いずれ テッペン 超え れる 意味。 いずれテッペン超えれる?

不等号

いずれ テッペン 超え れる 意味

前に違う方の同じような質問に回答したものです。 「杜鵑の吐血」という中国の故事が由来です。 概要は 「蜀」は古代中国、長江流域(四川省)で栄えたとされる国だ。 蜀といえば「三国志」の蜀が有名だが(3世紀、日本なら卑弥呼の時代)、それよりも千年以上も前に蜀という国があったという(それに関係したらしい三星堆遺跡が1986年に発掘され、多くの金器や青銅器などを出土、黄河流域中原文化とは別の、中国特異な文化遺跡として大きな注目を集めた)。 その蜀が荒れ果てていた時、杜宇という男が現れ、農耕を指導、蜀を再興した。 彼は帝王となり、望帝と称した。 望帝杜宇は長江の氾濫に悩まされたが、それを治める男が出現、彼は宰相(帝王、補佐)に抜てきされた。 やがて望帝から帝位を譲られ、叢帝となり、望帝は山中に隠棲した。 実は、望帝が叢帝の妻と親密になったのがばれたので望帝は隠棲したともいわれる。 望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身した。 そして、杜宇が得意とした農耕を始める季節゜(春~初夏)が来ると、そのことを民に告げるため、杜宇の魂化身ホトトギスは鋭く鳴くようになったという。 月日は流れて、蜀は秦(中国初の古代統一国家。 始皇帝が建国)に攻め滅ぼされた。 それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。 帰ることが出来ない。 )と鳴きながら血を吐いた。 ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。 以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんだ。 ホトトギスは実際血を吐くことはないですが口の中が真っ赤であることとその時の泣き声がとても鋭く甲高い声なので血を吐いてもおかしくない様子から先の故事とホトトギスの姿を重ねて見ていたのだと思われます。 ホトトギスは口の中が赤いので、それが血に見え、ホトトギスは血を吐くまで鳴き続けると思われていて、それを詠んだ古歌からきたと記憶しています。 松山出身の人間には、馴染み深いものですね。 松山出身の俳人「正岡子規」は、自身が結核に冒され血を吐いたことから、『鳴いて血を吐く』ホトトギスを表す「子規」を名前に選んだのですから。 と、いうことで、その古歌を探してみましたが、残念ながら元歌や出典は見つかりませんでした。 しかし、次の漢詩を見つけました。 41 金陵駅 文天祥 ページの最後です 漢詩抜粋 >化作啼鵑帯血帰 書き下し文抜粋 >化して啼鵑と作(な)り 血を帯びて帰らん 和訳抜粋 >自分は死んでも、鳴いて血を吐くという不如帰に為ってでも帰り国のために尽くそう・・・ 参考URL: A ベストアンサー ホトトギスの雄は昼夜となく鋭い声で鳴き続け、その声がまるで血を吐いているように聞こえるので、この言葉が生まれた」と思われます。 ホトトギスの鳴き声は極めて顕著で「てっぺんかけたか」と聞こえます。 そして、そのように鳴くときは口の中が真っ赤に見え、「八千八声鳴いて血を吐く」とか「啼いて血を吐くホトトギス」という言葉で表現されることがあることに由来して付けたのだそうです。 正岡子規は結核にかかり本当に血を吐いたので自虐的に ホトトギスの当て字の一つ「子規」とつけたことは 有名ですね。 下記も参考にどうぞ。 実際血を吐くことはないようですが口が真っ赤であること と泣き声がとても鋭く血を吐いてもおかしくないくらい甲高い泣き声だからではないでしょうか。 interq. html A ベストアンサー 回答(3)のつづき、 後半です。 は小蟲のことで鳥と合体した字。 『康煕字典』から他の 文献、更に他のホトトギスの解説文でも、「毛蟲を食べる」ことが必須の 如く記述されている。 神話とも関わりのない、習性を最も根源的にあらわしている字であるようだ。 ・・・この字が原初の字と推定する。 子zu3=語頭の子は、小さいの意。 又は、車輪の一回転。 いずれが先か未究明。 子zu3=語頭の子は、小さいの意。 規gui1=規則、円を描く具、日月車輪の円形、車輪の一周。 *3.? 屈原のいわれに拠る命名。 baidu. htm この頁の説明は、屈原が悲憤の余り汨羅に身を投げた故事を 踏まえたもの。 帰鳥は即ち子規鳥なり。 伝聞によれば、屈原の妹屈? の 魂が変じたもの。 毎年旧暦5月にこの鳥は「兄さん帰ってきて!兄さん帰ってきて!」 と啼く。 人々はこの声を聞くと粽(ちまき)を作り、龍舟を仕立て、 端午の節句を迎える準備をし、屈原を祀る。 ~以下略~。 =数字の単位。 時代により違いあるが、万億・千億・十億とも。 中国物理学会の大小数命名法で10E15 [peta-]とされている。 妹が亡くなった兄を想い呼びかける気持ちを鳥の名に充てたもの。 なお、? 帰・思帰は『高唐賦』にもあります。 ・・・子規zu3gui1の音に合わせて? 帰zu3gui1と充てはめたと考えます。 子規が先。 楊維禎という人は遊興や男女の交情を描いた詩人 です、これは言葉遊びです。 ア:「鵑」が食性を単純にあらわした文字。 辞書類の扱いからもかなり古い。 佳字、雅語、思い入れなどが重なって各種文字を充て種類が増えた。 ウ:神話や故人の逸話を、ホトトギスの鳴声になぞらえて新しい呼称を 与えた。 ついでに: 古代中国の蜀の神話について、日本語での紹介がありました。 不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄等の説明。 