電撃 バップ。 ベースはコードのルート(根音) | ベースの初心者

電撃バップ‼1.2.3‼️

電撃 バップ

、の 電撃戦は、少なくとも3つの観点から研究されている。 1つ目は初期にが行った、、時の・で、がで部分的に実践した歴史的なとしての観点、2つ目は迅速な攻勢によって勝利する教義としての時代から存在していたという電撃戦を拡大解釈する観点、3つ目は敵のではなくによる攪乱に力点を置いた機械化戦闘の代表的理論としての観点である。 なお、3つ目の観点においては、まで各国ので主流の教義であったという見解も示されている。 いずれの解釈においても共通している電撃戦の特徴とは、の理論に基づいていることである。 電撃戦の教義を研究開発し、後の軍事理論に決定的な影響を与えたのは、航空部隊によるとの連繋の下で相手のに対してにを実施させ、ただちに敵の側面と背後に戦力をしてが完成するよう、作戦をした。 このようにされた戦闘部隊の優位である高い機動力を駆使しながら、戦いの主導権を掌握してそれを活用することが、電撃戦の本質的な要素である。 代表的な実践者と研究者には、、、、、、、、、、、そして、などを挙げることができるが、本記事では現代の研究を中心に概説する。 理論 [ ] 研究史 [ ] (1941年7月) 電撃戦がはじめて実践されたのはであったが、それは、でのや、などの技術革新の成果と、という状況を招いた理論の問題に対する反省から生み出された新しいであった。 新しい教義の理論構築を準備したは、によって制約されることになったの軍備について、量的制約を補う質的改善を進めるためには機動力が重要であると考えた。 ゼークトは、の軍事思想の影響を受けながら作戦の基礎が部隊の運動にあると認識していた。 また、将来のはによって開始されることも予見していた。 また、新しく開発した戦車を初めて戦闘に投入したにおいても研究者がナポレオン戦史との研究を通じて、を中心とした新しいの理論を提唱した。 フラーの研究は、戦後の厭戦気運やの伝統的なから反発を受けて頓挫した。 ・には共に・から発想を得たとの研究で(2人は、第一次大戦で同室のだった)、した・騎兵を戦車に追随させ、それを支援するもしなければならない(つまり、全ての部隊に機械化が必要である)という主張がなされていたが、ド・ゴールら改革派の主張ははじめ第一次大戦の塹壕戦・要塞戦を戦った将校らによって退けられた。 トハチェフスキーの改革はソ連の重工業推進政策にも助けられ多大な成果を上げたが、トハチェフスキーや戦闘教義を熟知した将校らが(ら一部のぞき)処刑されたことで後退し、にみられるの弱体化につながった。 このような電撃戦の起源と位置づけられる先駆的な研究の存在が分かっているものの、電撃戦の概念がで教義として確立された歴史的な経緯については議論が分かれている。 マーレーなど多くの研究者は、ドイツ陸軍でそのような教義が広く受け入れられていたと主張しているが、例えば、ディトンの研究によればがしたは電撃戦とは認めることはできず、のにおけるが指揮する部隊による戦闘の事例のみに認めることができると主張する。 は、電撃戦の概念がもともとフランスで生まれ、後にグデーリアンが個人的な判断の下で戦闘教義として応用したに過ぎないと考えている。 いずれにしても、電撃戦の教義を確立させた功績はグデーリアンの独創的な研究によるものであると考えられている。 グデーリアンは、本部の反発を受けながらも歩兵部隊から独立した大規模な機甲部隊を創設し、高度な機動力を備えた部隊を使った機動的な戦闘教義に基づいた作戦計画を作成した。 グデーリアンは、を適切に選択するの原則、の原則、そして、決定的な地点に戦力を集中させる殲滅の原理を応用し、古典的な電撃戦の戦闘教義を完成させた。 しかし、電撃戦には問題点も少なくなかった。 電撃戦においてはが滞った快速部隊も進撃の停止を余儀なくされてしまうという事態が発生しかねないことである。 これは、補給部隊や歩兵を化することが電撃戦に必要なことを示している。 第二次大戦ではドイツ陸軍でも機械化歩兵やの部隊は少なかった。 第二次大戦後にを始めとするでは、の経験やを背景としながら電撃戦の教義の問題を見直して再構築する研究が進められた。 