いだてん 39話。 いだてん|小松勝の死と古今志ん生の物語の第39話をおさらい

【いだてん】39話あらすじ(ネタバレ)(10/13)小松勝の最期は?五りんは金治?!

いだてん 39話

スポンサーリンク 小松勝の死と古今志ん生 大河ドラマ「いだてん」の第39話「懐かしの満州」どうでしたか? 今回は完全に小松勝と古今亭志ん生の物語。 この二人の話から戦争の悲しさ、愚かさを知ることができました。 舞台は戦時中の満州。 慰問のために満州にやってきた古今亭志ん生と三遊亭圓生たち。 そこに一人の兵隊さんがやって来たのだが、その兵隊さんが小松勝。 小松勝の用事は、志ん生の演目『富久』の主人公「久蔵」の走り方が気に食わないとケチをつけにきただけ。 当然、志ん生はブチギレして追い出されちゃう小松勝。 やがて、戦争が終わり再会した志ん生と小松勝。 ソビエトの侵攻が始まるとの噂で混乱する中で行動を共にすることに。 酒を飲み、夢を語り合った志ん生たち。 その後、始まった寄席では志ん生が小松勝のアドバイスを聞いて『富久』を演じる。 すると『富久』では志ん生が走る姿に熱演し、小松勝は感動して居ても立ってもおられず、外に走り出していきました。 そして小松勝は「志ん生の富久は絶品」と絵葉書をポストに入れた時、ソ連兵に追いかけられて銃撃をうけて死亡。 駆けつけた志ん生は「全部聞いてないだろ。 目を覚ませ」と嘆くのでした。 出典: スポンサーリンク この一連の話、ついに五りん(小松勝の子・小松金治)が、志ん生の口から聞いて父親の最期が明らかになるという展開でしたが、全てを聞いて五りんがどんな言葉を発するのか、泣く準備をして待っていたけど、意外にアッサリと受け入れてて拍子抜けでした。 小松勝の「走ること」への思い、家族への思いには泣かされましたが、一番泣いたのは小松勝の死体をゆする志ん生の姿を見ている三遊亭圓生の顔かな。 グッと涙をこらえている圓生さんの表情が何とも言えない気持ちになりました。 こののち、志ん生は満州での偽装結婚を経て何とか日本に帰国。 一方、ハリマヤには小松勝の遺品が届いて戦死が分かり、金栗四三たちは悲しみに暮れる。 志ん生の満州での結婚の話は実際にあったことだから描いたんでしょうが、正直いらないんじゃないかな? 小松勝のことで悲しんでる中で、あまり意味のない演出だったと思う。 特に盛り上がるところもなかったし、古今亭志ん生が好きだからクドカンが描いたって感じ。 いい話が続いているときに、なぜか「落語推し」がくる。 「いだてん」の違和感というか、ちょっと冷めてしまうところなんだよな~。 こういうとこが。 とはいえ、小松勝と古今亭志ん生を通じて戦争の悲惨さは、これまでのドンパチものとは違う形で伝わったと思う。 出典:.

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いだてん39話懐かしの満州ドラマ動画を見る方法

いだてん 39話

『いだてん』第35~第39話感想です。 『いだてん』レビューは、1か月半以上ぶりです。 ご無沙汰してます。 ところで、と同じ放送局であるの 『有田Pおもてなす』という番組が好きでして。 この番組にの宣伝もあって、くんがゲスト、コントにとバイきんぐが登場するという番宣を見かけて、 もバイきんぐも好きなので観よう!と思ったのに併せて、貯めていた 『いだてん』も視聴再開。 ちなみに、この番組のコントは、は若干すべったと思うし、ネタ的にがギリだったように感じた反面、 バイきんぐの西村は圧倒的に面白かったです。 最終話(第47話)は是非リアタイで一緒に盛り上がりたいので、そこまでの間には全部観たいと思います。 ()は委員会の最終選考で素晴らしいスピーチを披露したが、アジア初のオリンピックを東京で開催するという悲願を遂げたにも関わらずベルリンの大会を目の当たりにした嘉納は、喜びとは裏腹の重圧に押し潰されそうになっていた。 は、ドイツのの息がかかりものものしい大会となっていたが、日本代表選手がマで初のメダル獲得、女子水泳()の試合が行われ日本中が次回オリンピック開催と前畑フィーバーに沸いていた。 が終わり、4年後の大会に向け準備を進める嘉納だったがかねてから一触即発だった中国との間にが勃発してしまう。 日本をあげてのオリンピックに向けての組織が組まれていたが、戦争で経済的にも物資的にも人員的にも逼迫している中、日本でのオリンピックの開催を共に夢みてきていた仲間の中からもオリンピック反対論が巻き起こる。 ()は、ロス五輪での国や人種を超えたスポーツの祭典を日本で開催したい、今はその時ではないと嘉納に直談判をし、辞退をするように進言するが嘉納は拒否、エジプトでのの委員会で東京での開催を危ぶむ声を封じ込めてしまう。 しかし、エジプトからの帰路の途中、嘉納は病に倒れてしまう。 偶然乗り合わせた外交官の平沢()に、オリンピックへの熱い思いを語った直後だった。 日本では港で嘉納の帰りを関係者が待ち受けていた。 田畑は平沢から嘉納の思いを受け取る。 嘉納というリーダーを失い、戦争が激しさを増す中オリンピック開催反対への声が激しくなる中、副島()は苦渋の決断をする。 オリンピックの東京開催が中止になり、金栗()はに出場させようと東京に連れてきていた小松(仲野太賀)を連れて熊本に帰ろうとするが、ハリマヤで住み込みで職人の修行をしていたシマの娘りく()に恋をしていた小松は、りくに求婚。 2人は結婚し、息子の金治を授かったが、小松に召集令が下り出征することになってしまう。 一方、の祝勝会で一席設けることになった()はで倒れる。 一命をとりとめ、意識も回復しただったが、妻と娘たちに禁酒を強いられるのを嫌がり弟子の五りん()に秘密を守らせ酒を調達させた。 そして五りんに、に慰問した当時の戦時下の話を語り出す。 第35話~第39話までの感想です。 朝ドラとかもそうなんですけど、日本の近代史を語るうえで外せない日本の戦争問題。 人類が誕生して集団生活するようになってからずっと、現代にいたるまで地球のそこかしこで行われている戦争。 生きにくい世の中とはいえ戦争がなく、食べるものが豊富にある国と時代に生まれたものとして、 戦争という理不尽に巻き込まれた人々の生活を見るのはやっぱりしんどい。 今は大丈夫だけど、これからそういうことがないともいえないし、そうなったら真っ先に死ぬランクな国民だっていう自覚もあるし。 そんな戦争エピソードですが、今回の 35~ 39の 5エピソードでなんとか終わってくれました。 シマちゃんの娘のりくちゃんが、五りんのお母さんなんだろうなとは思っていましたが、お父さんが小松君だとは思っていなかった。 最後、のところに弟子入りした五りんと小松くんを繋ぐ展開は相変わらずお見事でした。 『いだてん』冒頭から出ている小道具のハガキが、約40話の脚本を経てやっと話が繋がるっていうその場しのぎじゃないストーリーにいつもびっくりさせられる。 視聴者はにも、五りんにも小松くんにも愛着を持っているし、それを 多少強引かもしれないけど、観ているこちらは特に不自然に感じることもなく時代と繋げて1つの印象深いエピソードにするなんて やっぱり天才だよなー。 さらには、 演じるくんの熱演で、くやしくて泣きました。 まーちゃんの上司の竹虎(リリーさん)の 「嘘でもいいから」が重かった。 戦争を始めてしまう人だけに言えることだけじゃないけど、 支配欲とか征服欲とかお金って本当に厄介だね。 自分の大切な家族や友人と、毎日他愛のないことで笑って美味しいご飯を食べて過ごすことよりも、見ず知らずの人に対して力や権力を誇示したい欲求にかられたり、そのためにお金が欲しかったりすることって悲しくないのかな。 そのために不幸になる人のことを考えられない人が定期的に出てくるような世の中に、なぜ神様はしてしまったんだろうと、戦争の辛いエピソードを見るたびに思わずにいられない。 そして、今回の五話で辛かったのは、戦争ももちろんですが、ずっとそこに居た 治五郎の死です。 日本のスポーツの発展に最後まで尽力した治五郎にオリンピックを見せてあげたかったなー。 まさに人柄だけで色々乗り切ってきた典型のようなキャターでしたし、本来ああいう無鉄砲な人はあんまり好きじゃないのですが、 治五郎は好きでした。 日本が初めてオリンピックに参加してた時からこちらはずっと観てるし、羽田の予選会やオリンピックのことを語るシーンはグッときました。 は歴史ものが多くて、それでも今回は近代史だから、存命の人もたくさんいるけど、戦国時代なんかは描かれるかどうかは別として 全員死亡がネタバレしてるの辛い。 特に今年は、ちょっと 個人的にドラマの登場人物の死に対してナーバスになっているので・・。 そして、最後に明るい話題で締めくくり。 の前年に、日本人女性初の五輪金メダルを獲得した選手の物語がとして放送されたことは非常に意味のあることだったと思います。 前回のロスのオリンピックで0. 1秒の差で負けて、に銀メダルだったことを責められてから4年の間に、プレッシャーと戦い偉業を成し遂げた選手が居たということは事実だけれど、 スポーツ選手に国を背負わせてはいけないと思った人も居たと思うし、前畑に 「頑張れって言わないで!」とキレられたまーちゃんがオロオロしていたけど、やっぱり応援の気持ちを端的に伝えるには 「頑張れ」しかないんだよな。 前畑みたいに思うスポーツ選手もいると思うけど 「頑張れ」にはいろんな思いが込められていて、応援している人が勝ったら嬉しいけれど、それだけじゃないから。 それにしても、1話40分の間に、合計で何回 「がんばれ」という言葉が耳から入ってきたのかと思うほどの 「がんばれ」の雨でした。 頑張る前畑にも、頑張れを頑張る応援の姿にも素直に感動しました。 あと、マでは優勝した選手が日本人じゃないことに言及していたところも素晴らしかったと個人的には思いました。 この先もっと、いろんな出自や肌の色の日本代表が増えるだろうし わたしは全然問題ないと思う派だし、そういう風潮が広まれば、余計なことを考えずにもっと選手が楽に大舞台に臨めると思う。 1940年のオリンピックから20年以上経過した1964年までの軌跡がこれから最終話まで(?)描かれると思うので、あとはトラブルがあったとしても 基本的には高度経済成長の始まりの時代だから、そんなに暗い話にはならないといいなと思います。 まーちゃん、最後まで頑張れ!! 「あれがなにして、今日はあれするから!」の難解不明な日本語をさくっと解明されて 「あれを何なさるんでしょ」と返されている田畑夫妻最高です(笑) <広告>.

