鹿野靖明 徹子の部屋。 「こんな夜更けにバナナかよ」映画感想

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話の通販/渡辺一史 文春文庫

鹿野靖明 徹子の部屋

鹿野 靖明 しかの・やすあき ・1959. 26札幌市生 p. 47 ・1972 国立療養所八雲病院に入院 15歳まで ・ 北海道立真駒内養護学校(札幌市)高等部卒業(p. 144) ・ 身体障害者職業訓練校経理事務科入学 1年間簿記、珠算、タイプなどを学ぶ。 ・1979. 北海道リハビリテーション・センターに訓練生として入所 施設に併設される寮の4人部屋で暮らす(p. 144) ・1982? に入会アパートで自立 ・1983. 23施設を出る(p. 179) ・1984 札幌市白石区のアパートに入居(p. 結婚 ・1992 離婚 ・1995 人工呼吸器装着 ・1995. 18「介助ノート」始まる 2002. 10まで95冊 (p. 439) ・2002. そのことを最初に思ったのは後出の『こんな夜更けにバナナかよ』(渡辺[2003])の主人公・鹿野靖明が五九年の生まれであることをその本で知った時だ。 私は八〇年代の後半、つまり約三〇年前にその人の文章を読んではいた。 だが年が一つしか違わないことに気づかなかった。 そして鹿野はわりあい長く生きたが、そうでない人たちもいる。 とくに八〇年代初頭の文章がだいぶあり、それらを私が読む機会を得たことには当時の障害者政策・運動に関わる事情があることは後述するが、その時私が「大人」だと思って読んだその人たちの多くは、大学院生だった私とたいして年の変わらない人だった。 渡辺正直(一九五四〜二〇一二・五九歳)、石川正一(一九五五〜・一九七八・二三歳)、阿部恭嗣(一九五五〜二〇〇八・五三歳)、高野岳志(一九五七〜一九八四・二七歳)、福嶋あき江(一九五八〜八九年・二九歳)、鹿野靖明(一九五九〜二〇〇二・四二歳)、轟木敏秀(一九六二〜一九九八・三六歳)。 これらの人たちの書いたものと行動について次回以降紹介していく。 その本の紹介の文章を最初に書いたのは多分私で(立岩[2003])、その文章にも書いたが、鹿野が生きている時だったらそのままのかたちで出せただろうかと思うところもある。 こうして、死の前後に事情が変わって、かえって書けることが出てくることもある。 ただ、すくなくとも生きている人自身は生きている間にしか書いたり語ったりすることができない。 圓山(まるやま)です。 新潟でも、「よるバナ」の講演会を致します。 ご近所の方(・・・日本海側、とか)でも、遠い方でも、関心のある方、ご都合のつく 方、ぜひお越しください。 秋の越後は、美味しいものがいろいろとありますよ。 よろしくお願い致します。 施設ではなく地域で暮らしたい。 そんなフツーのことが、24時間の介助が必要となる と、様々な人たちが入れ替わり立ち替わり日常生活に関わってきます。 事前の申し込みは不要です。 satoko nifty. 『こんな夜更けにバナナかよ』(通称「よるバナ」)の渡辺一史です。 突然ですが、東大先端研特任助教授で、このほど設立の発起人として ご活躍の長瀬修さんと、以下の日程でトークセッションを行わせていただくことにな りました。 参加費は1,000円(ドリンク付)と、けっこうお高いですが、興味がおありの方は ぜひご参加くださいませ。 それは筋ジストロフィーの子どもたちが集められた病院だった。 彼はそこで多くの口に出されることのない死を感じて過ごす。 その後様々あったの後、一九九五年に筋医協札幌西区病院で呼吸器をつける。 「「このまま天井の穴の数をかぞえながら、ぼくは死んでいくんだろうか」[…]病室の天井は、小さな穴がたくさん開いたよくある白いボード板の天井だった。 それは少年時代を過ごした国立療養所八雲病院とまったく同じだともいった。 主治医はキーボードを押して音声を出す装置を紹介したが、鹿野はキーボードを押せず使えなかった。 「パソコンやワープロを重度身体障害者用の意志伝達装置して「生活用具を給付する」公的制度があるのを知ったのは、退院してから二年も経った頃のことでした。 […]/トーキングエイドのキーボードは押せませんでしたが、パソコンのマウスは自由に操ることができました。 もっと早い段階で制度を知っていて、この方法が病院に持ち込まれていたら、人工呼吸器を装着した直後の苦しみは間違いなく半減しただけではなく、周囲の負担も大きく違ったことでしょう。