その研究成果として部隊の機械化とに基づいた新しい電撃戦の教義を開発しており、においてでは、、(charge in depth)の教義を実践している。 さらに、冷戦後のでも米国英軍によって電撃作戦が行われ、短期間のうちにを無力化することに成功している。 電撃戦の原理 [ ] (1941年6月22日 - 12月) 電撃戦で鍵となるのは、が拡大している間勢いを持続させるために、をより高度な意思疎通能力と能力を持つとして組織することであった。 この考え方の基礎となったのは、全ての戦力を敵前線のただ一点に集中させて、その後とによって穴を開けるという、においても十分通用した方法、そして、従来のへの指令をの要請からでなく、前線部隊の要請を中心とした近接攻撃に集中して、敵部隊に強烈な打撃を与える複合的行動であった。 一旦前線に穴が開くと、が侵入し前線の数百マイル後方にまで侵入できた。 これにより攻撃側は敵の脆弱点(安易にまたは破壊されると著しい損害を受ける地点)つまり、の部隊、または前線司令部などの敵中枢を攻撃でき、敵の情報を遮断しを途絶、あわよくばそのままその戦線で勝利する事さえできた。 この方法によれば、可能な限り戦闘を避けつつ、敵を混乱させることで小規模の軍で大規模な敵軍を撃破できた。 が長距離砲の代わりとして敵の拠点を破壊、兵力の集中を奪い、攪乱・制圧する。 次にを受けて戦車・の部隊が、敵がを準備する前にし、敵陣深くに侵入するというもので、この際、進撃する部隊は突破口の確保に兵力を使用せず、進撃速度を最大限に上げる。 従来の戦法と最も異なるのは、の権限委譲である。 現場は、従来の中央集権的な指揮系統に頼るよりも、自らの判断に従うよう奨励された。 電撃戦では、いたずらに猛進するだけでは全ての防衛線を突破できずに行き詰まり、立ち直った敵軍によりされる危険がある。 したがって、敵の戦意をくじくための準備をし、攻撃目標を明確にしておくことが欠かせない。 何故なら、この戦法は敵戦力を撃滅するためでなく、あくまで敵の脆弱点を狙って混乱させる戦法であり、敵部隊はを除いてほとんど物理的損害を受けないからである。 電撃戦の事例と電撃戦でない事例 [ ] 1939年 ドイツ対ポーランド戦 [ ] 詳細は「」および「」を参照 ソ連赤軍による戦線全面における最大の攻勢、電撃戦に必要なものを得たソ連赤軍は予備兵力を持たないナチス・ドイツ軍を粉砕し、の帰趨を決した。 戦線の維持がやっとの状態のにはかつてような攻撃を主体とした大規模なを有さず、白の地にはほぼの姿はなかった。 空・陸の複合的かつ委譲された権限による臨機応変さが電撃戦の要諦であるとするならば、もはや空軍の・による効果的な以上の制圧もなく、による現場からの権限剥奪などによって、の勝利の方程式はすべてが失われていた。 による後方撹乱は不利な情勢をより悪化させた。 ナチス・ドイツによる攻撃が全面攻勢(バルバロッサ・1941年)、南部への攻勢(ブラウ・1942年)、突出部への挟撃(クルスク・1943年)と年を経るごとに縮小したことに対し、十分に力を蓄えた1944年のソ連赤軍による攻勢は、バルバロッサと同じように戦線全域における平押というものであった。 そして、バルバロッサと決定的に異なったのはここは赤軍の地であり、この地に最適な機動力を持ちこの時期においての電撃戦に必要な兵力を持って行った攻勢であるということである。 赤軍はこれまで限られた装備だった無線を多くのが装備し、圧倒的な力・伝統の砲の強さを含め、無尽蔵とも思えるを備え、制限はあるものの権限を与えられた指揮権などのの向上とともにによる圧倒的な力に裏付けされたを得ていた。 その上に、兵力差を越えて犠牲をいとわない赤軍の電撃戦の前に、拠点確保・撤退禁止を命じられたは、各地で殲滅され、驚くほどの短期間に開戦来の地を追われ、の帰趨を決する大敗を喫し、敗戦必至の烙印を押すのである。 1941年 日本対イギリス戦(マレー) [ ] 詳細は「」および「」を参照 が率いるは、の開戦より、とを交えながら55日間で1,100キロを進撃し、わずか60余日でを攻略した。 この快進撃を支えたのは、「」といわれるの活用と、隊長率いる、を主力とした戦車夜襲の活用が大きかったといわれる。 電撃戦と類似しているがドイツのあみだした電撃戦とは異なる。 1950年 北朝鮮対韓国戦() [ ] 北朝鮮軍は機械化戦力を用いた電撃的侵攻で韓国軍を圧倒、二か月で韓国領の大半を制圧した。 