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いだてん~東京オリムピック噺~ 第39話「懐かしの満州」感想

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概要 [ ] が初めてに参加した(明治45年)のから、(1940年の予定が、戦争で返上)開催を決めた(昭和11年)のを挟んで、(昭和39年)の開催までの52年間の知られざる歴史を章立てに分け 、日本人初のオリンピック選手となった「日本のマラソンの父」と、東京オリンピック招致に尽力した(元会長)の2人のをリレーする形式で描く。 主人公が作中で変わる「リレー形式」となるのは『』以来19年ぶり。 なお、金栗と田畑は実際に面会したことがあり、取材の過程で発見された記念写真 は番組エンディングの「いだてん紀行」や番組関連で開催されているイベント等で公開されている。 物語はが語る架空の『オリムピック噺』の語りにのせて進行するという形式で、随所に志ん生自身の人生も挿入され、その視点で見たからにかけてのの変遷も描かれる。 (昭和3年)出生の、(昭和8年)出生のなど、昭和生まれの実在の人物が登場する初のNHK大河ドラマでもある。 作品にもスタッフ(国旗考証)として参加しているなど、放送時点で本人が健在ないし存命の人物や、実在する会社の名前が複数登場する。 放送期間中のにからへ改元されたため、平成最後のNHK大河ドラマとなった。 企画・制作 [ ] 11月16日、2019年の大河ドラマについて、のオリジナル脚本となること、放送時期がの前年に当たることからがテーマになることが発表された。 同時にに、にと、宮藤を含めて『』のスタッフ陣で臨むことも明らかにされている。 明治以降の日本の近現代のみを舞台とした大河ドラマは、『』以来33年ぶりである。 これについて宮藤は、「(大河ドラマの主たる題材となる)歴史を動かした人物にも、にもにもあまり思い入れがないから、自分に大河ドラマは無理だろうと思っていました」「(スタッフから)『できる題材を探しましょう』という優しい言葉を頂き、だんだんその気になり、考えたのが『』と『オリンピック』の物語」と述べている。 音楽担当のによると当初、井上は近代の戦争を描く作品を志向していたという。 打ち合わせで「戦時中の歴史」への興味について井上に問われた宮藤は、の『円生と志ん生』にある、志ん生の満州時代の話を題材の一例として挙げたといい、ここから「オリンピックと戦争をつなげる」歴史ドラマとしての企画が動いたという。 なお、翌年の東京オリンピックに向けた「国策的」な企画という推測(後述)については、宮藤本人が明確に否定している。 4月3日、制作発表が行われ、役は、役はの両名の主演が発表された。 また、物語の語り部として落語家の古今亭志ん生が登場することも併せて発表された。 中村勘九郎の父であるは1999年の『』で主演を務めており(当時は「(五代目)中村勘九郎」)、・親子以来2組目となる「親子二代での大河ドラマ主演」となった。 また、大河ドラマ初の作品となることも同時に発表された。 2017年11月1日の出演者発表第1弾では、劇中音楽をも担当した大友良英が担当することが併せて発表された。 また、11月29日の出演者発表第2弾においては、五代目古今亭志ん生役をが演じることが発表された。 オープニングテーマの作曲も大友が手掛けており、疾走感あふれるサンバ風のものとなっている。 3月30日の出演者発表第3弾において、題字をが担当することが発表された。 横尾自身もマラソン好きということもあり「他の人に依頼されなくてよかった」と感想を述べている。 「ロゴも走っているように見えるといいな」との発想から「いだてん」の四文字の上にを重ねたデザインとなっている。 4月4日、金栗の故郷・でクランクイン。 8月上旬から3週間程度をかけ、1912年大会当時のスタジアム()の姿がほぼ残るでのロケ が予定されており、準備に時間がかかるため、例年よりも早めのクランクインとなった。 11月9日、公式サイトと公式Twitterアカウントが開設されて PR 映像が公開された。 12月14日、初回試写会が行われ 、ドラマの最後に大河ドラマでは異例の「このドラマは史実を基にしたです」という注釈テロップが付けられることが明らかになった。 この意図について制作統括の訓覇は「(基本的にドラマなのでフィクションだが)意外に事実が多く、事実とは何かを考える機会にもなる」「事実の大切さとフィクションの楽しさを両方持っているという自分の思いも込めた」と述べている。 3月26日、第25回から登場する役で出演予定のが急逝したが、主な出演シーンは収録を終えており、予定通り放送された。 2019年10月1日、すべての撮影を終了した。 ロケ地 [ ]• () あらすじ [ ] 第1部 金栗四三篇・前半 [ ] 物語は、整備が進む五輪招致目前の東京の寄席で開かれた による「オリンピック初参加にまつわる噺」で始まる。 さかのぼること50年前の1909年、東京。 の創始者・ は「」という言葉すら知られていない時代に日本初のオリンピック選手派遣に向けて悪戦苦闘の末、選手選考会を開催。 の学生・ がマラソンで日本人初のオリンピック出場権を勝ち取る。 熊本の山間にある農村で生まれ育った四三は、幼いころ学校まで往復12キロを走る「いだてん通学」で虚弱体質を克服し脚力を身に着ける。 卒業後は進学を志望するも不合格。 幼なじみの 春野スヤに励まされて気持ちを切り替え、憧れの嘉納治五郎が校長を務めるへ進学する。 慣れない東京で学生生活を送るある日、街中を疾走する集団・ に遭遇した四三は初めて「」を知り衝撃を受ける。 に入部し益々走ることに夢中になる四三はの参加募集を知り出場、日本では前代未聞の長距離かつ悪天候で多くの脱落者が発生するなか優勝する。 代表選手に内定した四三は、国の代表という重圧や旅費の自己負担などに戸惑い悩む日々を送るが、嘉納の説得、仲間たちの応援、兄・ 実次の尽力に助けられ、前向きに練習を重ねていく。 1912年5月16日、四三は選手団長の嘉納が出国できないトラブルの中、監督の と妻の 、短距離走代表の の3人と共に開催地であるへ出発する。 現地に到着した4人は、長い旅路での疲労、兵蔵の病臥、不慣れな、沈鬱した弥彦の自殺未遂騒動といったアクシデントが続き困憊するが、四三の叱咤激励と協力で弥彦は立ち直り、兵蔵も快方に向かい、嘉納も遅れて合流する。 こうして迎えた開会式、四三のこだわりで「NIPPON」と表記したプラカードを掲げ日本選手団は入場。 100m走に臨んだ弥彦は予選敗退したものの、自己ベストを更新。 400m予選では準決勝に進出するが、外国人選手との格段な実力の差を悟り力尽きた弥彦は勝利を四三に託し棄権する。 そして長距離走に出場した四三は、途中足の痛みや苦しさを感じながらも応援してきた仲間や幼き日の自身の幻影に励まされ20位まで順位を上げていく。 しかし、多くの脱落者が発生するほどの猛暑により四三もを発症し、道を誤り辿り着いた民家で失神。 ガイドと公使の判断でそのまま宿舎へ戻り、ゴール出来ずに終了する。 一方、語り部である志ん生こと 美濃部孝蔵の若き日々も並行して描かれる。 浅草を拠点に自堕落に生きていた孝蔵は、ある日、噺家・ の高座を目にして強く心を惹かれ、落語に傾倒、円喬の弟子となり「三遊亭朝太」の芸名を与えられる。 また、1960年の志ん生の元に 『志ん生の「」は絶品』と書かれた絵葉書を手にした青年が訪れ、 五りんとして弟子入りする。 第1部 金栗四三篇・後半 [ ] 明治天皇がし、がに移り変わってからしばらく後、四三はストックホルムから帰国する。 1913年春、四三は、一人息子を失った熊本の資産家・ 池部幾江の要請で彼女の養子となりスヤと結婚。 スヤを熊本に残して東京に戻り、マラソン用の足袋制作で世話になった 黒坂辛作が営む「播磨屋」に居候して、出場に向けて鍛練に打ち込む。 多くの同期生が教職に就く中でも四三はマラソンに専念し、1914年には世界記録を更新するが、同年6月、の影響でベルリンオリンピックの開催中止が決定する。 ショックのあまりに塞ぎ込む四三だったが、心配し駆けつけたスヤの叱咤激励で気持ちを切り替え、「自身が50人いたら50個メダルが取れる」という発想から、教員をしながら後継者の育成に力を入れて行く。 その中でを思いつき、嘉納の協力のもと史上初の駅伝「東海道五十三次駅伝競走」、1920年には「」を実現させる。 同年、の開催が決定。 渡航費は国が負担し、渡航中の船上でトレーニングが出来るなど、前回からは恵まれた環境でオリンピックに臨んだ選手団だったが、結果は、テニスで日本初のメダル獲得を果たすも、他の種目は惨敗。 後輩らを先導しながら競技に挑んだ四三も、マラソン選手としての適齢期を過ぎ足の痛みを抱えながら完走するも、16位に終わる。 スヤや国民に対して面目無さを感じ、オリンピック終了後はに直行し放浪していた四三は、陸上競技を嗜む現地の女性たちと出会い、日本女子へのスポーツの普及を志す。 帰国し、へ赴任した四三は、授業を差し置き女生徒らにス ポーツを推奨。 当初、生徒の 村田富江らは四三に反発するが、彼に懇願され槍投げに挑戦したことをきっかけに、スポーツの楽しさに目覚める。 以来、同僚教師の シマの協力もあり生徒たちは四三を師事しスポーツに傾倒。 やがて富江が50m障害物走で日本記録を更新するが、その際に素足にシューズを履いて走った行為が醜態を晒したと、富江の父が学校に四三の解雇を要求、事を知った生徒らは解雇の反対とスポーツをする自由を求め教室に立てこもりを始める。 シマの提案で村田父娘は100m走で勝負、富江が勝利し、父が折れる形で四三は解雇を免れる。 嘉納が手がけたが完成目前の1923年、が発生。 東京は震災で未曾有の壊滅状態となり、シマが行方不明となる。 一方、円喬に才能を認められながらも相変わらず素行が悪い孝蔵は、円喬の命でに弟子入り。 小円朝のに同行することとなる。 を訪れた孝蔵は、地元の少年・ に落語を辛口評価されたことをきっかけに小円朝と喧嘩。 一座を追い出され、無銭飲食を働き逮捕された獄中で円喬の死を知り、悲嘆に暮れる。 小円朝の計らいで釈放された孝蔵は、彼に頭を下げ、引き続き一座に戻り精進する。 その後、巡業を終え帰京するも、友人・小梅のトラブルに巻き込まれ再び浜松に一年間逃亡する羽目に。 アントワープオリンピック終了後のある日、学友のの敗北を悔しがり、浜名湖でに挑戦する田畑を目撃した孝蔵は、彼の財布から盗んだ金で再帰京する。 「古今亭円菊」と芸名を変え再出発し、真打に昇進した後は、小梅・清さん夫婦の勧めで 清水りんと結婚するが、所帯持ちになっても娯楽に興じ家に寄り付かず、挙句夜逃げを余儀なくされる。 りんの愛想が尽き始めた矢先、2人は関東大震災に被災。 その際、りんを守った孝蔵は、彼女から第1子懐妊の報告を受ける。 自身の無事を伝えるため四三は熊本に帰省するが、幾江の叱責と実次の格言から被災者に食料を届けることを思い立ち、大量の食料とスヤを連れて早々に東京に戻る。 四三は本来の「」のように食料を背負い人々に届け走り回るうちに、被災者のために運動会を望むようになり、体育関係者やシマの夫・ 増野などの賛同のもと、避難所として解放していた神宮外苑競技場で開催される。 運動会には老若男女多くの人々が参加し、富江、シマが陸上の世界へ誘い続けた 、弥彦らも参戦して場を盛り上げる。 また、競技が出来ない被災者のため孝蔵が会場で寄席を披露し人々を笑顔にする。 そして四三も短距離走に参加、ゴールを過ぎてもなお走り続け、競技場を颯爽と駆け抜けていくのであった。 第2部 田畑政治篇・前半 [ ] 1924年、を卒業した田畑政治はの採用試験を受ける。 面接で好きなスポーツを聞かれた際、水泳について熱弁し面接官の と社長を困らせる。 水泳に情熱を注いでいながら運動部ではなく政治部を希望した田畑は、社長の鶴の一声で採用されることになる。 一方、金栗四三はの予選会で、伴走者として母校のランナーを鼓舞するが背中でゴールテープを切り1着でゴール。 3度目のオリンピック参加が決まる。 パリオリンピックで四三は意識を失い途中棄権、結果報告会で正式に現役引退を表明する。 その結果報告会で体協の陸上びいきに業を煮やした田畑は体協名誉会長の嘉納治五郎の引責辞任を求め、本人とは知らず嘉納に掴みかかり投げ飛ばされる。 「勝手にしたまえ」と嘉納に告げられた田畑は、教授の らとともに( 水連)を結成し、水泳選手の育成に取り組んでいく。 が近づく中、田畑は体協に多数の水泳選手の派遣を求め、体協会長の岸清一から「金さえあれば連れて行く」と返されたことで、大蔵大臣の に直談判し、国にオリンピック特別予算を出させることに成功する。 こうして水泳の精鋭らを送り込んだ田畑だったが、自身は職場で長期休暇の許可が下りず、国内で勝利を祈ることとなる。 結果、 が金メダル、 が銀メダルと銅メダルを獲得。 また同大会では、日本人女性初のオリンピック選手となった人見絹枝が銀メダルを獲得し、日本の女子スポーツの未来を切り開らく。 そんな人見に続くかのように、水泳界では が頭角を現し始める。 、などの勃発により暗澹とする世情のなか、長・ はと関東大震災復興記念事業の一環として、オリンピックの招致に乗り出す。 その頃田畑は、新聞に見切りをつけ政界へ転じる同僚の から日本スポーツ界の将来を託され、前畑、、、など若手の育成に力を入れ、次期オリンピックに向けて拍車をかける。 1932年、田畑は念願叶い水泳チームの総監督として渡米するが、全種目制覇のために人情を切り捨てて選手選考を行う姿勢に松沢は反発し、若手に抜かれ戦力外が明白ながらも、チームの精神的支柱として同行する「ノンプレイングキャプテン」の立場を命じられた高石も苛立ちを募らせていく。 