鬼滅の刃 かいがく 画像。 『鬼滅の刃』中高一貫!キメツ学園☆キャラまとめ!

鬼滅の刃善逸の兄弟子はとんでもないゲス野郎!獪岳(かいがく)は師を亡き者にした

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CV:( 善逸の兄弟子名義) 概要 の回想にて存在が示唆されていた 善逸の兄弟子。 当初は名前が不明だったため、読者からは善逸に桃を投げつけていた姿から 「桃先輩」という仮称で呼ばれていた。 師匠である慈悟郎のことを「先生」と呼び、真面目に修行に励む"雷の呼吸"の継承者。 善逸の回想シーンでは 「お前への指導は先生の時間の無駄」だと善逸にきっぱりと告げ、剣士を辞めるように責め立てている。 兄弟子であることから善逸より早くに入隊している模様。 階級や入隊後の動向は一切不明。 戦死したとに代わって "上弦の陸"の座を与えられ、無限城において鬼殺隊を殲滅せんと立ち塞がる。 彼が熱心な努力家で、真面目に鍛錬に励んでいたことは間違いない。 彼のは黄色であり、鎬に稲妻のような文様が入っている。 慈悟郎も善逸に 「獪岳を見習え!」「兄弟子のようになれ!」と檄を飛ばし、善逸も獪岳を嫌ってはいたものの、自分とは違いひたむきな彼を尊敬していた。 そして、その背中を見ていつか肩を並べてともに戦うことを願っていた。 その性格は 「自分の才能を正しく評価する者が善で、自分を正しく評価出来ない者が悪」という台詞からわかるように傲慢で独善的。 弟弟子の善逸を露骨に見下し蔑み、自分も素質に偏りがあったにも関わらず、己の才能を絶対視していたこと。 そして、それが認められない現状に勝手に不満を募らせることから、善逸とは違う方向の問題児の側面も見受けられる。 善逸はそんな彼を 「どんな時も不満の音がしており、心の中の幸せを入れる箱に穴が開いている」と評している。 過去 彼は岩柱ことが心を閉ざす原因となったとされる。 かつて、悲鳴嶼が多くの孤児と共に住んでいた頃の話で『ある子供が、いいつけを破って夜に出歩いていた時に鬼と遭遇し、自分一人が助かるために鬼に他の子供を売った』という事件が起こった。 その回想シーンで、ビジュアルの類似性と身勝手な性格から、 その時の子供こそ、慈悟郎に拾われる前の獪岳ではないかという推測もなされていた。 その後、原作17巻にてそれが 獪岳本人であると明言された。 事件の真相は、悲鳴嶼が盲目なのをいいことに寺の金を盗んだことが他の子供達にばれ、彼らから責め立てられた末に追い出されたことを逆恨みし、復讐として鬼に彼らを売ったというものであった。 子供達は悲鳴嶼に気を揉ませまいとしたのか保護者に相談もなく追い出した後ろめたさからか、獪岳は寝ていると嘘を吐き、悲鳴嶼自身も目が見えないこともあり鬼に言われるまで獪岳がいない事に気づかなかった。 善逸は獪岳のことを 「クズ」 と評し、その苛烈な性格から確かに嫌っていた。 それでも、善逸にとってたった一人の兄弟子であることに変わりはない。 また、善逸は修行場を離れた後も獪岳にまめに手紙を送り、心の底では 「兄貴」と呼んでいた。 しかし、それが獪岳の心を満たすことはなかった。 獪岳が善逸を嫌っていた最大の理由は、善逸の性格とは別のところにある。 しかし、獪岳は弟弟子と自分が同列に扱われるのが我慢ならず、善逸が贔屓されていると考えていたのだ。 実際は慈悟郎は獪岳と善逸を平等に慈しんでおり、揃いの羽織まで渡している(残念ながら獪岳がその羽織に袖を通すことはなかった)。 