約120輌のT-34-85を配備した第105機甲旅団が先鋒として活躍、これら機械化戦力が電撃的侵攻を成功させた大きな要因となった。 なお北朝鮮軍はソ連型軍隊の典型であり、朝鮮戦争での機動戦はドイツの電撃戦とは異なっている。 1967年 イスラエル対シリア・エジプト() [ ] ドイツの電撃戦を模倣したイスラエル軍はオールタンク・ドクトリンでアラブ諸国を圧倒した。 電撃戦の語源 [ ] 「Blitzkrieg」を英語訳すると「Lightning war」になり、訳すると「戦」か「戦」になるはずで、「電撃戦」という言葉にはならない。 古代の兵法書に「」があり、この「六韜」は「文韜」「武韜」「竜韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の6章に分かれており、この中の「虎韜」(日本語のの語源)軍用篇に()を用いたについて書かれた部分がある。 内容は「大扶胥衝車三十六乗 螳螂武士共載 可以撃縱横 敗強敵 緇車騎寇 一名電車 兵法謂之電撃」、意味は「36台の大扶胥(大型ののための戦車)という乗り物にを持ったを乗せた物を電車と名づけ、縦横無尽に使用して強敵を破り、この兵法を電撃という」である。 つまり、の「Blitzkrieg」という戦術が、日本でも虎の巻で馴染みのある、「電撃」という古代中国の兵法に似ていたので、日本で「電撃戦」と訳されたのである。 一方、同じであるではで読んだ「 전격전 電擊戰 」(:jeongyeokjeon)と呼ばれる。 韓国には「電擊部隊」と呼ばれる戦車部隊「第1機甲旅団」が存在する。 参考文献 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2013年4月)• Addington, L. 1971. The blitzkrieg era and the German general staff 1865-1941. New Brunswick, N. : Rutgers Univ. Press. Balck, W. 1906. Taktik. 6 vols. Berlin: R. Eisenschmidt. Bradley, D. 1978. Guderian und die Entstehungsgeschichte des modernen Blizkrieges. Onsabruck: Biblio. Verlag. Deighton, L. 1979. Blitzkrieg: From the rise of Hitler to the fall of Dunkirk. New York: Ballantine Books. ディトン著、喜多迅鷹訳『電撃戦』早川書房、1994年• Doughty, R. 1985. The seeds of disaster: The development of French army dctrine 1919-1939. Camden, Conn. : Archon Books. Eimannsberger, L. von. 1938. Der Kampfwagenkrieg. 2d ed. Munich: J. Lehmans. Franz, W. 1983. Maneuver: The dynamic element of combat. Military Review 63 5 :2-12. Geyer, M. 1986. German strategy in the age of machine warfare. Makers of modern strategy from Machavelli to the nuclear age, ed. Paret, 529-97. Princeton, N. : Princeton Univ. Press. マイケル・ガイヤー「機械化戦争時代:1914-1945年におけるドイツの戦略」、ピーター・パレット編、防衛大学校「戦争・戦略の変遷」研究会訳『現代戦略思想の系譜 マキャヴェリから核時代まで』ダイヤモンド社、1989年、pp. 463-518. Guderian, H. 1938. Die Panzertruppen und ihr