね。 これをどうアニメにするんだろう、って思っていました。 正直、あまり期待せずに観たんですよね。 観終わったとき、本当に震えました。 原作で読んでいるから結果の分かっている30分アニメって苦痛なんじゃないかって思っていたんですけど、全くそんなことはなくて。 この作品の特徴として、教室内の微妙な空気を描くのがとても上手いという点が挙げられるのですが、あの教室という特別な空間を文章だけで補完するのは本当に難しいです。 アニメは動画と音楽と声が雰囲気を媒介してくれます。 あの微妙な教室の空気を描くのにはアニメが最も適しているんだとこのアニメを観て痛感しました。 他にも俺ガイルには分かりづらい空気がふんだんに盛り込まれていて、そこが持ち味なんですが、キャストの江口さんの演技も相まって、原作の空気感が完全に再現を超えて表現されている印象でした。 とくに、一期の終盤である文化祭のシーンには雪ノ下、由比ヶ浜たちのライブシーンがあります。 あのシーンまで観た人は確実に主人公と同じ視点でステージを眺めていることでしょう。 完全な同化です。 あれはアニメにしかできないことだと、断言できます。 俺ガイル はいいぞ、としか言えません。 もう俺ガイルを語るだけ、みたいになってしまった気がしますが、結論俺ガイルはいいぞ、としか言えません。 ヒーロー像がどうとか、そんな小難しいこと考えずに読んでも純粋に楽しめるのが俺ガイル。 ヒッキーの心情に感情移入しても楽しめるのが俺ガイル。 雪ノ下のデレに萌え死ぬのも俺ガイル。 由比ヶ浜にただただ惚れ込むのも俺ガイルなんです。 もしまだ読んでいない、という方。 そんな方は現代日本にもう存在していないと分かってはいるんですが、一応、未読だよという方。 新刊が出ます。 新刊が、でます。 (数年出ていませんでした) これを機にアニメ、原作で俺ガイルの世界に触れてみてはいかがでしょうか。 そうだ、漫画もあります!.

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【俺ガイル】平塚静がかわいい!美人であるのに残念な人と呼ばれるのはなぜ?

なぜ俺ガイルなのか

葉山と比企谷の会話が意味するもの 比企谷「それで壊れるくらいなら、元々その程度のもんなんじゃねぇの?」 葉山「そうかもしれない。 けど、失ったものは戻らない」 川辺にて葉山と比企谷が会話をするシーンで両者の考え方の違いが浮き彫りになっているのが印象的である。 比企谷は「何かのきっかけで壊れてしまう人間関係なら、それはそもそもが上っ面だけの関係であって本物ではない」ということを言っている。 この考え方は物語の最初期に提示されるテーマであり、比企谷と雪ノ下雪乃の行動様式の根底にあるものであった。 ここで「あった」と過去形にしたのは、この第2話で比企谷が葉山を助けることによって、比企谷の中に変化が見られるからである。 それに対して葉山は比企谷の言葉に同意しつつも「けど、失ったものは戻らない」と言う。 これは恐らく葉山自身の過去に何か大きな後悔を残している故の台詞であることが伺える。 1期の林間学校のところで少し触れられているように、恐らく雪ノ下雪乃を救えなかった過去のことを言っているのだと思われるが、物語の中で詳細に語られることはない。 葉山の本心は「いずれ壊れるのかもしれないけれど、失ったものは戻らないから、失わないための努力はしたい」ということである。 だけど、海老名さんに告白しようと躍起になっている戸部を強く咎めることもできないので、実質葉山にできることは何もなく、曖昧で消極的な態度を取るしかなかった。 そこに比企谷が現れて「君にだけは頼りたくなかった」のに、頼ってしまうという流れである。 三者の願いとは? 比企谷のモノローグ「なくしたくない。 その手に掴んでおきたい。 三者の願いはひとつだ」 ここで言う「三者の願い」を下記に示しておこう。 戸部: 海老名さんに告白し、交際を始めることで海老名さんを「なくしたくない。 その手に掴んでおきたい」ということ。 葉山: 上で述べた通り「失ったものは戻らない」から「なくしたくない。 その手に掴んでおきたい」ということ。 海老名さん、三浦(あーしさん): 今の関係が楽しくて気に入っているから「なくしたくない。 その手に掴んでおきたい」ということ。 この通り、葉山は人間関係の渦中にいる。 従って身動きが取れない。 