オムロン コロナ。 【20年3月期】オムロン、減収減益も株価上昇 「コロナ後の成長機会」に期待集まる

大手メーカーが殺到する、オムロンの「部屋」:日経ビジネス電子版

オムロン コロナ

浅島亮子 [副編集長] あさしま・ふさこ/2000年入社。 週刊ダイヤモンド記者として、商社、食品、外食、家電、重電、自動車、鉄鋼、機械・重工業界を担当。 2000年代中頃から労働問題の取材にも注力。 15年より製造業担当の副編集長。 主な担当特集は「」「」「」など。 趣味は歌舞伎と酒。 電機・自動車の解毒 電機・自動車業界に異次元のコロナ危機が直撃している。 日本経済を牽引してきた二大産業だが、旧来のビジネスの常識が崩れる「Withコロナ・ポストコロナ」時代に勝ちきれる保証はどこにもない。 エッジの効いた京都企業として知られるオムロン。 コロナショックで甚大な影響を受けている自動車部品領域において、タイミング良く車載機器事業を売却する決断ができたのはなぜなのか。 『』の羅針盤なき経営(5)では、山田義仁・オムロン社長に「ポートフォリオ経営」の徹底ぶりについてトコトン聞いた。 オムロンにとって、立石さんや創業家はどのような存在だったのですか。 喪失感でいっぱいです。 3月31日まで京都商工会議所の会頭をされていて、翌週の週末に発症されてしまったので、今でも信じられない気持ちです。 3月下旬にお会いしたのが最後で、お見舞いに行くことも葬儀に参列することもかないませんでした。 オムロンは初代社長の立石一真が大きくした会社です。 創業家である立石家は、会社の求心力の原点であり発展の原動力でした。 一真の三男である義雄さんが社長になったとき、求心力の原点を「創業家」から「企業理念」へ変える決断をされました。 そして実際に、四代目社長(作田久男氏)は非創業家から選びました。 義雄さんは創業経営から企業経営へ脱却する礎を築いたわけで、計り知れない功績をオムロンに残した人です。 僕とは22歳離れていたので父親のような存在。 いつも温かく見守ってくれていました。 経営に対して「ああせえこうせえ」と口を出すことは、一切なかったですね。

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三菱重工が航空部品生産を一時停止へ、キヤノンやオムロンは通期業績見通し出せず

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立石義雄 オムロン元社長 オムロン元社長で、事業の多角化や本格的なグローバル展開を進めた立石義雄氏(たていし・よしお=現名誉顧問)が21日午前0時27分、新型コロナウイルス感染症のため京都市内の病院で死去した。 80歳だった。 大阪市出身。 葬儀は近親者で行う。 喪主は長男郁雄(いくお)氏。 京都市によると、立石氏は2日に発熱。 5日に医療機関を受診したところ、画像診断で肺炎が確認されたため入院。 6日に新型ウイルス検査で陽性と判明し、治療を続けていた。 オムロン創業者、故立石一真氏の三男で、1963年に立石電機(現オムロン)に入社。 自動改札機の事業化などに取り組んだ後、87年に47歳で社長に就任した。 90年に社名を変更。 在任中の16年間で、海外売上高を4倍に拡大するなど国内外合計の売上高を就任時の1.9倍に当たる約5300億円に引き上げた。 財界活動にも積極的に関わり、オムロン会長だった2007年に京都商工会議所の会頭に就任し、今年3月まで13年間務めた。 17年旭日重光章受章。

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コロナ急逝の立石義雄さん オムロンを世界企業に 京都の花街支援にも尽力|社会|地域のニュース|京都新聞

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浅島亮子 [副編集長] あさしま・ふさこ/2000年入社。 週刊ダイヤモンド記者として、商社、食品、外食、家電、重電、自動車、鉄鋼、機械・重工業界を担当。 2000年代中頃から労働問題の取材にも注力。 15年より製造業担当の副編集長。 主な担当特集は「」「」「」など。 趣味は歌舞伎と酒。 電機・自動車の解毒 電機・自動車業界に異次元のコロナ危機が直撃している。 日本経済を牽引してきた二大産業だが、旧来のビジネスの常識が崩れる「Withコロナ・ポストコロナ」時代に勝ちきれる保証はどこにもない。 エッジの効いた京都企業として知られるオムロン。 コロナショックで甚大な影響を受けている自動車部品領域において、タイミング良く車載機器事業を売却する決断ができたのはなぜなのか。 『』の羅針盤なき経営(5)では、山田義仁・オムロン社長に「ポートフォリオ経営」の徹底ぶりについてトコトン聞いた。 オムロンにとって、立石さんや創業家はどのような存在だったのですか。 喪失感でいっぱいです。 3月31日まで京都商工会議所の会頭をされていて、翌週の週末に発症されてしまったので、今でも信じられない気持ちです。 3月下旬にお会いしたのが最後で、お見舞いに行くことも葬儀に参列することもかないませんでした。 オムロンは初代社長の立石一真が大きくした会社です。 創業家である立石家は、会社の求心力の原点であり発展の原動力でした。 一真の三男である義雄さんが社長になったとき、求心力の原点を「創業家」から「企業理念」へ変える決断をされました。 そして実際に、四代目社長(作田久男氏)は非創業家から選びました。 義雄さんは創業経営から企業経営へ脱却する礎を築いたわけで、計り知れない功績をオムロンに残した人です。 僕とは22歳離れていたので父親のような存在。 いつも温かく見守ってくれていました。 経営に対して「ああせえこうせえ」と口を出すことは、一切なかったですね。

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