Zusammenuirken mit den anderen Waffen. Berlin: E. Mittler. Guderian, H. 1952. Panzer leader. New York: Dutton. グデーリアン著、本郷健訳『電撃戦 グデーリアン回想録 上下』中央公論新社、1999年• Hughes, D. 1986. Abuses of German military history. Military Review 65 12 :66-77. Jacobsen, H. 1957. Fall Gelb. Der Kamp um den deutschen operationsplan zur Westoffensive 1940. Wiesbaden: Franz Steiner. Kroener, B. 1985. Squaring the circle: Blitzkrieg strategy and manpower shortage, 1938-1942. In The German military in the age of total war, ed. Deist, 202-303. Dover, N. : Berg Publisher. Lind, W. 1984. The case for maneuver doctrine. In The defense reform debate: Issues an analysis, ed. Clark 4, P. Chiarelli, J. McKitrick, and J. Reed, 88-100. Baltimore: Johns Hopkins Univ. Press. Macksey, K. 1976. Guderian: Creator of the blixkrieg. New York: Stein and Day. Miksche, F. 1941. Attack: A study of blitzkrieg tactics. New York: Random House. Sternberg, F. 1938. Germany and a lightning war. trans. Fitzgerald. London: Faber and Faber. Tiberi, P. 1985. German versus Soviet blitzkrieg. Military Review 65 9 :63-71. Wallach, J. 1986 1967. The dogma of the battle of annihilation. Westport, N. : Greenwood Press. 関連項目 [ ]• - - -• - -• - 代表曲に、""(Blitzkrieg Bop)という歌がある。

次の

ベースはコードのルート(根音) | ベースの初心者

電撃 バップ

ルートが同じコード 5小節目のコード「 CM7」と、1小節目のコード「 C」は、コードの種類は違うものの、ルートは同じなので、指板の音名からは、同じフレットが選ばれる分けです。 4小節目のコード「 G」と、8小節目のコード「 G7」も然りです。 ルートは根音 コードは3つや4つの複数の音が、縦に積み重なっていると想像してください。 それの一番下にある土台の音を ルート(Root)と言い、日本式では 根音(こんおん)とも表すので、覚えておきましょう。 異名同音のルート 説明してきたように、指板には「C・D・E・F・G・A・B」の音名が割り振られていますが、空白のフレットも見られました。 4小節目の「 D m7」のルートは、D音から半音上がった、D 音がルートです。 やはり、両方とも違う音名ですが、同じフレットを示しています。 こういった、違う呼び方で同じ音のことを 異名同音(いみょうどうおん)と言います。 指板の音名は少しずつ覚える このページで説明してきたように、指板の音名がコードのルートになります。 なので、指板の音名を暗記しておかないと、ルートを弾くことが出来ない分けです。 一度に覚えるのは大変なので、先ずは5フレット目までを目標としましょう。 その範囲内には、コードで使う全てのルートが揃っています。 また、でも、このページと同じことを説明しているので、参考にしてください。