しかし、比企谷はその関係の外側にいて失うものなんて何もないので自由に振るまえる。 「だから、できることがある」と三者を助ける。 なぜ比企谷は彼らを助けたのか 比企谷のモノローグ「葉山が守ろうとしているものなんて、俺にはわからない。 わからないままでいい。 だからできることがある」 1. 依頼を受けたから この修学旅行回(第1話、第2話)のそもそもの始まりは、下記二人が別々に奉仕部に依頼してきたことであった。 戸部: 海老名さんへの告白を成功させたい 海老名さん: 戸部の自分への告白を未然に防いでほしい(かなり抽象的な言い回しで依頼を出してきたので、この真意は比企谷しか気付いていない) こうして奉仕部の三人(比企谷、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜)は戸部の告白を成功させるべく修学旅行中にいろいろと画策するわけである。 奉仕部の仕事は依頼を解決すること。 従って、比企谷は浮かんだアイデアを実行し、問題を解決した。 めでたしめでたし、とはならなかった。 彼らに共感したから ただ、それでも。 変わりたくないという、気持ち。 それだけは理解できた。 理解してしまった。 彼らの出すその答えを否定するための言葉がうまく出てきてくれない。 そこに間違いを見いだせなかった。 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』第7巻、P242-243 比企谷が葉山グループに積極的に介入して自己犠牲によって問題の解決を図ったのは「依頼を受けたから」という理由だけでは足りない。 ここが第2話の、そして『俺ガイル。 続』の焦点である。 つまり、比企谷は葉山グループの「今をなくしたくない、その手に掴んでおきたい」という思いに少なからず共感したのである。 「共感」が言い過ぎだとすれば「否定できない」くらいだろうか。 比企谷には信念があった。 「上っ面だけの人間関係なんて嘘だし欺瞞だから本物ではない」という信念である。 比企谷は今までぼっちだったので誰に共感することもなかった。 しかし、葉山と対峙し意見を述べ合うことによって葉山や葉山グループ(つまり上述の「三者」)の「今が大事」という思いを知り、理解してしまった。 また、葉山の言う「失ったものは戻らない」ということも比企谷は理解している。 これは物語中の随所に差し挟まれる比企谷の中学時代のエピソードと関連しているものと思われる。 葉山の利他的な苦悩を理解したから 葉山隼人は誰かが傷つくことを良しとしない。 葉山が動けないのは、きっと彼以外の誰かが傷つくことを知っているからだ。 その一歩を踏み出してしまえば誰かが傷つき、何かが壊れる。 それを守ろうと苦悩する者を、踏み込まないでいることの正義を誰が否定できるだろうか。 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』第7巻、P244 あるいは、葉山の苦悩を見過ごすことができなかったからとも言える。 葉山には守るべきものがたくさんあった。 それは利己的理由ではなく、利他的なものだ。 葉山も奉仕部同様に戸部と海老名さんの双方から相談を受けていて、身動きが取れなかった。 葉山の本心としては「自分の今を守ろうとしている」というよりは、「彼らの」今を守ろうと苦悩している。 比企谷には葉山の利他的な苦悩がわかった。 比企谷と葉山は常に利他的であるという点で似ているが、それ以外の部分は全然似ていない。 だからこそ比企谷にはできることがあった。 比企谷の正義感に火が付いた。 しかし、その行動はそれまでの比企谷の信念を根底から覆すものであり、特に雪ノ下の不快感を招くこととなる。 このあたりの心理描写は原作で詳しく述べられている。 なぜ比企谷は「フラれたらどうするんだ?」と戸部に聞いたのか 比企谷「なぁ戸部、お前フラれたらどうするんだ?」 戸部「そりゃ諦めらんないっしょ。 俺さ、こういう適当な人間じゃん。 けど、今回結構マジっつーかさ」 比企谷は戸部の「その手に掴んでおきたい」意志がどの程度のものかを確認したかったのである。 中途半端なチャラい動機で海老名さんに告白するのではなく、本気の強い意志があるのかどうか。 結果、戸部の「その手に掴んでおきたい」意志は本気だった。 だからこそ比企谷も本気で彼らの今を守るために動くことができる。 