しかし「新聞の一面に金メダル大量獲得の記事を載せ、日本を明るくしたい」という田畑の希望を知った2人は協力的に変わり、日本水泳チームは全種目金はならなかったが多くのメダルを獲得。 この快挙に、人種差別に苦しむ現地日系人らは「アメリカ人を見返した」と田畑や水泳チームへの感謝と歓喜に沸く。 帰国後、田畑は陰で彼を見守り支えてきた同僚の 酒井菊枝と結婚、1940年開催のオリンピック東京招致の実行委員に着任する。 満州事変以降の国際政情から東京の不利は否めず、嘉納は有力候補地であるイタリアの独裁者・に権利を譲ってもらうように直談判することを決め、田畑はそのための写真資料集「日本」の作成を手掛ける。 そしてIOC委員・ と の交渉によりムッソリーニから承諾を得るものの、開催地決定選挙の場でこの事実が明らかになると、IOC委員長・らから「オリンピックに政治を介入させた」と顰蹙を買い、選挙は延期となる。 嘉納はラトゥールを日本に招待し、直接アピールと謝罪、田畑は直後の戒厳下の東京にてラトゥールを案内する。 こうして招致委員会の努力は実り、開催直前の選挙で、東京が次期オリンピック開催地に決定。 しかし喜びは束の間、田畑は河野の推測とラトゥールの忠告から、この選挙結果はドイツの独裁者・による水面下での圧力によるものと悟る。 かつて高橋是清から資金を引き出す方便として「オリンピックの政治利用」を何の気なしに訴えたことを思い出した田畑は、党のプロパガンダ手段と化し大規模に施行されたベルリンオリンピックを見て愕然とする。 そんな異様な雰囲気のなか、前畑は国民の声援を背負い精神的な重圧を抱えながら金メダルを獲得する。 一方、アムステルダムオリンピック後に実次の死を受け熊本に戻り、池部家が営む庄屋で番頭を務めていた四三は、四三に憧れマラソン選手を志す青年・ 小松勝の訪問を受け、走る事への情熱を取り戻す。 その後、嘉納から東京オリンピック招致への協力を依頼された四三は、勝を一流の選手に育ててオリンピックに出場させるべく、十余年ぶりに上京。 再びハリマヤ製作所の世話になる。 勝は四三の指南の元で鍛練に打ち込む一方で、同店の見習いとして働くシマの娘・ 増野りくと恋に落ち結婚、長男・金治が誕生する。 東京オリンピック返上が決定しても次のオリンピックに向け前向きに練習を続ける勝だったが、彼に召集令状が届く。 また、孝蔵は柳家三語楼に弟子入りし「柳家東三楼」に芸名を変更、私生活では長女・美津子、次女・喜美子に続き長男・清が誕生と子宝に恵まれる。 しかし師匠の着物を質に出して破門され、高座を追われ食うに困るほどの貧困に陥る。 自身の著書のタイトルにもなる長屋に転居し貧乏暮しを続けるある日、兄弟弟子の 万朝が孝蔵の復帰を信じ、孝蔵の羽織を質流れから守っていることを知る。 心打たれた孝蔵は万朝に弟子入りを懇願、りんも頭を下げる。 しかし万朝よりも孝蔵が格上だったというオチが付き、孝蔵は万朝の協力で師匠と和解し「柳家甚語楼」として復帰する。 やがて宴席での高座やラジオ出演によって生活を立て直した孝蔵は、二・二六事件が勃発した日、ナメクジ長屋を後にする。 その後日本は対外関係が悪化の一途となり、若者は徴兵されて行く。 オリンピック開催計画の会議には軍部も同席し、ベルリンオリンピック同様にプロパガンダ手段にオリンピックを利用しようと画策。 また東京市長・は会場をへの変更を主張し、嘉納と対立するようになる。 一向に計画が進まない様子や軍事国家と変化しつつある現状での開催など本来の趣旨から外れて行くことから田畑や副島はオリンピック返上を嘉納に提案するが、選手らの気持ちに寄り添う嘉納は頑なに東京開催にこだわる。 、エジプトで行われたIOC会議からの帰路で、嘉納は肺炎に罹患し急逝。 彼を看取ったから遺品であるストップウォッチを受け取った田畑は、嘉納の遺志を継ぎオリンピックの開催を進めようとするが、副島の独断で開催は返上される。 1943年、嘉納が平和への希望を込めてオリンピック開催目的で作られた神宮外苑競技場は、皮肉にも場に使用。 同競技場でゴールテープを切る勝を出迎えることを夢見ていた四三は、戦闘銃を片手に壮行会で行進する勝を見送り複雑な思いで万歳三唱する。 降りしきる雨の中で壮行会を見守る田畑は、オリンピックを返上したことを激しく後悔し、開催反対を訴えていた河野に怒りをぶつけ、東京でオリンピックを開催させてみせると誓う。 孝蔵はというと「古今亭志ん生」を襲名し、に後輩の たちと共に「慰問団」の一人として満州へと旅立っていた。 の暮れに脳梗塞で倒れた志ん生は、病床で小松勝の息子である五りんに満州での思い出を語る。 満州で孝蔵は勝と出会い、「富久」にケチをつけられる。 勝は「久蔵が走る場所を浅草から芝に」と、恩師である金栗四三の体験談を語りつつ提案する。 しかし、8月15日に日本は敗戦した事により、満州の状況は混乱の一途を辿る事になる。 その最中、志ん生と圓生は中国人たちに殺されかけるが配属部隊長の情けで脱走兵となっていた勝によって助けられて、以降行動を共にするようになる。 孝蔵は死を覚悟して酒をあおって、アルコール中毒により死のうとしたが圓生の助けで死を免れる。 結局、二人は残った日本人を相手に落語会を開催。 圓生は「居残り佐平次」を演じ、孝蔵は勝のリクエストもあり「富久」を演じた。 その「富久」は勝の提案を受け入れ、アレンジしたモノだった。 勝は「富久」を聞いて外を走りたくなり、屋外へ出て妻のりく宛の葉書に 『志ん生の「富久」は絶品』と書き足してポストへ入れた瞬間にソ連兵に遭遇し、銃殺されてしまった。 翌朝、孝蔵は圓生と共に勝の死体を発見してその死を惜しみつつ、満州の街を逃げる。 その後現地妻を持つなどしたのち、に命からがら帰国、寄席の高座へと復帰し万雷の拍手で迎えられた。 第2部 田畑政治篇・後半 [ ] 1959年、田畑政治、東龍太郎らは1964年のオリンピックを東京に招致するべくIOC総会に向けて準備を進めていたが、二週間前になってスピーチをする予定だった外交官北原秀雄が足を負傷したため、北原は元外交官でNHK解説委員になっていた平沢和重を推薦する。 平沢は嘉納治五郎が船の中で亡くなった際に最期を看取った人物であったが、1964年での開催は時期尚早だとして、なかなか首を縦に振らない。 なぜそこまでオリンピックに魅せられるのかと平沢に尋ねられたことから田畑は敗戦後からの歩みを語ることになる。 1945年9月、田畑は敗戦国となった日本のためにオリンピックを東京に呼ぶことを決意する。 1948年、ロンドンにて12年ぶりにオリンピックか開催されることになるが、日本はアメリカの占領化にあったため参加を認められなかった。 そこで田畑は神宮プールを使い「裏オリンピック」と称してオリンピックの水泳競技と同じ日程で日本選手権を開く。 この大会で古橋広之進がオリンピックの優勝タイムを超える記録を出して、日本人の若者たちを鼓舞した。 1951年、サンフランシスコ講和条約によって日本の独立が認められ、翌年のヘルシンキオリンピックに参加。 それから田畑は1960年のオリンピックを東京で開催するべく招致活動に励むが結果はローマの圧勝で惨敗。 それでも田畑はすぐに1964年のオリンピックを招致させるべく奔走。 嘉納治五郎が作った神宮競技場は老朽化していたためこれを壊し、国立競技場として生まれ変わらせた。 田畑のオリンピックへの思いを聞き、嘉納治五郎の言葉を思い返した平沢は最終スピーチの役目を引き受ける。 そしてそのスピーチが東京オリンピック開催を決定づけたのであった。 日本人初のオリンピック選手となった「日本のマラソンの父」。 実践と検証を重ねる実直な性格で、競技の分析ノートや旅行日記などを詳細に記録する。 また中学校で教えられて以来、体質改善になると信じて、裸で頭から冷水を浴びるのを日課としている。 嘉納が強く探し求める陸上競技オリンピック選手候補として現れたため、彼に とあだ名される。 驚いた際に「ばばっ」もしくは「ばばばばばー」と声を上げる癖がある。 ひどい音痴だが、本人は克服したつもりでいる。 明治24年、に生まれる。 「四三」という名前は生誕時に父・信彦が43歳だったことに因む。 幼少期は体が弱かったが、独自の呼吸法と共に往復12キロメートルの通学路を走る いだてん通学により虚弱体質を克服。 成績が良かったため、兄・実次の勧めで玉名中学校に入学。 その後、海軍兵学校に入学を希望するが視力検査で不合格。 幼い頃に見た嘉納が学長を務める東京高等師範学校・地理歴史科に進学、上京する。 東京での慣れない生活に疲弊していく中で、偶然にも浅草でマラソンと出会い心奪われる。 高師のマラソン大会で予科生ながら3位に入賞し、表彰式で初めて嘉納に声を掛けられた。 1位を目指すべく徒歩部に入部し、偶然通りかかった播磨屋で足袋を買い着用する。 「脂抜き走法」強行し体調を崩したことから「自然ニ従へ」の教訓を得て、羽田で行われたストックホルム五輪の予選会に出場。 マラソンで世界記録を塗り替えて優勝するとともに、オリンピック代表選手に内定する。 当初はオリンピックとは何かも知らず、単なる力試しとして予選に参加したため、事の大きさを知り困惑するが、嘉納に「渡航費は参加者の自己負担のため世間に対して気負うことは無い」旨説得され、参加を決意。 高師の仲間が集めたカンパや、兄・実次の尽力で熊本の名家・池部家から援助を得て、高額な渡航費問題も解決する。 ストックホルムでは世界記録保持者として注目を浴びる一方で数々のアクシデントに見舞われコンディションの調整に難航する。 また開会式の際に持つプラカードの表記について「日本」に強く拘り、「JAPAN」を主張する大森兵蔵と対立。 結果として、嘉納の提案した「NIPPON」表記のものを使用することで落ち着く。 マラソン競技本番では、レース中にコースを誤った先でで倒れ、大会本部への連絡が無いまま途中棄権となる。 一時は悲しみに暮れるが、次のベルリン五輪を目指して再び走り始める。 帰国後、跡取りを失った池部家の養子となり、幼馴染のスヤと結婚。 このため本名は 池部四三となるが、そのまま金栗姓を名乗っている。 高師卒業後は同校研究科に籍を置き、播磨屋に居候しトレーニングを重ねるが、目標としていたベルリン五輪がの拡大により開催中止となり、一時は意気消沈する。 しかしスヤの励ましにより、自身の後継者の育成という新たな目標を見つけ、の地理教師を勤める傍らマラソンの指導に当たる。 また、嘉納らと協力し、史上初のとなる「東海道五十三次駅伝競走」を企画。 その後も極東選手権や東西対抗戦、富士登山競争などマラソン競技を次々と企画、走り続け、スヤが長男の正明を産んだ際も帰省せず、下関・東京間を走破する。 の開催が決定すると、マラソン競技の予選も兼ねて箱根駅伝を企画し運営。 その後、マラソンの他にも水泳などの選手たちとともにオリンピックに出場するも、ベルリン五輪中止以来の無理がたたり、結果は16位。 金メダルを取ることが出来なかった悔しさから、ベルリンを放浪する。 その最中に、戦争で夫を失い悲しみを抱えながら槍投げをする女性たちに出会い、日本でも女子スポーツを普及させることが必要と考える。 大正10年(1921年)、地理歴史科の教諭として(通称・ 竹早)に赴任。 竹早ではスポーツの魅力を女子生徒たちに伝えるため奮闘。 当初は疎まれるも、村田富江らに槍投げをしてもらったことをきっかけに、竹早にスポーツを根付かせることに成功する。 関東大震災の発生時には、神宮競技場の下見に行っていたため無事だった。 一時は熊本に帰郷するも幾江に喝を入れられて東京に戻り、被災地を走り回って救援物資を届ける役目を果たす。 また、被災者のために復興大運動会の開催を立案し、選手としても参加した。 パリ五輪の予選会では選手の伴走者として参加していたが、意図せず1着でゴールしてしまい出場することになる。 大会では酷暑に勝てず、32km地点で棄権した。 震災から5年後、兄・実次が死去。 その際、幾江の老け込んだ様子を見て、陸上を引退して帰郷することを決意する。 その後は廻船問屋の旦那として熊本に落ち着く。 しかし、ロサンゼルス五輪での日本選手団の活躍や小松勝との出会いによってマラソンへの思いが再燃し始め、折しも1940年の東京五輪で聖火ランナーを務めるよう嘉納に依頼されたことと、勝をオリンピック選手に育てるべく再度上京を果たす。 しかし東京五輪は中止となり、出征した勝とも再会できぬまま終戦を迎える。 1964年の東京五輪開催が決まるや、嘉納との約束を果たすべく上京。 足袋姿で東京中を走る姿は志ん生、田畑らに目撃されている。 聖火ランナーの最終ランナーになることを目指していたが、その願いは田畑の判断によって叶わなかった。 東京五輪終了から3年後、からエアメールが届きストックホルムで競技中に行方不明のままであることから、完走するよう求められる内容であったため再びストックホルムへ。 ついに数十年越しのゴールを果たした。 会長および委員長を歴任することとなる人物。 幼少時より、家族や親しい人々には まーちゃんと呼ばれている。 また、水泳への熱狂ぶりから体育関係者などから「」と称される。 渋滞中に待ちきれず外へ飛び出すなどせっかちであり、考えるより先に口や体が動くタイプ。 嘉納からは「口が韋駄天」と評された。 「アレをナニする」「違う!そう!」「じゃんね~」が口癖。 喫煙者(ヘビースモーカー)でありイライラしている時に煙草を逆向きに吸って火傷しそうになり、熱がるという癖がある。 浜松で造り酒屋「八百庄」を営む資産家の次男。 少年期、近所の寄席小屋「勝鬨亭」でお茶子をしていた際に孝蔵と出会い、彼の高座を「面白くない」と評する。 同時期、大病を患ったことを機に水泳を禁じられるが浜名湾游泳協会を結成し、オリンピックに出場する選手の応援や泳ぎの研究に没頭していく。 