獪岳が善逸ばかり贔屓されていると感じたのは、自分には出来ない壱の型が使える嫉妬や、善逸が甘えたがりで慈悟郎に懐いていたからだと考えられる。 そんな獪岳の運命の分岐点は 十二鬼月最強の鬼、"上弦の壱"ことに遭遇してしまったことである。 良くも悪くも一般人的な感性を持っていた彼にとって、黒死牟の存在は目にするだけで恐怖と絶望感を与えるものであった。 その圧倒的な力に追い詰められて彼に土下座をしてまで命乞いをした結果、それを聞き入れた黒死牟によって提案されたのは鬼への勧誘。 そして獪岳は、恐怖に震えながら無惨の血を摂取。 その結果、人を貪る鬼へと変貌してしまった。 ……生きてさえいればいつかは勝てるという彼の考えによって、惜しくも自分の命を捨ててまで相手に立ち向かおうという考えに行くことはなかった。 最期 そして、無惨の本拠である無限城にて善逸と対峙することとなる。 鬼化したことで精神の歪みが加速したのか、善逸が伝えた弟子に鬼を出した不始末の償いとして自害を選んだ慈悟郎のことも侮辱する。 しかし、善逸は一言の元に吐き捨てた。 「俺がカスならアンタはクズだ」 「壱ノ型しか使えない俺と壱ノ型だけ使えないアンタ」 「後継に恵まれなかった爺ちゃんが気の毒でならねぇよ」 善逸との戦いでは、"雷の呼吸"に加えて鬼化で得た相手の体を崩壊させるを組み合わせた技で、善逸に致命傷に近い傷を負わせる。 しかし、善逸が他ならぬ 「いつか獪岳と肩を並べて戦うため」に編み出したによって頚を刎ねられる。 散々見下していたはずの善逸が、自分だけの新たな型を生み出す。 そして、自分がその技を受けて敗北する。 その事実を受け入れられない混乱の中で、力尽きた善逸も死ぬ以上自分の負けではないと勝った気になっていた。 だが、そこにと他の隊士が駆けつけて善逸を救出する。 そして、愈史郎から今までの自分勝手な言動に対する嘲りと哀れみの言葉を浴びせられる。 あらゆるものを踏みにじってまで保とうとしていた己の自尊心が覆しようのない形で折れていく事実に、もはや声にならない断末魔をあげながら消滅した。 一応"上弦の陸"という位を与えられていたものの、ですらない善逸一人に倒されるという他のと比較すると明確に格落ちするあっけない最期であった。 言わば補欠合格のような形で上弦の地位を得たに過ぎないことからこのっぷりも仕方のない所がある。 能力 /全集中"" "雷の呼吸"と血鬼術を組み合わせた技を使う。 血鬼術により刀の斬れ味が強化され、呼吸の演出も善逸と異なり 黒い雷になっている。 その斬撃を喰らうと体に亀裂が奔り、肉体を罅(ひび)割り続ける。 弐ノ型 稲魂(いなだま) 瞬きの間に行われる高速五連撃。 参ノ型 聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい) 標的の周囲を回転しながらの波状攻撃。 肆ノ型 遠雷(えんらい) 詳細不明。 劇中の描写からおそらく壱ノ型と同系統の踏み込みからの斬撃と思われる。 伍ノ型 熱界雷(ねっかいらい) 下から上へ斬り上げる。 その威力は受けた善逸が天井に激しく衝突するほど。 陸ノ型 電轟雷轟(でんごうらいごう) 詳細不明。 劇中の描写では空中で放たれ、受けた善逸は体の至る場所に斬撃を喰らった。 総評 今まで鬼になったことで精神が歪んでしまった者や、鬼と出会って人生が一変してしまった者はいたが、鬼と出会う前から心の空白が明言される人物は彼が初めてである。 