葉山「すまない」比企谷「謝るんじゃねぇよ」 葉山「すまない。 君はそういうやり方しか知らないとわかっていたのに」 比企谷「謝るんじゃねぇよ」 葉山と比企谷はどちらも本心で話している。 葉山は比企谷を犠牲にしてしまったことに対して本心で申し訳ないと思っている。 それに対して比企谷は、葉山の肩を持ったわけではないし、自分にできることを自分の意志でしただけだから自己犠牲でも何でもないので謝る必要なんてなし、謝られるのは不本意であると本心で思っている。 雪ノ下雪乃はなぜ怒ったのか 雪ノ下雪乃「あなたのやり方、嫌いだわ。 うまく説明できなくて、もどかしいのだけれど、あなたのそのやり方、とても嫌い」 比企谷の自己犠牲による海老名さんへの告白の後、雪ノ下雪乃は「あなたのやり方、嫌いだわ」と比企谷を糾弾する。 「あなたに任せるわ」と言っていたにも関わらずこの手のひら返しは結構ひどいのだが、それはさておき、なぜ雪ノ下雪乃が比企谷のやり方に対して不快感を示したのかは考える余地がある。 2つある。 比企谷の自己犠牲による解決への不快感 平塚先生「誰かを助けることは、君自身が傷ついていい理由にはならないよ。 たとえ君が痛みに慣れているのだととしてもだ。 君が傷つくのを見て、痛ましく思う人間もいることにそろそろ気づくべきだ」 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』アニメ一期、第12話 比企谷は「自分はぼっちだから自分が犠牲になっても誰も困らない」という論理に基づいて行動している。 これは一期の学園祭のところ(最終話)で顕著に現れ、この修学旅行回でも継承された。 上に挙げた平塚先生の台詞は一期の学園祭後のものである。 今回も同じように比企谷は「好きでもない相手に告白してフラれる」という自己犠牲によって問題を解決した。 それは比企谷にとっては当たり前で最善の問題解決法だった。 しかし、比企谷はもはやぼっちではない。 「君が傷つくのを見て、痛ましく思う人間」が周りにいる。 そのことに比企谷自身が気づいていないことが誤算であった。 雪ノ下雪乃は「比企谷が傷つくのを見て、痛ましく思った」から不快感を示した。 雪ノ下雪乃は「あなたのやり方」が嫌いと言っているのであって、「あなた(=比企谷)」を嫌いと言っているのではない。 また、雪ノ下も基本的にはぼっちであり、誰かが傷つくのを見て、痛ましく思ったことが今までなかったに違いない。 だからこそ「うまく説明できなくて、もどかしいのだけれど」と付け加えている。 比企谷が嘘をついたことに対する不快感 この状況を作り上げるために、誰もが小さな嘘を吐いた。 海老名さんを呼び出したのは由比ヶ浜。 たぶん適当に理由をつけてこの場へ誘導したはずだ。 大岡も大和も何か思うところはあるだろう。 純粋な応援だけでなく、面白がる気持ちもあって、それを抑えて神妙な顔をしている。 ここにいない三浦もこれから何が起きるか、知りつつもそれを聞かず、止めず、気づいていないふりをしているに違いない。 葉山は、応援したくとも応援できない。 それでもここにいる。 誰もが嘘を吐いていた。 ただ一人、その中で嘘を吐かなかった雪ノ下はいつもよりいくぶんか冷めた、無表情。 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』第7巻、P246-247 先にも述べた通り、比企谷と雪ノ下雪乃には「上っ面だけの人間関係なんて嘘だし欺瞞だから本物ではない」という共通した信念があるようであった。 嘘も欺瞞もいらない、そんなものは偽物だ、と。 現に二人はこれまで何に対しても嘘で誤魔化すことはなかった。 特に雪ノ下雪乃に関してはそれが顕著であり、嫌われることも厭わずに相手にストレートな物言いをするシーンが散見された。 ここでも比企谷のやり方について「嫌い」とはっきり言っている。 しかし、ここにきて比企谷は葉山グループの人間関係をなあなあにし欺瞞化するために「好きでもない相手に告白する」という嘘をついた。 学園祭の時も自己犠牲で解決したが、嘘はついていない。 むしろ空気を読まずに現実を突きつけてやった。 しかし、今回は空気を読んで大嘘をついた。 そこが決定的に違う。 雪ノ下雪乃にとっては自分に似ていると思っていた比企谷が欺瞞的な行動を取ったことに少なからぬショックを受けて不快感を示したと考えることができる。 