次の

Blitzkrieg Bop もしくは電撃戦ビバップ (1976. Ramones)

電撃 バップ

Blitzkrieg Bop はこちら Hey ho, let's go! Hey ho, let's go! Hey ho, let's go! Hey ho, let's go! Hey ho, let's go! Hey ho, let's go! Hey ho, let's go =翻訳をめぐって= 「ブリッツクリーク」はドイツ語で「」を意味する軍事用語。 戦車の機動力を最大限に活かした第二次大戦期の戦争形態で、1940年のナチスドイツによるフランス侵攻の際に典型的に繰り広げられた。 英語の歌詞の中に挟まれたドイツ語が「同じ日本語」で翻訳されるのもヘンなので、ここでは音訳にとどめてある。 「バップ」は「バップという音楽の種類」である。 1940年代に成立したジャズの一形態として「ビバップ」というものがあり、その略称が「バップ」になる。 それがどういう音楽かといえば、「バップとしか呼びようのない音楽」である。 …何が「言えよう」じゃ。 60年代末から70年代前半ぐらいに生まれ、若い頃に突っ張らかしていた私より一回り年上世代のお兄さんの話などを聞いていると、実にしばしば以下のような言葉遣いを耳にする。 昔の中学生とか高校生って、もっとビーバップなとこ、あったやんかあ。 せやけど今の子ぉらには、そおゆうビーバップな感じが、いっこもあれへんねん。 何でもっとビーバップに行かれへんかなって、いっつも思うねん。 …こおゆうお兄さんの口にする「ビーバップな感じ」というのがどおゆう感じなのかといえば、つまるところはこおゆう感じなのである。 「ビーバップ」という言葉に「それ以外の感じ」はこおゆうお兄さんにとっては全く求められていない。 付け加えて言うならばこおゆうお兄さんにとって「ビーバップな感じがしない」という言い方は「ときめかない」というのとほぼ同じ意味を持っているのだけれど、「ときめかない」などという言葉はこおゆうお兄さんは使わない。 「ときめかない」ということはこおゆうお兄さんにとっては飽くまで「ビーバップな感じがしない」ということでなければならないわけなのである。 しかしながら原義の「ビバップ」という言葉には、「そおゆう感じ」は全くくっついていない。 日本語世界のごく限られた一世代の人間にとってだけ、「ビーバップ」という言葉は他の世界のどこにも存在しない「特別な響き」をまとっているのである。 だが、さらに幾世代か分の時間が流れる中で、そうした「特別な響き」が持つ意味も、いつかは忘れ去られてしまう日が訪れるのだろう。 それなりの「時代の検証」に耐えうるような文章を書こうとはいつも意識していても、長い歴史のスパンで見るならば、儚いまでに「寿命の短い」文章しか、結局私は書けていないのかもしれない。 このブログに書かれていることの中身が誰にも理解できなくなってしまうような時代というものは、驚くほど早く訪れるのだろう。 「ブリッツクリーク」という言葉も消えるだろうし、「バップ」という言葉も消えるだろう。 凡ては宇宙の塵に還るのだろう。 旅に出ようか。 …どこ行くつもりやねん。 ちなみにこの歌の邦題は「電撃バップ」と言う。 あがた森魚に「電気ブラン」という歌があったのを思い出したけど、YouTubeには上がっていなかった。 いとしの第六惑星でも聞いておこうか。 …冒頭から約三千字にもわたってどうして奥歯に物の挟まったような核心をあえて外すような本丸を一気に攻めずに外堀から埋めてゆくような語り口をチマチマ続けているのかといえば、それだけ私がこの曲とラモーンズというバンドのことを大好きだったからなのである。 それを今ではそんなに胸を張って好きだと言えなくなってしまった気持ちというものが、私の文章をチマチマさせ続けているわけなのである。 だって、「わつしほ! 1234 」と叫ぶだけで誰でもこんなに簡単に「なりきる」ことのできてしまうバンドなんて、この人たちの他にどこにいただろうか。 字面は「ハイホー」だけど完全に「あいおー」と聞こえるこんなにキャッチーな「かけ声」で始まる歌が、他のどこにあるだろうか。 