卒業後の大正13年(1924年)、に就職し政治部記者に配属される。 政治部であるにも関わらず運動部の記事に口を出すため、尾高や河野からはよく思われていない。 改元直前にマリーから「30歳で死ぬ」と予言され、生き急ぐように水泳への情熱を燃やすことにやる。 大日本体育協会に対抗しを創立。 水泳選手の強化に向けて母校の帝大や神宮競技場敷地内にを設置し、日米対抗戦を開催し勝利。 また水泳選手派遣増員のため高橋是清に直談判し資金を調達するなど奔走する。 水泳日本代表の総監督として1932年ロサンゼルス五輪に同行し「一種目モ失フナ」というスローガンを掲げて選手たちを導く。 メダルを獲るために若い選手を重用し、高石や鶴田を「ノンプレイングキャプテン」「練習台」と呼んで反感を買うが、それは全て日本の世情の暗さを一掃するための行動だった。 しかし、自身が振る舞った牛鍋が原因で大横田が体調を崩したため、全種目制覇は達成できなかった。 結果として日本水泳チームは400m自由形を除いた全ての種目で金メダルを獲得する。 閉会セレモニーでは嘉納の企画で日本泳法を紹介することとなり、観客や選手たちの前で初めて泳ぎを披露した。 帰国後、速記係の酒井に惹かれていき、彼女がかつて顔も見ずに断った見合い相手だと知って即座にプロポーズし結婚する。 その後、岸の死をきっかけに体協理事となり1940年東京五輪の招致活動に邁進。 嘉納の「極論」に振り回されながらも、杉村や副島と協力し合い、東京招致に成功する。 1936年のベルリン五輪にも水泳総監督として同行し、ドイツ国民一体となった絢爛豪華な大会に圧倒されつつも、オリンピックがプロパガンダとして利用されていることや、選手はじめ大会スタッフの誰もがヒトラーをもてはやす空気に違和感と憤りを感じる。 二・二六事件を皮切りに日本の情勢が悪化していく中で大会の開催に疑問を抱き、大会返上を巡って嘉納と対立。 客死した嘉納からストップウォッチを託され、開催遂行を誓う。 東京大会は返上となるが、太平洋戦争の終結後、日本体育協会を復興し、日本が参加できなかったロンドン五輪に対抗して「裏オリンピック」を開催する。 フィリピンでの反日感情に触れたことで、「アジアでひどいことをしてきたからこそ、日本人が一番面白いことをしなければいけない」との考えを抱くに至る。 1959年に東京への五輪招致が成功すると、組織委員会の事務総長に就任。 ロサンゼルスの選手村で得た経験と、ベルリンでは政治に翻弄される大会の姿を目の当たりにしたことから「スタジアムと選手村は聖域」という思想を掲げ、池田首相に直談判して、代々木への選手村建設を決定させるなど手腕を発揮するが、政治の介入を嫌い、ことあるごとに川島正次郎と対立。 参加問題で事務総長を解任された。 失意の底に沈むもオリンピックへの情熱を捨てきれず、自宅で「裏組織委員会」を開いては様々なアイデアを出し、岩田達がそれを実行する形でオリンピックに協力し続ける。 1964年、晴れて東京オリンピックが開催されると、世界に誇れるオリンピックを出来た事を嘉納に胸を張って報告。 その後も日本水泳界の指導者として活動を続ける。 東京高等師範学校・大日本体育協会・日本体育協会・IOC日本代表 [ ] 東京高等師範学校は「東京高師」、大日本体育協会は「体協」と省略される場面が多い。 は東京高師とは別組織だが校内に協会が設置され、協会理事も同校の教員らが名を連ねる。 会長が岸清一に交代後は体協本部は岸の自宅に移り、その後岸の弁護士事務所内に再移転している。 戦後は「日本体育協会」と名を改める。 体協役員と関係者たち [ ] (かのう じごろう) 演: 東京高師校長。 の創始者。 初代理事長。 日本初のIOC委員。 その後、オリンピック予選会においてマラソンで優勝した四三と短距離走で優秀な成績を収めた弥彦を選手としてストックホルムに送ることを決める。 しかし国からの援助はなく、予選会開催のために多くの借金を重ねた上に、に巻き込まれた清からの留学生を救うべく莫大な借金をし、資金が不足。 四三と弥彦に自費での出場を提案し、丸め込むような形で説得する。 ストックホルムへの出発の際は、政府の役人であるがゆえに手続きが煩雑となり四三らより出発が遅れる。 ストックホルムから帰国後、大日本体育協会に多額な負債を負わせたことを理由に、永井らから更送を言い渡される(ただし大日本体育協会の会長職には1921年まで留まっている)。 ベルリン五輪の中止後、四三が東海道五十三次駅伝競争を企画すると、その姿に触発され、自身も神宮外苑に競技場を建設するという夢を持ち始める。 その後、の前後に、永井の退任を受けて、大日本体育協会の会長から退くことを表明。 その後は東京でオリンピックを開催するためを建設することに尽力する。 関東大震災が発生し、完成間近であった競技場をバラックとして開放。 競技場で復興大運動会を開催するとともに、の選手の派遣を宣言する。 東京市長・永田の申し出をきっかけに1940年東京五輪招致に向けて活動。 「ムッソリーニに直談判して開催権を譲ってもらう」という作戦を発案するが、持病の腰痛が再発したため、ムッソリーニとの会談およびIOCオスロ総会には出席できなかった。 結局「オリンピックに政治を介入させた」としてラトゥールの不興を買い、開催地選挙は延期となる。 そこで関係を修復するためラトゥールに東京視察を打診し招待。 二・二六事件事件が勃発してもなお揺らがず、ラトゥールを迎え入れて自ら謝罪し、東京五輪への思いを語る。 そして半年後のIOCベルリン総会にて自らスピーチを担当し、東京招致に成功する。 この時、IOC中国代表の王が票を入れてくれたことでより一層大会開催への思いを強める。 また、ベルリン五輪のスケールに圧倒され「ベルリン大会を超えるものを作らなければならない」というプレッシャーに蝕まれていく。 しかし、中国戦線の拡大により日本国内では返上論が拡大。 副島や田畑からも返上するよう説得されるが、1938年のIOCカイロ総会で各国委員を説得し東京での開催を押し切ってしまう。 その帰路、「これから一番面白いことを東京でやる」と東京五輪を夢見ながら、太平洋上で肺炎を発病し、この世を去る。 所持していたストップウォッチは動きっぱなしになっており、田畑は彼の遺志を継ぐ決意の証として敢えて動かしたまま受け継いだ。 1964年大会の組織委員会には一番目立つところに肖像画が飾られており、田畑はことあるごとに嘉納と「対話」することになる。 (きし せいいち) 演: 大日本体育協会2代目理事、弁護士。 会計の面から体協を支え、アントワープ五輪では派遣費を体協から支弁するよう取り計らう。 マラソンや駅伝競走には興味のない素振りを見せていたが、第1回箱根駅伝を実際に観戦したことで大いに感動し、その魅力に取りつかれる。 これ以降、実際の運営では現実的な策を取りつつも、スポーツの魅力に心酔し、競技を観戦し感動しては涙を流すことが多い。 大日本体育協会第2代会長、を後に務める。 関東大震災後は自身の弁護士事務所への間借りという形で体協の本部を置き、活動を続ける。 その後、1940年東京五輪招致の話が持ち上がると、招致メンバーとしてロサンゼルス大会に赴き嘉納と共に活動を開始。 ロサンゼルス大会の終了後は1940年東京五輪の実行委員会のひとりとなり、また同時期にロサンゼルス大会の結果を昭和天皇に御進講するという大役を務めるなど活躍する。 しかし程なくして体調を崩し、昭和8年(1933年)、東京五輪の実現を見ることなくこの世を去る。 (おおもり ひょうぞう) 演: 米国体育学士。 ストックホルムオリンピック日本選手団監督。 バレーボールとバスケットボールを日本に紹介。 日本語の会話の中に英語を混ぜる癖があり、その度に安仁子に翻訳される。 アメリカ留学中にアルバイトで安仁子のをしたことがきっかけで結婚に至った経緯から、オリンピックに同行出来ずに僻む可児と永井から妻の尻に敷かれていると嘲笑される。 安仁子とは仲睦まじく、四三らと同席の車中でも新婚夫婦同然にふるまう。 嘉納からオリンピック選手団監督の打診をされた時には肺病を患っており、余命僅かであることが判明していた。 しかし執筆した論文「オリンピック式陸上運動競技法」から伝わる熱意と安仁子からの懇願が嘉納の心を打ち、正式に監督に任命される。 しかしストックホルムでは練習に参加できないほど病状が悪化。 一時は持ち直すものの男子100メートル走予選以降、再び病状が悪化し、それから数か月後に渡米。 翌年の1月にカリフォルニアの病院で息を引き取る。 享年37歳。 (かに いさお) 演: 東京高師助教授。 徒歩部顧問。 嘉納の下で大日本体育協会の立ち上げに右往左往しつつ、オリンピック初参加の準備に奔走する。 嘉納の行動に振り回されがちではあるが、協会の資金で勝手に優勝カップを作るなど時折大胆な行動に出る。 また、酒に酔うと威勢が良くなる。 円形デッドボール(のちの)の日本への紹介者。 アメリカ留学後は女子高等師範学校で教鞭を執りを普及するが、大胆でセクハラな発言を生徒らに復唱させ、シマ等女生徒たちから顰蹙を買うこととなる。 ストックホルム、アントワープ、パリ等海外の五輪へ行けずしばしば悔しがっている。 1964年の東京大会は、体協創設メンバー唯一の生存者として開会式を見届ける。 (ながい どうめい) 演: 東京高師教授。 金栗たちの暮らす寄宿舎の舎監も務める。 日本人の体力向上を先決する考えのもと、と共にを体育に取り入れた日本スポーツ界のパイオニアの一人。 頑固で融通が利かない性格で、嘉納と対立する場面も少なくない。 学生には厳しくも愛をもって接しており、マラソンにおいて学生の体調や命を第一とする言動を取っている。 嘉納から日本初となるオリンピック参加についての相談を受けた際には「」を引き合いに出し、国の命運を選手に託し、人命よりも勝利にこだわる大会と見解し不愉快と感じたことと、肉体的に未熟な日本人にとって無理があると考え反対する。 しかし、オリンピック予選会の後から大日本体育協会の活動に本格的に参加。 四三のオリンピック出場に向けて積極的に関わり始める。 ストックホルム大会後は、四三らの惨敗を受けて再び日本人の体力向上を目指す方向へ舵を切り、「学校体操教授要目」をまとめる。 また、嘉納が不在の間に新たな人材を大日本体育協会に登用、財政や態勢の立て直しを図る。 しかし、イギリス留学を終えた二階堂トクヨに自身の方針を否定され、今まで提唱してきた肋木とスウェーデン体操が時代遅れであることを痛感。 また自分の考えを曲げることも己の美学に反するとの思いから、アントワープオリンピックの直前に大日本体育協会の理事職を退くことを決める。 二階堂や野口源三郎に日本スポーツの未来を託し、体協を去る。 その後は竹早でテニスを教えたり、復興大運動会で審判を務めた。 (のぐち げんざぶろう) 演: 東京高師の学生。 四三の徒歩部の後輩。 四三が「脂抜き走法」を試した際にはこれに付き合うものの、途中で根負けし水を飲む。 その後、オリンピック予選会に出場。 マラソンの途中で蒸しパンを無銭飲食しつつ、4位という好成績を収める。 オリンピックから四三が帰ってきたのちは、彼の持ち帰った槍や砲丸に興味を示す。 高師の卒業後は体協の活動に参加し、四三のマラソン競技の企画を補佐する。 その後のでは、日本選手団の主将を務めるとともに十種競技に出場し、最下位の結果に終わる。 帰国後の報告会では、全ての種目をやりきったので悔いはないと語り、また他の競技の結果報告を務め上げ、記者からの非難の矢面に立つ。 の結果報告会で田畑らに体協の陸上びいきを指摘され、大会での惨敗の責任を取って体協理事を退任する。 1928年(昭和3年)のには陸上競技の選出役員として同行。 人見絹枝の必死の嘆願に折れて800m走のエントリーを許可し、走り方をアドバイスする。 (おおもり アニコ) 演: 大森兵蔵の妻。 米国人であるが日本語が堪能で、兵蔵が無意識に発する英語を即座に日本語訳することもしばしば。 笑い上戸な性格で、それゆえに周囲を困惑させることもある。 オリンピック出発1か月前より出場選手らへの英会話と西洋式の指南役となる。 余命僅かである兵蔵のオリンピック選手団監督としての同行を嘉納に直談判。 熱意が伝わり、監督に着任した兵蔵の付き添いで自身もストックホルムへ同行することとなる。 シベリア鉄道内での料理や、記録撮影なども手掛けるが、病に伏せる兵蔵の看病に時間を割かれることが多い。 ストックホルム大会が終わったのちの大正2年3月、自身が描いた兵蔵の肖像画を携えて嘉納とともに帰国。 その後も日本に留まる。 関東大震災後の復興大運動会で四三らのもとを訪れた際には、児童福祉施設を運営していた。 (にかいどう トクヨ) 演: 助教授。 永井道明の弟子。 はっきりとした物言いをし、意志の強い性格。 永井と同様に、ストックホルムオリンピックの日本選手惨敗やマラソン競技に対して厳しい見解を示す。 文部省の要請を受けて、大正元年11月に英国留学に旅立つ。 帰国後は健やかな子を産む女子のための独自の体育を追及。 従来の着物を否定し生徒たちにの着用を提唱したり、メイポールダンスを授業に導入したりして、師の永井と対立。 肋木とスウェーデン体操は古いと言い放ち袂を分かつ。 一方で、野口源三郎には好意を抱いていたが、野口に妻と子がいることを知り落胆。 女子体育の育成に生涯をかけるため、頭を剃りカツラを被るという形で覚悟を決め、(後の)を設立する。 のちに体操塾に入学した人見絹枝を応援し続け、アムステルダム五輪に出場することになった絹枝に髪留めを渡して励ました。 (たけだ ちよさぶろう) 演: 大日本体育協会副会長。 史上初の駅伝「東海道五十三次駅伝競走」の開催にあたって、「駅伝」の名付け親となる。 (たつの たもつ) 演: アントワープオリンピック日本選手団監督。 