鬼になる前から「自分さえ良ければいい」という心情の元、多くの人物の心を傷つけ、死に追いやり、その事を一切悔いずに果てた事は到底許されない。 過酷な子供時代の影響から 「生きてさえいれば、いつかは自分を見下す強者にも勝てる」と考えており、悲鳴嶼の寺での回想や、黒死牟と出会い鬼となったことからもそれがわかる。 人間的に未熟な部分も、素晴らしい部分も理解しようとしていた善逸と慈悟郎の本心を見抜けず、 「泣き虫なお前と努力している自分を一緒にされたくない」「自分の才能や努力を評価してほしい」という強い承認欲求の末、二人を裏切り、獪岳は鬼となった。 更に言えば獪岳の行為によって被害を受けた悲鳴嶼や責任をとって切腹した慈悟郎も憐れみこそすれ、決して獪岳を恨んだり、責める言動はしていない。 理解者であった周囲の人について、思いやることなく自分を理解してほしいと願い、ただ生き抜くことのみ考え、その欲望のまま生きた結果、獪岳は誰にも認められることなく最期を迎えることとなったのである。 よって、結論から言うと獪岳が「クズ」であったことは否めない。 ただこれらの行為をそう断じるのは簡単だが、どちらのケースも 極限状態に追い詰められた故の行動である事を考慮しなくてはならない(所謂)。 寺を追い出された事は彼の自業自得だが、鬼と出会ったのは偶然である。 また、いくら鬼殺隊に入隊した後とはいえ黒死牟と出会ったことに関しては不幸としか言いようがない。 善逸は獪岳のことを嫌ってはいても、尊敬している一面もあったと告白している。 よって、彼の一部分だけを切り取って「ただのクズ」とは呼べないだろう。 寧ろ、彼の人生を大きく分けた二回の選択の機会に提示された選択肢はどちらも「自分が死ぬか、或いはそれ以外の誰かが死ぬか」という究極の二択だったこと、仮にその時自らの死を選んだとしてもそれが正しく評価されたかということまで考慮すると、誰も彼の事を非難することは出来ないだろう。 「他の命を犠牲にしてでも自分の命を守って生きる」というのは人類も含め全ての肉食動物の命の営みにも当てはまり、いわば自然の摂理、 食物連鎖にも共通する部分がある。 彼の心の空白を考慮しても、慈悟郎は 「善逸と獪岳が二人で雷の呼吸の継承者となること」を望み、弟子として育てたのだから。 彼は前任の"上弦の陸"の妓夫太郎と堕姫の兄妹同様、 環境によって悪に染まってしまったタイプと言える(少なくとも、のの様に生まれついての悪ではない)。 「自分さえ良ければいい」という傲慢で独善的な考え方も、元はと言えば「そうでもしなければ生き残る事すら叶わない」程に過酷に過ぎる子供時代に起因したものであり、そういう生き方を強いた親や環境にこそ原因と責任があるという見方も出来る。 寺の子供たちが理由があったとして、獪岳を鬼が出ると言われる外界に放逐したことについてはやり過ぎとも思えるが、悲鳴嶼がそれを子供たちに問い質すことはついぞ無かった。 また、善逸も最初の頃は比較的温厚な性格である炭治郎が 「描写できないレベルの般若の形相」を浮かべる位にマジ切れすることもあるほどのかなりのヘタレだったのを勘案すると、獪岳が善逸に辛く当たった原因は善逸の言動にも原因があったのかもしれない。 大して修練しているように見えない善逸がよりにもよって自分が唯一会得出来なかった壱の型だけ使えたという不愉快極まりない現実まで見せつけられた獪岳のストレスは如何程のものだっかは察するに余りある。 