なぜ由比ヶ浜は感情的になったのか 由比ヶ浜「人の気持ち、もっと考えてよ。 ……なんでいろんなことがわかるのに、それがわからないの?」 由比ヶ浜も雪ノ下雪乃と同様、比企谷の行動にショックを受けたようである。 比企谷が自己犠牲によって問題を解決したことへの不快感は二人とも共通している。 しかし違うのは、雪ノ下は「比企谷の欺瞞」を不快に思っていたが、由比ヶ浜は「比企谷が人の気持ちをわかっていないこと」について感情を顕にしている。 さて、ここで言う「人」とは誰のことを指しているのだろうか。 葉山グループの問題は解決した。 海老名さんも三浦(あーしさん)もその他の人物も、問題の解決を図った比企谷に対して否定的に思うところは何もない。 戸部も結局はフラれなかった。 彼らはむしろ比企谷に感謝しているくらいだろうし、そのことは由比ヶ浜もわかっている。 従って、由比ヶ浜の言う「人」が彼らであるとは考えづらいし、一般論としての「不特定多数の人」でもないことがわかる。 「人」=「雪ノ下雪乃と由比ヶ浜」と考えることは有用である。 「君が傷つくのを見て、痛ましく思う人間」が少なくともここに2人はいるという意味である。 しかし、雪ノ下が比企谷を糾弾した後、同じ理由で由比ヶ浜が比企谷を責める必要はないように思う。 「人」=「比企谷」はどうだろうか。 つまり「もっと自分の気持ちを大事にして」ということ。 ストーリーの文脈には沿っているが、こんなに複雑な言い回しをここで由比ヶ浜が選択するかというと疑問が付く。 最も有力なのは「人」=「由比ヶ浜自身」である。 由比ヶ浜は比企谷のことが大好きなので、比企谷の再度の自己犠牲に傷ついた。 それにプラスアルファとして、他者への告白にかなりのショックを受けた。 告白直後、由比ヶ浜の表情がアップで切り取られているのは象徴的だし、竹林の下見の際の「告られるなら」も伏線になっている。 で、あまりにショックを受けた上に比企谷が自分の行動を正当化しようとしていたので、やや感情的になって「人(=私)の気持ちも考えてよ」ということを仄めかしてしまったのだろうと考えるのが自然である。 海老名姫菜というキャラクターについて 海老名さんは周囲に自身のキャラクターを許容させることで、適切な距離感を保っているのだ。 本当に変人なわけではなく、「変人」として扱われているだけにすぎない。 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 』第7巻、P214 海老名さんは一期から強烈な腐女子キャラを爆発させていて「なんだこいつ」と私も思っていたのだが、ここに来て彼女のシリアスな面にスポットが当てられている。 比企谷は海老名さんについて「何かを守るためにいくつも犠牲にするくらいなら、諦めて捨ててしまうのだろう。 いま手にしている関係さえも」と分析している。 これはもしかしたら俗に言う「人間関係リセット症候群」とも言えるかもしれない。 もし、戸部の告白が未然に防がれなかったら、海老名さんはどうなっていただろうか? おそらく「いま手にしている関係を諦めて捨ててしまう」はずだ。 告白を受け入れるか断るかはわからないものの、どちらにしても海老名さんにとっては不本意であるということ。 消極性に関しては器用だけれど、積極性に関しては不器用なのが海老名さんの行動様式である。 特に最後の「今いる場所が、一緒にいてくれる人たちが好き。 だから、私は自分が嫌い」は相当なインパクトがある。 恐らくこの第2話の登場人物の中で最も欺瞞に満ちていたのは、比企谷を除けば海老名さんである。 海老名さんは自分で何も行動を起こさずに比企谷や葉山に解決を押し付けて傍観していた。 その上、本心を隠して(=欺瞞的に)流されるがままにいつもニコニコしていた。 海老名さんはそれがずるいやり方であることを自分でもわかっている。 そんな「自分が嫌い」だから、それでも「一緒にいてくれる人たちが好き」という論理なのだと思う。 そう考えると、海老名さんには太宰治『人間失格』的な雰囲気がある。 だけど、私たちが『人間失格』を他人事とは思えないように、海老名さんについても多くの人が「自分に似ている」と思わざるを得ないだろうと推測される。

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