屈原(くつげん)についてはいくらでも記事があります、検索をどうぞ。 子規の文字の必然性に手間取りましたが、おかげさまで小論文が書けそうです。 以上 回答(3)のつづき、 後半です。 は小蟲のことで鳥と合体した字。 『康煕字典』から他の 文献、更に他のホトトギスの解説文でも、「毛蟲を食べる」ことが必須の 如く記述されている。 神話とも関わりのない、習性を最も根源的にあらわしている字であるようだ。 ・・・この字が原初の字と推定する。 A ベストアンサー こんなすばらしいHPを見つけました。 柴田昭彦氏の「ものがたり通信」です。 biglobe. html この中の「鳥の聞きなし」には、ただもう驚くほどの 鳴き声のオノマトペが網羅されています。 「テッペンカケタカ」は、『古今要覧稿』に見られるとあります。 なんとありがたいことに『古今要覧稿』は、 この名で検索すれば「近代デジタルライブラリ」で見ることができます。 163ページに 「籠の内に有て天辺かけたかと名のる声の殊に高く・・」 とあります。 ndl. php? A ベストアンサー こんにちは 太宰は「津軽」で、蟹田町に行った時に旧友達が太宰を囲んで宴を開いてくれた 時のことを書いています。 その中で、当時、大作家として名を馳せていた"五十 年配の作家"(志賀直哉と名指しはしてないが「神様」と呼ばれている、と書い たことで明白)について聞かれ、人の悪口を言って自分を誇るのは甚だいやしい ことだが、と前置きしながらも、世間も文壇も、その大作家を畏敬に近い感情で 評価していることに、一種、腹立たしい感情を持っていたのか、彼の作風を厳し く批判しています。 きっと志賀直哉自身にというより、彼に象徴される世間の偏 った高尚趣味(と太宰は思っている)若い作家達の彼へのとりまき、へつらい、 に嫌悪感を抱いていたのかもしれません。 でも、私は、ことの発端は、有名な、太宰と井伏鱒二との確執のような気がします。 井伏は太宰が故郷青森から上京した時から頼っている文壇の先輩であり、私生 活でもいろいろと面倒をみてもらっていた作家です。 太宰は候補になっていた第 一回芥川賞を逸したり、その後もあの手この手で受賞の依頼をするなどしても (川端康成におねだりの手紙を書いたりしていますね)思うように行かず、また 女性問題等でもトラブルがあるなど、徐々に生活に行き詰まりを感じ、 薬物中毒に陥ったりしていきます。 井伏も当時は貧乏作家で、さほど将来を嘱望されるような作家ではありませんでした。 そんな中、井伏が「ジョン萬次郎漂流記」で直木賞を取りますが、 その作品に盗用が見られるとし(後に大傑作とされる「黒い雨」にも盗用 論争)それに嫌悪した太宰が、井伏批判、そしてその背後にある文壇、世間、そ の象徴である"老大家"の志賀直哉批判、と日頃の不満が発展し、たまりにたまったうっぷんを はき出すように、意を決して「如是我聞」を発 表するに至ったのではないでしょうか。 遺書には「井伏さんは悪人です」とありますね。 「如是我聞」で太宰は「その者たち(老大家)の自信の強さにあきれている。 ……その確信は……家庭である、家庭のエゴイズムである」などと言ってますが、 私は、津軽の名家に生まれながら真の家庭的愛情に恵まれなかった太宰の本音が そこに伺えるかなぁという気がしています。 「如是我聞」は、死ぬ数ヶ月前、心中した山崎富栄の部屋で、 新潮社の編集者、野平健一が口述筆記し、死後に発刊されていますね。 参考文献といえるかどうか判りませんが、「ピカレスク」(猪瀬直樹・小学館) にはとても興味深いものがあります。 私見ですが書いてみました。 こんにちは 太宰は「津軽」で、蟹田町に行った時に旧友達が太宰を囲んで宴を開いてくれた 時のことを書いています。 その中で、当時、大作家として名を馳せていた"五十 年配の作家"(志賀直哉と名指しはしてないが「神様」と呼ばれている、と書い たことで明白)について聞かれ、人の悪口を言って自分を誇るのは甚だいやしい ことだが、と前置きしながらも、世間も文壇も、その大作家を畏敬に近い感情で 評価していることに、一種、腹立たしい感情を持っていたのか、彼の作風を厳し く批判しています。 A ベストアンサー はじめまして。 1.「いう」は以下のような、使用区別があります。 言う: (1)心に思うことを言葉で表します。 (2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。 (3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。 例:Aが~だと言った。 云う: (1)「伝える」が語源です (2)人から聞いたことを「云う」 (4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」 例:昔から~だと云われてきた。 謂う: (1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があります。 (2)「謂れ」=「因縁」「由緒」と考えるとわかり易いです。 例:この家の謂れは~ 2.「きく」は以下のような、使用区別があります。 聞く: 物音や人の話を耳でとらえます。 例:人の話を聞く。 聴く: 「(限定的に)身を入れて聴くこと」を言います。 例:音楽を聴く。 国民の話を聴く。 訊く: (1)「訊ねる=問いただす」から来ています。 (2)意味は「尋ねる」ということです。 例:道を訊く。 詳細を訊く。 以上ご参考までに。 はじめまして。 1.「いう」は以下のような、使用区別があります。 言う: (1)心に思うことを言葉で表します。 (2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。 (3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。 例:Aが~だと言った。 云う: (1)「伝える」が語源です (2)人から聞いたことを「云う」 (4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」 例:昔から~だと云われてきた。 謂う: (1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があ... A ベストアンサー 「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。 普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。 パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。 残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。 当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。 従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。 ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。 それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。 例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。 これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。 風に抵抗できない。 いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。 しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。 しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。 少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。 人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。 自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。 そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。 ……このような意味の比喩ではなかったかと思います。 この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。 パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。 彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。 パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。 暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。 弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。 パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。 「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。 普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。 パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し... A ベストアンサー イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。 例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに 組織されています。 つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。 しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して 公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。 ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。 一応これは一つの例ですけど。 というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。 こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。 この説明で理解してくれると思いますけどね。 イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオ...

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いずれテッペン越えれる?