そして、跡取りとして認められていると思っていた桑島が新たな弟子として善逸を連れてきたことに対しての失望も大きかったと思われ、桑島が不出来な弟弟子を構い、その分恐らく獪岳の指導時間が削られ、自らの扱いや存在が軽視されたと感じたのではないかと推察される。 「人間的に未熟な部分も、素晴らしい部分も理解しようとしていた善逸と慈悟郎の本心を見抜けなかった」と上にも書いたが、実際のところ二人の思いもまた一方通行でしかなく、それを積極的に伝える努力をしていたような様子は殆どなかった。 理解しようとはしていたかもしれないが、結局本心を見抜けなかったのはお互いさまである。 慈悟郎が最期に介錯もつけずに切腹をするという最も苦しい死に方を選んだのは、もしかすると一門から鬼を出した不始末に対する贖罪ではなく、己の無理解が原因で獪岳を苦しめ、鬼に堕としてしまったことへの贖罪と、そうさせてしまった己の不甲斐無さに対しての罰だったのかもしれない。 だが、両者の思いは終ぞ正しく伝わることは無く、完全にすれ違ったまま破局を迎えてしまった。 獪岳側には最初から破滅以外の結末などなく、選択肢があるとすればそれがいつ、どのような形になるか程度を選ぶことしかできなかった。 もし、善逸と慈悟郎がより積極的に獪岳を理解しようとし、その奥底にある本心に気づくことが出来ていれば、そうでなくとも、もう少し誤解を招かないような接し方さえ出来ていれば、結末は違っていたかもしれない。 公式ファンブック「鬼殺隊見聞録」にて無惨による上弦への評価では他の鬼への評価は全て判明しているものの、発売時期の影響か獪岳のみ無惨からの評価が判明していない。 今後なんらかの形で公表されるのであろうか、現状では不明。 関連イラスト 鬼化後.

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【鬼滅の刃】上弦の睦・獪岳(かいがく)が4巻に登場してた件!

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CV:( 善逸の兄弟子名義) 概要 の回想にて存在が示唆されていた 善逸の兄弟子。 当初は名前が不明だったため、読者からは善逸に桃を投げつけていた姿から 「桃先輩」という仮称で呼ばれていた。 師匠である慈悟郎のことを「先生」と呼び、真面目に修行に励む"雷の呼吸"の継承者。 善逸の回想シーンでは 「お前への指導は先生の時間の無駄」だと善逸にきっぱりと告げ、剣士を辞めるように責め立てている。 兄弟子であることから善逸より早くに入隊している模様。 階級や入隊後の動向は一切不明。 戦死したとに代わって "上弦の陸"の座を与えられ、無限城において鬼殺隊を殲滅せんと立ち塞がる。 彼が熱心な努力家で、真面目に鍛錬に励んでいたことは間違いない。 彼のは黄色であり、鎬に稲妻のような文様が入っている。 慈悟郎も善逸に 「獪岳を見習え!」「兄弟子のようになれ!」と檄を飛ばし、善逸も獪岳を嫌ってはいたものの、自分とは違いひたむきな彼を尊敬していた。 そして、その背中を見ていつか肩を並べてともに戦うことを願っていた。 その性格は 「自分の才能を正しく評価する者が善で、自分を正しく評価出来ない者が悪」という台詞からわかるように傲慢で独善的。 弟弟子の善逸を露骨に見下し蔑み、自分も素質に偏りがあったにも関わらず、己の才能を絶対視していたこと。 そして、それが認められない現状に勝手に不満を募らせることから、善逸とは違う方向の問題児の側面も見受けられる。 善逸はそんな彼を 「どんな時も不満の音がしており、心の中の幸せを入れる箱に穴が開いている」と評している。 