東京大学陸上部出身の弁護士。 (ひらぬま りょうぞう) 演: 大日本体育協会副会長。 IOC日本代表 [ ] (そえじま みちまさ) 演: 元貴族院議員、伯爵。 岸清一の後任としてIOC委員となる。 1940年の五輪開催権を譲ってもらうためローマへ渡り、体調を崩しながらもムッソリーニ首相との会談を果たして「ローマ開催辞退」の約束を得る。 東京招致成功とベルリン五輪を経て変わってゆく嘉納に戸惑い、やがて開催を巡って対立する。 (すぎむら ようたろう) 演: 元国際連盟事務次長。 文武両道のエリート外交官であり、嘉納治五郎の愛弟子。 日本が国際連盟を脱退した後は日本人3人目のIOC委員となる。 また駐イタリア大使にも就任し、1940年五輪招致において開催地をローマと争った際は、東京に譲ってもらうようムッソリーニ首相との会談を手配する。 しかし1935年のIOCオスロ総会では、国家からの干渉を嫌うイタリアIOC委員のボナコッサと対立。 イタリア公使ロドロと結託し、ムッソリーニの息がかかっていることを示して手を引かせようと画策するも、政治とスポーツの分離を重要視するラトゥールの不興を買ってしまう。 結局開催地決定は翌年に持ち越しとなり、またIOCにおける嘉納治五郎の存在の大きさを思い知る。 その後、嘉納の手引きで訪日したラトゥールに、自身の行いについて謝罪し、IOC委員を辞任することを表明する。 東京高師の教員・学生たち [ ] 福田源蔵(ふくだ げんぞう) 演: 東京高師地歴科の教師。 熊本県出身。 平田(ひらた) 演: 東京高師の学生。 徒歩部部員。 卒業後は熊本の中学校へ赴任。 (とく さんぽう) 演: 東京高師の学生、日本一の柔道家。 四三や美川を軽々と投げ飛ばすほどの腕前。 また誰よりも早く朝稽古に臨む努力家。 四三がストックホルム五輪へ行けるようにするために他の高師学生とともに資金集めに奔走することもあった。 橋本三郎(はしもと さぶろう) 演: 東京高師の学生。 徒歩部部員。 四三、野口と共に羽田のオリンピック予選会に参加し、棄権者が続出する中、マラソンで5位となる。 卒業後は長野の中学校へ赴任。 (あきば すけゆき) 演: 東京高師の学生。 四三の弟子。 (もぎ ぜんさく) 演: 東京高師の学生。 第一回のアンカー。 (おおうら とめいち) 演: 東京高師の学生。 山下馬之助(やました うまのすけ) 演: 東京高師の学生。 渋谷寿光(しぶや としみつ) 演: 東京高師の卒業生。 (さいとう けんきち) 演: 東京高師の学生。 熊本の人々 [ ] 金栗家 [ ] 熊本県玉名郡春富村に在住。 元は代々続く造り酒屋であったが、病弱である信彦の代で廃業し、実次の収入と農業で生計を立てている。 金栗実次(かなくり さねつぐ) 演: (幼少期: ) 四三の長兄。 役場で働く一方で、病弱で早世した父に代わり家長として四三を見守る。 登校を嫌がる幼い四三を叱咤し「学校部屋」と称する小部屋に閉じ込めたり、危篤の父に対し最後の願いとして四三の進学を認めさせるなど、四三の勉学への道に情熱を注ぐ。 四三の東京高師進学を応援し、その際、治五郎の座右の銘「順道制勝」に深い感銘を受ける。 四三から送られた、校内の長距離走で3位になった報告の手紙に対して、勉学に打ち込むよう叱責する返事を送るが、四三がオリンピック代表選手に選ばれた際には喜び、渡航費用の工面に奔走。 春野スヤの紹介により、庄屋の池部家から土地を売った代金という名目で、渡航費を貰い受ける。 その後四三がオリンピックから帰ってくると、スヤとの縁談を進めるため詳細を一切伝えないまま彼を熊本に呼び戻す。 四三の義母である幾江には頭が上がらない。 関東大震災から5年後、熊本に戻るよう四三を促し、嘉納治五郎とも初めての対面を果たして帰った後、急性肺炎で亡くなった。 金栗信彦(かなくり のぶひこ) 演: 四三の父。 胃弱であるため代々金栗家で続いていた造り酒屋を廃業している。 西南戦争の折、家に乗り込んできた官軍から先祖の刀を守った。 病弱な四三を丈夫にするため、その当時に赴任していた嘉納治五郎に四三を抱っこしてもらおうと街まで行くが失敗。 しかし家族には抱っこをしてもらえたと説明し、最後までその嘘を貫き通して死去する。 金栗シエ(かなくり シエ) 演: 四三の母。 長距離走で入賞した四三に、将来は教職になると思い東京高師に入れているのだから遊んでいないで勉強するよう、手紙で叱りつける。 しかし、四三がオリンピック代表選手に選ばれると、神棚に手を合わせ健闘を祈るようになる。 昭和11年時点では、既に故人であることが、幾江の口から語られる。 金栗スマ(かなくり スマ) 演: 四三の祖母。 金栗キヨメ(かなくり キヨメ) 演: 実次の妻。 自身の出産時の呼吸が、四三独特の呼吸法のヒントとなる。 又作(またさく) 演: 四三の次兄。 松雄(まつお) 演: (幼少期: ) 四三の三兄。 エツ 四三の長姉。 ソヨ 四三の次姉。 末子(すえこ) 演: (幼少期: ) 四三の妹。 金栗初太郎(かなくり はつたろう) 演: 実次の息子、四三の甥。 に通う頃から四三に思いを寄せていたが、名家・池部家との縁談を受け、四三がストックホルムへ旅立つ直前に池部家に嫁入りし、渡航費用の工面に奔走する実次の金策に協力する。 最初の夫である重行の亡き後は、姑・幾江の計らいで池部家の養子となった四三と再婚。 しかしベルリン五輪に向けて大志を抱く彼の思いを尊重し、東京に戻る彼を熊本で見送る。 その後は手紙のやり取りのみを続け、大正4年(1915年)4月に上京した際も、堕落の入り口として帰されてしまう。 しかし、その年の6月にベルリン五輪の中止が発表されると再び上京。 四三を励まし、彼とともに播磨屋の二階で寝起きを始める。 そして東海道五十三次駅伝競争における彼の走りを見届けて、熊本に帰る。 またそれと同時期に、第一子を授かる。 その後、身重の体でまた上京するが、マラソンに没頭する四三とは行き違いとなり、不安を募らせる。 しかし、オリンピックで金メダルを取りそれから初めて妻を周りに紹介したいという彼の思いを日記から知り、播磨屋を後にする。 その帰りの市電で四三から渡されたお守りを握りしめて熊本でお産、大正8年(1919年)4月28日に長男の正明を出産する。 アントワープオリンピックの際には、幾江とともに四三の金メダルを願う。 その後の報告会には実次と出席。 壇上に上がった選手たちへの非難や二階堂の激しい糾弾を目にし、記者たちを一喝。 日本人で初めてフルマラソンを完走した四三を讃えるとともに、彼と一緒に走った若いマラソン選手たちを労う。 またこの時に四三の妻であることを自ら表明する。 そしてその後、四三がベルリンから帰った頃にまた播磨屋での同居を再開する。 関東大震災時には熊本に子とともに帰っていたが、四三とともに上京し、東京で救援活動を行う。 昭和42年 1967年 、四三と共にストックホルムオリンピック開催55周年の記念式典に出席する。 春野先生(はるの せんせい) 演: の医師。 スヤの父。 信彦の治療を担当していた。 池部重行(いけべ しげゆき) 演: の庄屋。 スヤの最初の夫。 妻となったスヤが四三を応援することに理解を示し、彼女と共に金栗家を訪れ応援の宴に興じる。 元々病弱だったこともあり、ストックホルムオリンピック閉幕後に死去する。 池部幾江(いけべ いくえ) 演: 池部重行の母。 スヤの紹介で四三の渡航費用の借金を願い出る実次に対し、金栗家の畑を買収し同家に無償で貸し出すという名目で金を贈与する。 重行の死後は自死を考える程に落ち込むが、実家に出戻り懸命に生きるスヤの姿を見て立ち直る。 そんな嫁のスヤを気に入り手放したくない思いから、四三を養子に迎え、二人の結婚を要請する。 しかし、四三が卒業後も五輪出場を目指し東京に残る旨の手紙を送ってきたことから、実次に対し「約束が違う」と怒りを露わにする。 関東大震災で四三が熊本に帰ってきた際は、東京から逃げてきたのだと彼に対して怒り、東京に戻って罹災者を助けるよう促す。 そして大量の救援物資を用意、韋駄天の由来になぞらえて人々に物資を与えるように言い、四三を送り出す。 実次が死去した際は彼の死に寂しがる様子を見せる。 またこの頃には自身もまた急激に老け込んでおり、そのことが四三の熊本へ帰るきっかけとなる。 その後、四三が再び上京することを許すが、養母として情が移ったことを自覚し思いの丈を四三に伝える。 池部正明(いけべ まさあき) 演:久野倫太郎 四三の長男。 大正の「正」と明治の「明」から命名される。 市井の人々 [ ] 美川秀信(みかわ ひでのぶ) 演: 四三の郷友で、彼のことは「金栗氏」と呼んでいる。 四三と一緒に東京高師に入学するが、永井の高圧的な態度に辟易し啖呵を切って以来、劣等生として扱われる。 当初はを敬愛する文学青年だったが、やがて探偵小説、画家と興味の対象は移り変わっていく。 小梅の客となったことをきっかけに彼女に恋をし、同郷と判明して以来仲睦まじくなるが、彼女の男性関係をめぐるトラブルに巻き込まれ、相手を孝蔵と偽装して逃げ回り、四三の下宿先である播磨屋に転がりこむ。 小梅に振られた後も未練を持ち、彼女が結婚しても付きまといをするが、彼女に一喝されて悔しさにその場を去っていく。 その後は浅草でブロマイド屋を開業し、素足で走る富江の写真を販売したことから、富江の父が金栗の免職を求める引き金になる。 四三の日記などを勝手に読み、内容をスヤに伝えるなどモラルに欠けた行動をたびたび取る。 スヤからはその生命力と適応力の高さからゴキブリ呼ばわりされ嫌われている上、四三の友人と認めてもらえない。 関東大震災後は全国を渡り歩いた末、故郷の玉名でカフェ「ニューミカワ」を経営。 終戦の2年後には満州でを売っていた。 志ん生には何回か会い、名も名乗っているが、忘れられている。 五条教諭(ごじょう きょうゆ) 演: 四三の母校であるの教諭。 四三ら生徒に、の予防方法として冷水浴を勧める。 日本橋の工業用品店「酒井商店」社長の長女。 緒方の紹介で田畑と見合いする予定であったが、ロサンゼルス五輪直前で忙しい田畑が見合い写真をまともに見なかったため、実際見合いはできなかった。 加えて、初めて田畑に話しかけた時は「変な声」と言われてしまう。 しかし、残業する田畑に夜食を作って持って行ったり、話し相手を務める内に無口でおしとやかな人柄を見初められ、紹介予定の見合い相手であったことを知った田畑からすぐその場で求婚されて結婚。 口数が少なく控え目で穏やかだが、早口でまくし立てる田畑の言葉やなぐり書きの文字を正確に聞き取り、解読することが出来るほか、田畑の発する「あれ」だけで彼が何を欲しているかを理解し、田畑が火傷しないようにタバコの向きを変えるなど機転の利く性格。 平沢和重のファンで、彼が訪問した際は眼鏡を外し化粧をして応待した。 田畑あつ子(たばた あつこ) 演: 田畑と菊枝の次女。 英語を話せる。 1964年東京オリンピックの会期中は世界各国のVIPを接待するコンパニオンとしても活躍する。 開催の直前に、組織委員会の要職を解かれた父を、母・菊枝とともに陰で支える。 三島家 [ ] 元で大隈重信やなど政財界の実力者との交流を持つ一家。 (みしま やひこ) 演: 三島子爵家の御曹司。 帝国大学の学生。 天狗倶楽部のメンバー。 スポーツ万能で、雑誌『』の企画では痛快男子十傑に選ばれた 運動会の覇王。 女性ファンも数多く存在する。 しかし家族にはスポーツに対する情熱を理解してもらえず、そんな家族の反対から羽田で行われたオリンピックの予選大会では審判を務める。 しかし気持ちを抑えきれなくなり飛び入りで競技に参加して優勝し、日本人初のオリンピック短距離走の代表選手に選ばれる。 卒業学年であることや家族のことを気にして一時はストックホルム五輪出場を辞退する。 家族にはストックホルムへの出発をギリギリまで伝えずにいたが、和歌子から手作りのユニフォームを受け取り、弥太郎らに見送られながら旅立つ。 ストックホルム到着直後は、外国人との体格差や世界記録を持つ四三へのコンプレックス、コーチや仲間不在同然の孤独な練習から、宿舎の窓から飛び降りようとする程に気鬱になるが、四三の叱咤により正気を取り戻し練習に励む。 男子100メートル走予選では兵蔵からのアドバイスにより、自身のタイムに挑むという心構えを体得。 結果は最下位だったものの自己最高記録をマークする。 続く200メートル予選でも惨敗し、400メートル予選では他の選手の棄権により準決勝進出が確実になったにも関わらず全力でこれを走り切り、準決勝を棄権。 外国人との実力の差を痛感しながらも最後までスポーツを楽しんで競技を終える。 大正2年1月、ヨーロッパ視察と語学勉強を経て帰国。 そこで天狗倶楽部解散の動きや野球害毒論を知り、憤慨。 のサンフランシスコ支店に行き、アメリカがスポーツに強い理由を見極めることを決意する。 1920年には日本選手団を訪問、ストックホルム五輪からの進歩に感慨を覚えながら、彼らにエールを送る。 関東大震災後の復興大運動会にも姿を見せ、四三や野口らオリンピック出場選手で徒競走を行い一着でゴールする。 (みしま やたろう) 演: 弥彦の長兄。 横浜正金銀行頭取。 スポーツに熱中する弟に手を焼いており、スポーツそのものを嫌悪している。 そのため嘉納治五郎や弥彦からオリンピックに関する融資を持ちかけられた際はこれを拒否している。 しかし、弥彦がストックホルムに出立する際には見送りに出向き、また弥彦から沈鬱した内容の手紙が届いた際には心配する素振りを見せている。 三島和歌子(みしま わかこ) 演: 弥彦の母。 出身で、 女と呼ばれる女傑。 の杖を持ち歩く。 当時人気を博した新聞小説『』では、登場人物である冷酷な姑のモデルとされた。 しかしため、その内容を知らず 、化された同作を見て初めて描かれ方を知り激怒。 