ブルーハーツ、ニューエストモデル、ピーズ、少年ナイフ、私がずっとその背中を追いかけていた先輩バンドの人たちはみんなラモーンズのことを大好きだった。 キライになれる要素なんて、どこにあっただろうか。 けれども前回クラッシュの「」を取りあげた際に久しぶりにこの曲の名前と出会い、調べてみて改めて突きつけられたのは、欧米にはこの曲が「ナチスを連想させる」と感じている人が大勢存在する、という事実だった。 そしてそのことには、この曲を夢中になって聞いていた頃の自分自身、何となくではあれ、「気づいていた」はずではなかったか、と思わされたのだった。 「ナチスを連想させる要素」は、まず何よりもとりわけヨーロッパ大陸の大部分の人々に恐怖と憤怒の記憶を呼び起こさずにおかない「Blitzkrieg」という単語の中に存在しているわけだが、それだけにはとどまらない。 歌詞の言葉を素直に読む分には、「これから激しくてアツくて楽しいショーが始まるよ」ということ以外にはほとんど何も歌っていないような歌なのだけど、たとえば冒頭の「密集した人間たちが隊列を組んでいる」という歌詞には明らかに「ナチス式の行進」のイメージが投影されている。 そしてそういう目で歌詞を読んだなら、「The kids are losing their minds」という部分は「ヒトラーユーゲント」のことを歌っているようにも思えてくるし、クルマ関係の歌詞は全部フォルクスワーゲンとアウトバーンに結びついてくるし、最後の「ready to go」は「戦闘への突撃」のイメージとも重なってくる。 しかも歌の舞台はベルリンである。 「パンクという文化」とファシズムとの間には、むろんそれと正面から戦うことを呼びかけている歌も少なくないわけではあるけれど、何らかの「切っても切れないつながり」が存在しているのではないかということを、考えさせられずにはいられない。 そして私にとってこのことが決して軽視できない問題であるように思われるのは、日本におけるいわゆる「不良文化」が「日の丸」や特攻服といった右翼的なイメージと常に密接な関係を持ってきたことと、この「パンクとナチスの関係」という問題とは、完全に「重なっている問題」であるように思われるからなのである。 この歌が「ナチスを連想させる歌」であったとしたことの上で、「そう感じた人たち」の中にも大きく分けて「二通りの反応」が存在するわけだ。 ひとつは、この歌が「ナチスみたいだ」とは思いつつも「カッコいいからそれはそれでアリだろう」みたいな感じで、「おおらかに」この歌のことを「受け入れる」ことのできる人たちのグループ。 もうひとつは、「ナチスの匂い」を感じとっただけで反射的に拒否反応が込み上げ、「二度と聞きたくない」という感想を持つタイプの人たちのグループ。 そして私が生きてきた20世紀の終わりから現在にかけての時代の中で、ともすればアタマが固くてシャレの分からない若者文化の敵、みたいな形で世の中からの攻撃にさらされがちだったのは、常に後者の側の人々だった。 場合によってはそうした人たちの「エキセントリックな反応」の方が、よっぽど「ナチスみたいだ」と揶揄を受けるのを見聞きしたりもしてきた。 けれども後者のタイプの人々の間から「ナチス的なものが復活させられる」ようなことは、基本的にありえないことだと私は思う。 ありうるとしたら確実に前者のタイプの人々の間からそれは起こるのだし、「自分に理解できない相手」のことはいくら攻撃し傷つけても良心の痛痒を感じない感性、言い換えるなら20世紀の初頭にファシズムというものを生み出した「マジョリティの感性」というものは、完全に前者のタイプの人間「だけ」が持ち合わせている「属性」なのである。 90年代の松本人志が東条英機やヒトラーの真似をしていたとしても、それは「ギャグ」にしか思えなかった。 そしてまた本人が本気でそういうことを言っているのだとも、誰も受け止めなかった。 ただ「面白いから」「ギャグとして」そういうキャラクターを演じているだけなのだろうと、少なくとも私は思っていた。 だが実際には「単にヒトラーみたいな男」が、ずーっと変わらずにそこにいただけだったのだ。 そのことに「あの時代」に気づいて対決しておくことのできなかったことが、自分は悔しくて仕方ない。 という趣旨のことを、私は今までこのブログに書き綴ってきた。 