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鹿野靖明 徹子の部屋

12月28日 金 公開の映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」の完成披露試写会が11月12日に行われ、主演の大泉洋をはじめ、共演者の高畑充希、三浦春馬、渡辺真起子、竜雷太、綾戸智恵、佐藤浩市、原田美枝子、前田哲監督が登壇した。 本作は、渡辺一史によるノンフィクション作品を映画化したもので、病気で体が不自由ながら自由きままにワガママに生きた鹿野靖明 大泉 と、真っすぐな生き方をする彼に会って変わっていく人々の人生を描いた物語。 完成披露試写会では、巨大なバナナパネルが設置されたステージに、黒に黄色をとり入れた衣装のキャスト陣が続々と登場。 大きな歓声が湧き上がる中、本物のバナナを持って登場した大泉に、観客からクスクスと笑いの声が。 そんな大泉にあいさつ用のマイクが渡されると、「目立たない小ボケをかまされまして…」と話し、「このタイミングで変えられるんだったら、全然要らなかったです」と言うと、なぜかもう一度バナナを持つくだりを繰り返すことに。 「佐藤浩市さんがすごい冷たい目で見てましたよ」とトホホな顔をしながらも、スタートから爆笑だらけの舞台あいさつが始まった。 挙手制で始まったこのコーナー ? で、先陣を切った大泉は「ランニングなのに止まるのかよ」というエピソードを披露。 撮影中、鹿野を演じるに当たり減量していた大泉は、キャストとの食事を楽しんだ後も毎日走り込んでいたそうで、それを知った三浦と高畑も参加することになったが、高畑が10m走ってすぐに止まるため「そのペースについていくのが大変でした」と振り返った。 そして、佐藤は「監督なのに、呼び捨てかよ」と発言。 「前田監督とは、助監督からの知り合いで、普段は『てつ』と呼んでいるんですけど、今回は監督なのでそういうわけにはいかず」と、ついつい呼び捨てしてしまうクセをのみ込んでいたという。 すると、監督が「旭川まで撮影に来ていただいて大変ありがたかったのですが…撮影しに来ていたのか、ゴルフしていたのか…」と反撃! そんな佐藤に対し、大泉も同じように思うところがあったそうで、すかさず「撮影なのにゴルフかよ」とツッコミを入れる一幕が。 すると佐藤は「手を挙げなければ良かった」と後悔した。 また、高畑からは「撮影中、編み物にハマっていた」というエピソードが飛び出し、プロの雀士として活躍する萩原聖人から「いい感じにダサいヘアバンド作ってほしい」というリクエストを受けたため、「絶対王者」という刺しゅう入りのヘアバンドをプレゼントしたと明かす。 しかし、「 萩原が 撮影後の初めての試合で着けてくれていたんですけど、負けてしまって…『せっかく作ったのに負けるのかよ』」とツッコミを交えて美しくまとめた高畑に、会場からは拍手が起こった。 (ザテレビジョン).

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こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 文春文庫 : 渡辺一史

鹿野靖明 徹子の部屋

俳優・(45)が4日、都内で行われた「映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』講演会」に出席した。 この日の講演会は、厚労省が後援する障がい者週間特別企画として「障がい者の社会参加と自立支援について考える」と題して行われた。 主演の大泉は「演じる前に実話を聞いて泣けてきた。 本番前に泣いてから演じ、鹿野さんのドキュメンタリーに出ているような不思議な体験だった。 鹿野さんを演じたつもりだが、ビジュアルはに似てしまった」と苦笑い。 さすが俳優さんだと感じた。 ご存命の鹿野さんのお母さまは、息子が戻ってきたようだと感動していらした」と大泉の演技を絶賛した。 講演会にはパラリンピック陸上女子走り幅跳び6位、女子100メートル8位の大西瞳さん(42)も出席。 「こんなステキな場に出演できて、障がい者になってよかったなと思う。 オシャレでしょ。 ジロジロ見てください」と義足を披露した。 さらに「私は進行性の難病ではないのに、何でここに呼ばれたのか分からなかった。 実は元カレが筋ジストロフィーだったので(配給の)松竹さんはよくぞそこまで調べたと感心した」と明かした。 直後に大泉が否定し、思い違いだったようだが、大西さんは青春時代を思い出して上機嫌だった。 原作は自らも鹿野さんを介助した渡辺氏が2003年に出版。 大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞し、15年かけて映画化が実現した。 渡辺氏によると、鹿野さんの介助を通してボランティアは様々なことを考えさせられ、同氏のみならず多くの人の人生が激変していったという。 あわせて読みたい•

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