過去 彼は岩柱ことが心を閉ざす原因となったとされる。 かつて、悲鳴嶼が多くの孤児と共に住んでいた頃の話で『ある子供が、いいつけを破って夜に出歩いていた時に鬼と遭遇し、自分一人が助かるために鬼に他の子供を売った』という事件が起こった。 その回想シーンで、ビジュアルの類似性と身勝手な性格から、 その時の子供こそ、慈悟郎に拾われる前の獪岳ではないかという推測もなされていた。 その後、原作17巻にてそれが 獪岳本人であると明言された。 事件の真相は、悲鳴嶼が盲目なのをいいことに寺の金を盗んだことが他の子供達にばれ、彼らから責め立てられた末に追い出されたことを逆恨みし、復讐として鬼に彼らを売ったというものであった。 子供達は悲鳴嶼に気を揉ませまいとしたのか保護者に相談もなく追い出した後ろめたさからか、獪岳は寝ていると嘘を吐き、悲鳴嶼自身も目が見えないこともあり鬼に言われるまで獪岳がいない事に気づかなかった。 善逸は獪岳のことを 「クズ」 と評し、その苛烈な性格から確かに嫌っていた。 それでも、善逸にとってたった一人の兄弟子であることに変わりはない。 また、善逸は修行場を離れた後も獪岳にまめに手紙を送り、心の底では 「兄貴」と呼んでいた。 しかし、それが獪岳の心を満たすことはなかった。 獪岳が善逸を嫌っていた最大の理由は、善逸の性格とは別のところにある。 しかし、獪岳は弟弟子と自分が同列に扱われるのが我慢ならず、善逸が贔屓されていると考えていたのだ。 実際は慈悟郎は獪岳と善逸を平等に慈しんでおり、揃いの羽織まで渡している(残念ながら獪岳がその羽織に袖を通すことはなかった)。 獪岳が善逸ばかり贔屓されていると感じたのは、自分には出来ない壱の型が使える嫉妬や、善逸が甘えたがりで慈悟郎に懐いていたからだと考えられる。 そんな獪岳の運命の分岐点は 十二鬼月最強の鬼、"上弦の壱"ことに遭遇してしまったことである。 良くも悪くも一般人的な感性を持っていた彼にとって、黒死牟の存在は目にするだけで恐怖と絶望感を与えるものであった。 その圧倒的な力に追い詰められて彼に土下座をしてまで命乞いをした結果、それを聞き入れた黒死牟によって提案されたのは鬼への勧誘。 そして獪岳は、恐怖に震えながら無惨の血を摂取。 その結果、人を貪る鬼へと変貌してしまった。 ……生きてさえいればいつかは勝てるという彼の考えによって、惜しくも自分の命を捨ててまで相手に立ち向かおうという考えに行くことはなかった。 最期 そして、無惨の本拠である無限城にて善逸と対峙することとなる。 鬼化したことで精神の歪みが加速したのか、善逸が伝えた弟子に鬼を出した不始末の償いとして自害を選んだ慈悟郎のことも侮辱する。 しかし、善逸は一言の元に吐き捨てた。 「俺がカスならアンタはクズだ」 「壱ノ型しか使えない俺と壱ノ型だけ使えないアンタ」 「後継に恵まれなかった爺ちゃんが気の毒でならねぇよ」 善逸との戦いでは、"雷の呼吸"に加えて鬼化で得た相手の体を崩壊させるを組み合わせた技で、善逸に致命傷に近い傷を負わせる。 しかし、善逸が他ならぬ 「いつか獪岳と肩を並べて戦うため」に編み出したによって頚を刎ねられる。 散々見下していたはずの善逸が、自分だけの新たな型を生み出す。 そして、自分がその技を受けて敗北する。 その事実を受け入れられない混乱の中で、力尽きた善逸も死ぬ以上自分の負けではないと勝った気になっていた。 だが、そこにと他の隊士が駆けつけて善逸を救出する。 