いずれ テッペン 超え れる 意味

おはようございます。 無事にシカゴについていて、あまりに疲れたのでさっさと寝てしまったので、今頃更新しています。 シカゴは 14 時間前なので、今は早朝、ということになります。 昨日の食べ物のオーダーや会計の時の話です。 いずれテッペン超えれる? まさかこの言い回しを使うことになるとは思いませんでした。 いや、空港でスープを飲んだんですけどね、チップを書く欄がないんだけど、チップ込みか、それとも別かわからなくて、聞く羽目になりました。 普通に発音しましたけど。 初めてチップをカードで払うことに成功しました。 (厳密に言うと富士山で払ったんだけど、あの時は、勝手にチップ込みで、会計が提示されていましたから) お昼はまたまた大好きなジャンクフードのマクドでした。 今回はキオスクがないので、カウンターで注文したんですけど、セットは、combo とか、meal といって、セットでは通じません。 単品は hamburger ではなく、sandwich というみたい。 自分は、hamburger で通じましたけど。 で、hamburger ですが、これもカタカナ発音のハンバーガーで通じません。 このサマーさんの説明ですが、とてもわかりやすいし、特に発音の説明が丁寧です。 9 で説明されていますけど、ハンバーガーではなく、彼女がカタカナで書くと「ヘァンブゥグゥー」となっています。 まあ、大げさだけど、Siri だと、「ヘァンブゥグゥー」でないと認識しません。 騙されたと思って Siri や音声入力で試してみてください。 結構、発音の練習にはなると思います。 まあ、通じなかったら、番号が振ってあるので、番号, 例えば Big Mac は 1 だったんですが、番号で注文すると、長ったらしい名前を言わなくてもいいので楽です。 というだけ。 サイズを変更したいなら、 Can I get a number 1 meal with large fries? という感じです。 あら簡単。 Anything else? とか聞かれると思うんですが、片言感を出すと、あれこれ勧めてこないけど、勧められたら、 No, thank you. と断っておいたらいいです。 飲み物とかもアホのように大きいカップが出てるくるので、サイズ感がわかってから、足りないなら追加の方がいいと思います。 そうすると、大抵、 For here or to go? と聞かれるので、店で食べるなら For here, 持って帰るなら To go と答えます。 To go の場合、最近は聞かれたことないけど、 Paper or plastic? と聞かれることもあるんですが、これは、入れ物を紙袋にするか、レジ袋(プラスチック)にするか、という質問です。 あと、飲み物ですけど、カップをもらって好き放題です。 (店によるけど、大抵はドリンクバー) 普通はレシートの番号を叫ぶので、番号を見せてもらいます。 気の利いた店だと、モニタに番号が出たり、番号札を机に置いておくと持ってきてくれることもあります。 ちなみに、マクドとは言わず、メクドゥーナルズみたいな発音です。 アクセントはメです。 ズはほとんど発音しないかも。 マクドナルドとかカタカナで言ってもあまり通じません。 味はだいたい同じ、でも、テリヤキマックはないです。 空港の中の店はクソ高いので、マクドが間違いありません。 それに、マクドならチップがいらないので、「いずれてっぺん超えれる」と聞く必要もありませんし。 とまあ、どうでもいい情報でした。 ここまで書いておいて、これをいうと身も蓋もなんですが、知ってる単語を連呼すれば大抵なんとかなる気がします。 通じなければ、別の表現、単語を使えば、多分それなりのものが出てきます。 少なくとも食べ物屋だから、好き嫌いは別として、なんか食べ物は出てくると思います。 後、支払いはカードが便利ですが、特に、WiFi のマークみたいなの、日本でも最近はコンビニでも対応していますが、コンタクトレス決済だと、とてもスムーズです。 自分は、AMEX SPG ですが、AMEX の場合、アプリで、しばらくすると利用状態が確認できるのできます。 不正使用などもすぐに確認が取れますし、レートもわかって安心です。 それよりも何よりも、コインを持たなくていいのがいいです。 というわけで、コンタクトレス決済のカードをお勧めします。 にほんブログ村 ライフスタイルブログ 薪ストーブ暮らしに参加しています。 励みになりますので、足あとがわりに、ランクアップにご協力下さい。