またこれ以上あらぬ醜聞を広げぬため、オリンピック予選会への弥彦の出場に反対する。 弥彦がオリンピック代表選手内定後も反対し続け、テーブルマナーを学びに来た四三や可児にも冷淡な態度を示すが、弥彦がストックホルムへ旅立つ際には、自らがを縫い付けたユニフォームを手渡し、涙ながらに応援し見送る。 後にの女給をしながらに通う。 1921年時点では(竹早)教師。 五りんの祖母。 弥彦の活躍を応援し、彼や四三を見守るうちにスポーツへの興味を抱くようになる。 三島家を出て播磨屋の向かいの下宿(四三の向かいの部屋)に一人暮らしをしながら、東京女子高等師範学校受験を目指す。 進学後はマラソン競技に女子の参加を嘉納に打診するが、マラソンが女子の体質に向いてないと却下され、協力者と信じて相談した二階堂にも理解されず不良扱いされる。 しかし女子体育の強化に次第に積極的となる二階堂と打ち解けていく。 四三が竹早に赴任すると、スポーツの楽しさを伝えようと尽力する彼に力を貸し、また教え子たちとともにスポーツに取り組んでいる。 また、オリンピック出場への夢を抱く。 そのため二階堂が縁で知りあった増野との結婚を当初は辞退しようとするが、仕事への情熱と陸上競技への夢を受け止められる。 1921年に四三・スヤ夫妻ののもとで結婚。 一人娘のりくを授かる。 村田・梶原のテニスの遠征に付き添いに行った際は、人見絹枝の身体能力の高さに感銘を受け、彼女を陸上競技に勧誘する。 またその後も女子陸上大会の開催に際して出場を頼む手紙を送り、働きかける。 村田ら生徒と放課後にを観る約束での12階で待ち合わせをするなかに被災し行方不明となる。 増野(ますの) 演: シマの夫。 百貨店従業員。 五りんの祖父。 二階堂との見合い話が用意されていたが、二階堂が乗り気でなく、彼女に頼まれ代理に出席したシマと見合いをしたことを機に交際を始める。 当初、教員の仕事の楽しさと、オリンピックに出場する夢を捨てきれないシマから結婚を躊躇される。 しかし結婚を理由に仕事を辞めることを反対し、オリンピックで活躍するシマを子供と一緒に観に行く旨を誓い、結婚に踏み切る。 しかし、関東大震災でシマが行方不明となり、悲しみに暮れながらも懸命に捜索を行う。 体協から復興運動会の開催が提案された際も、シマが聞き付けて現れることを期待して開催に賛成する。 結局本番まで彼女が現れることはなかったが、人見絹枝に対面し、彼女へのシマの手紙を読むことになる。 そして、女子たちのリレーを観戦していた時に、シマの幻影を目撃。 妻がもうこの世にいないことを悟り、彼女の死を受け入れる。 その後は男一つ手で娘を育てながらハリマヤ製作所に出入りし、りくと共に絹枝の活躍を応援している。 シマそっくりに成長したりくに対して自分より若干妻の方が似てると発言するなど、親バカぶりを見せる。 また、りくのことをちゃん付けで呼ぶ小松勝を警戒していたが、結局渋々2人の結婚を認める。 小松の出征が決まった後、ハリマヤ製作所に乗り込むと小松を蹴飛ばして襟首を掴み、りくと幼い孫を置いて行くことを激しく非難するが、その後に必ず生還するように念を押して出征する小松を見送る。 シマのことはその後も大切に想っており、皆で写真を撮る際にはシマとの結婚写真を持って写るなどしている。 この写真は後に五りんの手に渡っている。 終戦直後の時点では存命であったが、その後の動向については明らかになっていない。 ただし、孫である五りんが知恵と共にハリマヤを訪ねた際に彼が写った写真を見た時は特に反応していなかったり、また前述のシマとの結婚写真が五りんの手に渡っているなど、後に亡くなったことを示唆する描写が多い。 生まれ。 シマと増野の孫。 芸名は志ん生がかつて円喬から朝太の名とともに貰った「五厘」にちなんで与えたもので、オリンピックの通称「五輪」とは関係ない。 また古今亭志ん生(美濃部孝蔵)とともにドラマの語り(ナレーター)も担当しており、主に女子スポーツに関するパート、特にシマの物語を担当している。 母りくの形見である、亡き父が出征先のから送った絵葉書に「志ん生の『』は絶品」と書かれていたことから志ん生を慕い、落語の知識は皆無ながらも昭和35年に弟子入りを志願。 当初志ん生に断られるが、飄々として人懐こい性格で志ん生の懐に入り込み弟子になる。 ただし身の周りの世話以外何もしておらず実質付き人という扱いであり、志ん生自身も稽古をつけるつもりは無いと言う。 父からの言いつけで健康法として冷水を頭から被る習慣を持つ。 昭和36年の正月には、箱根駅伝にあやかった駅伝落語として『富久』を今松から仕込まれるが、落語の基礎さえまるでできず、代わりに自身が書いた創作落語『箱根駅伝』を高座に上げることになる。 当初は志ん生も含めた3人だけで回すはずが人数が足りなくなり、志ん生の子である馬生や朝太の手を借りながら、これを完走。 金栗四三のサイン会に訪れ、本名を名乗り、亡き弟子小松の息子として四三と対面する。 その後は創作落語のオリンピック噺を高座に上げ、テレビ寄席の出演がきっかけで田畑よりオリンピック宣伝部長に任命される。 その後は志ん生の元を突然出奔し落語界から距離を置く。 知恵が妊娠したため生活費を稼ぐために工事現場で働いていた所を見つけ、訪れた美津子に落語会代表として五輪聖火リレーへの参加を依頼される。 東京オリンピック開催日が知恵の出産予定日であったため一度断るが、考え直し随走者の1人として走行し点火された聖火を見届ける。 その後、国立競技場から芝の志ん生の元まで完走し、粋な会話で許され落語界に戻る。 その直後報せを受け、知恵が産気付いて運ばれた浅草の病院まで『富久』を話しながら疾走し、知恵と産まれた娘の元に駆け付ける。 娘が生まれる最中、自分が走りながら話していた『富久』と知恵に名前にちなみ、娘には 富恵と名付ける。 知恵(ちえ) 演: 五りんの恋人。 苗字は阿部(あべ)。 ちーちゃんとも呼ばれる。 五りんが志ん生を探すのに付き合い、一緒に志ん生の自宅を訪れる。 五りんと同じく人懐こく物怖じしない性格で、五りんが志ん生に弟子入り後は、勝手に志ん生の家に上がったり、彼を「おじいちゃん」呼ばわりして、対等に会話を交わしたりしている。 物語終盤で五りんとの子を身ごもり、東京オリンピック開催日に産気付き、浅草の病院で娘の 富恵を産む。 小松勝(こまつ まさる) 演: 五りんの父。 の学生。 上京後はに在学。 四三の著書「ランニング」を読んで四三を慕い、池部家で暮らす四三を訪ねて弟子入りする。 やがてオリンピック出場を夢見て四三とともに上京し、ハリマヤ製作所に下宿する。 明るく大らかかつ実直な性格で、増野の前でもりくを「ちゃん」付けで呼び、ベルリン五輪のラジオ中継を聞く中、勢いでりくと抱き合う等デリカシーに欠けた言行に及ぶことがあり、その度に増野からは難色を示され、四三から制止される。 りくと接している際のあからさまな表情や態度を見たスヤからは眉をひそめられ、陰で「盛りのついた肥後もっこす」と称される。 のちにりくと学生結婚し、一人息子の金治(のちの五りん)をもうける。 しかし東京五輪は開催返上となり、自身もにより出征。 出征中に立ち寄った満州で、慰問団として来ていた志ん生らと出会う。 配属部隊長の情けで部隊の脱走を促され、脱走兵となる。 終戦前後の混乱の中で再び志ん生らと出会い、些細な行動から2人の命を助け、その後は満洲で行動を共にする。 自らのアイデアで志ん生がアレンジした『富久』を聞いて外を走りたくなり、屋外に出たところでソ連兵達と遭遇、妻子との再会、オリンピック出場への志半ばにして射殺された。 五りんの母。 大正11年(1922年)生まれ。 シマが陸上競技好きであることから「りく」と命名される。 関東大震災によりシマが行方不明となり、以降増野と共に大塚で暮らし、ハリマヤ製作所に出入りしながら育つ。 昭和11年(1936年)時点では、ハリマヤ製作所のお針子。 四三がシマと間違えるほど、母親と瓜二つに育つ。 のちに小松と結婚し、一人息子の金治(のちの五りん)をもうける。 幼い五りんと共に小松の出征を見送り、復員を心待ちにしていたが、終戦後の満州から届いた夫の訃報に涙する。 五りんの話によれば、昭和35年(1960年)に他界している。 天狗倶楽部 [ ] は明治末期に野球愛好家の押川春浪が創設した私的団体、現在でいう「」に相当する組織。 『スポーツを愛し、スポーツに愛され、ただ純粋にスポーツを楽しむために活動する元気の権化』が部訓。 ユニフォームのワッペン「TNG」やメンバーがよく脱ぐといった設定も史実に準拠している。 弥彦が海外留学から帰国した大正初期には、世間でスポーツへの関心が薄れ少しずつ軍国主義的な時代へと変わっていくようになり、メンバーの高齢化が進んだことから「天狗倶楽部」は解散する。 (よしおか しんけい) 演: のメンバー。 天狗倶楽部の解散後は読売新聞の記者となり、東海道五十三次駅伝競争の開催に動き出した金栗と関わる。 女子スポーツには否定的な立場を取り、女子ランナーに夢を抱くシマとも対立するが、女子陸上大会が開かれた際はスポーツに取り組んでいる女子を目の当たりにし、意見を肯定的に転換させる。 (なかざわ りんせん) 演: 天狗倶楽部のメンバー。 の社員。 羽田のオリンピック予選会では、陸上トラックの整備を行う。 (おしかわ しゅんろう) 演: 天狗倶楽部の創設者。 弥彦が帰国した頃、メンバーの高齢化を理由に天狗倶楽部の解散を決定する。 播磨屋 [ ] 四三が高師の学生だった頃は足袋専門店だったが、大正時代に入ると『ハリマヤ製作所』に屋号を変え、体操服やチュニックなどを取り扱うようになる。 終戦後、オリンピック開幕2年前時点で『 』に屋号が変わった。 (くろさか しんさく) 演:(第4回 - 第10回放送分:) 大塚の足袋屋「播磨屋」の店主。 頑固な職人気質の人物。 オリンピック予選会に臨む四三にぴったりの足袋を誂えるが、走りにくかった旨を言われ激怒し、を撒いて店頭から追い出す。 しかし考えを改め、オリンピックに挑む四三の意見を取り入れながらマラソンに向いた足袋作りに改良を重ね、提供し続ける。 四三がストックホルムへ出発する直前には、日の丸を縫い付けたユニフォームを餞に贈る。 四三の活躍で足袋が飛ぶように売れた謝礼も兼ね、ベルリン五輪を目指す彼に部屋を提供。 足袋が本来の姿と目的からかけ離れた姿となっていくことに職人である自身のプライドと葛藤しながらも、四三の要望に応えマラソン用の足袋を改良して行く。 屋号をハリマヤ製作所 に変えてからはチュニックなどを製作し始め、りくをお針子として雇う。 1936年ベルリン五輪では孫基禎がハリマヤ製作所の足袋を履いて優勝したことを喜び、彼の足型を飾る。 四三が初めて播磨屋に来店した際、足のサイズを測った。 黒坂ちょう(くろさか ちょう) 演: 辛作の妻。 竹早の女学生たちが籠城した際、おむすびと武器を差し入れした。 黒坂満佐子(くろさか まさこ) 演:池田恋 黒坂辛作の娘。 東京府立第二高等女学校と関係者 [ ] 村田富江(むらた とみえ) 演: 第二高等女学校の生徒。 女子もスポーツをすべきという四三に当初は反感を抱いていたが、四三の勧めで槍投げを行ったことがきっかけでスポーツに目覚める。 それからは四三との関係も良好で、他生徒ともに四三のことを「パパ」と呼ぶ。 その後、梶原とテニスでダブルスを組み、各地に遠征に出向くようになる。 また自分たちで作ったユニフォームが大人気となったこともあり、アイドル的な人気を誇るようになっていく。 四三の提案で開かれた女子の陸上大会では、新調したスパイクのサイズが合わなかったことから靴下を脱いで出走、ハードルで日本新記録を出すが世間から好奇の目に晒されることになる。 そしてそれが父兄たちの目に留まったことで四三の依願免職が求められ、他生徒を先導して教室に立てこもり、ボイコットを行う。 シマの提案で、父と100m走で6本連続で勝負。 全て勝利し、四三の免職を阻止する。 梶原(かじわら) 演: 第二高等女学校の生徒。 負けず嫌いな性格であり、槍投げにおいて溝口より良い記録を出そうとリベンジしたり、人見絹枝の言葉に食って掛かったりしている。 村田とテニスでダブルスを組む。 溝口(みぞぐち) 演: 第二高等女学校の生徒。 白石(しらいし) 演: 第二高等女学校の生徒。 村田大作(むらた だいさく) 演: 浅草の開業医。 村田富江の父。 女子がスポーツに取り組むことを否定的に考えるとともに、娘が靴下を脱いで陸上大会に出場したこと恥辱と考え、四三の依願免職を求るが、シマの提案で富江と100m走で勝負し敗れ、譲歩する。 関東大震災では、被災者の治療に従事するなか、四三を助ける。 東京市井の人々 [ ] 小梅(こうめ) 演: 浅草ので孝蔵の友人。 熊本の出身。 の袂を根城に客引きをしており、四三や美川にも声をかける。 客として相手をした美川から遊女を辞めるよう迫られるようになり、彼を苦手視する。 しかし同郷と判明し、孝蔵の初高座を観に美川を連れ、仲睦まじい様子を見せる。 その後、美川とは切れていないにも関わらずやくざ者の徳重の愛人となり、別れる際には孝蔵と恋仲である旨の嘘をつき、美川と駆け落ち。 孝蔵が東京に居られなくなるきっかけをつくる。 そしてその後、清さんの魅力に気づき結婚、十二階下で飲み屋を営む。 また東京で噺家として再スタートを切った孝蔵に、清水りんとの見合い話を持ちかけて仲人としてふたりの間を取り持つ。 関東大震災で自宅を失い、清さんと共に明治神宮外苑競技場のバラックに入居する。 清さん(せいさん) 演: 浅草の夫で孝蔵の兄貴分的存在。 健脚の持ち主。 最終学歴小学校卒業であるにも関わらず、学歴詐称 して浅草のマラソン大会や羽田の大予選会にも出場し、四三と知り合う。 その後四三がオリンピックへの参加を決めると、練習に協力。 