そして、愈史郎から今までの自分勝手な言動に対する嘲りと哀れみの言葉を浴びせられる。 あらゆるものを踏みにじってまで保とうとしていた己の自尊心が覆しようのない形で折れていく事実に、もはや声にならない断末魔をあげながら消滅した。 一応"上弦の陸"という位を与えられていたものの、ですらない善逸一人に倒されるという他のと比較すると明確に格落ちするあっけない最期であった。 言わば補欠合格のような形で上弦の地位を得たに過ぎないことからこのっぷりも仕方のない所がある。 能力 /全集中"" "雷の呼吸"と血鬼術を組み合わせた技を使う。 血鬼術により刀の斬れ味が強化され、呼吸の演出も善逸と異なり 黒い雷になっている。 その斬撃を喰らうと体に亀裂が奔り、肉体を罅(ひび)割り続ける。 弐ノ型 稲魂(いなだま) 瞬きの間に行われる高速五連撃。 参ノ型 聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい) 標的の周囲を回転しながらの波状攻撃。 肆ノ型 遠雷(えんらい) 詳細不明。 劇中の描写からおそらく壱ノ型と同系統の踏み込みからの斬撃と思われる。 伍ノ型 熱界雷(ねっかいらい) 下から上へ斬り上げる。 その威力は受けた善逸が天井に激しく衝突するほど。 陸ノ型 電轟雷轟(でんごうらいごう) 詳細不明。 劇中の描写では空中で放たれ、受けた善逸は体の至る場所に斬撃を喰らった。 総評 今まで鬼になったことで精神が歪んでしまった者や、鬼と出会って人生が一変してしまった者はいたが、鬼と出会う前から心の空白が明言される人物は彼が初めてである。 鬼になる前から「自分さえ良ければいい」という心情の元、多くの人物の心を傷つけ、死に追いやり、その事を一切悔いずに果てた事は到底許されない。 過酷な子供時代の影響から 「生きてさえいれば、いつかは自分を見下す強者にも勝てる」と考えており、悲鳴嶼の寺での回想や、黒死牟と出会い鬼となったことからもそれがわかる。 人間的に未熟な部分も、素晴らしい部分も理解しようとしていた善逸と慈悟郎の本心を見抜けず、 「泣き虫なお前と努力している自分を一緒にされたくない」「自分の才能や努力を評価してほしい」という強い承認欲求の末、二人を裏切り、獪岳は鬼となった。 更に言えば獪岳の行為によって被害を受けた悲鳴嶼や責任をとって切腹した慈悟郎も憐れみこそすれ、決して獪岳を恨んだり、責める言動はしていない。 理解者であった周囲の人について、思いやることなく自分を理解してほしいと願い、ただ生き抜くことのみ考え、その欲望のまま生きた結果、獪岳は誰にも認められることなく最期を迎えることとなったのである。 よって、結論から言うと獪岳が「クズ」であったことは否めない。 ただこれらの行為をそう断じるのは簡単だが、どちらのケースも 極限状態に追い詰められた故の行動である事を考慮しなくてはならない(所謂)。 寺を追い出された事は彼の自業自得だが、鬼と出会ったのは偶然である。 また、いくら鬼殺隊に入隊した後とはいえ黒死牟と出会ったことに関しては不幸としか言いようがない。 善逸は獪岳のことを嫌ってはいても、尊敬している一面もあったと告白している。 よって、彼の一部分だけを切り取って「ただのクズ」とは呼べないだろう。 寧ろ、彼の人生を大きく分けた二回の選択の機会に提示された選択肢はどちらも「自分が死ぬか、或いはそれ以外の誰かが死ぬか」という究極の二択だったこと、仮にその時自らの死を選んだとしてもそれが正しく評価されたかということまで考慮すると、誰も彼の事を非難することは出来ないだろう。 