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おはようございます。 無事にシカゴについていて、あまりに疲れたのでさっさと寝てしまったので、今頃更新しています。 シカゴは 14 時間前なので、今は早朝、ということになります。 昨日の食べ物のオーダーや会計の時の話です。 いずれテッペン超えれる? まさかこの言い回しを使うことになるとは思いませんでした。 いや、空港でスープを飲んだんですけどね、チップを書く欄がないんだけど、チップ込みか、それとも別かわからなくて、聞く羽目になりました。 普通に発音しましたけど。 初めてチップをカードで払うことに成功しました。 (厳密に言うと富士山で払ったんだけど、あの時は、勝手にチップ込みで、会計が提示されていましたから) お昼はまたまた大好きなジャンクフードのマクドでした。 今回はキオスクがないので、カウンターで注文したんですけど、セットは、combo とか、meal といって、セットでは通じません。 単品は hamburger ではなく、sandwich というみたい。 自分は、hamburger で通じましたけど。 で、hamburger ですが、これもカタカナ発音のハンバーガーで通じません。 このサマーさんの説明ですが、とてもわかりやすいし、特に発音の説明が丁寧です。 9 で説明されていますけど、ハンバーガーではなく、彼女がカタカナで書くと「ヘァンブゥグゥー」となっています。 まあ、大げさだけど、Siri だと、「ヘァンブゥグゥー」でないと認識しません。 騙されたと思って Siri や音声入力で試してみてください。 結構、発音の練習にはなると思います。 まあ、通じなかったら、番号が振ってあるので、番号, 例えば Big Mac は 1 だったんですが、番号で注文すると、長ったらしい名前を言わなくてもいいので楽です。 というだけ。 サイズを変更したいなら、 Can I get a number 1 meal with large fries? という感じです。 あら簡単。 Anything else? とか聞かれると思うんですが、片言感を出すと、あれこれ勧めてこないけど、勧められたら、 No, thank you. と断っておいたらいいです。 飲み物とかもアホのように大きいカップが出てるくるので、サイズ感がわかってから、足りないなら追加の方がいいと思います。 そうすると、大抵、 For here or to go? と聞かれるので、店で食べるなら For here, 持って帰るなら To go と答えます。 To go の場合、最近は聞かれたことないけど、 Paper or plastic? と聞かれることもあるんですが、これは、入れ物を紙袋にするか、レジ袋(プラスチック)にするか、という質問です。 あと、飲み物ですけど、カップをもらって好き放題です。 (店によるけど、大抵はドリンクバー) 普通はレシートの番号を叫ぶので、番号を見せてもらいます。 気の利いた店だと、モニタに番号が出たり、番号札を机に置いておくと持ってきてくれることもあります。 ちなみに、マクドとは言わず、メクドゥーナルズみたいな発音です。 アクセントはメです。 ズはほとんど発音しないかも。 マクドナルドとかカタカナで言ってもあまり通じません。 味はだいたい同じ、でも、テリヤキマックはないです。 空港の中の店はクソ高いので、マクドが間違いありません。 それに、マクドならチップがいらないので、「いずれてっぺん超えれる」と聞く必要もありませんし。 とまあ、どうでもいい情報でした。 ここまで書いておいて、これをいうと身も蓋もなんですが、知ってる単語を連呼すれば大抵なんとかなる気がします。 通じなければ、別の表現、単語を使えば、多分それなりのものが出てきます。 少なくとも食べ物屋だから、好き嫌いは別として、なんか食べ物は出てくると思います。 後、支払いはカードが便利ですが、特に、WiFi のマークみたいなの、日本でも最近はコンビニでも対応していますが、コンタクトレス決済だと、とてもスムーズです。 自分は、AMEX SPG ですが、AMEX の場合、アプリで、しばらくすると利用状態が確認できるのできます。 不正使用などもすぐに確認が取れますし、レートもわかって安心です。 それよりも何よりも、コインを持たなくていいのがいいです。 というわけで、コンタクトレス決済のカードをお勧めします。 にほんブログ村 ライフスタイルブログ 薪ストーブ暮らしに参加しています。 励みになりますので、足あとがわりに、ランクアップにご協力下さい。

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