ストックホルムに似た道として、芝から日本橋を通って浅草までの道を往復するというコースを教える。 四三がストックホルムから帰国した後、『播磨屋』に引きこもっていることを知り彼の同窓生と共に部屋へ押しかけ四三に檄を飛ばす。 小梅が徳重と騒動を起こした際は、一年間孝蔵が東京の高座に上がらないことを条件として手を打ち、また孝蔵の才能を信じて彼を徳重から身を挺して守っている。 のちに小梅と結婚。 舗装路となり走りにくくなったことを受けて、十二階下で小梅と飲み屋を営んでいる。 しかし、関東大震災で浅草が焼け野原となり自宅を失う。 明治神宮外苑競技場のバラックに入居し、バラックの自治会長として嘉納と協議し復興大運動会の開催を了承する。 後に、東京視察のために来日したラトゥールを人力車で案内する役目を任される。 美濃部盛行(みのべ もりゆき) 演: 孝蔵(志ん生)の父。 職業は。 孝蔵が10歳の頃、大事にしていたを質屋に売り飛ばしたことに激怒して、街中で槍を持って追い回した末に彼を勘当する。 美濃部てう(みのべ てう) 演: 孝蔵(志ん生)の母。 徳重(とくじゅう) 演: 小梅を囲うやくざ者。 孝蔵と恋仲と話す小梅の嘘を信じて憤り、孝蔵を探し追う。 マリー 演: 日本橋のバー「ローズ」の店主。 占いを得意としており「よく当たる」と自称しているが、「田畑は30歳で死ぬ」「ロサンゼルス五輪で大横田が金メダル獲得」など鑑定結果はことごとく外れている。 しかし、この田畑の寿命の予言が彼を翻弄し、水泳への情熱に拍車をかけることとなる。 以後、田畑は学習し、彼女の占いの鑑定結果の裏を信じるようになる。 清水亀次郎(しみず かめじろう) 演: 高田馬場の下宿屋。 りんの父。 大野(おおの) 演: 医者。 水明亭店主 演: 国立競技場のすぐそばにある食堂「水明亭」の主人。 東京市政関係者 [ ] (ながた ひでじろう) 演: 第14代長。 関東大震災では迅速かつ冷静な対応で復興のため奔走し、「震災市長」と呼ばれる。 紀元2600年の節目を記念したものとして、また震災からの復興を遂げた東京を世界にアピールするために、1940年の五輪大会を招致することを決断。 嘉納治五郎に話を持ちかけ、招致運動をスタートさせる。 1932年の終了後、帰国した選手たちの前で前畑秀子の銀メダルに対し落胆の意を露わにし、田畑政治や岸清一を激怒させる。 またそれから程なくして、部下の汚職により市長の座を追われ、田畑に後を託して招致委員会から去る。 1936年ベルリン五輪では市政関係者とともに実況中継を聴き、前畑を応援する。 清水照男(しみず てるお) 演: 東京市長秘書。 永田に1940年五輪大会の招致を提案する。 (うしづか とらたろう) 演: 第15代東京市長。 永田が去った後に、1940年東京五輪の招致委員会に参加する。 浜松の人々 [ ] 浜松田畑家 [ ] 田畑うら(たばた うら) 演: 田畑政治の母。 43歳の若さで亡くなった夫を看取り、政治たちを育て上げる。 その後も政治を経済的に支えるため、オリンピックの度に土地を切り売りして、晩年は屋敷地ぐらいしか残らなかった。 田畑庄吉(たばた しょうきち) 演: 田畑政治の兄。 短命な家系が災いし、33歳で肺炎で亡くなる。 浜松市井の人々 [ ] ちいちゃん 演: 浜松勝鬨亭の席亭。 「小股の切れ上がった」美女として朝太ら落語家たちに慕われ、また性的な視線を向けられている。 (うちだ せいれん) 演: 浜松中学校の学生。 アントワープオリンピックの水泳日本代表に選ばれる。 しかし日本古来の泳法が全く通用せず予選敗退に終わり、報告会の中では非難を浴びながら日本の水泳もクロールの習得と優秀な指導者が必要であることを強く説く。 小野田(おのだ) 演: 遊泳協会の水泳選手。 堀井(ほりい) 演: 遊泳協会の水泳選手。 競技関係者たち [ ] 陸上競技関係者 [ ] (そん きてい) 演: 朝鮮出身のマラソンランナーで、マラソンの世界記録保持者。 四三に憧れて播磨屋の足袋を履いて走る。 1936年ベルリン五輪では日本代表としてマラソン競技に出場し、日本の悲願であるを獲得した。 自身の朝鮮人としての民族意識が強く、表彰式で国歌としてを歌うことに疑問を感じていた。 (なん しょうりゅう) 演: 朝鮮出身の優れたマラソンランナー。 孫基禎とは同い年でライバル。 金栗に憧れて播磨屋の足袋を履いて走る。 1936年のベルリンオリンピックで日本代表としてマラソン競技に出場して3位になり、を獲得した。 沢田英一(さわだ えいいち) 演: の学生。 金栗が発案したアメリカ大陸横断駅伝競走に共鳴する。 第1回箱根駅伝の第5区走者。 箱根路に見張りがいないことを知り、近道をしようとするが、地元青年団に発見され、正規のルートを先導される。 (みうら やへい) 演: 早稲田大学の学生。 第1回箱根駅伝の第5区走者。 西岡実一 演: 明治大学の学生。 第1回箱根駅伝のアンカー。 ゴール直前で転倒し、高師に逆転を許す。 下村広次(しもむら こうじ) 演: 明治大学の学生。 (てらうち) 演: の学生。 第1回箱根駅伝の第1区走者。 (やしま けんぞう) 演: の学生。 アントワープオリンピック後の報告会では、期待はずれの結果に終わった金栗らを非難する記者達に掴みかかる。 (ひとみ きぬえ) 演: の学生。 テニスの試合で村田・梶原ペアと対戦し、身体能力の高さを見せつけ圧勝する。 その能力に着目したシマから陸上競技選手へのスカウトを受けるが、体格や能力をコンプレックスとしているゆえに混乱、憤慨し、交渉は決裂する。 その後もシマから陸上競技選手への誘いの手紙を受け続け、岡山の競技会に出場し走り幅飛びで日本記録を更新した。 関東大震災後、シマを訪ね偶然にも復興大運動会を訪れる。 シマが行方不明のため再会は叶わなかったものの四三の誘いで運動会に飛び入り参加、リレーのアンカーで村田と競い勝利し、互いに健闘を讃え握手を交わす。 その後、二階堂体操塾に入学。 陸上選手として活躍する一方、世間の無理解や嘲笑に悩まされる。 昭和3年()、に日本人女子として初めて参加。 陸連や日本中の期待を集めて女子100メートル走に出場するが、結果は4位に終わる。 しかし、女子選手たちの未来を開くため、未経験のに急遽エントリー。 野口源三郎や織田ら男子選手と計画を立てた上で、長距離レースに臨み、銀メダルを獲得する。 帰国後、ラジオ放送を通じてシマからの言葉を紹介すると共に日本女性にエールを送り、トクヨには活動を続けていくことを宣言する。 その3年後、24歳でこの世を去る。 (おだ みきお) 演: の選手。 で日本人初の金メダルを獲得する。 (なんぶ ちゅうへい) 演: 走幅跳・三段跳の選手。 (やまもと ただおき) 演: 陸上競技総監督。 (つぶらや こうきち) 演: マラソン選手。 (さかい よしのり) 演: 早稲田大学学生。 1964年東京大会への出場を目指すが代表選考会で敗退。 しかし、原爆が投下された1945年8月6日の広島で生まれていたことから、田畑により「平和の象徴」として聖火リレーの最終ランナーに抜擢される。 宮城勇(みやぎ いさむ) 演: 東京オリンピック聖火ランナー第一走者。 (すずき くみえ) 演: 東京オリンピック聖火ランナー。 水泳競技関係者 [ ] (まつざわ いっかく) 演: 田畑の盟友。 愛称は「カクさん」。 理学部出身、のちに水泳部のコーチとして選手の育成にあたる。 論理的で研究熱心な性格。 1932年ロサンゼルス五輪では水泳日本代表の監督として同行。 メダル獲得のために若手選手を重用して先輩選手を練習台扱いする田畑に反発するが、田畑の真意を知ってからは協力的となる。 1936年ベルリン五輪では水泳日本代表の監督を務める。 戦後は東京大会招致や大会組織委員会のメンバーとして活躍する。 (のだ かずお) 演: 競泳自由形の選手。 1924年パリ五輪ではリレーで4位入賞。 アントワープ五輪後は水泳選手団の助監督となる。 (たかいし かつお) 演: の選手。 愛称は「勝っちゃん」。 美男子として知られ、女性ファンが多い。 普段は標準語で喋るが、感情が昂ぶると地の関西弁が出て表情も険しくなり、周囲から「関西の顔になってる」と言われる。 1924年パリ五輪で入賞、1928年アムルテルダム五輪では銅メダルと銀メダルを獲得。 しかし昭和6年(1931年)の日米対抗戦で宮崎に敗れ3着となったことから「ピークを過ぎた」と田畑に判断される。 その結果1932年ロサンゼルス五輪ではキャプテンでありながら選手として出場させてもらえず苦しむが、田畑のメダル獲得への思いを知って奮起。 選手選考会で敗れるも、全力を出し切った泳ぎを見た田畑から「ありがとう」と労われる。 (つるた よしゆき) 演: 競泳の選手。 愛称は「ツルさん」。 鹿児島出身。 1928年アムルテルダム五輪で金メダルを獲得。 そののちに就職するが、田畑から小池礼三の練習台として戻るよう促され復帰。 1932年ロサンゼルス五輪でも小池のサポート役として200m平泳ぎに出場するが、かつての本領を発揮し金メダルを獲得する。 (まえはた ひでこ) 演: 競泳女子平泳ぎの選手。 橋本高等小学校の学生。 水泳の素質を見込まれ名古屋のに進学。 普段は明るく朗らかな性格だが、プレッシャーに弱く取り乱すことが多い。 人見絹枝を尊敬しており、彼女の写真を大切に持っている。 また、同じ水泳選手として鶴田に憧れを抱いている。 1932年ロサンゼルス五輪では銀メダルを獲得。 日本に帰国後、東京市長・永田秀次郎から「なぜ金メダルを取ってこなかったんだね」と言われてしまったことや日本各地から「次は金メダルを!」という声が殺到したことからベルリン五輪出場を決意。 ハードな練習を欠かさず続け、世界記録を自ら3度も更新するも自分の力に自信が持てず、大きくなってくるプレッシャーに悩み「がんばれ」という言葉を重荷に感じるようになる。 大会前夜に夢枕に立った両親に励まされ、また応援の電報を飲み込んで「みんなと一緒に泳ぐ」という決意によってプレッシャーに打ち勝ち、ゲネンゲルとの接戦の末に優勝。 日本人女性初の金メダリストとなる。 (おおよこた つとむ) 演: 競泳自由形の選手。 練習以外の時は腹巻を身につけている。 1932年ロサンゼルス五輪では田畑が振る舞った牛鍋が原因で体調を崩すが、出場メンバーから外されることを恐れて体調不良を秘匿していた。 のちに胃腸カタルと診断され、400m自由形に向けて体力を温存するべく、出場予定だった800mリレーを断念。 しかしコンディションは戻らず、400m自由形では銅メダルという結果となった。 全種目金メダルを自分のせいで獲得できなかったと落ち込むが、このことを本人以上に悔やんでいたのが田畑であった。 (みやざき やすじ) 演: 競泳自由形の選手。 の学生。 昭和6年(1931年)の日米対抗戦では五輪メダリストの高石を制して2着となる。 1932年ロサンゼルス五輪では100m自由形で金メダルを獲得する。 (こいけ れいぞう) 演: 競泳平泳ぎの選手。 の学生。 昭和6年(1931年)の日米対抗戦では五輪メダリストの鶴田を制して1着となる。 1932年ロサンゼルス五輪にて200m平泳ぎで銀メダルを、1936年ベルリン大会では銅メダルを獲得。 戦後、日本に復員してからは指導者として活動。 (いりえ としお) 演: 競泳の選手。 (まつざわ はつほ) 演: 競泳女子自由形の選手。 (こじま かずえ) 演: 競泳女子自由形の選手。 前畑光枝(まえはた みつえ) 演: 前畑秀子の母。 作中では既に脳卒中で亡くなっている。 夫とともに秀子の夢枕に立ち、プレッシャーに苦しむ秀子を激励する。 前畑福太郎(まえはた ふくたろう) 演: 前畑秀子の父。 作中では既に肝臓の病で亡くなっている。 生前は豆腐屋を営んでいた。 (ふるはし ひろのしん) 演: 競泳自由形の選手。 1949年のロサンゼルスで行われた全米水泳選手権にて全勝利を世界新記録で飾り、「フジヤマのトビウオ」と称賛される。 バレーボール競技関係者 [ ] (だいまつ ひろぶみ) 演: の監督。 別名「鬼の大松」。 選手達にヘビー級のスパルタ指導をするが、行き過ぎて選手と度々衝突する。 しかし彼女らに対する愛情は深く、選手をユニークなあだ名で呼ぶのもその一環。 ただし、付けたあだ名を忘れることもある。 世界選手権でソ連を倒して世界一になるという夢がかなったために、逆に目標がなくなってしまい、適齢期の選手達にバレーを続けさせることを疑問に思うようになり 、五輪の2年前に監督辞任を表明したところ、賛否両論の手紙が5000通も殺到。 苦悩するも、田畑の発破と選手達の熱意にほだされて続投を決意する。 (かさい まさえ) 演: 日紡貝塚女子バレーボール部の主将。 あだ名は「ウマ」。 (たにだ きぬこ) 演: 日紡貝塚女子バレーボール部の選手。 あだ名は「パイスケ」。 (みやもと えみこ) 演: 日紡貝塚女子バレーボール部の選手。 あだ名は「オチョコ」。 (はんだ ゆりこ) 演: 日紡貝塚女子バレーボール部の選手。 あだ名は「フグ」。 (まつむら よしこ) 演: 日紡貝塚女子バレーボール部の選手。 あだ名は「力道山」。 (いそべ サタ) 演: 日紡貝塚女子バレーボール部の選手。 あだ名は「アチャコ」。 エミ 演: 日紡貝塚女子バレーボール部のマネージャー。 本名は鈴木恵美子(すずき えみこ)。 河西栄一(かさい えいいち) 演: 河西昌枝の父。 河西まさ代(かさい まさよ) 演: 河西昌枝の母。 大松美智代(だいまつ みちよ) 演 - 大松博文の妻。 ジャーナリストたち [ ] 朝日新聞社 [ ] (おがた たけとら) 演: 編成局長。 明治天皇が崩御した際、新元号「」をスクープした。 