「他の命を犠牲にしてでも自分の命を守って生きる」というのは人類も含め全ての肉食動物の命の営みにも当てはまり、いわば自然の摂理、 食物連鎖にも共通する部分がある。 彼の心の空白を考慮しても、慈悟郎は 「善逸と獪岳が二人で雷の呼吸の継承者となること」を望み、弟子として育てたのだから。 彼は前任の"上弦の陸"の妓夫太郎と堕姫の兄妹同様、 環境によって悪に染まってしまったタイプと言える(少なくとも、のの様に生まれついての悪ではない)。 「自分さえ良ければいい」という傲慢で独善的な考え方も、元はと言えば「そうでもしなければ生き残る事すら叶わない」程に過酷に過ぎる子供時代に起因したものであり、そういう生き方を強いた親や環境にこそ原因と責任があるという見方も出来る。 寺の子供たちが理由があったとして、獪岳を鬼が出ると言われる外界に放逐したことについてはやり過ぎとも思えるが、悲鳴嶼がそれを子供たちに問い質すことはついぞ無かった。 また、善逸も最初の頃は比較的温厚な性格である炭治郎が 「描写できないレベルの般若の形相」を浮かべる位にマジ切れすることもあるほどのかなりのヘタレだったのを勘案すると、獪岳が善逸に辛く当たった原因は善逸の言動にも原因があったのかもしれない。 大して修練しているように見えない善逸がよりにもよって自分が唯一会得出来なかった壱の型だけ使えたという不愉快極まりない現実まで見せつけられた獪岳のストレスは如何程のものだっかは察するに余りある。 そして、跡取りとして認められていると思っていた桑島が新たな弟子として善逸を連れてきたことに対しての失望も大きかったと思われ、桑島が不出来な弟弟子を構い、その分恐らく獪岳の指導時間が削られ、自らの扱いや存在が軽視されたと感じたのではないかと推察される。 「人間的に未熟な部分も、素晴らしい部分も理解しようとしていた善逸と慈悟郎の本心を見抜けなかった」と上にも書いたが、実際のところ二人の思いもまた一方通行でしかなく、それを積極的に伝える努力をしていたような様子は殆どなかった。 理解しようとはしていたかもしれないが、結局本心を見抜けなかったのはお互いさまである。 慈悟郎が最期に介錯もつけずに切腹をするという最も苦しい死に方を選んだのは、もしかすると一門から鬼を出した不始末に対する贖罪ではなく、己の無理解が原因で獪岳を苦しめ、鬼に堕としてしまったことへの贖罪と、そうさせてしまった己の不甲斐無さに対しての罰だったのかもしれない。 だが、両者の思いは終ぞ正しく伝わることは無く、完全にすれ違ったまま破局を迎えてしまった。 獪岳側には最初から破滅以外の結末などなく、選択肢があるとすればそれがいつ、どのような形になるか程度を選ぶことしかできなかった。 もし、善逸と慈悟郎がより積極的に獪岳を理解しようとし、その奥底にある本心に気づくことが出来ていれば、そうでなくとも、もう少し誤解を招かないような接し方さえ出来ていれば、結末は違っていたかもしれない。 公式ファンブック「鬼殺隊見聞録」にて無惨による上弦への評価では他の鬼への評価は全て判明しているものの、発売時期の影響か獪岳のみ無惨からの評価が判明していない。 今後なんらかの形で公表されるのであろうか、現状では不明。 関連イラスト 鬼化後.

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【鬼滅の刃】かいがく(獪岳)が鬼になった理由がクズと話題!?