ラモーンズやピストルズにしてみたって、かれらがその時代に「ナチスのスタイル」をちょこっと模倣してみせるぐらいのことは、本人たちの意識からすれば「ネタ」に過ぎなかったのだろうなとは思う。 実際には当時の時点からそれは「ネタ」では済まされない話だったはずなのだが、これからの時代、ナチスや天皇制の表象を「おおらかに」大衆文化の中に持ち込もうとするあらゆる試みは、ますますシャレにならない意味を持ってくることに確実になる。 と言うより、既に完全にそうなっている。 そういうのを「おおらかに」受け入れることのできるマジョリティの人間が増えれば増えるほど、移民や「障害者」をはじめ、数しれないほどの人々が、単に心を傷つけられるだけにとどまらず、具体的に身体や生活や生存そのものをも破壊されてゆかずにおかないような、「新たな戦前」と呼ぶしかない時代が既にこの世界では20世紀が終わった時点から、始まってしまっているのである。 「抑圧された若者の感性」がなぜ「日の丸」やナチスの旗に惹きつけられてしまうことが起こるのかといえば、それが「強そうに見える」からである。 人間には、自分が「弱い存在」であることを痛感させられている人であればあるほど「強い存在」に惹きつけられずにいられないようなところがあって、それをどうすればいいのかということまでは正直、私にもわからない。 かつ「抑圧された人間の感性」は、必ず「暴力」にその抑圧からの突破口を求めたいという衝動を内在させている。 自分の暴力性が「体制」によって抑圧されている以上、「日の丸」やナチスの旗といった「暴力性のシンボル」が、そういった抑圧から自分たちを「解放」してくれるものに見えたとしても、不思議はないだろう。 「気持ちはわかる」のだ。 私自身にもそういうのが「カッコよく」見えていた時代は、確かにあったのだから。 けれどもその暴力性が「体制」に向かって叩きつけられるのではなく、むしろ「体制」と「一体化」するようなことが起こってしまうなら、もはやそこに存在したはずの「反逆精神」は、「腐っている」としか言いようがない。 パンクという音楽が教えてくれた一番「大切なもの」である「反体制的な生き方」を守り抜きたいと思うなら、私自身は「ガチガチの左翼」になるしかなかったし、これからの時代は、ますますそうしてゆく他にないのだと思う。 社会の右傾化を「おおらかに」受け入れてしまったら最後、マジョリティの一人として生きている人間は、自分がファシズムの具体的な担い手として生きることを「選択した」ことになるのである。 そうなればもう、「後戻り」は効かなくなってしまうのだ。 「右も左も」同じ音楽に耳を傾けて一緒に踊ることが可能だった時代がかつては存在していたかのような「幻想」にしがみついていることからは、もはや「卒業」する他にない。 その幻想を手放すことができずにいる限り、「左の部分を切り落として右の部分からの共感を求める」という「腐った路線」しか、歌を歌う人間にも物を書く人間にも、「選び」ようがなくなってしまう。 そういう歌や文章ばかりが世の中に溢れるようになってしまった現在、私はもはやそれをまともに相手にしたいとは思わなくなっている。 そういう気持ちや生き方を今みたいには「整理」することができずにいた20代前半の頃、ふとしたきっかけで知り合った「ビーバップ世代」の現役のヤクザの人から、 君には、古きよき時代のツッパリの匂いがする と言われたことがある。 「反逆精神」を持ってる人がヤクザに流れるのは、間違ってると俺は思いますよ。 と私は答えた。 それはその人に対する最大限の私の「誠意の伝え方」だったし、また「突っ張り方」でもあった。 年上のその人は、笑うだけだった。 けれども振り返ってみれば自分の人生の中で、あれだけ「言われてうれしかったこと」は他になかったのではないかと思う。 少なくとも私は今でもその言葉を「大切」にして生き続けている。 ロケットに乗って冥王星に行くことの方が、地べたで暮らしているより「リアル」に感じられていた時代が、自分にも確かにあったのだな。 今の私は完全に地べたの世界で「だけ」生きているし、そのことを誇りにも感じている。 感じたい。 感じるべきなのだろう。 だからそのことをあえて「しか」生きていないとは書かない。 ではまたいずれ。 =楽曲データ= Released: 1976. Key: A Nagi1995.

次の