部下である田畑の言動に振り回されながらも、仕事後に日本橋のバー「ローズ」にたびたび連れて行ったり、酒井を見合い相手として紹介するなど田畑を可愛がる。 厳しくなってゆく言論統制に抵抗し続けるが、二・二六事件で将校たちに新聞社を占拠され、社員を守るために屈する。 (むらやま りょうへい) 演: 朝日新聞社長。 当初不採用予定だった田畑を、「顔がいいから」との理由で採用する。 尾高(おだか) 演: 朝日新聞運動部員。 アムステルダム、ロサンゼルス両オリンピックで取材を行う。 田畑とは犬猿の仲。 細田(ほそだ) 演: 朝日新聞政治部員。 NHK関係者 [ ] (かさい さんせい) 演: アナウンサー。 前職は運動部の記者。 田畑と同い年。 1932年ロサンゼルス五輪ではラジオ実況が禁止されたことを受けて、松内と共に「実感放送」を行う。 1936年ベルリン五輪の水泳女子決勝戦では「前畑ガンバレ」と連呼する実況中継をし、日本の聴者らとともに前畑を応援する。 (まつうち のりぞう) 演: NHKアナウンサー。 1932年ロサンゼルス五輪では河西と共に「実感放送」を行う。 (やまもと てる) 演: NHKアナウンサー。 1936年ベルリン五輪にてラジオ実況を担当する。 (もりしげ ひさや) 演: NHK職員。 満洲にて古今亭志ん生や三遊亭圓生と出会う。 演: NHKアナウンサー。 1964年東京大会開会式の実況を担当。 その他の報道関係者 [ ] 本庄(ほんじょう) 演: 雑誌『』の女性記者。 天狗倶楽部周辺を取材する。 天狗倶楽部の解散後も活動を続けており、女子スポーツの普及に尽力する四三を取材。 女子陸上大会において村田富江が素足を見せた現場にも居合わせる。 (とき ぜんまろ) 演: 社会部長。 大村幹(おおむら かん) 演: 読売新聞の記者。 寺田(てらだ) 演: の社員。 政治家・官僚 [ ] 小笠原文部大臣(おがさわら もんぶだいじん) 演:。 オリンピック参加のための資金提供を断る。 (うちだ こうし) 演: 駐スウェーデン。 名前は 定槌(さだつち)。 (いとう ひろぶみ) 演: 初代。 韓国統監。 明治42年10月、ハルビン駅にて命を落とした。 (こうの いちろう) 演: (学生時代:) 朝日新聞社の。 第1回箱根駅伝では早稲田大学の学生として第7区の走者だった。 師である四三を敬愛しており「陸上のほうが水泳より上」という考えをもっていてたびたび田畑と口論になる。 また、体協から水連が独立したことを受け、自身も陸連を発足し理事に就任、体協から独立する。 やがて満州事変が起こると言論の自由の喪失を感じ、朝日新聞社を退社して衆議院議員に転身。 スポーツの未来を田畑に託す。 しかし1940年東京五輪開催準備に軍部が介入していることに憤慨し、国会で「オリンピック反対論」を掲げる。 戦後は自民党幹部として政界の重鎮の一人となる。 田畑が組織委員会から去り、川島正次郎がオリンピックから政治の世界に戻ったしばらく後に、オリンピック担当大臣に就任する。 (たかはし これきよ) 演: 第20代。。 昭和3年(1928年)の際、資金繰りのために田畑が頼った政界の大物。 スポーツやオリンピックには興味を持っていないが、スポーツを政治と結びつければいいという田畑の話を聞き、6万円の特別予算を出す。 その後も田畑とは交流があり、スクープを探す彼に犬養毅の総理指名を教える。 昭和11年(1936年)2月26日、陸軍の青年将校によるクーデターが起こり、暗殺される()。 (みうら ごろう) 演: 顧問官。 日本橋のバー「ローズ」で緒方と語り合い、緒方がそのことを記事に書かなかったことを理由に新元号「大正」を教える。 (いぬかい つよし) 演: 第29代内閣総理大臣。 元・新聞記者であるため、記者とも気さくに情報交換をし、田畑からの取材も快く受けている。 また、話し合いを重んじる性格。 への対応を決めかねたに代わり総理に指名される。 満州問題を平和的に解決する道を模索しており、関東軍が満州国の成立を宣言するもこれを承認せず、軍縮政策を執ったために軍部の不興を買う。 そうした中で田畑のオリンピック活動やスポーツの意義に理解を示し、公式応援歌の披露式典への出席も承知する。 しかし式典当日の昭和7年(1932年)5月15日、自宅に踏み込んできた海軍将校らの銃撃を受けて絶命する()。 (きど こういち) 演: の閣僚。 (かわしま しょうじろう) 演: 幹事長などを歴任し、「政界の寝業師」と称される大物政治家。 組織委員会顧問、オリンピック担当大臣として田畑と対立、田畑失脚の引き金となる。 (ふくなが ぎいん) 演: 国会議員。 名前は健司(けんじ)。 1962年アジア競技大会参加問題では、他の国会議員(:、:、:吉増裕士)とともに組織委員会や田畑を追及する。 (いけだ はやと) 演:。 を打ち出し、を牽引。 教育界の人々 [ ] (おおくま しげのぶ) 演: 早稲田大学総長。 三島家のパーティーに参加し、嘉納と天狗倶楽部を引き合わせる。 (かのう ひさよし) 演: 会長。 健康な心身を育成するための体育を重要視する立場から、日本人のオリンピック参加に否定的な立場を取る。 (たじま きんじ) 演: 教授。 ベルリンに出張中、の日本選手団の入場行進に加わるためにストックホルムに呼び出される。 軍部関係者 [ ] (のぎ まれすけ) 演: 日露戦争で活躍した将軍。 三島家との交流があり、たまたま同家を訪れた四三と偶然トイレで遭遇する。 (みかみ たく) 演: 軍人。 五・一五事件で犬養首相を襲撃。 (なかはし ちゅうい) 演:。 二・二六事件で高橋是清を襲撃後、朝日新聞社を占拠する。 (うめづ よしじろう) 演: 陸軍次官。 1940年東京五輪の組織委員。 1964東京五輪関係者 [ ] 東京オリンピック組織委員会 [ ] (いわた ゆきあき) 演: 日本オリンピック委員会常任委員。 愛称は「岩ちん」。 (あずま りょうたろう) 演: スポーツ医学の権威であり、腰痛で倒れた嘉納の担当医を務める。 その後、日本体育協会と関わるようになり、日本オリンピック委員会委員長、IOC委員などを歴任。 1959年には田畑にに担ぎ上げられる。 当選後は東京大会開催のための都市整備に邁進。 また、川島ら政治家と田畑との間で板挟みになり苦悩することもあった。 愛称は「東龍(とうりゅう)さん」。 (つしま じゅいち) 演: 東京オリンピック組織委員会会長。 元で、戦後の賠償問題で辣腕をふるった実績を持つが、老境に差し掛かっているため覇気がなく優柔不断。 のちに政治スキャンダルに巻き込まれ失脚。 (おおしま けんきち) 演: 大会組織委員会選手強化本部副本部長。 (ふきうら ただまさ) 演: 大会組織委員会国旗担当。 森西栄一(もりにし えいいち) 演: 戦後東京の タクシー運転手。 志ん生や田畑らを客として乗せており、足袋姿の老人が走っているのを度々目撃する。 当時の東京で発生していた慢性的な渋滞に辟易していたところ、客として乗せた丹下と亀倉が話していた「聖火リレー踏査隊」に興味を示し、これに参加。 帰国後は大会組織委員会のスタッフになる。 大河原やす子(おおがわら やすこ) 演: ボランティア通訳。 (よさの しげる) 演: 田畑の後任の事務総長。 元外交官。 1964東京五輪の協力者たち [ ] (ひらさわ かずしげ) 演: 外交評論家、ジャーナリスト。 1959年のIOC総会で東京五輪招致のための最終スピーチを務める。 テレビでよく解説者をしており、「マダムキラー」と称されている。 外交官時代に、IOCカイロ総会から帰国途中だった嘉納治五郎と同じ船で乗り合わせ、「一番面白いこと」を語りあう。 嘉納の発病後はストップウォッチを託され、最期を看取る。 1964年の東京五輪招致は時期尚早という考え方だったが、田畑に「日本人が一番面白いことをしなければいけない」と説得され、最終スピーチを引き受ける。 その後も、返還工作に携わるなど要所で田畑の求めに応じてその手助けをする。 (きたはら ひでお) 演: の役人。 東京五輪招致に向けた最終スピーチの本来の担当者だったが外務省の運動会でアキレス腱断裂の怪我により出られなくなってしまい、自分に代わる最終スピーチの担当者に平沢を推薦する。 東照子(あずま てるこ) 演: 東龍太郎の妻。 東博彦(あずま ひろひこ) 演: 東龍太郎の三男。 龍太郎の東京都知事選出馬に反対し、田畑に直談判する。 (たんげ けんぞう) 演: 建築家。 を設計。 (くろさわ あきら) 演: 映画監督。 田畑の依頼で1964年東京オリンピックの記録映画の監督に就任が決定するが、のちに田畑が組織委員会を去ると、自身も辞退する。 (かめくら ゆうさく) 演: グラフィックデザイナー。 大会のシンボルマークやポスターをデザイン。 (むらかみ のぶお) 演: 料理長。 選手村のレストラン「富士食堂」の料理長として世界各国の料理を提供する。 (みなみ はるお) 演:浜野謙太 歌手。 朗らかな笑顔と、浪曲で鍛えた美声で人気を博す。 『』を歌い、1964年東京オリンピックを盛り上げる。 (まつした はるひで) 演: 編隊長。 (いちかわ こん) 演: 映画監督。 黒澤明が辞退した1964年東京オリンピックのの監督となる。 西村克重(にしむら かつしげ) 演: 航空自衛隊ブルーインパルス隊員。 淡野徹(だんの とおる) 演: 航空自衛隊ブルーインパルス隊員。 本名 美濃部孝蔵(みのべ こうぞう)。 本作のに相当し、志ん生が語る落語という体で金栗四三とオリンピック黎明期の物語が語られる。 一方、青年時代の志ん生(孝蔵)は本作のナレーションに相当し、志ん生の噺の登場人物のひとりでありながら、あたかも後世の志ん生の目線での解説役をも兼ねる。 なお、番組途中からは五りんが志ん生に代わり高座に立ち噺(ストーリー)が続く場面も登場するため、実際のナレーションはたけし・森山・神木が場面ごとに入れ替わりながら行われている。 明治23年、東京・神田に生まれる。 小学校を中退し10歳の頃から「、、」に精通していた悪童。 父親の煙管を質に入れていたことがバレて勘当され、浅草で自堕落な生活を送っていたが、吉原のから逃げるため寄席に飛び込み、橘家円喬の落語に出会う。 そこから落語に傾倒、寄席に通い始める。 羽田のオリンピック予選会の日に清さんの代理で車夫の仕事をしていたところ、偶然にも円喬を車に乗せ、衝動的に弟子入りを懇願。 円喬の弟子兼車夫として浅草から日本橋を通って芝までを実際に走りながら、円喬の『』を背中で聞くという稽古を受ける。 1912年、 三遊亭朝太(さんゆうてい ちょうた)の芸名と五を円喬から貰い正式に彼の弟子となる。 初高座では緊張から酒を呷り泥酔状態で『富久』を途中まで噺す。 翌年9月には小円朝に付いて旅興行に出かけることになり、円喬、清さん、小梅の見送りを受けて旅立つ。 旅先の浜松では、小円朝と衝突し一座を飛び出した後、無銭飲食をして入牢。 その際、新聞記事で円喬の死を知る。 悲しみに茫然自失とする中、同室となった 牢名主(演:)を相手に『』を演じたことで円喬の死と向き合い断髪、小円朝に謝罪、高座で前座話の『』を披露し噺家として出直しを誓う。 その後、東京に戻るが小梅と徳重の騒動に巻き込まれ浜松に戻ることを余儀なくされる。 アントワープ五輪の終了後、政治からくすねた金で東京に戻り、噺家として再起を図る。 二つ目として 三遊亭円菊(さんゆうてい えんぎく)を名乗っていたこの頃に上野鈴本亭の席亭の計らいで真打ち昇進が決まり、万朝から贈られた紋付きを始めとした道具一式を揃えられるもこれをすべて質草にし、ボロボロの着物で 金原亭馬きん(きんげんてい ばきん)として真打ち披露を果たす。 同時期、将来を心配した清さんと小梅に勧められるまま清水りんと結婚。 しかし生活ぶりは相変わらず酒、煙草、賭博、女に手を出す暮らしを続ける。 関東大震災発生時は咄嗟にりんを守るが、「東京中の酒が地面に吸われる」と考えて酒屋に走り、りんの怒りを買う。 その際、りんから第一子の懐妊を告げられ絶句する。 震災で廃墟となった東京を目前にして落ち込むが、倒壊した寄席小屋でもなお落語をする同業者や、清さん・小梅夫婦の励ましを受け気持ちを切り替え、仮設の寄席やバラックで落語を披露して罹災者を勇気づける。 震災後は柳家三語楼に弟子入りし 柳家東三楼(やなぎや とうざぶろう)として活動するが、師匠の羽織と着物を質に入れて破門される。 その後は高座に上がらず納豆や面を売って生計を立てるが、かつて自分が質に出した紋付や道具を偶然見つけ、それをきっかけに万朝と再会する。 その際、万朝の「疝気の虫」を聞いて打ちのめされ、紋付を買い戻して再び三語楼に弟子入りした。 太平洋戦争末期に、三遊亭圓生と共に慰問団として満州へ渡る。 命からがら帰国したあとは名人として名を成したが、脳出血で倒れる。 リハビリに励みながら、高座に上がれるようになる。 旧姓は 清水(しみず)。 高田馬場で下宿屋を営む家で育った。 25歳のときに孝蔵との縁談話がまとまり、清さん・小梅夫婦の仲人の元で結婚。 結婚当初は世間知らずかつ純粋で、噺家の符丁で誤魔化され毎日のように遊びに出掛ける孝蔵を見送る。 やがて孝蔵と夜逃げをする羽目となり、生活に疲れ果てた同時期に関東大震災に罹災。 地震が続く中、酒を飲むために酒屋に走った孝蔵に怒りを爆発させ、第一子・美津子を身篭ったことを打ち明ける。 震災後は家賃が無料という理由で業平に引っ越すが、環境の悪さや相変わらずの貧乏に悩まされる。 働かない孝蔵と時折喧嘩になるが、本心では彼を愛しており落語家としての才能を信じている。 美津子(みつこ) 演: 志ん生の長女。 父のマネジャーを務める。 関東大震災の際にりんが身ごもっていた。

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