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画像:道頓堀公式サイトより 7月5日(日)のお昼時に行って来ました。 来店した店舗だけかも知れませんが、入り口の扉に「鬼滅の刃限定グッズ ビッグ缶バッジは品切れです」と言うような紙が貼り出されていました。 まだコラボが始まって5日目のお昼です。 そんなに品切れになるの?と思いましたが、最初から取り扱いをしていないのかなとも思いました。 元々缶バッジ目当てで来店していなかったので、そこはそんなにショックを受けたりはしませんでした。 店内にはあちこちに鬼滅の刃とコラボをしているお知らせが貼り出されている様子。 着席してメニューを見ると、上記の画像のようなメニューが用意されていました。 どのコラボメニューも1,200円(税抜)です。 普通のお好み焼きの金額と比べると高額のお好み焼きです。 今回は鬼滅の刃目当てで来たのもあるので、こちらの「我妻善逸」のお好み焼きを注文しました。 「鬼滅の刃」コラボメニューはこんな感じ 画像:道頓堀公式サイトより コラボメニューの善逸のお好み焼きのイメージはこのような感じです。 善逸カラーの黄色の背景に、善逸のシルエット。 雰囲気だけでも善逸を感じられるかも知れません。 注文するとこのような感じで具材が運ばれて来ました。 唯一、善逸だとわかるのは海苔のシルエットですね。 出汁で食べる、山椒が効いた明石焼き風ふわふわお好み焼き!仕上げに善逸のシルエットをかたどった海苔をのせて完成です! とのことです。 道頓堀は自分で焼くお店。 この善逸お好み焼きをどうやって作るのか聞いてみると、作り方のマニュアルを持ってきてくれました。 わたしが行ったお店だけかも知れませんが、普通のお好み焼きの作り方の手順も席には何も用意されていませんでした。 他の道頓堀のお店に行った時は手順が書かれたものがあったと思ったのですが、お店によるのでしょうか。 兎にも角にも、せっかくコラボメニュー目当てで来たので、出来るだけ忠実に作りたいと思うわけです。 マニュアルを見ながら作ってみました。 この善逸のお好み焼きの手順は、初めにお好み焼きを焼き、その上に焼いた卵を乗せ、最後に善逸シルエットの海苔を乗せる感じです。 普通にお好み焼きを焼きます。 適当でスミマセン・・・。 5分ずつ、3回ひっくり繰り返して焼くとのことでした。 その間に薄焼き卵?スクランブルエッグ?を作ります。 わたしたちの席に来た店員さんは、特に作り方についてなにも言っていませんでした。 でも後ろの席にいた親子で「善逸メニュー」を頼んでいた方がいたのですが、その席を接客していた店員さんは スクランブルエッグを作るように、と言っているのが聞こえました。 わたしはすでに薄焼き玉子にするつもりでいたのでこのような感じ。 鉄板の上は他の普通のお好み焼きも焼いていたのもあり結構ギューギュー。 そのすき間に混ぜた卵を流し込んだので、形を上手く整えるのが結構難しかったです。 この時にはもう見本がどんなだったか忘れて見ないで作ってました。 見本はどちらかと言うとスクランブルエッグのような感じですね。 なんか・・・思っていたよりも卵が混ざっていなくて白身の部分が丸わかりです(卵を混ぜるのにお好み焼きを混ぜるスプーンしかなくてそれで混ぜました)。 薄焼き玉子にしたので、お好み焼きの上に乗せて合体させる時は楽勝でしたが、見本とかなり違うと言う仕上がりw でもスクランブルエッグにしたら、乗せる時にバラバラになって食べるのも大変だったかな?と思ったり。 最後に善逸の海苔を乗せる時が 盛り上がりのピークで、あとは写真に収めて記念になった感じですね。 そして注文した後に渡されたのは、A4サイズの茶封筒。 しっかりとのり付けされています。 中のクリアファイルは開けるまでのお楽しみです。 画像:道頓堀公式サイトより 他の登場人物もみんなタヌキの耳を付けているイラストでカワイイです。 食べてしまえばあっという間。 しかも作るのも結構大変で、理想通りのものにならないけれど・・・良い思い出にはなったかな?と思います。 他のテーブルの方では禰豆子を頼んでいる方もいました。 コラボメニューは全部で6種類。 もしも炭次郎を注文した場合は、自分で海苔を上手くトッピングするのでしょうね。 我が子はしのぶさんのパンケーキも気になっていたようですが、デザートっぽく思ったようで今回はやめました。 また、悪く言うわけではないのですが、伊之助と冨岡さんのお好み焼きは、お色がちょっと斬新だったので味の想像が出来ず候補に挙がりませんでした・・・。 今回行ったお店には限定グッズが品切れとなっていたので、こちらをお目当てに行かれる場合はお店に確認をした方がいいかも知れません。 8月31日まで鬼滅の刃コラボをやっているので、この機会にコラボお好み焼きを楽しんで、可愛い限定クリアファイルを手に入れるのはいかがでしょうか?.

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